昭和47年 柘植機関車駐泊所の賑わい
- Thu
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和元年-昭和47年
前回からのつづき・・・
草津線経由で目的地である柘植(つげ)駅に到着


駅構内の様子 加太方面を望む


列車を待つハイキングの親子連れの後ろをD51がシュポシュポと通過していく・・・いつもどおり普段の風景

草津⇔柘植のサボが見受けられるので、それなりに客車列車の運用があったように思われるが、昭和47年10月改正後の時刻表を見ると草津1202発→柘植1255着の722レの上りの一本しか見当たらない。


因みに、手許のファジーコレクションでは、裏表で行き先を示しているものが一枚ある。


一方京都⇔柘植の定期運用は、上記のものより多く、一日2往復の運転があった。
したがってこのサボは、それらの列車が廃止になってから中古市で一般販売されたものだから、それほど古いものでも珍しいものでもなさそうだ。
さてさて、この駅は、関西本線と草津線との分岐駅にして、東に加太越えを控えてSLの往来豊かなパラダイスである。

奈良庫のD51は、すべて煙突には、烏帽子のような集煙装置を被り、背中のドームの後ろには重油タンクを備えており、その姿は秀麗というよりまさしく働く現役機関車の面構えであった。

そのような重装備のD51が前引き後押しして貨物列車を東へと運んでいく。
草津線経由で目的地である柘植(つげ)駅に到着


駅構内の様子 加太方面を望む


列車を待つハイキングの親子連れの後ろをD51がシュポシュポと通過していく・・・いつもどおり普段の風景

草津⇔柘植のサボが見受けられるので、それなりに客車列車の運用があったように思われるが、昭和47年10月改正後の時刻表を見ると草津1202発→柘植1255着の722レの上りの一本しか見当たらない。


因みに、手許のファジーコレクションでは、裏表で行き先を示しているものが一枚ある。


一方京都⇔柘植の定期運用は、上記のものより多く、一日2往復の運転があった。
したがってこのサボは、それらの列車が廃止になってから中古市で一般販売されたものだから、それほど古いものでも珍しいものでもなさそうだ。
さてさて、この駅は、関西本線と草津線との分岐駅にして、東に加太越えを控えてSLの往来豊かなパラダイスである。

奈良庫のD51は、すべて煙突には、烏帽子のような集煙装置を被り、背中のドームの後ろには重油タンクを備えており、その姿は秀麗というよりまさしく働く現役機関車の面構えであった。

そのような重装備のD51が前引き後押しして貨物列車を東へと運んでいく。
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