明治大帝と大阪偕行社と追手門学院の関係について
本日は天皇誕生日なので、明治天皇と大阪偕行社と追手門学院に関するお話。
明治紀念標については、以前2回シリーズで記事にした。
この明治紀念標は、明治35年に中之島から大阪偕行社の敷地内に移築されていたが、戦争中の昭和18年3月に供出されその姿を消した。
またその管理母体の大阪偕行社は、陸軍の附属機関であるので、昭和20年の終戦とともに解散となり、その跡地は、現在では大阪偕行社附属小学校の流れをくむ追手門学院大手前中高の校地となっている。

この写真は昭和34年当時のものだが、校門はもとの大阪偕行社のものをそのまま使用している。、大正5年に第四師団の酒保部から移築された門柱であるといわれている。

現在は校舎改築に伴い少し西に移動している。

大正10年の着色写真・・・大阪偕行社正門とある。

校内に「明治天皇駐蹕(ちゅうひつ)の処」の石碑がある。
これは同校に明治天皇が行幸されたのではなく、大阪偕行社敷地内にあったものがそのまま承継されているからである。(一番上の写真の中央に写っている。)
明治紀念標については、以前2回シリーズで記事にした。
この明治紀念標は、明治35年に中之島から大阪偕行社の敷地内に移築されていたが、戦争中の昭和18年3月に供出されその姿を消した。
またその管理母体の大阪偕行社は、陸軍の附属機関であるので、昭和20年の終戦とともに解散となり、その跡地は、現在では大阪偕行社附属小学校の流れをくむ追手門学院大手前中高の校地となっている。

この写真は昭和34年当時のものだが、校門はもとの大阪偕行社のものをそのまま使用している。、大正5年に第四師団の酒保部から移築された門柱であるといわれている。

現在は校舎改築に伴い少し西に移動している。

大正10年の着色写真・・・大阪偕行社正門とある。

校内に「明治天皇駐蹕(ちゅうひつ)の処」の石碑がある。
これは同校に明治天皇が行幸されたのではなく、大阪偕行社敷地内にあったものがそのまま承継されているからである。(一番上の写真の中央に写っている。)
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