柘植駅附近の様子とD51伊賀号
- Sat
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和元年-昭和47年
腕木信号機と「ハエタタキ」と称する電信柱が林立する柘植駅西方・・・空に向けて林立するモノドモが何とも面白うてならぬ。

草津線の普通列車が往く
この当時の鉄道ファンはさまざまのスタイルがあった。
カメラを向ける者、草叢に座って列車の往来を只眺めている者、目の前を通過する列車の形式・番号を必死にメモする者など多彩だった。
一ついえることは、昨今の鉄道ファンのような血眼の形相でカリカリした者はひとりもおらず、のんびりしたものだった。

これは、湊町行きの下り急行「かすが2号」

これだけの腕木信号が並ぶと壮観である。 そして、これを操作するのは極めてアナログなワイヤーケーブルによる人力転轍機ゆえ、それを操作するケーブルが数多く足元を走っている。
[More...]
- 関連記事
-
- 昭和47年11月23日“汽車ポッポ南紀号”・・・補遺2 (2010/07/05)
- 昭和47年11月23日“汽車ポッポ南紀号”・・・補遺1 (2010/07/02)
- 柘植駅附近の様子とD51伊賀号 (2010/01/16)
- 昭和47年 柘植機関車駐泊所の賑わい (2010/01/14)
- 草津線はD51832の客レに乗って・・・ (2010/01/11)
- YouTubeで見つけたもの (2010/01/03)
- 交通科学博物館の思い出 (2009/11/03)
- 昭和28年の大阪駅前風景(2) (2009/05/31)
- 昭和28年の大阪駅前風景(1) (2009/05/28)
- 昭和28年の花電車風景(大阪市電創業50周年) (2009/05/25)
- 「汽車ポッポ南紀号」 (2007/06/15)
- 「◇◇柳生号◇◇」 (2007/05/18)
昭和47年 柘植機関車駐泊所の賑わい
- Thu
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和元年-昭和47年
草津線経由で目的地である柘植(つげ)駅に到着


駅構内の様子 加太方面を望む


列車を待つハイキングの親子連れの後ろをD51がシュポシュポと通過していく・・・いつもどおり普段の風景

草津⇔柘植のサボが見受けられるので、それなりに客車列車の運用があったように思われるが、昭和47年10月改正後の時刻表を見ると草津1202発→柘植1255着の722レの上りの一本しか見当たらない。


因みに、手許のファジーコレクションでは、裏表で行き先を示しているものが一枚ある。


一方京都⇔柘植の定期運用は、上記のものより多く、一日2往復の運転があった。
したがってこのサボは、それらの列車が廃止になってから中古市で一般販売されたものだから、それほど古いものでも珍しいものでもなさそうだ。
さてさて、この駅は、関西本線と草津線との分岐駅にして、東に加太越えを控えてSLの往来豊かなパラダイスである。

奈良庫のD51は、すべて煙突には、烏帽子のような集煙装置を被り、背中のドームの後ろには重油タンクを備えており、その姿は秀麗というよりまさしく働く現役機関車の面構えであった。

そのような重装備のD51が前引き後押しして貨物列車を東へと運んでいく。
[More...]
- 関連記事
-
- 昭和47年11月23日“汽車ポッポ南紀号”・・・補遺2 (2010/07/05)
- 昭和47年11月23日“汽車ポッポ南紀号”・・・補遺1 (2010/07/02)
- 柘植駅附近の様子とD51伊賀号 (2010/01/16)
- 昭和47年 柘植機関車駐泊所の賑わい (2010/01/14)
- 草津線はD51832の客レに乗って・・・ (2010/01/11)
- YouTubeで見つけたもの (2010/01/03)
- 交通科学博物館の思い出 (2009/11/03)
- 昭和28年の大阪駅前風景(2) (2009/05/31)
- 昭和28年の大阪駅前風景(1) (2009/05/28)
- 昭和28年の花電車風景(大阪市電創業50周年) (2009/05/25)
- 「汽車ポッポ南紀号」 (2007/06/15)
- 「◇◇柳生号◇◇」 (2007/05/18)
亀山区のDF5026は「お召し」仕様機
- Mon
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和50年-昭和52年
こんなところまで振替休日を導入しなくてもいいのではと思いながらも・・・鉄道研究部の活動を嵌め込んだ。
生憎の天気ではあったが、亀山区のDF50が牽引する客車列車に乗ることが本日の目的!

