国鉄・木原線と久留里線寸描
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和55年-昭和56年
昭和56年8月21日 千葉・館山にある大学研修所に向かう途中に立ち寄った、千葉県内の国鉄・緒路線を横断した道中記なりなり。
当時の日記から・・・

自動車で級友を乗せて出発。まづは国鉄・八街(やちまた)駅近くで総武本線と交叉する。
運転しながらもカメラを手許に置いているのは、我ながらアッパレ。

さらに進むと外房線・茂原(もばら)駅に到着
この辺りの中枢駅となっているようで駅前には路線バスやタクシーの姿も多く見受けられる。

しかし、軒先の日変わりカレンダーといい、入り口辺りの雑然さといい、昭和30年代を色濃く残している駅舎だ。
また、近々高架工事の予定もあるようだが、国鉄の厳しい経理状態で円滑に進行するものだろうか?
(注:同駅の高架化は、昭和61年10月に完成している。)
次に廃止される予定があるという国鉄・木原線(現:いすみ鉄道)の見学に向かう。
当時の日記から・・・

自動車で級友を乗せて出発。まづは国鉄・八街(やちまた)駅近くで総武本線と交叉する。
運転しながらもカメラを手許に置いているのは、我ながらアッパレ。

さらに進むと外房線・茂原(もばら)駅に到着
この辺りの中枢駅となっているようで駅前には路線バスやタクシーの姿も多く見受けられる。

しかし、軒先の日変わりカレンダーといい、入り口辺りの雑然さといい、昭和30年代を色濃く残している駅舎だ。
また、近々高架工事の予定もあるようだが、国鉄の厳しい経理状態で円滑に進行するものだろうか?
(注:同駅の高架化は、昭和61年10月に完成している。)
次に廃止される予定があるという国鉄・木原線(現:いすみ鉄道)の見学に向かう。
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仮株券って何だ?
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- ∇ファジーコレクション - ├古書三昧(戦前篇)
本日は、不案内で甚だ苦手な分野である法律学から、少し堅苦しい話題をひとつ
ファジーコレクションの中には、訳のわからないものが多いが、これもそのひとつ。

假株券(仮株券)というものである。

(裏面)
名前からして、株券の親戚みたいなものだろうと推測できるが、会社法や商法にこんな規定はないし、一体なんだろうと思ってしまう。
仮株券そのものを検証する前に、発行会社の商号から、会社の事業内容とその時代背景が窺い知れるので、少し述べてみたい。
それは、「改良酒造」なる文字を冠するこの会社は明治20年代に全国的な規模で展開していった酒造改良運動によって設立したものであるということだ。
そもそも、江戸期における日本酒の醸造業者の大部分は、その組織が脆弱であり、醸造水準も満足なものではなかったが、明治以降に一気にその勢力を拡大した洋酒ことに麦酒(ビール)にその販路を奪われ、衰退の一途をたどっていた。
そこで日本酒の醸造業者は、麦酒醸造を手本として、近代的西洋的な醸造法に基礎をおいた品質の高い清酒を生み出しその挽回を図ろうとしたが、その活動がこの酒造改良運動といわれるものであった。
その一例として、酒造先進地の伊丹では、学理応用による酒造改良を目指さんと明治21年に酒造家28名を株主として資本金1万円の「有限責任伊丹酒造改良会社」を設立して、この醸造場で集中的に技術改良を企図している。これは醸造の大工業化を推進し、清酒の海外輸出を目標としたものであった。
他方、酒造先進地以外の零細醸造地では、酒造改良の目的は伊丹の近代化の例のようなものではなく、およそ学理応用とはほど遠い伝統的な灘酒造法を真似るものであった。丹波杜氏を招き、灘の酒造業者が培ってきたその技術を導入し応用することによって、酒質の均一化・向上化を図り上質な清酒を生み出すことを目指した。
そして鉄道・汽船の発展に伴い大量に流入してきた上方酒(灘・伊丹などで製造された良質な清酒)に伍するようなものを提供できる醸造業者となってその地方における地位を磐石にすることが目的であった。
しかしそれには気候・風土が異なるそれぞれの醸造地においては、醸造用水・醸造米の根本的改良から手をつける必要があったため、その手間と時間そして莫大な経費を要するものとなり、果たしてその試みの多くが失敗に終わったが、品質向上に成功した場合や軟水を用いた醸造方法の確立をみた場合などは、その地方における勢力地図を書換えるような成功例もあった。
さて、仮株券の検証に戻ると、前回の満鉄の株券とよく似ているし、名前から株券の類のものだろうと推測できるが、会社法や商法にこんな規定はないし、一体なんだろうと思ってしまう。わずかに商法施行法(明治32年法律第49号)に仮株券についての規定が見受けられる。
第56条 商法中株券ニ関スル規定ハ商法施行前ニ発行シタル仮株券ニモ亦之ヲ適用ス
第57条 商法施行前ニ発行シタル株券及ヒ仮株券ハ商法148条 又ハ218条ノ規定ニ違フモ之ヲ改ムルコトヲ要セス但商法施行後ニ株金ノ払込ヲ為シタル場合ニ於テハ前ニ払込ミタル金額及ヒ新ニ払込ミタル金額ヲ仮株券ニ記載スルコトヲ要ス
現在の会社法は、明治32年にできた商法(明治32年法律第48号)を基にしているが、その商法には規定がなく、同時に公布された旧法からの経過措置を示した商法施行法(明治32年法律第49号)にその名称が見出せるということは、さらに遡った法律を調べる必要がある。

