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旧ソ連製レンズ RUSSAR MR-2 試写(続編)

前回、旧ソ連製レンズのルサール20mm F5.6の試写レポートを載せたが、その後もこのレンズが気に入ったのか、暫くあちこちに連れ出している。

超広角レンズのルサールを使った鉄道関連の写真をまとめてアップしてみたい。


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デハ70系73号車 昭和18年製造 平成12年廃車   (平成7年10月3日東急世田谷線松陰神社前)

この日は、大阪から東京出張。 まだまだ暑さの残る一日だった。

渋谷から東急田園都市線で三軒茶屋に行き、そこから路面電車のような世田谷線に乗車

この線は、もともと玉川電気鉄道の支線として敷設された歴史があるので玉電とゲージが同じである1372mm。

馬車鉄道の軌道幅であったいわゆる“馬車軌間”を採用している。

今では、東京都電・京王線・東急世田谷線と函館市電だけだ。

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車内の様子はルサールの効果がいかんなく発揮されている。

窓は全開にして、扇風機がグルグル回つて生暖かい空気を攪拌してゐる・・・昭和の風情が残っていた。

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デハ150系 151号車 昭和39年製造 平成13年廃車 

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松陰神社前での用事を済ませた後、府中に向い、その後なぜかJR中央線の武蔵小金井駅で下車している。
きっと中古カメラ店めぐりでもしていたんだろう。

この南口にある緑色の三角屋根が特徴の駅舎は、停車場に昇格して以来の由緒ある建物だったが、高架化工事に伴い平成21年に解体された。

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新橋駅日比谷口前交差点で夜景にトライしている。

露出計のないカメラで夜景を撮影するのはかなり難しいが、ISO400のフイムル感度に助けられたようだ。

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しかし、サラ金のネオンサインの何と多いことか・・・

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大阪臨港線(浪速貨物線)の今昔

平成7年といえば、クラシックカメラに興味を持ち始めた頃だった。

KodakのLetinaやZeissのSuper-Ikontaで遊んでいるうちはよかったが、
Leicaに手を出したのが間違いだった。ドイツのLeicaは、無尽蔵ともいえるライカマウントのレンズが交換ができる万能カメラであり、古きよきドイツ工業製品の精華ともいうべき金属製カメラの甘美なる魅力の泥沼に陥るのに時間はかからなかった。

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Leicaコレクション第1号であるⅢCとズミター5cm

新たに手に入れた古典カメラは、愛でるだけではなく、あちこち持ち歩きたくなるのは当然であり、この日も地元のパトロールへと出かけた。

お手軽な大阪臨港線(浪速貨物線)を撮影して回ったが、その20年前のネガを見つめていると、平成28年現在の風景とは何か解からないが空気感が違うような気持ちが湧いてきたので、昨今のデジカメを持ち出して20年の時間と空気の違いを比べてみたいと思う。

前回の記事に登場したSuper-IkontaやContaxで撮影した写真もあるが、その時間の経過を並べてみたい。

まずは、当時の地図にて撮影場所のチェック

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大阪臨港線の歴史は古く、今宮から大阪港まで昭和3年には臨海貨物を扱う貨物線として誕生した。そして、その路線の一部を使って昭和36年に大阪環状線が大正・弁天町・西九条の間を新しく路線を敷設することによりループ状の環状線となったわけである。

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浪速駅構内

大阪環状線は、今ではなくてはならない大阪の大動脈となっているが、一方その礎ともいうべき大阪臨港線は、湾岸荷役の衰退と貨物輸送手段の変化により、徐々にその活躍の場は少なくなっていったが、平成7年当時では、1日2本の運用となっていた。浪速駅 10:52発と16:20着だけであった。それも休日は運休だった。

しかし特筆すべきは、それだけ運用が減っても廃止にならなかったのは、鉄道レールの輸送が挙げられる。JR西日本管内で使用されるすべてのレールが、高松のレール製造工場から船便でここ大阪港まで運ばれ、ここからは鉄路によりレール運搬貨車(チキ)で運び各地に配るという大切な使命があったからだ。

しかし、その役目もついに終焉を迎え、平成16年には休止路線となり2年後には廃止された。

また、その線路周辺には臨海風景としてなかなか味わい深い被写体が点在していた。

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なみはや大橋の大正区側を望む・・・いまでは橋のたもとにブルーとイエローの
IKEAの建物が存在感をアピールしている。


