大阪臨港線(浪速貨物線)の今昔
平成7年といえば、クラシックカメラに興味を持ち始めた頃だった。
KodakのLetinaやZeissのSuper-Ikontaで遊んでいるうちはよかったが、
Leicaに手を出したのが間違いだった。ドイツのLeicaは、無尽蔵ともいえるライカマウントのレンズが交換ができる万能カメラであり、古きよきドイツ工業製品の精華ともいうべき金属製カメラの甘美なる魅力の泥沼に陥るのに時間はかからなかった。

Leicaコレクション第1号であるⅢCとズミター5cm
新たに手に入れた古典カメラは、愛でるだけではなく、あちこち持ち歩きたくなるのは当然であり、この日も地元のパトロールへと出かけた。
お手軽な大阪臨港線(浪速貨物線)を撮影して回ったが、その20年前のネガを見つめていると、平成28年現在の風景とは何か解からないが空気感が違うような気持ちが湧いてきたので、昨今のデジカメを持ち出して20年の時間と空気の違いを比べてみたいと思う。
前回の記事に登場したSuper-IkontaやContaxで撮影した写真もあるが、その時間の経過を並べてみたい。
まずは、当時の地図にて撮影場所のチェック

大阪臨港線の歴史は古く、今宮から大阪港まで昭和3年には臨海貨物を扱う貨物線として誕生した。そして、その路線の一部を使って昭和36年に大阪環状線が大正・弁天町・西九条の間を新しく路線を敷設することによりループ状の環状線となったわけである。

浪速駅構内
大阪環状線は、今ではなくてはならない大阪の大動脈となっているが、一方その礎ともいうべき大阪臨港線は、湾岸荷役の衰退と貨物輸送手段の変化により、徐々にその活躍の場は少なくなっていったが、平成7年当時では、1日2本の運用となっていた。浪速駅 10:52発と16:20着だけであった。それも休日は運休だった。
しかし特筆すべきは、それだけ運用が減っても廃止にならなかったのは、鉄道レールの輸送が挙げられる。JR西日本管内で使用されるすべてのレールが、高松のレール製造工場から船便でここ大阪港まで運ばれ、ここからは鉄路によりレール運搬貨車(チキ)で運び各地に配るという大切な使命があったからだ。
しかし、その役目もついに終焉を迎え、平成16年には休止路線となり2年後には廃止された。
また、その線路周辺には臨海風景としてなかなか味わい深い被写体が点在していた。

なみはや大橋の大正区側を望む・・・いまでは橋のたもとにブルーとイエローの
IKEAの建物が存在感をアピールしている。

歴史を刻む倉庫群・・・重厚な鉄製扉が魅力的である。

“たばこのむな”ではなく“たばこのめぬ”の表示・・・“のめぬ”の方が、一切例外を認めない感じがして上から目線で威圧的である。 今は普段では見られない表現だ。
その1日2便しかない消え行く臨港貨物線の姿を追ってみた。
①福栄橋西詰から東を向く

Super-Ikonta
大きなハンマーの音が聞こえてきそうな純然たる工場地帯だった。

平成28年の姿
②福栄橋東詰から西を向く

Super-Ikonta
クレーンや建設工事機材が台船に乗って出番を待っている姿がいつもの風景だった。

KodakのLetinaやZeissのSuper-Ikontaで遊んでいるうちはよかったが、
Leicaに手を出したのが間違いだった。ドイツのLeicaは、無尽蔵ともいえるライカマウントのレンズが交換ができる万能カメラであり、古きよきドイツ工業製品の精華ともいうべき金属製カメラの甘美なる魅力の泥沼に陥るのに時間はかからなかった。

Leicaコレクション第1号であるⅢCとズミター5cm
新たに手に入れた古典カメラは、愛でるだけではなく、あちこち持ち歩きたくなるのは当然であり、この日も地元のパトロールへと出かけた。
お手軽な大阪臨港線(浪速貨物線)を撮影して回ったが、その20年前のネガを見つめていると、平成28年現在の風景とは何か解からないが空気感が違うような気持ちが湧いてきたので、昨今のデジカメを持ち出して20年の時間と空気の違いを比べてみたいと思う。
前回の記事に登場したSuper-IkontaやContaxで撮影した写真もあるが、その時間の経過を並べてみたい。
まずは、当時の地図にて撮影場所のチェック

大阪臨港線の歴史は古く、今宮から大阪港まで昭和3年には臨海貨物を扱う貨物線として誕生した。そして、その路線の一部を使って昭和36年に大阪環状線が大正・弁天町・西九条の間を新しく路線を敷設することによりループ状の環状線となったわけである。

