36年ぶりに訪れた、懐かしの筑豊本線直方駅
- Sat
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成22年
8月26日のつづき・・・
筑豊電鉄の“筑豊直方駅”からJRの“直方駅”を目指すが駅に近づくと、「昔の賑わい」の残り香が漂ってくる。

「すさき」のアーケード商店街を通りぬけて来たが、シャッター通りと化していた。


駅前の通りを振り返ると、朽ちたアーケードに商店街のやる気のなさが伝わってくるようだ。炭鉱があった頃は、どれだけ賑やかだったのだろうか・・・と考えてしまう。
駅前の再開発事業らしいが、JRバスターミナルもこれから解体がなされようとしている。

昔はあちこちに向けて、つばめマークを付けた国鉄バスが出発して行ったのだろうが、現在では手前のコンテナの待合で用が足りるようだ。

西鉄バス乗り場も駅の南側にあるが、こちらもいい「時代」が付いている。

筑豊電鉄の“筑豊直方駅”からJRの“直方駅”を目指すが駅に近づくと、「昔の賑わい」の残り香が漂ってくる。

「すさき」のアーケード商店街を通りぬけて来たが、シャッター通りと化していた。


駅前の通りを振り返ると、朽ちたアーケードに商店街のやる気のなさが伝わってくるようだ。炭鉱があった頃は、どれだけ賑やかだったのだろうか・・・と考えてしまう。
駅前の再開発事業らしいが、JRバスターミナルもこれから解体がなされようとしている。

昔はあちこちに向けて、つばめマークを付けた国鉄バスが出発して行ったのだろうが、現在では手前のコンテナの待合で用が足りるようだ。

西鉄バス乗り場も駅の南側にあるが、こちらもいい「時代」が付いている。

[More...]
- 関連記事
-
- 旧山陰本線の路線を辿る“嵯峨野トロッコ列車”で京都へ (2010/11/16)
- 神戸電鉄の旅 粟生・鈴蘭台・有馬温泉 (2010/10/24)
- X線駅名板in北条鉄道 (2010/10/21)
- 明知鉄道・明智駅からの帰路 (2010/10/03)
- 近鉄創業百周年記念~近鉄100年のあゆみ展 (2010/09/21)
- 炭坑節発祥の地・田川石炭記念公園訪問 (2010/09/10)
- 平成筑豊鉄道(直方→田川伊田) (2010/09/08)
- 36年ぶりに訪れた、懐かしの筑豊本線直方駅 (2010/09/04)
- 筑豊電鉄(黒崎駅前→筑豊直方) (2010/09/02)
- 北九州・小倉からパトロール (2010/08/31)
- 阪堺電鉄 第12回 “路面電車まつり” アラカルト (2010/06/15)
- 昭和の都電カラーをまとった阪堺電鉄モ502 (2010/06/12)
- 第12回“路面電車まつり”の先導役?ビリケン号(モ162) (2010/06/09)
- 帰りもやっぱり・・・かにカニはまかぜ (2010/03/30)
- 城崎でカニと外湯を楽しむ (2010/03/27)
スポンサーサイト
徳國製寫眞機 Ikonta 異聞
本日はクラシック・カメラの一大勢力であるツアイス・イコンの話題をひとつ。
1926年にドイツのカメラメーカーであるツアイス・イコンが誕生した経緯から始めてみよう。
第一次世界大戦後の敗戦国ドイツに於ける、目を蔽うような大インフレは、歴史の教科書にも載るくらいの大きな出来事だった。
1923年6月30日現在は1$=100万マルクだったが・・・
同じ年の8月13日には、1億マルクになり10月9日に10億マルク、11月15日には4兆2000億マルクになった。
このような状況のものとでは、一日も早く通貨を品物に替えておく必要があった。
そこでドイツ国民は、こぞってカメラを買い求めた。
一家に1台あれば贅沢と言われた頃のカメラである。それを何台も何台も買い求めた。このインフレに対応し、後で換金し易く、貯蔵性に優れていて、かさばらないものとしてカメラに人気が集中した。
従って、このインフレにもかかわらずドイツのカメラメーカーは超多忙を極めた。大メーカーはもとより弱小メーカーでも製造するその端から品物が売れたのだった。
しかし、インフレが収束すると、国民はこぞって手許のカメラを手放しだした。一気に数多くのカメラが市場に溢れたため、値崩れを起こした。そして国民の家庭には一生使っても使い切れないほどの台数のカメラがあったものだから、カメラメーカーのカメラが全く売れなくなった。
こうしてドイツのカメラ界に壊滅的な大不況が訪れた。
生産を増大していた頃の生産体制の肥大・借金の増大などのツケが一気にその会社を苦しめることとなった。
そこでドイツのカメラメーカーは大合併して生き残りを賭けることとした。

そうして1926年にドレスデンで誕生したのが、Zeiss Ikon(ツアイス・イコン)社である。
約10社ほどのメーカーが統合したものと言われるが、大きな流れは、次の4大メーカーになる。
イカ社(ドレスデン)
ハインリヒ・エルネマン社(ドレスデン)
C.P.ゲルツ光学研究所(ベルリン)
コンテッサ・ネッテル社(シュツットガルト)
日本で言うと4大カメラメーカーが一度に合併したようなものだった。

