豊穣の筑波路・・・筑波鉄道めぐり
- Sun
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和55年-昭和56年
昭和56年9月27日当時の日記より・・・
素晴らしい秋晴れの一日・・・「筑波の秋」を撮らんと自動車を飛ばして筑波鉄道を追う。

まづは、土浦駅に近いところにある、レンコン畑が広がる「虫掛」に向かう。

このレンコン畑の大きさは、並ではない・・・日本随一の生産地である。

しかし、この駅名板は何だ? 隣の駅はどこ? 新土浦? 坂田?
よ?く見れば、反対ホームにあったものを持ってきたもののようだ。
それで右・左の駅が逆転したので上書きしたもののようだが、それにしてももう少し上手にできなかったのだろうか?

彼方に見えるは、建設中の国道6号線の土浦バイパスか・・・。
素晴らしい秋晴れの一日・・・「筑波の秋」を撮らんと自動車を飛ばして筑波鉄道を追う。

まづは、土浦駅に近いところにある、レンコン畑が広がる「虫掛」に向かう。

このレンコン畑の大きさは、並ではない・・・日本随一の生産地である。

しかし、この駅名板は何だ? 隣の駅はどこ? 新土浦? 坂田?
よ?く見れば、反対ホームにあったものを持ってきたもののようだ。
それで右・左の駅が逆転したので上書きしたもののようだが、それにしてももう少し上手にできなかったのだろうか?

彼方に見えるは、建設中の国道6号線の土浦バイパスか・・・。
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昭和55年 伊豆箱根鉄道で天城越え
- Sun
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和55年-昭和56年
昭和55年3月4~6日大学の某クラブの合宿が、天城山中であった。
現地集合である。
朝の土浦駅では、筑波鉄道線に古武士のようなキハ462が就役していた。
嬉しくなって早速カメラを向ける・・・
サイドも一枚・・・
東京からは、新幹線で三島へ行くのが手っ取り早いが、在来線であちこちの風景を楽しみながら目的地に向かうのが小生のライフスタイルに適っている。
東海道線の快速列車で下る。
国府津(こうづ)では、御殿場線が活況を呈していた頃の名残の機関庫が姿を見せた。
すでに転車台はなく、一台だけ残っていたD5272の姿も見えず、本体の取壊しも時間の問題なのか。
日本最初のコンクリート製扇形庫として貴重な存在だったが・・・
現地集合である。

朝の土浦駅では、筑波鉄道線に古武士のようなキハ462が就役していた。
嬉しくなって早速カメラを向ける・・・

サイドも一枚・・・
東京からは、新幹線で三島へ行くのが手っ取り早いが、在来線であちこちの風景を楽しみながら目的地に向かうのが小生のライフスタイルに適っている。
東海道線の快速列車で下る。
国府津(こうづ)では、御殿場線が活況を呈していた頃の名残の機関庫が姿を見せた。

すでに転車台はなく、一台だけ残っていたD5272の姿も見えず、本体の取壊しも時間の問題なのか。
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昭和54年 筑波鉄道・筑波線 常陸小田駅探訪
- Sat
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和53年-昭和54年

茨城県の筑波山の麓のつくば市に、小田というところがある。
そこには、筑波鉄道・筑波線の常陸小田駅というのが・・・あった。

駅近くには北畠親房が神皇正統記を著した場所として伝えられている小田城址がある。
北畠顕家ゆかりの地として、阪堺線の北畠電停を前々回のブログ記事「熊野街道の起点を歩く(10)」で掲載したが、そのときふと思った・・・確か顕家の父親である北畠親房ゆかりの常陸国小田城址の写真があったはずだと。
探すときちんとネガが保存されていたので、今回はその父親である北畠親房ゆかりの地と筑波鉄道・筑波線を記事にしてみた。
北畠親房は、後醍醐の建武の新政が開始されると、関東地方に南朝勢力を拡大するために、常陸国に入り各地の豪族を頼ったのちこの小田氏の本拠地であるここ小田城に移った。親房はそこを地盤として陸奥国白河の結城親朝はじめ関東各地の反幕勢力の結集を呼びかけるとともに、南朝を正史とする歴史書「神皇正統記」を著したのだった。

その城跡の小山のようなところから筑波鉄道・筑波線を見下ろすと、つくば山をバックに走るディーゼルカーの姿を美しく望むことが出来た。
昭和54年5月3日の憲法記念日にその旧跡を訪れるとともに、しばらく写真撮影を試みた。

常陸小田~常陸北条にて
この日は、筑波山もはっきり見え黄金週間らしく天気の頗る良い穏やかな日和だった。
筑波まで つづく青田の ひろさかな 平塚らいてう
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