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歴史を刻む倉庫群・・・重厚な鉄製扉が魅力的である。


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“たばこのむな”ではなく“たばこのめぬ”の表示・・・“のめぬ”の方が、一切例外を認めない感じがして上から目線で威圧的である。 今は普段では見られない表現だ。



その1日2便しかない消え行く臨港貨物線の姿を追ってみた。



①福栄橋西詰から東を向く
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Super-Ikonta

大きなハンマーの音が聞こえてきそうな純然たる工場地帯だった。

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平成28年の姿


②福栄橋東詰から西を向く
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Super-Ikonta

クレーンや建設工事機材が台船に乗って出番を待っている姿がいつもの風景だった。

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昭和62年4月1日新会社JR発足

昭和62年4月1日紆余曲折を経て、日本国有鉄道の民営化として新会社JR6社が発足した。

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ちょうどその日の朝、ラッキーなことに新幹線出張の日だったので、乗る列車の時刻より随分はやく新大阪駅に向かい、東京発の1番列車を待ち構えた。

新大阪駅の在来線からの乗り換えコンコースには☆JR西日本・東海・・・本日スタート☆の電光掲示の文字が躍る!


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デモ列車“ひかり1号”博多行きが新大阪駅に到着したが、100系新幹線のトンガリ鼻に“よろしくJR”のベタシールが貼ってあるだけだった。

これが0系のダンゴ鼻であればもう少し美しいのでは・・・と思ったのは小生だけだっただろうか?

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それでも、ホーム上の乗客の受けは上々の様子だ。

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昭和58年大阪世界帆船まつり(夜)

前回のつづき・・・世界からやって来た帆船の夜の風情


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桜島埠頭に繋留する左:日本丸、右:海王丸

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外国船が繋留しているため、夜間は、岸壁への立ち入りは厳しく禁止されている。

従って桜島埠頭から対岸の帆船を狙ってみたが、こちらから撮影している人はほとんどいなかった。

天保山岸壁に繋留する帆船群:左から、クォウテモック(メキシコ)、サグレス(ポルトガル)、ダルモジェジィ(ポーランド)、エスメラルダ(チリ)

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昭和57年晩秋 福知山線寸景

前回の続き・・・昭和57年11月3日武田尾のパトロールを終え、場所を移動する。

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武田尾駅で特急“まつかぜ”の通過を待って、車中の人となる。

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福知山線・三田から3駅北になる藍本駅に降立つ。しかし駅前には、数件の農家が並ぶのみと極めて寂しい。
中心となる集落は、駅から離れたところにあるのだろう。

(この駅も昭和61年の電化工事とともに簡易な駅舎に建替えられた。)


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周囲には純然たる農村風景が広がる。 上り快速3422列車・・・場内進行!


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昭和59年秋 京都駅1番線ホーム

昭和59年の秋、京都に行くことがあった。

目的地は、五条壬生川なのだが、京阪五条からバスというラインもあるが、山陰本線・丹波口駅から歩くという選択肢もある。

今回は後者を選択する。



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京都駅の山陰線ホームは、東海道線のホームより一層旅情豊かな空間を提供していた。

というのも、W型のトラスに支えられた上屋は、通行するには高すぎる程であり、通路には売店などの障害物が少ないため、非常にゆったりとした空間を旅行者に与えていたからだ。


※もちろん、駅ビルの改築により現在では見ることは出来ない。

(現在では、大阪・交通科学博物館構内でこの骨組みを使って展示スペースが作られているので、今でも実体験できる。)



写真を少し拡大してみよう・・・

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この9時08分発の米子行き普通835列車に乗車。たった一駅であるが、山陰線の客車列車に乗れることは嬉しい。

駅弁の販売台車を改造したような臨時出札所が懐かしい。特別特急券・普通急行券という文字が窺える。


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(参考)京都駅1番線の山陰線ホームの西端からの風景(S50.5.2)


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京都を出発し、梅小路機関区の手前で大きく右にカーヴするが、そこからは、同機関区の様子が一望できる。

この日はC612は元気に黒煙を上げていた。


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また目を遠方に転ずれば、新参者のEF62の姿に交じって、寝台特急“出雲”のトレインマークを付けたEF56を見つけることが出来た。



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梅小路と分かれると程なくして「丹波口」に到着・・・時刻は9時13分。僅か4分の列車旅である。

ここでこの列車ともお別れ。



因みにこの普通列車、終着駅の米子には19時19分に到着する。

要するに全区間を乗車すると普通切符だけで10時間に及ぶ客車列車の旅が楽しめるということだ。

(平成のテツ事情から考えれば“パラダイス”のような列車である。)





 1日1回 ぽちっとね♪  

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昭和59年真夏の昼下り・・・国鉄&近江鉄道貴生川駅

これは、昭和59年7月31日仕事で訪れた近江鉄道の貴生川駅でのスナップショット。


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いきなり出会ったのは、この夏の特別仕立ての“昆虫列車”

カバンの中に常に忍ばせているOLYMPUS?XAをおもむろに取り出してパチリ!