浪速駅構内
大阪環状線は、今ではなくてはならない大阪の大動脈となっているが、一方その礎ともいうべき大阪臨港線は、湾岸荷役の衰退と貨物輸送手段の変化により、徐々にその活躍の場は少なくなっていったが、平成7年当時では、1日2本の運用となっていた。浪速駅 10:52発と16:20着だけであった。それも休日は運休だった。
しかし特筆すべきは、それだけ運用が減っても廃止にならなかったのは、鉄道レールの輸送が挙げられる。JR西日本管内で使用されるすべてのレールが、高松のレール製造工場から船便でここ大阪港まで運ばれ、ここからは鉄路によりレール運搬貨車(チキ)で運び各地に配るという大切な使命があったからだ。
しかし、その役目もついに終焉を迎え、平成16年には休止路線となり2年後には廃止された。
また、その線路周辺には臨海風景としてなかなか味わい深い被写体が点在していた。

なみはや大橋の大正区側を望む・・・いまでは橋のたもとにブルーとイエローの
IKEAの建物が存在感をアピールしている。

歴史を刻む倉庫群・・・重厚な鉄製扉が魅力的である。

“たばこのむな”ではなく“たばこのめぬ”の表示・・・“のめぬ”の方が、一切例外を認めない感じがして上から目線で威圧的である。 今は普段では見られない表現だ。
その1日2便しかない消え行く臨港貨物線の姿を追ってみた。
①福栄橋西詰から東を向く

Super-Ikonta
大きなハンマーの音が聞こえてきそうな純然たる工場地帯だった。

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②福栄橋東詰から西を向く

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クレーンや建設工事機材が台船に乗って出番を待っている姿がいつもの風景だった。

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昭和50年代の大阪港・大阪臨港線(浪速貨物線)風景
拙ブログのアクセス状況を見ると、“在りし日の大阪臨港線・港のスイッチャー”の記事が常に上位に入っている。
これは、同様の記事が少ないのでアクセス数が多いためか、どこかの人気ページにリンクが貼られているものと思われる。
そこで、大阪臨港線に関する他の写真はないかと探したところ、昭和58年5月に天保山?大阪臨港線(浪速貨物線)をフォト散歩したもの等があった。
そのネガを改めて見ていると、現在との相違に少なからず驚かされるので、少しご紹介しようと思う。
(その1)大阪市営地下鉄・大阪港

昭和58年5月 大阪市営高速鉄道(地下鉄中央線)“大阪港”駅
昭和36年弁天町?大阪港が高架鉄道として誕生したが、その当時のままの佇まいを残していた。
“築港”の表示あるこの交差点も広々というより、なにやら閑散とした風情である。

高架部分に表示された“地下鉄”の表示もユニークであった。

平成22年7月 現在の同場所からの光景
平成9年には大阪港から海底トンネルを通じて南港のコスモスクエアまで延伸したことにより終着駅としての役割を終えた。

大阪港中央突堤の付け根から東側を望む。
大阪港を出ると急勾配で地上に降りてきて、そのまま咲州トンネルに吸い込まれていく。

白いフェンスで囲まれたところが地下鉄路線で、両側は自動車専用トンネル。
(その2)天保山の渡し

昭和58年5月天保山渡船場
平成3年9月に開通する阪神高速湾岸線・天保山大橋はもちろんなく、遠方の対岸には、平成13年USJに様変わりすることになる工場群が望める。

平成22年7月現在の渡船場の風景
昭和58年の頃と比べ場所自体もかなり東側に移っている。現在は明治天皇の観艦式記念塔の北側にある。
これは、同様の記事が少ないのでアクセス数が多いためか、どこかの人気ページにリンクが貼られているものと思われる。
そこで、大阪臨港線に関する他の写真はないかと探したところ、昭和58年5月に天保山?大阪臨港線(浪速貨物線)をフォト散歩したもの等があった。
そのネガを改めて見ていると、現在との相違に少なからず驚かされるので、少しご紹介しようと思う。
(その1)大阪市営地下鉄・大阪港

昭和58年5月 大阪市営高速鉄道(地下鉄中央線)“大阪港”駅
昭和36年弁天町?大阪港が高架鉄道として誕生したが、その当時のままの佇まいを残していた。
“築港”の表示あるこの交差点も広々というより、なにやら閑散とした風情である。

高架部分に表示された“地下鉄”の表示もユニークであった。

平成22年7月 現在の同場所からの光景
平成9年には大阪港から海底トンネルを通じて南港のコスモスクエアまで延伸したことにより終着駅としての役割を終えた。

大阪港中央突堤の付け根から東側を望む。
大阪港を出ると急勾配で地上に降りてきて、そのまま咲州トンネルに吸い込まれていく。

白いフェンスで囲まれたところが地下鉄路線で、両側は自動車専用トンネル。
(その2)天保山の渡し

昭和58年5月天保山渡船場
平成3年9月に開通する阪神高速湾岸線・天保山大橋はもちろんなく、遠方の対岸には、平成13年USJに様変わりすることになる工場群が望める。

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