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八枚玉ズミクロン散歩


ライツ社の数あるレンズの中でもこのSUMMICRON35mmF2ほど信仰対象ともいえるものはない。

特に1960年代の第1世代のものは、“ドイツ写真機工業界の至宝”ともいう写真家もいるほどである。

甘美なライカ沼にはまったライカ信者は、一生に一度は所有したいと思うレンズである。

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レンズ構成はこのような手間のかかったものとなっていて、通称“八枚玉”などと呼ばれている。

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カナダ製とドイツ・ウエッツラー製のものがあるが、我が家のものは後者

レンズのマウントがM型なので、通常の使い方はこのようにM型ライカにつけて利用する

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しかし、マウントの横の小さなネジを緩めるとMマウントの袴が取れて、ねじ式のLマウントが現れる。
よって、昔ながらのバルナツク・ライカにも装着できる優れモノなのだ

しかし、写真のようなライカIgにLマウントズミクロンをつけてライカビットを装着したものは、自宅での空打ち専用にて、とても戸外撮影に持ち出す勇気はない・・・ファインダーのない怪しいカメラだし、なぜか尻尾が生えてるし・・・

手許のレンズは、平成10年の暮れに大阪の中古カメラ店で並品として¥158,000-で購入したものだが、令和の現在では価格が暴騰していると聞く。


購入すると試写したくなるのが人間の性で、年が明けた平成11年1月10日にミノルタCLEに装着して見慣れた町並みをズミクロンとともに散歩した

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モノクロだといつも歩いている町並みも違って見えてくるのが面白い

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大阪府庁新別館のエントランス  冬の柔らかい斜光が美しい

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奇抜なデザインが出迎えてくれる

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北館と南館とをつなぐピロティー屋根もユニークである

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2階のベランダでは意外な先客に出会った

私のようなヒマ人でも上がってこれるのだから、ワンちゃんがいてもおかしくはない

大阪城公園をねぐらにしているのか、パトロールお疲れ様です

少しヒマ人にお付き合いをいただいた

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大阪府庁の本館をバックに、垂乳根の老犬の凛とした肖像が撮れた




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90年前のLeica Iで撮る至福


令和4年5月4日の倉敷へのお供として、GRとともにライカ Iを持ち出した。

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専門的なことを述べると、feet表示の近接の旧エルマー付なのだ

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露出とシャッタースピードを自分で決めて、さらに距離を合わせて一枚一枚撮る手順は、その脳内での作業がたくさんあるのでリハビリをしているような感じがする。

それが面倒と感じるか、楽しいと感じるか・・・私はもちろん後者である

このライカはフィート表示なので、便宜上、距離計をつけているが、これがないとフィートからメートルへの転換にさらに脳内作業が増える。


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このような快晴で無限遠の場合は、比較的楽な撮影である。
ISO100のフイルムの場合、f8 1/500 に合わせればいい


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少し暗いと2~3段落とせばいい

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新緑のカエデのように少し手前のものにピントを合わそうとするとやや神経質になる
距離計を使ってもいいし、絞り込んで被写界深度を利用してピントを合わすか・・すべて撮影者にゆだねられている


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大原美術館の中庭にて
庫の壁面に見えるモザイクのようなデザインが、色彩を排除して端正な佇まいとなって、かえって美しい

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こういう明暗差が大きな被写体だと、カメラに内臓された露出計任せにすると読み誤る可能性があるが
露出計を使わないとそもそも惑わされないので気持ちがいい

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どうしても酒屋は撮ってしまう・・・一種の性(さが)である

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コロナ禍の行動制限が緩和された黄金週間は、来訪客多く、観光地もいつもの輝きが戻ってきたようだ。

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不思議なお店があった・・・カラーであれば分かったかもしれないがモノクロだとそれが謎になるのが面白い

神社仏閣の格子窓のように見えるが、何を商っているかというと、色とりどりのマスキングテープである

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ライカM6の軍艦部装飾


以前から気になっていたことがある。
手許にあるライカM6のカメラのトップカバーいわゆる軍艦部がのっぺりしていて寂しい。

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ドイツのライツに送れば、M3のような彫刻をしてくれるとか耳にしたことがあるが、そこまでして・・・と思い現在に至っている。

もう手許に来てから何十年にもなるので、何を今更・・・という感じだが、内心では今でも何とかしたいという気持ちがある。

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下の画像のように手許のM3の軍艦部にはライカの筆記体が美麗に刻されている。

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そんな折、いくつかのインターネット記事に、M3の軍艦部をデジカメで撮影して、それをプリンターで透明のラベルシートに写し取り、大きさを整えて軍艦部に張り付ける技法を紹介していた。

