東洋現像所とトーヨープリント・・・ネガ袋を視る!
今まで撮り貯めた鉄道写真のネガはすべて年月ごとに区分して保管してあるが、昭和57年に撮った写真のネガ現像は、すべて東洋現像所(現:イマジカ)でお願いしているようだ。
どこのDPEに依頼したのか、いくら考えても思い出せないのだが、すっきりと統一されたネガ袋とKodakのエンブレムは美しい。

当時はデジタルカメラなんてものはカケラすら存在しなかったから、撮影したその場では、インスタント写真でもない限りは、撮影結果は分からなかった。
従って、上手く撮れたと思っていても、あくまで自分が思っているだけで確証がない。
そして、帰り道に写真屋さんに撮影済みのフイルムが入ったパトローネを持っていって、現像・焼付けをしてもらうのだが、この出来上がるまでの数日間がなんとも落ち着かない。
出来上がる予定日には真っ先にお店に立ち寄って楽しみにしていたプリントを手にするわけだが、とにかく早く出来上がりがどんな具合か見たいので、ドキドキしながら歩きながらプリントをめくって見ていたことを思い出す。
予想外の出来に満足することもあったが、それより落胆するほうがはるかに多かった(笑)
数日待って、心の中で山のように大きくなっていたその期待感が、ガラガラと音を立てて崩れ去るときの感覚は、またなんともいえない悲しさと諦念感を孕んでいた。
こういう出来上がるまでの数日をワクワクしながら待つとともに出来上がりを見たときの喜び(ほとんどが悲しみ)を味わえるのが銀塩写真のもつ醍醐味ではなかっただろうか。

小西六のサクラカーは、こんなオレンジがコーポレート・カラーで、肌色が美しい発色するなどと言われていた。
またハーフサイズは、フイルム代が節約されて嬉しかったが、逆にプリント代が高くつき、お小遣いを逼迫させたものだった。(この当時カラープリントはE判で1枚50円くらいだったと記憶している。)
“昭和46年の記事「柳生号」より”
どこのDPEに依頼したのか、いくら考えても思い出せないのだが、すっきりと統一されたネガ袋とKodakのエンブレムは美しい。

当時はデジタルカメラなんてものはカケラすら存在しなかったから、撮影したその場では、インスタント写真でもない限りは、撮影結果は分からなかった。
従って、上手く撮れたと思っていても、あくまで自分が思っているだけで確証がない。
そして、帰り道に写真屋さんに撮影済みのフイルムが入ったパトローネを持っていって、現像・焼付けをしてもらうのだが、この出来上がるまでの数日間がなんとも落ち着かない。
出来上がる予定日には真っ先にお店に立ち寄って楽しみにしていたプリントを手にするわけだが、とにかく早く出来上がりがどんな具合か見たいので、ドキドキしながら歩きながらプリントをめくって見ていたことを思い出す。
予想外の出来に満足することもあったが、それより落胆するほうがはるかに多かった(笑)
数日待って、心の中で山のように大きくなっていたその期待感が、ガラガラと音を立てて崩れ去るときの感覚は、またなんともいえない悲しさと諦念感を孕んでいた。
こういう出来上がるまでの数日をワクワクしながら待つとともに出来上がりを見たときの喜び(ほとんどが悲しみ)を味わえるのが銀塩写真のもつ醍醐味ではなかっただろうか。

小西六のサクラカーは、こんなオレンジがコーポレート・カラーで、肌色が美しい発色するなどと言われていた。
またハーフサイズは、フイルム代が節約されて嬉しかったが、逆にプリント代が高くつき、お小遣いを逼迫させたものだった。(この当時カラープリントはE判で1枚50円くらいだったと記憶している。)
“昭和46年の記事「柳生号」より”

フジカラーのネガ袋では百恵ちゃんが微笑んでいたこともあったね♪(過去記事から再掲)
青の発色が綺麗だとされるフジカラーは、ネガ袋も緑が基調だった。
そんなカラーネガフイルムから、今後もその当時の様子などを見て行きたい。
- 関連記事
スポンサーサイト