熊野街道の起点を歩く(7) 四天王寺
熊野街道の起点を歩く(6)からのつづき・・・
いよいよ四天王寺も間近に・・・

勝山通りと谷町筋の交差点附近から四天王寺の参道が南に伸びている。
熊野詣の途中には必ず四天王寺に参詣しなければならないので、往時の旅人もこの道を進んだものと思われる。

町名も四天王寺一丁目だ。大江小学校の正門脇の町名板である。

そこから四天王寺の境内が望める。かなり年代モノの墓石が並んでいるようだ。
古い墓石ウオッチングも楽しいが、ここでは寄り道せずに先を急ごう。

戌亥の方向にあるのが、乾門
第18代天台座主である元三慈恵大師をお祀りする「元三大師堂」と奥に大きな「英霊堂」が見える。
この英霊堂は、もともと当時世界一大きいとされた大梵鐘が吊り下げられ「大釣鐘堂」と呼ばれていたが、その大梵鐘は、昭和18年3月に通天閣の鉄材と時期をを同じくして供出されてしまった。
その縁により戦歿英霊をお祀りしているところだ。
大梵鐘が今あれば、如何ばかりか・・・後ほど述べる釣鐘まんじゅうとの兼合いもあり残念でならない。
いよいよ四天王寺も間近に・・・

勝山通りと谷町筋の交差点附近から四天王寺の参道が南に伸びている。
熊野詣の途中には必ず四天王寺に参詣しなければならないので、往時の旅人もこの道を進んだものと思われる。

町名も四天王寺一丁目だ。大江小学校の正門脇の町名板である。

そこから四天王寺の境内が望める。かなり年代モノの墓石が並んでいるようだ。
古い墓石ウオッチングも楽しいが、ここでは寄り道せずに先を急ごう。

戌亥の方向にあるのが、乾門
第18代天台座主である元三慈恵大師をお祀りする「元三大師堂」と奥に大きな「英霊堂」が見える。
この英霊堂は、もともと当時世界一大きいとされた大梵鐘が吊り下げられ「大釣鐘堂」と呼ばれていたが、その大梵鐘は、昭和18年3月に通天閣の鉄材と時期をを同じくして供出されてしまった。
その縁により戦歿英霊をお祀りしているところだ。
大梵鐘が今あれば、如何ばかりか・・・後ほど述べる釣鐘まんじゅうとの兼合いもあり残念でならない。
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