前面バリアをスライドさせることでスイッチONになるのがスマート。コンパクトながら二重像合致式のピントあわせができるのか嬉しい。

(このカメラは、大学時代ほとんど毎日持ち歩いていたもので、仕事に就いてもしばらくは常に携帯していたが・・・今は、稼動されることもなくタンスの肥やし状態となっている。)




この“昆虫列車”の車内には多賀神社の写真や“襟巻きトカゲ”のぬいぐるみが飾ってあるという珍妙な電車である。

正面に足のないテントウ虫を配するのは、ちょっと不気味だ!

(平成の時代からするとラッピング車輌は珍しくもないが、当時はこれでも驚きをもって迎えられた奇抜な車輌なのだ。)

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モハ131-クハ1214

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これが本来の近江鉄道の電車スタイルである。モハ132+クハ1215か?


これらの車輌は、外観は比較的新しく見えるが、出自を辿れば大正時代の車輌となる。

元車は、西武クハ1203・1204である。いずれも木造ダブルルーフだった車輌である。

モハは1925年(大正14年)汽車会社製造。クハは池袋 - 所沢電化開業にあわせて1922年(大正11年)に製造の梅鉢鉄工所製となっている。


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近江鉄道線から跨線橋を渡って国鉄線ホームに移って来る。


当時は国鉄の草津線と信楽線の乗換え駅ナリ。

往時C58の貨物列車を狙って訪問したのが懐かしく思い出される。

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たくましい現役の気動車である面構えを見せる信楽行き529列車・・・キハ5826+キハ58651・・・もちろん非冷房車

真夏の熱気を増大しそうなディーゼルのアイドリング音が、気だるく響く昼下がり


あの大事故“信楽高原鐵道列車衝突事故”が発生する7年前の穏やかな姿である。



乗換え客の姿もほとんど見受けられない、長閑そのものの国鉄ローカル線乗り換え駅なり。


草津を経由して京都に戻る。

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いつものように奈良線のホームではキハ35がカラカラとアイドリング音を響かせていたが、程なくして非冷房の単に日陰でしかない車輌が、轟音を響かせて出発した。

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新幹線ホームとローカル線との妙な対比を楽しめる一角だ。

しかし、この2ヵ月後には奈良線電化完成のために見られなくなる光景でもあった。






 1日1回 ぽちっとね♪  




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昭和58年カラーネガ拾遺集

昭和58年5月のネガを見ると、仕事の合間に撮影した鉄道写真が何枚か出てきた。

わざわざ撮影目的で出かけたものではないので、いい加減なものではあるが、当時の様子が閉じ込められているので、少し記事にしてみた。(いわゆる小ネタ集)


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撮影の2カ月前に登場したばかりの京阪6000系 (守口市駅にて)

従来の京阪本線の車輌とは一線を画すデザインを持っていたためか、こうして新車にもカメラを向けていたようだ。

この当時は専ら普通列車としての運用だった。(現在では特急として活躍中)


加山雄三が登場する、ナショナルエアコン“楽園”の広告も懐かしい。



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京阪・枚方市駅

地下通路と跨線橋で各ホームをつなぐ地上駅であったが、かなりくたびれた感じが漂う駅だった。




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現在(平成22年9月)の様子。駅前のバスターミナルは、そのままだ。

昭和63年5月に京阪本線上り線が高架になったのだが、この高架駅の姿しか記憶にない人にとっては、昔の姿に何を感じるだろうか?


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この踏切の北西には、街道筋の石碑があるが、それは今も残されてある。

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右 倉治滝・・・交野の倉治にあるこの附近では一番大きな「源氏の滝」のことだろう。
落差約17.5メートル。昔は修験者の修業の場であった。


左 京六里、八幡(やわた)ニ里




この当時本線が高架工事中ではあったが、交野線の高架化は少し遅れた。

交野線ホームに入線する600系(昭和57年夏撮影)

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昭和58年3月湖西・堅田に江若鉄道の遺構を発見!

