昭和54年 霞ヶ浦の旧予科練訪問記
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- 07:37
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昭和54年9月22日土浦の霞ヶ浦湖畔にある自衛隊基地が一般公開をすると新聞で報じていたので、暇をもてあましていた学生だった当時、友達と自動車を飛ばして訪問してみた。
この当時の国鉄・土浦駅といえば、駅前は常に軍歌が流れ、喫茶店内には軍艦旗が掲げられているような少し風変わりな中小都市であった。
また戦前からある木造の土浦駅は、軍艦に見立てて「軍艦駅」などと呼称されていた。
そして駅の南側にはピンクゾーンの桜町が健在であり、戦前の霞ヶ浦海軍航空隊・予科練時代から現在に至るまで「軍都」としての体裁をなしていた。

この霞ヶ浦畔の基地は、正式には、陸上自衛隊土浦駐屯地といい、敷地内には、陸上自衛隊武器学校があり、戦前には、予科練で有名な「土浦海軍航空隊」が置かれていた。
保安隊武器学校として立川からこの地に移転してきたのが昭和27年だったので、この昭和54年で27年目となる。

豫科練之碑であります。 脱 帽 !
「ここから飛び立った練習機“赤トンボ”が、筑波山目指して上空を飛来する姿がよく見られた。」との地元古老の弁を当時よく耳にしたものだった・・・アクセントに抑揚がなく聞き取りにくい茨城弁も慣れれば聞き取れるようになっぺよ♪
註:赤トンボと呼ばれていた練習機の色は赤ではなくオレンジ色だった。
この当時の国鉄・土浦駅といえば、駅前は常に軍歌が流れ、喫茶店内には軍艦旗が掲げられているような少し風変わりな中小都市であった。
また戦前からある木造の土浦駅は、軍艦に見立てて「軍艦駅」などと呼称されていた。
そして駅の南側にはピンクゾーンの桜町が健在であり、戦前の霞ヶ浦海軍航空隊・予科練時代から現在に至るまで「軍都」としての体裁をなしていた。

この霞ヶ浦畔の基地は、正式には、陸上自衛隊土浦駐屯地といい、敷地内には、陸上自衛隊武器学校があり、戦前には、予科練で有名な「土浦海軍航空隊」が置かれていた。
保安隊武器学校として立川からこの地に移転してきたのが昭和27年だったので、この昭和54年で27年目となる。

豫科練之碑であります。 脱 帽 !
「ここから飛び立った練習機“赤トンボ”が、筑波山目指して上空を飛来する姿がよく見られた。」との地元古老の弁を当時よく耳にしたものだった・・・アクセントに抑揚がなく聞き取りにくい茨城弁も慣れれば聞き取れるようになっぺよ♪
註:赤トンボと呼ばれていた練習機の色は赤ではなくオレンジ色だった。
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