また、この仮株券の発行年月は明治30年8月20日と記載されているので、やはりその当時の法律を見てみないと始まらないようだ。
ファジーコレクションの中には、訳のわからないものが多いが、これもそのひとつ。

假株券(仮株券)というものである。

(裏面)
名前からして、株券の親戚みたいなものだろうと推測できるが、会社法や商法にこんな規定はないし、一体なんだろうと思ってしまう。
仮株券そのものを検証する前に、発行会社の商号から、会社の事業内容とその時代背景が窺い知れるので、少し述べてみたい。
それは、「改良酒造」なる文字を冠するこの会社は明治20年代に全国的な規模で展開していった酒造改良運動によって設立したものであるということだ。
そもそも、江戸期における日本酒の醸造業者の大部分は、その組織が脆弱であり、醸造水準も満足なものではなかったが、明治以降に一気にその勢力を拡大した洋酒ことに麦酒(ビール)にその販路を奪われ、衰退の一途をたどっていた。
そこで日本酒の醸造業者は、麦酒醸造を手本として、近代的西洋的な醸造法に基礎をおいた品質の高い清酒を生み出しその挽回を図ろうとしたが、その活動がこの酒造改良運動といわれるものであった。
その一例として、酒造先進地の伊丹では、学理応用による酒造改良を目指さんと明治21年に酒造家28名を株主として資本金1万円の「有限責任伊丹酒造改良会社」を設立して、この醸造場で集中的に技術改良を企図している。これは醸造の大工業化を推進し、清酒の海外輸出を目標としたものであった。
他方、酒造先進地以外の零細醸造地では、酒造改良の目的は伊丹の近代化の例のようなものではなく、およそ学理応用とはほど遠い伝統的な灘酒造法を真似るものであった。丹波杜氏を招き、灘の酒造業者が培ってきたその技術を導入し応用することによって、酒質の均一化・向上化を図り上質な清酒を生み出すことを目指した。
そして鉄道・汽船の発展に伴い大量に流入してきた上方酒(灘・伊丹などで製造された良質な清酒)に伍するようなものを提供できる醸造業者となってその地方における地位を磐石にすることが目的であった。
しかしそれには気候・風土が異なるそれぞれの醸造地においては、醸造用水・醸造米の根本的改良から手をつける必要があったため、その手間と時間そして莫大な経費を要するものとなり、果たしてその試みの多くが失敗に終わったが、品質向上に成功した場合や軟水を用いた醸造方法の確立をみた場合などは、その地方における勢力地図を書換えるような成功例もあった。
さて、仮株券の検証に戻ると、前回の満鉄の株券とよく似ているし、名前から株券の類のものだろうと推測できるが、会社法や商法にこんな規定はないし、一体なんだろうと思ってしまう。わずかに商法施行法(明治32年法律第49号)に仮株券についての規定が見受けられる。
第56条 商法中株券ニ関スル規定ハ商法施行前ニ発行シタル仮株券ニモ亦之ヲ適用ス
第57条 商法施行前ニ発行シタル株券及ヒ仮株券ハ商法148条 又ハ218条ノ規定ニ違フモ之ヲ改ムルコトヲ要セス但商法施行後ニ株金ノ払込ヲ為シタル場合ニ於テハ前ニ払込ミタル金額及ヒ新ニ払込ミタル金額ヲ仮株券ニ記載スルコトヲ要ス
現在の会社法は、明治32年にできた商法(明治32年法律第48号)を基にしているが、その商法には規定がなく、同時に公布された旧法からの経過措置を示した商法施行法(明治32年法律第49号)にその名称が見出せるということは、さらに遡った法律を調べる必要がある。

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都心で打ち合わせをした後、山手線で日暮里へ・・・

しかし、このJR日暮里駅の鉄骨は、駅が開設された明治42年からのものということはないだろうが、かなりの年季ものだ。

一部で駅の改修工事が進行中なので、まもなく姿を消すだろう。
日暮里から京成電鉄で成田に向かう。
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