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昭和58年3月 国鉄・湖西線の堅田駅に立つ


ここ堅田は、琵琶湖畔には浮御堂があり、近江八景のひとつ“堅田落雁 ”として古来よりの名所である。

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また東海道線から遠く離れた堅田の風景は、国文学者の大和田建樹により、鉄道唱歌東海道編の43番にも読み込まれている。

堅田におつる雁がねの たえまに響く三井の鐘

      夕くれさむき唐崎の 松には雨のかかるらん




また、堅田は、“かたた”と濁らずに発音する。

そして訪れた年から遡ること14年前の昭和44年までは、ここに「江若鉄道」が走っていたところでもある。

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日本鉄道旅行地図帳(第9号・関西2)より

国鉄堅田駅から国道に沿って南下したところには、その遺構の一つが残っていた。

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「本堅田」とバスの停留所として利用されているようだが、もとの江若鉄道・堅田駅(大正12年開業・昭和44年廃止)である。

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反対側に回ってみると、線路は剥がされているといえ、低いホームがそのまま残っている。


その近くの江若バスの整備場を覗くと、懐かしいボンネットバスが残っていた。

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ナンバープレートは取り外され哀れな姿だが、湖西の山岳地区を走り回っていた車輌のようだ。

※この車輛は、昭和55年2月に登録抹消されて、平成4年に福山自動車時計博物館がを引き取り、修復して平成5年9月に再生したものかもしれない。
そうだとすると、平成6年7月より北塩原村から依頼を受けられた磐梯東都バスが毎年春季?秋季に運用している桧原湖周遊レトロバスとして活躍しているものかもね♪


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堅田というところは面白いものが残っているなあ♪と感心しながらフォト散策を続けた。





 1日1回 ぽちっとね♪  


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昭和58年“サロンカーなにわ” お披露目展示会

昭和58年9月10日今後数多く製造されることになるジョイフルトレインの嚆矢ともいうべき“サロンカーなにわ”のお披露目が国鉄・大阪駅の3番ホームで13:55?16:40の間、なされるということを新聞で知り、土曜日の半ドンののち、立ち寄る。

当時の不爾日記によれば「我、数日前より新聞にて識りたれば、かくも珍しき事、屡なるはあるまじき事なれば、職場より写真機を肩に携えていざ参らむと、正午過ぎより彼のステンショへ馳せ参じたり。」とある。

これは、東京鉄道管理局が豪華列車「サロンエクスプレス東京」を作ったことに対する大阪鉄道管理局が仕立てた対抗車輌である。


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梅田の大歩道橋の上から進入の様子を撮ろうとカメラを構えた。

(この頃の歩道橋の上空にはまだまだ広い空間があったのだ。)


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EF56に牽引されて、入線してきた。

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よく見るとバックの大阪鉄道管理局の正面には「サロンカーなにわ誕生」の垂れ幕が掛かっている。

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昭和57年国鉄宮津線・小浜線を巡って・・・

前回からのつづき・・・



豊岡からは、宮津線に入る。


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久美浜駅で特急“あさしお”と対向

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昭和57年播但線の旅

この年は、よく旅行に出かけているようだ。

大学を卒業して懐かしの関西に戻ってきたせいかもしれない。

この9月15日も播但線の客車列車に乗車するとともに宮津線・小浜線を経由する大回りループラインを楽しんでいる。

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姫路を8時29分に発つ和田山行き629列車に乗車する。

DD511180が牽引する赤い客車オハ50系・・・オハフ50212+オハ5051+オハフ50214+オハ5062+オハ50154+オハフ50221という編成である。

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オハフ50212の車内

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東洋現像所とトーヨープリント・・・ネガ袋を視る!

