阪神淡路大震災による阪神・石屋川車庫の被災レポート(前編)
- Sun
- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成6年-平成7年
平成7年2月12日(日) 阪神淡路大震災のよる鉄道被害の大なるは、阪神電鉄であると耳にする。
また石屋川車庫の損傷著しいとの報を受け、その心配するとともに、物見遊山のように余所者が訪れるべきではないとの信念があった。
しかし、やきもきしていた1ヶ月を経て、本日思い切って訪問することとした。
大きな一眼レフを肩からぶらさげる訳にはいかず、コンパクトなCONTAX-T2をカバンに忍ばせてのいでたちである。

もちろん阪神電車は不通なので、JR線に向かう。
JR東海道線は、ようやく住吉まで電車が行くようになった。
大阪駅東海道線のホームの時刻表は臨時のペーパーが貼付され、下り線は、新快速も快速も普通もすべて住吉止まりである。


ホームは、さながら買出し列車の如し。
リュックを背負った人ばかりが目立つ・・・しかしその人たちに微笑はない。

北陸線の11番ホームは、この日も通常通りの運行をしていたが、被災地に遠慮してか、気楽な旅行客は少なく、ホームは閑散としている。

また石屋川車庫の損傷著しいとの報を受け、その心配するとともに、物見遊山のように余所者が訪れるべきではないとの信念があった。
しかし、やきもきしていた1ヶ月を経て、本日思い切って訪問することとした。
大きな一眼レフを肩からぶらさげる訳にはいかず、コンパクトなCONTAX-T2をカバンに忍ばせてのいでたちである。

もちろん阪神電車は不通なので、JR線に向かう。
JR東海道線は、ようやく住吉まで電車が行くようになった。
大阪駅東海道線のホームの時刻表は臨時のペーパーが貼付され、下り線は、新快速も快速も普通もすべて住吉止まりである。


ホームは、さながら買出し列車の如し。
リュックを背負った人ばかりが目立つ・・・しかしその人たちに微笑はない。

北陸線の11番ホームは、この日も通常通りの運行をしていたが、被災地に遠慮してか、気楽な旅行客は少なく、ホームは閑散としている。

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- 日記
- 伝えたいこと・残しておきたいこと
平成5年 阪神電鉄・福島駅の地下工事レポート(続)
- Sun
- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成元年-平成5年
(前回からのつづき)
H5.8.22のフォト・ウォッチングでは、阪神電鉄・福島駅の西側にも足を伸ばしているので、そのときの様子とH25.1現在の様子とを比較してみたい。

なにわ筋とあみだ池筋との中間区域・・・高架のJR環状線としばらくの区間並んでいたところである。
環状線の車窓から並走する阪神電車を眺めるのが好きだった・・・・。

H25.1現在では、線路敷であった場所は、青天の駐車場となっている。
また踏切部分は、フェンスにより閉鎖されていた。
(当時のように俯角で撮りたかったが、足場がなくなっていた。)
H5.8.22のフォト・ウォッチングでは、阪神電鉄・福島駅の西側にも足を伸ばしているので、そのときの様子とH25.1現在の様子とを比較してみたい。

なにわ筋とあみだ池筋との中間区域・・・高架のJR環状線としばらくの区間並んでいたところである。
環状線の車窓から並走する阪神電車を眺めるのが好きだった・・・・。

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また踏切部分は、フェンスにより閉鎖されていた。
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平成5年 阪神電鉄・福島駅の地下工事レポート
- Sun
- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成元年-平成5年

平成5年8月22日(日) 地下工事の進む阪神電鉄・福島駅周辺をパトロールした。
(註) この当時、阪神電車は、地下の始発駅梅田を出ると今でいうところのハービスOSAKAの東端あたりから地上に出て高架駅の野田阪神までは、地上路線を走っていた。
これは、国道2号線「出入橋」交差点の様子。前に見える踏切もいままでと寸分違わぬ日常風景なのだが・・・。

あとわずか2週間足らずでこの界隈は、地下路線となり、この踏切はその姿を消すこととなる。
そうとなれば、この界隈を記録しておかなければと、思い立ったが吉日、買ったばかりのCONTAX-T2を片手に気楽なフォト・ウォッチングに出かけたのだった。
因みに、このあたりには、阪神電車の「出入橋駅」があったのだが、昭和23年には廃止されてしまった。

(昭和8年 大阪最新地図より)

この地下工事は、開かずの踏み切りと嫌われていた出入橋・浄正橋・福島西通踏切の解消とばかり思っていたが、それだけではなく西梅田一体の区画整理事業にも関与していた。
そもそもその端緒は、昭和54年の国鉄総裁から大阪市長に貨物ヤード跡地利用計画の策定が依頼されたことに始まる。
その対応として大阪市は昭和59年西梅田地区の土地区画整理事業を承認し、「西梅田地区再開発地区計画」がスタートした。
この区域の幹線道路や区画街路、ライフラインの整備を主体とする事業を行ったが、阪神高速道路梅田ランプ移設によって東西幹線が貫通したほか、2号線の地下に阪神本線を移設する工事もその一環として行われたのだった。
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