こうして、巨大企業となったZIESS・IKONが最初の自社ブランドとして1929年に製造販売したのが、Ikonta(イコンタ)と呼称されるこれらのカメラである。

イコンが作ったカメラなのでイコンタらしいが、なにやら「いがみのゴンタ」を連想させる和風の名前に聞こえるのが楽しいカメラである。
もちろん今でもブローニ判フイルムを用いると普通に使える現役写真機だ。
1926年にドイツのカメラメーカーであるツアイス・イコンが誕生した経緯から始めてみよう。
第一次世界大戦後の敗戦国ドイツに於ける、目を蔽うような大インフレは、歴史の教科書にも載るくらいの大きな出来事だった。
1923年6月30日現在は1$=100万マルクだったが・・・
同じ年の8月13日には、1億マルクになり10月9日に10億マルク、11月15日には4兆2000億マルクになった。
このような状況のものとでは、一日も早く通貨を品物に替えておく必要があった。
そこでドイツ国民は、こぞってカメラを買い求めた。
一家に1台あれば贅沢と言われた頃のカメラである。それを何台も何台も買い求めた。このインフレに対応し、後で換金し易く、貯蔵性に優れていて、かさばらないものとしてカメラに人気が集中した。
従って、このインフレにもかかわらずドイツのカメラメーカーは超多忙を極めた。大メーカーはもとより弱小メーカーでも製造するその端から品物が売れたのだった。
しかし、インフレが収束すると、国民はこぞって手許のカメラを手放しだした。一気に数多くのカメラが市場に溢れたため、値崩れを起こした。そして国民の家庭には一生使っても使い切れないほどの台数のカメラがあったものだから、カメラメーカーのカメラが全く売れなくなった。
こうしてドイツのカメラ界に壊滅的な大不況が訪れた。
生産を増大していた頃の生産体制の肥大・借金の増大などのツケが一気にその会社を苦しめることとなった。
そこでドイツのカメラメーカーは大合併して生き残りを賭けることとした。

そうして1926年にドレスデンで誕生したのが、Zeiss Ikon(ツアイス・イコン)社である。
約10社ほどのメーカーが統合したものと言われるが、大きな流れは、次の4大メーカーになる。
イカ社(ドレスデン)
ハインリヒ・エルネマン社(ドレスデン)
C.P.ゲルツ光学研究所(ベルリン)
コンテッサ・ネッテル社(シュツットガルト)
日本で言うと4大カメラメーカーが一度に合併したようなものだった。

こうして、巨大企業となったZIESS・IKONが最初の自社ブランドとして1929年に製造販売したのが、Ikonta(イコンタ)と呼称されるこれらのカメラである。

イコンが作ったカメラなのでイコンタらしいが、なにやら「いがみのゴンタ」を連想させる和風の名前に聞こえるのが楽しいカメラである。
もちろん今でもブローニ判フイルムを用いると普通に使える現役写真機だ。
[More...]
- 関連記事
おおさか市営交通フェスティバル(補遺)
- Fri
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成20年
(前回のつづき)
この一般公開において、少し気になった車両があった。

1年前にも展示してあったが、子供がむずかってゆっくり見れなかった思い出がある。
この一般公開において、少し気になった車両があった。

1年前にも展示してあったが、子供がむずかってゆっくり見れなかった思い出がある。
[More...]
- 関連記事
-
- 仙台空港鉄道に乗って空港へ・・・そしてボーイング767?300プレミアムクラス (2008/12/11)
- 仙台市電保存館 (2008/12/09)
- 惜別 0系新幹線 (2008/11/30)
- おおさか市営交通フェスティバル(補遺) (2008/11/14)
- おおさか市営交通フェスティバル (2008/11/12)
- 関東はや回りの一日 (2008/11/07)
- 立ち止まらない人になろう♪ (2008/11/01)
- 智頭急行の普通列車を楽しむ (2008/10/19)
- 寸描?京阪・中之島線開業まであと3日 (2008/10/17)
- 鳥取・仁風閣でのショック (2008/10/15)
- 智頭急行「スーパーはくと」で因幡の国へ (2008/10/13)
- 平成20年10月 0系新幹線オリジナル塗装とマリンライナー (2008/10/10)
- 阪堺電車・浜寺公園駅から (2008/09/11)
- 続・南海本線・浜寺公園駅の近況 (2008/09/09)
- 南海本線・浜寺公園駅の近況 (2008/09/07)
「ライカ C」
ひさしぶりにカメラネタをひとつ。
過日ライカA を紹介したので、今日はライカC型にする。
なぜAの次がCなのか・・・もちろんB型というのは存在する。
しかし、余りに特殊なので割愛する。
理由を書くと長くなるし・・・、極めて台数が少ないし・・・、
要するに私のコレクションに入っていないので、省略するまでだ。(やせ我慢)
[More...]
- 関連記事
-
- ライカM6の軍艦部装飾 (2021/07/04)
- Leica Summilux 35mm f1.4 試写 (2019/04/29)
- 旧ソ連製レンズ RUSSAR MR-2 試写(続編) (2017/02/12)
- 旧ソ連レンズ RUSSAR MR-2 試写 (2017/01/29)
- 気になる広告 (2009/03/13)
- ライツ35mmファインダー”WEISU” (2009/01/23)
- ライカ IC (2008/04/11)
- 「ライカ C」 (2007/08/29)
- 「ライカの旅」吉川速男著(昭和13年玄光社刊) (2007/02/07)
- 「ライカIIIb」 (2007/02/03)
- 「1929年 近接エルマー付きライカA型」 (2007/01/22)
- ☆ライカ専門店 (2006/11/07)
- ☆ライカ専門店 (2006/10/27)
- ☆ライカM8 (2006/09/21)
- ☆80年前のLeicaの値段 (2006/02/27)
- Genre :
- 写真
- ライカ・マウント・レンズ