リニア・鉄道館の名車輛“ホジ6014”

明治30年代、関西鉄道や河南鉄道では、本邦初のこころみとして、オーストリア・ガンツ社の蒸気動車を導入したが、構造が複雑で故障が多く、また亀山付近の急勾配を上れず、もて余し気味だった。
明治42年に汽車会社の設計掛長である工藤兵次郎が考案した工藤式蒸気動車が登場し、その短所を補い、全国で利用されるようになった。
当社で製造された№19のキハ6801は、名古屋鉄道において保管され、明治村で保存展示されている。(汽車会社製造史より)

構造は、車体の一端に小型B型機関車を配置したようなもので、運転室は両端にあって、ターンテーブルで転回せずに折り返し運転が可能なものであった。
また、動力機関については、前方の観音開きにより機関全体を抜き出し点検できる構造となっていた。

同車の機関部分に用いられた同型のB型タンク(三菱長崎造船所納 №29 “汽車会社製造史”より)

明治45年4月から、福知山線・播但線・片町線・和田岬線で運転されるようになった。(100年の国鉄車輌3より)
しかし保守面では、蒸気機関車と同じで手間がかかることと、輸送量の増加には従前の客車が利用されることにより、その姿を消していった。
ガソリン機関を原動力とするいわゆる気動車は、昭和4年に登場するが、その始祖ともいえる車輌である。
しかしながら、輸送量の増加には、通常の機関車と客車の構成で対応するしかなく、戦前には定期運用から外された蒸気動車であったが、皮肉なことに戦時中の燃料不足の際には各地で重宝されたらしく、人知れず最後の花道を飾った。
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