昭和55年 東北地方ぶらり旅(3)
昭和55年10月12日
昨日泊まった田老町は、過去何度も津波の被害を受けているところである。
特に明治29年の三陸大地震では、田老町には14.6mの津波が押し寄せている。
海岸線には水面から10メートルの高さを越える異様なまでに大きな防潮堤が築かれ、崖に記された大津波の高さに驚愕する。
一旦宮古市に戻り国道106号線で盛岡に向かう。この国道沿いの紅葉は、今が盛りと謂わんばかりの美しさ。
この地方は広葉樹が多いためか、紅葉の美しさも一段と素晴らしいものであった。

トンネルと鉄橋を繰り返すこのあたりの風景は写欲を頗る催す。

山田線の下り急行「そとやま」1614D (山田線・松草附近にて)
昨日泊まった田老町は、過去何度も津波の被害を受けているところである。
特に明治29年の三陸大地震では、田老町には14.6mの津波が押し寄せている。
海岸線には水面から10メートルの高さを越える異様なまでに大きな防潮堤が築かれ、崖に記された大津波の高さに驚愕する。
一旦宮古市に戻り国道106号線で盛岡に向かう。この国道沿いの紅葉は、今が盛りと謂わんばかりの美しさ。
この地方は広葉樹が多いためか、紅葉の美しさも一段と素晴らしいものであった。

トンネルと鉄橋を繰り返すこのあたりの風景は写欲を頗る催す。

山田線の下り急行「そとやま」1614D (山田線・松草附近にて)
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昭和48年・初めての東北旅行
- Sun
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和48年
(前回からのつづき)
新幹線を降りた後、山手線で東京から上野までやってきた。

やはり上野は東北への出発地としての雰囲気を漂わせていたが、一方では目の前の「はつかり」「ひばり」という愛称列車は、鉄道雑誌「鉄道ファン」から飛び出してきたような錯覚に陥る。


上野から青森までは臨時急行十和田52号に乗車 16時16分の出発である。
夜行ということでに座席指定車だったが、座席指定車は6両ともグリーン車というイデタチ。
憧れのグリーン車なのでもちろんテンションは上がるが、車輌はスロ62なので普通の学生にとっては単に古い車輌に過ぎなかったかもしれない。
中にはリクライニングが故障していると苦情をもらす同級生もいたと記憶している。
車内で出発を待っていると、前方から鉄道研究部のメンバーが大声を張り上げている。
EF57が来たぞ!!

思わず窓を全開にして慌ててカメラを向けた。

なんとパンタグラフが飛び出していないEF57の1号機であったが、あっという間に目の前を過ぎていった。
(ピントも露出もいい加減なままだったので、写っているかどうかプリントが出来上がるまで不安であった。)
大変なものを見てしまったような気持ちで、興奮ただならぬものだったが、もちろん一部の人間にとっては・・・の話である。
新幹線を降りた後、山手線で東京から上野までやってきた。

やはり上野は東北への出発地としての雰囲気を漂わせていたが、一方では目の前の「はつかり」「ひばり」という愛称列車は、鉄道雑誌「鉄道ファン」から飛び出してきたような錯覚に陥る。


上野から青森までは臨時急行十和田52号に乗車 16時16分の出発である。
夜行ということでに座席指定車だったが、座席指定車は6両ともグリーン車というイデタチ。
憧れのグリーン車なのでもちろんテンションは上がるが、車輌はスロ62なので普通の学生にとっては単に古い車輌に過ぎなかったかもしれない。
中にはリクライニングが故障していると苦情をもらす同級生もいたと記憶している。
車内で出発を待っていると、前方から鉄道研究部のメンバーが大声を張り上げている。
EF57が来たぞ!!

思わず窓を全開にして慌ててカメラを向けた。

なんとパンタグラフが飛び出していないEF57の1号機であったが、あっという間に目の前を過ぎていった。
(ピントも露出もいい加減なままだったので、写っているかどうかプリントが出来上がるまで不安であった。)
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