オリエント・エクスプレス '88 (その1)
- Sun
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年
昭和63年11月23日(祝)
フジテレビジョン開局30周年、JRグループ発足一周年記念事業として、フジテレビ・JR東日本主導のもと、各国政府・鉄道各者の協力により、NIOEの車両を利用してパリ→東京間でORIENT EXPRESS'88が運行された。
正式名称は"HITACHIカルチャースペシャル・ORIENT EXPRESS'88"
思えば、あの憧れのオリエント急行の車輌が、シベリア鉄道を経由して極東の島国に渡り、日本全国を走り回るという話を耳にしたのは、どれくらい前のことであったか。
その当時は、日本の国力は絶好調ではあったが、この手の眉唾物は、テツ仲間に多く、また夢のような話をしている趣味人の戯言と耳を貸さなかった。
「そもそも、どうやって運んでくるの?」「レールの幅が違うから理論的に走行できない!」「連結器も全部取り替えるのか?」「だいたい定期運用車輌を貸し出せば、本来の運行に差し障るし・・・」
などの素人でも実現不可能と思っていた夢物語が、数々の難問を全て解決して・・・・ついに実現したのだった。

この日が大阪駅に現れる最終日ということであり、しかも祝日ということもあって、マイカメラのNikonFに望遠や広角レンズを携えて、いそいそと出向く。
「この日を逃すと一生オリエント急行を目にすることはないだろう・・・」という思いをもちながら。
午前9時には大阪駅に到着
オリエント・エクスプレスの到着までには、少し時間があるので、去来する列車を撮影する。
フジテレビジョン開局30周年、JRグループ発足一周年記念事業として、フジテレビ・JR東日本主導のもと、各国政府・鉄道各者の協力により、NIOEの車両を利用してパリ→東京間でORIENT EXPRESS'88が運行された。
正式名称は"HITACHIカルチャースペシャル・ORIENT EXPRESS'88"
思えば、あの憧れのオリエント急行の車輌が、シベリア鉄道を経由して極東の島国に渡り、日本全国を走り回るという話を耳にしたのは、どれくらい前のことであったか。
その当時は、日本の国力は絶好調ではあったが、この手の眉唾物は、テツ仲間に多く、また夢のような話をしている趣味人の戯言と耳を貸さなかった。
「そもそも、どうやって運んでくるの?」「レールの幅が違うから理論的に走行できない!」「連結器も全部取り替えるのか?」「だいたい定期運用車輌を貸し出せば、本来の運行に差し障るし・・・」
などの素人でも実現不可能と思っていた夢物語が、数々の難問を全て解決して・・・・ついに実現したのだった。

この日が大阪駅に現れる最終日ということであり、しかも祝日ということもあって、マイカメラのNikonFに望遠や広角レンズを携えて、いそいそと出向く。
「この日を逃すと一生オリエント急行を目にすることはないだろう・・・」という思いをもちながら。
午前9時には大阪駅に到着
オリエント・エクスプレスの到着までには、少し時間があるので、去来する列車を撮影する。
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交通科学博物館の思い出
- Tue
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和元年-昭和47年
平成21年の「文化の日」がやってきた。昔でいう明治節(明治天皇の誕生日)だ。
昨今は明治節なんて言葉・・・由緒ある神社の祭礼予定表くらいにしかお目にかからなくなった。
23日の新嘗祭も・・・。
それはさておいて・・・文化的な話題をひとつ。

(昭和36年3月25日発行のトラベルニュースから)

開設当時の国鉄・弁天町駅 右上で交差するのは市営地下鉄4号線

現在の弁天町駅前・・・隔世の感どころか、全く違う場所のようだ。
昭和36年4月25日の大阪環状線開通記念事業として、昭和37年1月開設されたのが、国鉄大阪環状線弁天町駅高架下を利用した交通科学館(現:交通科学博物館)だった。

東京・万世橋の交通博物館は、歴史も古く、本邦唯一の交通関係の博物館として有名であったが、こちらの科学館は、特に西日本の人々に交通知識を普及するために役立てるために設置されたものだった。
展示物の内容は、「特に交通の現状と将来に力点を置かれた近代的なもの」という謳い文句であったが、開設以降半世紀近くなるとその展示品も歴史的価値が付帯するようになったのか・・・最近では「交通科学博物館」と名称を変更した。

開設を控えた昭和36年12月の同館の様子
屋外の展示車輌は、C5345のほかは三輌の客車(スハシ38 102・マロネフ59 1・マイテ49 2)のみだった。
展望車は当時マロテ49と称されていた。

開設当時はかなりの人気であったらしく、遠方からのバスで乗り付ける団体客が多かった。
昨今は明治節なんて言葉・・・由緒ある神社の祭礼予定表くらいにしかお目にかからなくなった。
23日の新嘗祭も・・・。
それはさておいて・・・文化的な話題をひとつ。

(昭和36年3月25日発行のトラベルニュースから)

開設当時の国鉄・弁天町駅 右上で交差するのは市営地下鉄4号線

現在の弁天町駅前・・・隔世の感どころか、全く違う場所のようだ。
昭和36年4月25日の大阪環状線開通記念事業として、昭和37年1月開設されたのが、国鉄大阪環状線弁天町駅高架下を利用した交通科学館(現:交通科学博物館)だった。

東京・万世橋の交通博物館は、歴史も古く、本邦唯一の交通関係の博物館として有名であったが、こちらの科学館は、特に西日本の人々に交通知識を普及するために役立てるために設置されたものだった。
展示物の内容は、「特に交通の現状と将来に力点を置かれた近代的なもの」という謳い文句であったが、開設以降半世紀近くなるとその展示品も歴史的価値が付帯するようになったのか・・・最近では「交通科学博物館」と名称を変更した。

開設を控えた昭和36年12月の同館の様子
屋外の展示車輌は、C5345のほかは三輌の客車(スハシ38 102・マロネフ59 1・マイテ49 2)のみだった。
展望車は当時マロテ49と称されていた。

開設当時はかなりの人気であったらしく、遠方からのバスで乗り付ける団体客が多かった。
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