今まで撮り貯めた鉄道写真のネガはすべて年月ごとに区分して保管してあるが、昭和57年に撮った写真のネガ現像は、すべて東洋現像所(現:イマジカ)でお願いしているようだ。

どこのDPEに依頼したのか、いくら考えても思い出せないのだが、すっきりと統一されたネガ袋とKodakのエンブレムは美しい。

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当時はデジタルカメラなんてものはカケラすら存在しなかったから、撮影したその場では、インスタント写真でもない限りは、撮影結果は分からなかった。

従って、上手く撮れたと思っていても、あくまで自分が思っているだけで確証がない。

そして、帰り道に写真屋さんに撮影済みのフイルムが入ったパトローネを持っていって、現像・焼付けをしてもらうのだが、この出来上がるまでの数日間がなんとも落ち着かない。

出来上がる予定日には真っ先にお店に立ち寄って楽しみにしていたプリントを手にするわけだが、とにかく早く出来上がりがどんな具合か見たいので、ドキドキしながら歩きながらプリントをめくって見ていたことを思い出す。

予想外の出来に満足することもあったが、それより落胆するほうがはるかに多かった(笑)

数日待って、心の中で山のように大きくなっていたその期待感が、ガラガラと音を立てて崩れ去るときの感覚は、またなんともいえない悲しさと諦念感を孕んでいた。

こういう出来上がるまでの数日をワクワクしながら待つとともに出来上がりを見たときの喜び(ほとんどが悲しみ)を味わえるのが銀塩写真のもつ醍醐味ではなかっただろうか。






小西六のサクラカーは、こんなオレンジがコーポレート・カラーで、肌色が美しい発色するなどと言われていた。

またハーフサイズは、フイルム代が節約されて嬉しかったが、逆にプリント代が高くつき、お小遣いを逼迫させたものだった。(この当時カラープリントはE判で1枚50円くらいだったと記憶している。)

“昭和46年の記事「柳生号」より”




フジカラーのネガ袋では百恵ちゃんが微笑んでいたこともあったね♪(過去記事から再掲)


青の発色が綺麗だとされるフジカラーは、ネガ袋も緑が基調だった。




そんなカラーネガフイルムから、今後もその当時の様子などを見て行きたい。





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司法書士センター街の割烹“ゆみや”

大阪の上町台地の北端、谷町筋に面する谷町ニ丁目といえば・・・昔は紳士服の製造メーカーの本社が建ち並ぶ町であったが、一方では大阪府庁や政府機関の合同庁舎が多く、今では官庁街のイメージが強い。

そんな中に法務省の機関である大阪法務局が谷町筋の東側にある。

下の写真の茶色の7階建ての建物がいわゆる「登記所」と呼ばれている大阪法務局である。

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その大阪法務局の建物と右側(南側)に見えるグレーのNSビルとのハザマに「司法書士センター街」なるものがある。

登記手続きの専門家としてのイメージが強い司法書士さんであるが、昨今は地下鉄はじめ電車・駅の広告にその名前をよく見るようになった。

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最近では、若手タレントの「ロザン」を使ったTV-CMを流しているようだ。

庶民感覚を持ったインテリというイメージを上手に使っていると思うね。


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そんな法律専門職の事務所がずらりと並んだ一筋がここにある。

小さな区画で事務所が両脇にぎっしりと並んで、谷町筋のビル化とは全く時限を異にした一種特別な区域であることを示している。

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そしてまた、なんとも昭和の香りを今に止めている数少ない一角である。

正面の木立は、大阪府庁の構内になる。

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昭和50年代の大阪港・大阪臨港線(浪速貨物線)風景

拙ブログのアクセス状況を見ると、“在りし日の大阪臨港線・港のスイッチャー”の記事が常に上位に入っている。

これは、同様の記事が少ないのでアクセス数が多いためか、どこかの人気ページにリンクが貼られているものと思われる。

そこで、大阪臨港線に関する他の写真はないかと探したところ、昭和58年5月に天保山?大阪臨港線(浪速貨物線)をフォト散歩したもの等があった。

そのネガを改めて見ていると、現在との相違に少なからず驚かされるので、少しご紹介しようと思う。




(その1)大阪市営地下鉄・大阪港

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昭和58年5月 大阪市営高速鉄道(地下鉄中央線)“大阪港”駅 

昭和36年弁天町?大阪港が高架鉄道として誕生したが、その当時のままの佇まいを残していた。
“築港”の表示あるこの交差点も広々というより、なにやら閑散とした風情である。

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高架部分に表示された“地下鉄”の表示もユニークであった。


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平成22年7月 現在の同場所からの光景

平成9年には大阪港から海底トンネルを通じて南港のコスモスクエアまで延伸したことにより終着駅としての役割を終えた。

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大阪港中央突堤の付け根から東側を望む。

大阪港を出ると急勾配で地上に降りてきて、そのまま咲州トンネルに吸い込まれていく。

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白いフェンスで囲まれたところが地下鉄路線で、両側は自動車専用トンネル。



