昭和60年 旧友と越中・信濃に遊ぶ
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- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年
昭和60年9月14日大学の友達たちと2泊3日の旅行に出かける。
金沢・富山をめぐり、黒四ルートで長野入りして中央線で帰ってくるというコース。
途中立ち寄る都市で頑張っている同級生を呼び出して、旧友を温めるとともにご当地の案内をしてもらうという作戦である。

これは、出発の朝、大阪駅11番線の西端のホームに電留線があり、そこに留置されていたEF58150

プレートにある「インポート・エキスプレス・大阪」とは、梅田コンテナヤード跡で催されていた、個人輸入推進の展示会のようなものではなかったと記憶しているが、まったく興味がなかったので出向くことはなかった。

金沢駅の風景・・・下り特急“雷鳥13号”
高架を目前にして広い構内のレールが剥がされ、寂しい光景となっていた。奥のほうには43系客車の姿も見える。
金沢・富山をめぐり、黒四ルートで長野入りして中央線で帰ってくるというコース。
途中立ち寄る都市で頑張っている同級生を呼び出して、旧友を温めるとともにご当地の案内をしてもらうという作戦である。

これは、出発の朝、大阪駅11番線の西端のホームに電留線があり、そこに留置されていたEF58150

プレートにある「インポート・エキスプレス・大阪」とは、梅田コンテナヤード跡で催されていた、個人輸入推進の展示会のようなものではなかったと記憶しているが、まったく興味がなかったので出向くことはなかった。

金沢駅の風景・・・下り特急“雷鳥13号”
高架を目前にして広い構内のレールが剥がされ、寂しい光景となっていた。奥のほうには43系客車の姿も見える。
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昭和52年夏YMCA受験生村への往き帰り
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- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和50年-昭和52年
今は昔・・・
昭和52年の夏休み、通っていた大学予備校のYMCAが夏季受験生村という合宿形式の集中講義を開催するというので申し込みをなしたところ、どういう訳かその参加を認められたため、勇躍単身にて妙高高原に乗り込んだ。
総勢120名のうちほとんどが浪人生で構成されていた合宿であるが、小生を含む10人だけが高3の現役生として参加したのだった。
参加して得たものは、「浪人生、恐るに足らず!」の思いと、浪人すると国立大学が一期校と二期校との区別がなくなりそれぞれの大学を受験する機会を失うとともに、共通一次試験という訳の分からない試験がスタートするので、「何としても来年現役で合格せねば!」という危機感であった。
まあ、合宿の内容についてはそれなりに有意義なものでありましたが、苦しい受験勉強が続く中でもそれはそれで、やはりその往復の道中にナニガシかの楽しみが潜んでいるものだ。
ただ、漫遊旅行ではないので、大きなNikon Fを肩から提げて行くわけにはいかず、家にあった110カメラをそっとボストンバッグに忍ばせた。
・・・しかしこれが失敗だった。

(上:35mmフイルム 下:110フイルム)
35mmフイルムよりかなり小さいサイズである上に、カメラ自体もメーカーが真剣に取組んでいるとは思えないようなチープな構造だったので、満足な写りが少ないのが残念なところである。
しかし、今となっては当時を偲ぶヨスガとなればと、小さなネガのスキャンもすごくやり辛く難儀したが、敢えてアップする次第である。
昭和52年8月8日 特急北越2号で大阪から直江津へ向けて出発した。
この一人旅の行程の中でどうしてもやりたかったことがひとつあった。
「食堂車でひとり静かにビールを飲むこと」だった。
北越2号では、食堂車開始の車内アナウンスがあるや否や、待ってましたとばかり自席を立って食堂車に向かった。
ハンバーグ定食とビール大瓶1本を注文したが、ウエイトレスから「未成年じゃないの」とのお咎めは全くなかった。
ガラガラの食堂車でグラスにゆっくりビールを注ぎながら眺める青々とした北陸の山並みは、今となっては忘れられない景色のひとつになっている。
(可愛いもので、当時はこれで足元がふらついたものだった。)

高岡駅のオハユニ6112(北越2号の車窓より)

糸魚川の煉瓦造りの車庫で休むキハユニ26
この伝統の煉瓦造りの車庫も北陸新幹線の敷地内にあるため、近々取壊されるとか・・・残念無念!
昭和52年の夏休み、通っていた大学予備校のYMCAが夏季受験生村という合宿形式の集中講義を開催するというので申し込みをなしたところ、どういう訳かその参加を認められたため、勇躍単身にて妙高高原に乗り込んだ。
総勢120名のうちほとんどが浪人生で構成されていた合宿であるが、小生を含む10人だけが高3の現役生として参加したのだった。
参加して得たものは、「浪人生、恐るに足らず!」の思いと、浪人すると国立大学が一期校と二期校との区別がなくなりそれぞれの大学を受験する機会を失うとともに、共通一次試験という訳の分からない試験がスタートするので、「何としても来年現役で合格せねば!」という危機感であった。
まあ、合宿の内容についてはそれなりに有意義なものでありましたが、苦しい受験勉強が続く中でもそれはそれで、やはりその往復の道中にナニガシかの楽しみが潜んでいるものだ。
ただ、漫遊旅行ではないので、大きなNikon Fを肩から提げて行くわけにはいかず、家にあった110カメラをそっとボストンバッグに忍ばせた。
・・・しかしこれが失敗だった。

(上:35mmフイルム 下:110フイルム)
35mmフイルムよりかなり小さいサイズである上に、カメラ自体もメーカーが真剣に取組んでいるとは思えないようなチープな構造だったので、満足な写りが少ないのが残念なところである。
しかし、今となっては当時を偲ぶヨスガとなればと、小さなネガのスキャンもすごくやり辛く難儀したが、敢えてアップする次第である。
昭和52年8月8日 特急北越2号で大阪から直江津へ向けて出発した。
この一人旅の行程の中でどうしてもやりたかったことがひとつあった。
「食堂車でひとり静かにビールを飲むこと」だった。
北越2号では、食堂車開始の車内アナウンスがあるや否や、待ってましたとばかり自席を立って食堂車に向かった。
ハンバーグ定食とビール大瓶1本を注文したが、ウエイトレスから「未成年じゃないの」とのお咎めは全くなかった。
ガラガラの食堂車でグラスにゆっくりビールを注ぎながら眺める青々とした北陸の山並みは、今となっては忘れられない景色のひとつになっている。
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