電化した関西線で天王寺発8時17分発の快速で奈良まで行き、そこから9時04分発の202D「急行かすが」で亀山に向かう

コキの間から奈良機関庫が見える。

SLの姿が全く見えなくなったものの・・・なんと廃車となったEF521が入っていた。
この後どうなるのだろうか?と当時は心配であったが・・・
[More...]
- 関連記事
-
- 昭和51年 北海道修学旅行(その3) (2019/08/12)
- 昭和51年 北海道修学旅行(その2) (2019/07/27)
- 昭和51年 北海道修学旅行(その1) (2019/07/14)
- 雨の吉野遠足 (2009/10/22)
- 亀山区のDF5026は「お召し」仕様機 (2009/10/19)
- 昭和52年大阪市営高速鉄道谷町線・守口開通 (2009/10/17)
- 昭和52年厳冬の叡電と名残の京都市電 (2009/10/14)
- 昭和51年 スイッチバックの駅 和歌山線・北宇智 (2009/08/29)
- 昭和52年夏YMCA受験生村への往き帰り (2009/08/26)
- 昭和50年 笠岡・金崎トンネルと“つばめ” (2009/06/09)
- 阪和線・山中溪の或る場所 (2009/06/06)
- 昭和51年福知山~播但大回り(3) (2008/07/26)
- 昭和51年福知山~播但大回り(2) (2008/07/23)
- 昭和51年 福知山~播但大回り(1) (2008/07/20)
- 昭和51年 C571「京・阪100年号」 (2008/06/17)
「◇◇柳生号◇◇」
- Fri
- 00:02
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和元年-昭和47年
自分で撮影した「阿房列車」の最も古いのはどれか?
と思って実家の写真アルバムを紐解くと、昭和46年に関西本線の臨時列車「柳生号」に乗ったときのようだ。
父親からもらった?いや、借りた?オリンパスペンを大事に抱えて出向いたことを昨日のように思い出す。
ライカやコンタックスどころかニコンもキャノンも知らない幸福な頃だ。
オリンパスペンはハーフサイズだから20枚撮りのフイルムでも40枚撮影できる。
このときは、気合を入れてサクラカラーの20枚撮りフイルムを入れていった。
当時、カラーフイルムは、子どもにとっては高価なものだった。その上プリント代が、E判1枚50円していたから大変な散財になる。
その当時のプリント代2000円をどう都合つけたか覚えていない。きっと親に払ってもらったのであろう。
この日帰り小旅行は、小学6年生にしてはしっかり者の同級生から・・・
「D51とC11の重連で伊賀上野まで柳生号が走るので乗りに行こう。」
と誘われたことがきっかけ。
当時の天王寺駅の風景。まだまだ関西本線は電化されてなかった。
もちろん駅上には「てんのうじMIO」なんて施設がないのですっきりしている。
今とはちがってのどかな国鉄色あふれる風情。
南海の天王寺支線の車両も見える。
ここではハーフ判の2枚続きをそのまま載せてみる。
面白い絵になった・・・時間の経過がよくわかっておもしろいね。
[More...]
- 関連記事
-
- 昭和47年11月23日“汽車ポッポ南紀号”・・・補遺2 (2010/07/05)
- 昭和47年11月23日“汽車ポッポ南紀号”・・・補遺1 (2010/07/02)
- 柘植駅附近の様子とD51伊賀号 (2010/01/16)
- 昭和47年 柘植機関車駐泊所の賑わい (2010/01/14)
- 草津線はD51832の客レに乗って・・・ (2010/01/11)
- YouTubeで見つけたもの (2010/01/03)
- 交通科学博物館の思い出 (2009/11/03)
- 昭和28年の大阪駅前風景(2) (2009/05/31)
- 昭和28年の大阪駅前風景(1) (2009/05/28)
- 昭和28年の花電車風景(大阪市電創業50周年) (2009/05/25)
- 「汽車ポッポ南紀号」 (2007/06/15)
- 「◇◇柳生号◇◇」 (2007/05/18)