(その2)天保山の渡し

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昭和58年5月天保山渡船場

平成3年9月に開通する阪神高速湾岸線・天保山大橋はもちろんなく、遠方の対岸には、平成13年USJに様変わりすることになる工場群が望める。


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平成22年7月現在の渡船場の風景

昭和58年の頃と比べ場所自体もかなり東側に移っている。現在は明治天皇の観艦式記念塔の北側にある。


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昭和57年8月 野上電鉄日方駅構内

前回からのつづき・・・


日方駅構内のその他の車輌を見学する。


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車窓の上にある明かり窓がなんとも優美な・・・モハ101とモハ31 阪神時代の特徴をよく残している。



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モハ32は、旧阪神1141形モハ1151  

ルーツをたどれば大正時代の311形木造車になるが、昭和12年3月田中車輌で鋼体更新されたもの。

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これがモハ32の原型である阪神311形木造車・・・阪急1型に比べるとその面影はすっかりなくなっている。


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昭和57年8月 野上電鉄を訪れて・・・

前回からのつづき・・・


和歌山市から新宮行き各駅停車128列車に乗車し、海南駅に到着した時刻が13:46

駅に隣接する野上電鉄に乗車するために下車する。駅から少し離れたところに、野上電鉄の始発駅である日方駅がある。


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その近くには、同鉄道の本社建物があった・・・しかし何とクラシックな建物だろうか。
大正5年の開通当時からのものであろう。

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本社前のスバルもえ?感じ♪


まずは、一度終着駅の登山口まで乗ってみよう。

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昭和47年11月23日“汽車ポッポ南紀号”・・・補遺2

紀伊田辺での様子・・・線路敷きへの立入りがかなり認められていた。

当時の国鉄敷地というものはこんなものだったのかもしれない。

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前方に雑然とした機関区の様子が望まれ、当時の賑わい振りがうかがえる。

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木造の跨線橋の上からキハ82特急“くろしお”も撮影するが、屋根上のディテールがよく分かる。


【追記 2010.09.27】

先日、拙ブログの読者から、紀伊田辺駅・田辺機関区の現状写真を送っていただいた。
今の状態との対比も大切なことと思い、了解を得て転載する。

2010紀伊田辺駅・定点撮影

跨線橋が北側に移築された為ホーム上から機関区方面をみた風景

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昭和57年国鉄・多度津工場からの帰路

昭和57年9月12日国鉄・多度津工場で驚愕物件を見学した後は、ふたたび多度津駅に戻る。

駅への道すがら仲ノ町の交叉点で見つけた何とも味わいのある道しるべ・・・思わずシャッターを押した。

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右の石標は、駅への道しるべである。

きしやばという言葉の響きが明治の鉄道黎明期の雰囲気を伝えていて何とも興味深い♪

きしやば→汽車場→停車場(多度津駅)


また左の石標は、お遍路用だと思われる。

右はしくら道 すくことひら道 (右:箸蔵道 直進:金刀比羅道)である。

この写真では写っていない右側の面には、すくふなば(直進:船場)とある。多度津港は、瀬戸内航路の寄港地であったことがわかる。

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昭和57年国鉄・多度津工場見学

昭和57年9月12日初めて国鉄・多度津工場を見学する。

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鉄道模型のパーツのような部品が並ぶ。 DF5031


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DE101

DE10のファーストナンバーも只今原型を止めないような分解ぶりである。

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昭和57年国鉄宇高連絡船から高松駅へ

昭和57年8月下旬のことだった。

鉄友のイバさんから四国の多度津工場の見学許可が取れたので一緒に行かないかと連絡が入った。

もちろん断るはずもなく、9月12日日帰り旅行で向うことに。


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10:54宇野を発った宇高航路(第9便)から見た高松駅構内の風景





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オユ12の一休車輌が並んでいる。

11:54高松港着

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この当時の高松駅は、列車の発着が極めて多く、その出入りするのがすべてディーゼル列車なので、駅構内は常に排気ガスが渦巻いている。人体には極めて悪い。

しかし被写体には事欠かず、この日も僅か30分ほどしか滞在していないが、多彩な列車の数々を見ることができた。


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急行いよ5号105D(キハ58-303)  12:03に高松を出発し終点松山には15:23到着する。



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第12回“路面電車まつり”の先導役?ビリケン号(モ162)



