境港を散策・水木しげるロード
皆生温泉で一泊した翌朝は、快晴となった。
昨夜は窓を開けていると寒いほどだったが、どうやら日中は暑くなりそうだ。
8時15分にはホテルを出発し、バスでJR米子駅に行く。

9時03分 改札内を見れば、東京からの寝台特急「サンライズ出雲」が到着したようだ。

一般の列車とは配色と窓配置が異なるので、一目でそれと分かる。
DF50が牽引する20系寝台の寝台特急「出雲」もこんなふうに入線していたのだろうか・・・・と思ってみても詮無きことだ。

境線の0番線は・・・霊番線に通じる 霊界への入口か
昨夜は窓を開けていると寒いほどだったが、どうやら日中は暑くなりそうだ。
8時15分にはホテルを出発し、バスでJR米子駅に行く。

9時03分 改札内を見れば、東京からの寝台特急「サンライズ出雲」が到着したようだ。

一般の列車とは配色と窓配置が異なるので、一目でそれと分かる。
DF50が牽引する20系寝台の寝台特急「出雲」もこんなふうに入線していたのだろうか・・・・と思ってみても詮無きことだ。

境線の0番線は・・・霊番線に通じる 霊界への入口か
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☆実家の猫又
- Sat
- 20:13
- ∇サラサーテの盤~謎の呟き - └ 一筆啓上ツヰート候
猫好きの方が多い日記でみて、ファジー家の猫のことも書いて見ます。
私の実家には常に猫がいます。
我が家に来たらすぐ去勢手術するので、めちゃくちゃ長生きします。
7年前まで20年生きた三毛猫、6年前まで22年生きたキジ猫がいました・・・ほんとです。
これらははっきりいって化け猫です。
10年以上長生きした飼い猫が化ける「猫又」という妖怪がいます。
当家の猫は尻尾の先こそ二股に分かれていませんが、それですね。
こちらの言うことはすべてわかっているようです。
我が家の成り行きをぢっと見つめて来ました。
ところで、その猫又ちゃん、死ぬ間際にはオムツは欠かせないものとなり、毛の艶もなく眼窩もくぼみ、眼も白内障でほとんど見えないのでしょう、ゼイゼイといいながら居間の片隅に横たわっていました。
猫は寿命を察すると姿を隠すといいますが、ビルの中では姿を隠すこともできず、いよいよ昇天というときには、猫族の野生が目覚めたのか、立たぬ後ろ足を引きずって、せめて人気(ひとけ)のないところでと風呂場の脱衣場でひっそりと死んでいました。
ほんとうにぼろ雑巾のようになって絶命していました。二匹とも同じような末期でした。
でもあまり悲しくなかった。むしろその遺骸を美しい、いとおしいとさえ感じた。
公園の茂みでむくろになっている子猫、道路で自動車に轢かれて肉塊となったものを見るにつけ、天寿を全うするとはこういうことを云うのだな。と思いましたね。
もちろん猫又なので篤く供養したのはいうまでもありません。

猫が一匹もいなくなった実家ではしばらくするとまた新顔の洋猫がやってきました。
5年前は華奢な子猫でしたが、今では横柄な顔して、港が見渡せる窓際のベッドでひがな一日寛いでいます。
これもまた猫又になるのでしょうか。

私の実家には常に猫がいます。
我が家に来たらすぐ去勢手術するので、めちゃくちゃ長生きします。
7年前まで20年生きた三毛猫、6年前まで22年生きたキジ猫がいました・・・ほんとです。
これらははっきりいって化け猫です。
10年以上長生きした飼い猫が化ける「猫又」という妖怪がいます。
当家の猫は尻尾の先こそ二股に分かれていませんが、それですね。
こちらの言うことはすべてわかっているようです。
我が家の成り行きをぢっと見つめて来ました。
ところで、その猫又ちゃん、死ぬ間際にはオムツは欠かせないものとなり、毛の艶もなく眼窩もくぼみ、眼も白内障でほとんど見えないのでしょう、ゼイゼイといいながら居間の片隅に横たわっていました。
猫は寿命を察すると姿を隠すといいますが、ビルの中では姿を隠すこともできず、いよいよ昇天というときには、猫族の野生が目覚めたのか、立たぬ後ろ足を引きずって、せめて人気(ひとけ)のないところでと風呂場の脱衣場でひっそりと死んでいました。
ほんとうにぼろ雑巾のようになって絶命していました。二匹とも同じような末期でした。
でもあまり悲しくなかった。むしろその遺骸を美しい、いとおしいとさえ感じた。
公園の茂みでむくろになっている子猫、道路で自動車に轢かれて肉塊となったものを見るにつけ、天寿を全うするとはこういうことを云うのだな。と思いましたね。
もちろん猫又なので篤く供養したのはいうまでもありません。


猫が一匹もいなくなった実家ではしばらくするとまた新顔の洋猫がやってきました。
5年前は華奢な子猫でしたが、今では横柄な顔して、港が見渡せる窓際のベッドでひがな一日寛いでいます。
これもまた猫又になるのでしょうか。

