肥薩線めぐりの旅(その4) 鉄道の聖地“矢岳越え”
前回からのつづき

平成28年8月20日(土)肥薩線の吉松から人吉に向けて、いよいよ日本屈指の山線「矢岳越え」に挑む

今回の行程(ブルーのライン)
吉松からは11:49発の「しんぺい2号」に乗車

今までの磨墨が如き「はやとの風」とは異なり、これからは、眞田の赤備えの如き「しんぺい号」である。
この上り列車「しんぺい号」は、鉄道開通当時の鉄道院総裁の後藤新平から名づけられた。
因みに下り列車は「いさぶろう号」である。当時の官鉄を管掌していた逓信大臣・山縣伊三郎からとられた。
その訳は・・・
肥薩線の矢岳第一トンネルは、矢岳駅と真幸駅の間にあり、矢岳駅を出て最初のトンネルである。
明治42年11月21日に開通した、全長2,096メートルのこのトンネルは、肥薩線で最も長いトンネルとして知られている。
また、南側へ向けて25パーミルの下りの片勾配となっている。この勾配と、人里離れた山奥ということもあり、資材搬入の便の困難さ、そして水分の多い凝灰岩のために湧水が多く、工事はかなり難航した。この工事は、現在の青函トンネル工事に匹敵する大工事だったと言われている。
トンネルの人吉側には、当時の逓信大臣・山縣伊三郎の揮毫で「天険若夷」(てんけんじゃくい)、吉松側には、鉄道院総裁・後藤新平の揮毫で「引重致遠」(いんじゅうちえん)の扁額が取り付けられている。これらの言葉を繋げて読むことにより、「天下の難所を平地であるかのように工事したおかげで、重い貨物であっても、遠くまで運ぶことができる」という意味である。
これらの揮毫がなされるほどの国家を挙げての大工事であった訳だ。
この二人にあやかって名づけられたのが「しんぺい号」であり「いさぶろう号」である。
今から思えば、鉄道路線は、険しい山岳コースより海側のルート(現鹿児島本線)のほうが安全安価に仕上がる気がするが、明治時代の陸軍が、海側ルートは外国から狙われて危険であるとして鉄道敷設に強く反対したからこうなった。
現鹿児島本線の開通は肥薩線開通から18年後の昭和2年になる。
明治の軍人は薩摩人が多かったが、幕末の薩英戦争の影に怯えていたのだろうか?

先頭車の3号車からキハ47-8159+キハ47-9082+キハ140-2125の3輌編成である。


強度の点は問題ないのであろうか?と、心配になるほどフリースペース部分が大胆にカットされている。

「はやとの風」と異なりスタンディングタイプのフリースペースとなっている。


平成28年8月20日(土)肥薩線の吉松から人吉に向けて、いよいよ日本屈指の山線「矢岳越え」に挑む

今回の行程(ブルーのライン)
吉松からは11:49発の「しんぺい2号」に乗車

今までの磨墨が如き「はやとの風」とは異なり、これからは、眞田の赤備えの如き「しんぺい号」である。
この上り列車「しんぺい号」は、鉄道開通当時の鉄道院総裁の後藤新平から名づけられた。
因みに下り列車は「いさぶろう号」である。当時の官鉄を管掌していた逓信大臣・山縣伊三郎からとられた。
その訳は・・・
肥薩線の矢岳第一トンネルは、矢岳駅と真幸駅の間にあり、矢岳駅を出て最初のトンネルである。
明治42年11月21日に開通した、全長2,096メートルのこのトンネルは、肥薩線で最も長いトンネルとして知られている。
また、南側へ向けて25パーミルの下りの片勾配となっている。この勾配と、人里離れた山奥ということもあり、資材搬入の便の困難さ、そして水分の多い凝灰岩のために湧水が多く、工事はかなり難航した。この工事は、現在の青函トンネル工事に匹敵する大工事だったと言われている。
トンネルの人吉側には、当時の逓信大臣・山縣伊三郎の揮毫で「天険若夷」(てんけんじゃくい)、吉松側には、鉄道院総裁・後藤新平の揮毫で「引重致遠」(いんじゅうちえん)の扁額が取り付けられている。これらの言葉を繋げて読むことにより、「天下の難所を平地であるかのように工事したおかげで、重い貨物であっても、遠くまで運ぶことができる」という意味である。
これらの揮毫がなされるほどの国家を挙げての大工事であった訳だ。
この二人にあやかって名づけられたのが「しんぺい号」であり「いさぶろう号」である。
今から思えば、鉄道路線は、険しい山岳コースより海側のルート(現鹿児島本線)のほうが安全安価に仕上がる気がするが、明治時代の陸軍が、海側ルートは外国から狙われて危険であるとして鉄道敷設に強く反対したからこうなった。
現鹿児島本線の開通は肥薩線開通から18年後の昭和2年になる。
明治の軍人は薩摩人が多かったが、幕末の薩英戦争の影に怯えていたのだろうか?

先頭車の3号車からキハ47-8159+キハ47-9082+キハ140-2125の3輌編成である。


強度の点は問題ないのであろうか?と、心配になるほどフリースペース部分が大胆にカットされている。

「はやとの風」と異なりスタンディングタイプのフリースペースとなっている。

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