平成22年6月6日(日)阪堺電車の“路面電車まつり”が我孫子車庫で催されると聞いていたので、子どもを連れて参加する。

また、天王寺駅前と恵美須町から臨時列車が運転されるらしく、撮影スペースがゆったりしている恵美須町に出向いた。

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出発30分も前だというのに、熱心なファンが多く集まっていた。

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このモ504も、1970年代の復刻塗装に綺麗に塗り替えられているが、車歴は50年を越え、古豪の仲間入りだ。


待つことしばし・・・クラシックな南海色をまとった昭和3年製のモ162が2番線に入線してきた。

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車歴80年を超えるこの車輛、日本一古い現役車輌であり貴重な存在となっている。

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昭和57年近鉄養老線・国鉄樽見線探訪

前回の続き・・・

昭和57年8月8日 昨日から続けてきた南紀一周の旅の締めくくりとなる近鉄養老線と国鉄樽見線へ進む

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桑名駅から12時50分発の大垣行きに乗車する。

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車輌は、5308+5304

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5300系は、関西急行電鉄が昭和12年に製造した車両で当時はモハ1形と称し”緑の弾丸”の愛称で呼ばれていたもの。

百戦錬磨の古武士の風貌・・・前照灯は、2灯シールドになったとはいえ、リベット帯も勇ましく、アンチクライマーや骸骨型標識灯が裾をひきしめている。

吊り掛けモーターの唸りも物凄く、しつこい程タイフォンを吹鳴しつつ一路北へ爆走する。

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昭和57年南紀一周気まま旅(その2) 串本~尾鷲

前回からのつづき・・・昭和57年8月7日紀勢本線の旅は続く

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新宮駅は、大きなヤードがあり、ホームも数本有するこの地の基幹駅である。

駅舎は昭和30年代を髣髴とさせるガラス張りのモダンな造りで、駅前広場の大きな棕櫚の木とともに南国らしさを呈している。

ただし、先日の台風禍なのか? 駅名板の「宮」の字が欠損しているのはいただけない! 


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13:52 紀伊勝浦行き 特急南紀1号 右の列車が我々の乗ってきた普通列車新宮止まり


構内では、振子電車の「くろしお」やディーゼル車輌の「南紀」が左右から到着するのを見て電化・非電化の分水嶺となるべき駅の特徴を感じる。


名物「めはり寿司」を求めたが、寿司とは名ばかりで握り飯に近いもので、美味とはいい難し。

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昭和57年南紀一周気まま旅(その1) 天王寺~串本

下記記事は、当時の日記帳からの抜粋であ?る♪

よって、そのママ転載する。






昭和57年8月7日梅雨も開け、夏本番だ。

すなわち学生どもは、夏休みで遊びまわっているが、我々は暑い中、毎日せっせと働いている。従って羨ましく思うとともに遊びたくなる。

・・・ということで、旧友イバさんとともに青春のびのび切符を片手に太陽輝く南紀の旅に出かけることにした。

今日は土曜日なので仕事は半ドンだが、休みをとって1泊2日の気ままな旅に出る。

どうやら今日も天気はよさそうだ。

早朝6時14分天王寺発の快速電車に乗車する。113系ではなく103系であった。


杉本町附近では先日の台風(※7月31日に襲来した台風10号により大和川水系の氾濫をもたらした大水)の爪あとがあちこちにうかがえ、被害の甚大なるを感じさせる。

久しぶりの阪和線である。鳳や日根野の電車区を眺めながら、また山中渓の鉄橋附近に昔日を回顧するうちに和歌山に到着。

普段ならばまだ寝床にいるはずの午前7時であ?る。

そこからは旧型客車による各駅列車に乗り換える。
C57のいなくなった構内には、代わりに113系が宮前方面から入線してくる。

時代は変わったのである。

しかし、そんな中でも和歌山線のディーゼル車輌や天リウと表記された客車群が当時のまま到着するのは、心安まる。




和歌山からは、7時32分発の新宮行き普通126列車に乗車。

編成は下記のとおり

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EF58147+マニ60418+スユニ502052+オハフ33428+オハ47308+オハ46378+オハフ33112

EF58に牽引されて紀州路を南下するという違和感を心に止めながら、紀三井寺附近に数多く見受けられる新築住宅群に驚き、また一方、海南では、野上電鉄のガタピシ電車群のあるを見て安堵したりと車窓の風景を楽しむ。

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昭和49年石見・出雲紀行(山陰線・田儀)

