近江鉄道全線乗り歩き(その4)
- Sun
- 15:25
- ∇鐵道ほとがら帖/令和編 - └令和元年~
(前回からの続き)
令和5年5月3日の近江鉄道全線乗り歩きも終盤となった

本線の終着駅、貴生川駅には、14:14到着

ここは、JR草津線と信楽高原鐵道と近江鉄道とが交わる交通の要衝だが、駅前は閑散としている。
乗り換え客はあっても下車する人は少ないようだ。
50年前に訪問した際の貴生川駅は、地方のローカル色漂う小駅だった

(S48.2.2撮影)

同構内を望む・・・後方の架線が見えるのが近江鉄道線である。(S48.2.2撮影)
・・・昔話はそれくらいにして・・・

壁面にはイラスト・・・信楽のタヌキと甲賀の忍者か。山伏君は、近くに飯道山の修験道があるためだろう

やっつけ仕事か、行灯式標識が重なっていて見にくい。 もう少し工夫できなかったのだろうか・・・

「ICカード非対応」とわざわざ表記しなければならないほど、ICカード利用者が増えているということであろう。

非電化のホームは、信楽高原鐵道線である。
・・・ここで、もうひとつ昔話を・・・

40年ほど前の同じ場所にはこんな車輛が停車していた (S59.7.31撮影)
たくましい現役の気動車である面構えを見せる信楽行き529列車・・・キハ5826+キハ58651・・・もちろん非冷房車
大事故の起こる前の穏やかな夏の昼下がりだった

一方、近江鉄道のホームは、このような島式ホームとなっている
しかし、40年前は、下記のような向かい合わせの相対式ホームだった (S59.7.31撮影)


(閑話休題)
14:28発の“おーぃお茶”電車で八日市駅に向かう

八日市駅には15:11到着

彼の地の中心駅だけあって駅前も開け賑やかである

駅舎の2階には「近江鉄道ミュージアム」なるものがある。入館無料

展示品は見慣れたものが多かった


構内の900形901編成・・・これは“あかね号”塗装というらしい
万葉歌で額田王が「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」と詠んだ場所がご当地の蒲生野であることに由来しているとか

こちらは近江鉄道100形電車 ともに近江鉄道とご縁の深い西武鉄道からやってきた

15:38発の800形電車“近江十景とれいん”でとなりの「新八日市駅」に向かう

この「新八日市駅」を訪問することは、鉄道愛好家の聖地巡礼といえるものである・・・
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近江八幡フォト散歩と京阪プレミアムカー

母校の同窓会の有志が集う“山櫻古典寫眞機同好會”でLINE交換をしているうちに、久しぶりに撮影会を催行しようとなった。
いろいろ行き場所を考えたが、ヴォーリズ設計の建築物が多く残る近江八幡をフォト散歩することに決定した。
過去の“山櫻古典寫眞機同好會”の様子は、コチラ

天気もよさそうなので、黄金週間2日目の平成30年4月30日にオヤジ3名で出掛た。
もちろん“古典寫眞機同好會”なので、フィルムカメラがメインである。
一人は、“キャラメル箱”と称される名代のコンパクトカメラのローライ35・ゾナー40mm
もう一人は、ニコンF3に6×6のハッセルブラッドという重装備である。

小生は、コンパクトにLeicaIIIb+Summaron3.5cm・COLOR-SKOPAR21mmといういで立ち
モノクロフイルムには、この暗~いSummaronが階調豊かな描写をしてくれるのでベストな選択だと思っている。
最近富士フイルムが白黒フィルムの製造を中止した。との悲報に接し、急遽買い求めた国産最後の35mmモノクロフイルム「ACROS100」を久しぶりにバルナックライカに装填する

フイルムの装填にも、ライカ特有の作法があり背筋が伸びる思いがした。
※ただし、ブログアップ時にはまだフイルムの現像ができていないので、サブカメラとして併用したデジタルカメラで撮影したものを掲載する。
大阪9:00の新快速に乗車。ゴールデンウイークらしく京都までは混雑していたが、京都以東は車内は閑散とした状態
ゆったりとした雰囲気で10:06近江八幡到着

最初は八幡商業高校を訪問 S13の建築である。
過日いろいろと物議を醸した豊郷小学校よりは洗練されたデザインである。
ここから近江商人の卵たちが多く輩出されたのだろうね。
調べてみると驚いたことに・・・宇野宗佑(元首相)、伊藤忠兵衛(二代目伊藤忠)、塚本幸一(ワコール)、川瀬源太郎(日本生命)など政経界のお歴々が並んでいた。

近くにあった八幡小学校の木造校舎
これはヴォーリズの建築ではないが、壮麗な木造校舎が現役なのが素晴らしい。
行政と市民ともども由緒ある建物に対しての考え方・接し方が偲ばれて、とても感銘を受ける。
ヴォーリズの代表的建築物であった大丸心斎橋筋店の取壊しを目の当たりにしたものとしては、この地はパラダイスのように感じる。

S6築のヴォーリズ記念館 晩年のヴォーリズ夫妻の居所でもある。

歴史的な建造物を訪問するたびにいただいたパンフを見ると、彼のヴォーリズさんだが、昭和16年に日本に帰化したのち、終戦直後、軽井沢に疎開していた時、近衛文麿の密使が訪れて、近衛とマッカーサーとの会見の斡旋を依頼されたことがあった。そしてマッカーサーの側近との会談の中で天皇には戦争責任はないこと、天皇は自分が神と等しいとは考えていないこと等を伝え、近衛とマッカーサーとの会談を実現させたとのこと。そうなれば戦後処理に一翼を担った人物といえよう。

池田町の洋風建築群煉瓦外塀・・・大阪の江戸堀にある大阪教会の外壁を思い起こさす意匠である。
近江八幡は、近江商人の街でもあり、中心部には日本的な古い家並みが残っている。

このような街並みの中、明治中期に西洋建築を建設することは、大変な反感があっただろうし、大いなる努力と周囲の理解がないと難しいと思われる。

またここは、八幡瓦の産地でもある。
豊臣秀次が八幡山城を築城した際、整備した八幡堀を利用して、瓦の製造が栄えたのが礎だとか。それ以降は地場産業としての瓦製造が展開されている。

そんな八幡堀端の一角にある「喜兵衛」さんで昼食


美しい新緑の庭を眺めながら箸を取る。

近江牛のタタキと滋賀づくりの一番搾りでスタート

地元の名物が取り入れられた喜兵衛御膳をあてにビールがすすむ
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