柘植駅附近の様子とD51伊賀号
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和元年-昭和47年
腕木信号機と「ハエタタキ」と称する電信柱が林立する柘植駅西方・・・空に向けて林立するモノドモが何とも面白うてならぬ。

草津線の普通列車が往く
この当時の鉄道ファンはさまざまのスタイルがあった。
カメラを向ける者、草叢に座って列車の往来を只眺めている者、目の前を通過する列車の形式・番号を必死にメモする者など多彩だった。
一ついえることは、昨今の鉄道ファンのような血眼の形相でカリカリした者はひとりもおらず、のんびりしたものだった。

これは、湊町行きの下り急行「かすが2号」

これだけの腕木信号が並ぶと壮観である。 そして、これを操作するのは極めてアナログなワイヤーケーブルによる人力転轍機ゆえ、それを操作するケーブルが数多く足元を走っている。
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「◇◇柳生号◇◇」
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和元年-昭和47年
自分で撮影した「阿房列車」の最も古いのはどれか?
と思って実家の写真アルバムを紐解くと、昭和46年に関西本線の臨時列車「柳生号」に乗ったときのようだ。
父親からもらった?いや、借りた?オリンパスペンを大事に抱えて出向いたことを昨日のように思い出す。
ライカやコンタックスどころかニコンもキャノンも知らない幸福な頃だ。
オリンパスペンはハーフサイズだから20枚撮りのフイルムでも40枚撮影できる。
このときは、気合を入れてサクラカラーの20枚撮りフイルムを入れていった。
当時、カラーフイルムは、子どもにとっては高価なものだった。その上プリント代が、E判1枚50円していたから大変な散財になる。
その当時のプリント代2000円をどう都合つけたか覚えていない。きっと親に払ってもらったのであろう。
この日帰り小旅行は、小学6年生にしてはしっかり者の同級生から・・・
「D51とC11の重連で伊賀上野まで柳生号が走るので乗りに行こう。」
と誘われたことがきっかけ。
当時の天王寺駅の風景。まだまだ関西本線は電化されてなかった。
もちろん駅上には「てんのうじMIO」なんて施設がないのですっきりしている。
今とはちがってのどかな国鉄色あふれる風情。
南海の天王寺支線の車両も見える。
ここではハーフ判の2枚続きをそのまま載せてみる。
面白い絵になった・・・時間の経過がよくわかっておもしろいね。
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