八枚玉ズミクロン散歩
ライツ社の数あるレンズの中でもこのSUMMICRON35mmF2ほど信仰対象ともいえるものはない。
特に1960年代の第1世代のものは、“ドイツ写真機工業界の至宝”ともいう写真家もいるほどである。
甘美なライカ沼にはまったライカ信者は、一生に一度は所有したいと思うレンズである。


レンズ構成はこのような手間のかかったものとなっていて、通称“八枚玉”などと呼ばれている。
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カナダ製とドイツ・ウエッツラー製のものがあるが、我が家のものは後者
レンズのマウントがM型なので、通常の使い方はこのようにM型ライカにつけて利用する

しかし、マウントの横の小さなネジを緩めるとMマウントの袴が取れて、ねじ式のLマウントが現れる。
よって、昔ながらのバルナツク・ライカにも装着できる優れモノなのだ
しかし、写真のようなライカIgにLマウントズミクロンをつけてライカビットを装着したものは、自宅での空打ち専用にて、とても戸外撮影に持ち出す勇気はない・・・ファインダーのない怪しいカメラだし、なぜか尻尾が生えてるし・・・
手許のレンズは、平成10年の暮れに大阪の中古カメラ店で並品として¥158,000-で購入したものだが、令和の現在では価格が暴騰していると聞く。
購入すると試写したくなるのが人間の性で、年が明けた平成11年1月10日にミノルタCLEに装着して見慣れた町並みをズミクロンとともに散歩した

モノクロだといつも歩いている町並みも違って見えてくるのが面白い

大阪府庁新別館のエントランス 冬の柔らかい斜光が美しい

奇抜なデザインが出迎えてくれる

北館と南館とをつなぐピロティー屋根もユニークである

2階のベランダでは意外な先客に出会った
私のようなヒマ人でも上がってこれるのだから、ワンちゃんがいてもおかしくはない
大阪城公園をねぐらにしているのか、パトロールお疲れ様です
少しヒマ人にお付き合いをいただいた

大阪府庁の本館をバックに、垂乳根の老犬の凛とした肖像が撮れた
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“出張なんでも鑑定団 in 大阪・上町”公開収録!

9月19日(日)に大阪城のお堀端にある追手門学院の“大阪城スクエア”において“出張なんでも鑑定団 in 大阪・上町”の公開収録があった。
当初は、“in 大阪・追手門”だったが、出演者が学院関係者に限らなかったためか、“in 大阪・上町”となっていた。

事前に観覧希望の申し出をしていたら当籤したので、追手門学院大手前中高の門をくぐった。

何故ここでこのようなTVの公開収録が行われたか不思議であったが、鑑定士団を見て合点がいった。

鑑定士は、おなじみの中島誠之助さんと、京都・思文閣の代表者田中大さん、いろんな骨董の専門家の勝見充男さんの三人の方々。
田中大さんは、追手門大学の出身である。卒業といえないのは、8年間在学したが中退したため。奥様も同大学でみつけられたとか。そのあたりのことは、「追手門学院の履歴書(文化人編)」日経大阪刊に詳しい。
また勝見充男さんは、同大学の客員准教授をしていらっしゃるとか。
またTV東京系のTV大阪が校地に隣接しているということもあるかもしれない。
小生は、追大のことはよく分からないが、とにかくこうしてこの番組の収録が行われることとなった。
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大阪偕行社の明治紀念標(1)

母校が所蔵する資料の中に不思議な絵葉書が残っている。
絵葉書下に「大阪偕行社」とある。
大阪偕行社は、陸軍将校の親睦団体であることは分かるのだが、その前に聳える鉄塔は一体何なのか?
調べてみるとこれは「明治紀念標」というものであることが判明したが、それだけではよく分からない。
「記念」ではなく「紀念」というところが何やら一筋縄でない感じを漂わせているし、絵葉書になっているところからすると、それなりに大阪名所ではなかったのか?と推察される。
まず、上記の絵葉書と同様の場所が現在どうなっているのか・・・

歩道橋の中央部分の舳先のようになった三角地がこの紀念標があった場所である。
近づいて見ると、絵葉書の正面入り口部分の礎石が残っている。


左側の門灯礎石の跡である。

右側の門灯礎石は、少し埋まった形になっているが今でも確認できる。

右側の門灯跡から一列に伸びる御影石は、鉄柵の基盤であったものと思われる。
よく見ると鉄柵を切断した跡が今でも少し残っている。
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