昭和49年3月19日 前回からのつづき・・・


気を取り直して、田儀駅に撮影場所を変え、海岸べりの土手でカメラを構える。


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DF50の姿もちらほらと・・・


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貨物866レ D51376

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チップ材を満載にした無蓋貨車トラが目立つ・・・




東京からの遠距離を走ってきた特急「出雲」の姿が見えた・・・

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昭和49年石見・出雲紀行(山陰線・久手)

昭和49年3月19日北九州筑豊地域に9600を求めて訪問した後、そのまま帰阪せずに山陰を巡ってみた。


21時48分博多から乗車した米子行きの寝台急行「さんべ3号」の牽引機関車が何であったかはすっかり忘れてしまったが、乗車した車両が10系寝台の中でも珍しいオロハネ10であったことは、しっかりと憶えている。

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乗車口が両端にはなくて車両の中央に一箇所だけついてある。そしてその扉を境にA寝台とB寝台が配置されている。

オロハネ10-3 夜明け前午前5時03分大田市駅にて

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(参考)昭和32年完成当時のナロハネ10・・・後日冷房装置設置により重量が増したため、オロハネ10と形式変更された

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10系のB寝台は三段寝台で窮屈そうだが、最上段は、通路の天井裏が物置になるので割りとゆったりと過ごす事ができるのだった。

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ライカ鉄道写真全集 第8巻 西尾克三郎

今年3月20日に待望の「ライカ鉄道写真全集 第8巻」がついに・・・というより突然発売された!

プレス・アイゼンバーンさん 驚かさないでくださいよ!

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ライカ鉄道写真全集 第8巻 定価:7980円(本体7600円)


まだかまだか・・・とその発売を待ち焦がれて、頻繁に書店をパトロールしているときには、発刊せずに、こちらがちょっと気を抜いた間に発売するなんて・・・

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昭和57年4月加古川線3支線を訪ねて(2)

前回からのつづき・・・

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つぎは、神戸電鉄との連絡駅である粟生(あお)駅を訪問

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軒先などに昭和の香りを漂わせている、え?感じの駅舎。

そして・・・ここでは、またまた感涙のX線駅名板を発見!!!

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「あを」と綴るならば、ローマ字表記はAWOとなるわけで、何だか国連関係組織みたいだ♪


こういうX線駅名板は、以前桜井線の香久山駅で見て以来の出来事だった。




昭和54年3月18日発見した桜井線・香久山駅のX線駅名板 (友情出演)


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昭和57年4月加古川線の3支線を訪ねて(1)

大学を卒業して社会人としての最初の春だった

昭和57年4月11日 鉄友のイバさんと廃止が噂される加古川線の盲腸線を訪れてみようということで、大阪駅から福知山線の福知山行き普通735列車に乗り込んだ。


当時の福知山線は、武庫川に沿ってクネクネと北上していた。ここ武田尾駅は、そんな山あいにある小さな駅だ。

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大阪行き738列車 DD51-1180と対向する。


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篠山口では急行の通過待ちのため、随分待合時間があったようで一旦途中下車している。


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上り急行「丹波1号」(左)と下り急行「丹波4号」(右)との出会い。右隅の客車列車は、我々の735列車

春先の華やいだ雰囲気が漂う篠山口である。


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この訪問時は、ホームの高さが低いままだが、電化に向けて嵩上げ工事がもうすぐ始まる。




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汽笛一聲・阿房列車

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何カノキツカケガアレバ汽車ノ事ヲ一所懸命ニ記述シテヰル。子供ノ時ノ汽車に對スル憧憬ガ大人ニナツテモ年を取ツテモ抜ナイノデアラウ。


DSC01281切符


 阿房(あほう)と云ふのは、人の思わくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。
 
 用事が なければどこへも行つてはいけないと云ふわけはない。
 なんにも用事がないけれど、汽車に乘つて大阪へ行つて來やうと思ふ。   
    ・・・内田百閒「特別阿房列車」


        

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長崎の鴉・・長崎阿房列車

段段車窓が薄暗くなり、汽車が次第に濃ひ夕闇へ走り込んで行く時に聞く汽笛の響きは、鼻へ抜けたかさ掻きのやうな電氣機關車の聲よりも、蒸氣機關車の複音汽笛が旅情に相應しい。


          


  いつの間にか窓が眞暗になり、窓硝子に響く汽笛の音が、蒸氣機關車C62の複音に變つてゐる。


          
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