ほほーっ!・・・・これならカメラを傷つけることはないし、失敗してもすぐに元に戻せる。しかも出費も僅かだ。

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こんな便利なものが売られている。
透明なラベルシートでその上に印刷できるという代物。

さっそく梅田・ヨドバシに出掛ける。

広い用紙売り場では見つけられず、店員に尋ねて、ようやく購入する。
ほかに種類がないのかと探したが、これ1種類のみだった。


さっそくやってみたが、夕食後の軽作業で済んだ。

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上が、プリントした透明シートを張ったM6、下がオリジナルのM3

サイズがやや大きいのと、文字幅が少し太いようだが、アピール度はアップしている。
寂しいトップカバーが華麗になった。
シートが貼ってあるので軍艦部の傷防止にも役立ちそうだ。

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さてと・・・あとは、フイルムを詰めて出掛けるばかりだが、コロナ禍により不要不急の外出は自粛されているため、
室内での愛玩にとどまるのが何とも無念。




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試し刷りしたほうは、捨てるのも惜しいので、スマホの裏面に貼ってみた。

副産物として・・・ライカスマホの誕生である(笑)



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Kodak Retina #117


平成9年のある日、阪急梅田駅の1階広場にあった河原写真機店のウインドーに美麗な
オリジナルRetinaが売り出されていた。

オリジナルRetina#117は、LeicaやContaxの高級路線ではなく、ドイツコダックが1934年12月に大衆向けに発売した最初の35mmカメラである。

クラシックカメラというのは、珍品を見つけても直ぐに買わずに、心静かになるまで待つべきだというのが私の信念である。
(場合によっては、かなり怪しい信念ではあるが・・・)

よって、しばらくは羨望のまなざしで、前を通るたびに眺めていた。

しかし、募る思いがそうさせたのか、年末の賞与が入ったため、平成10年1月10日思い切って買い求めた。

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オリジナル・レチナ(Retina#117)が我が家にやってきた!

手許のレチナ族ではレチナII、レチナIIICに続く3台目であるが、レチナ愛好者にとって一番最初に発売されたオリジナルレチナは、信仰の対象であり、ありがたい・かたじけないもので、お守りのような存在なのだ。


因みにこのカメラの販売と同時にコダックが発売を開始したパトローネ入りの35mmフイルムは、発売当初は“for Retina”としてレチナ専用だったが、もちろん、LeicaやContaxにも使用可能なため、ほどなく“for Retina,Leica,Contax”と記され、21世紀に至るフイルムのスタイルを樹立したところが、ものずごくえらい。
このフイルムの登場は、大衆カメラ“Retina”の登場より遥かに大事件であった。

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フイルムのことはさておき、この#117を嚆矢として、そのあとレチナシリーズは、1970年代まで製造され、姉妹機のレチネッテ族を含むと50種類ものカメラを擁する大所帯となる。

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レンズ部分とボディはジャバラで繋がれているため、使用時はこのような形状だが、閉じればペタンコになるところが最大の魅力である。

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蓋にある“KODAK”の銘あるスタンドを立てておいた姿が、正式なスタイルである。
また、黒塗りボディーに怪しく輝くニッケルの組合せは、クラシックカメラの王道ともいうべき装いである。

レンズは、シュナイダー・クセナー5cm f3.5・・・テッサー型の3群4枚 よく写るレンズである。

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そして、注目すべきは、このカメラケースである。

上蓋部分にRetinaのインボスがあるのでオリジナルケースではないかと思われる。
「思われる」というのは、いろいろ資料を調査しても確証の得られるものが見当たらないからだ。
しかし、インターネットの画像検索すると、海外であるが、同ケースとともに写る#117の画像があるので、オリジナルではないかと考える。

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ケース入れると、このように少しも隙間なく、ぴったり収まる・・・このぴったり感がたまらない!

外装の傷や、擦り切れた内側生地の様子を見ると、とにかく持ち主に長年愛されてきた幸せな写真機であることがわかる。




写真機を買うと、とにかく試写してみたくなるのが人情である。

平成10年1月31日快晴
満を持してフイルムはFUJI-REALA(ISO100)を装填してフォト散歩に出かけた。

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無限遠ではなく、近距離にピントを合わせてみる。
もちろん距離は目測であるが、絞りがf11なのでピントをはずすことはない。
カラーの再現性も問題はない。
 
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金属質な真新しい交番も撮影する。1/100 f11
快晴であれば1絞りオーバーではあるが、ネガフイルムのラティチュード(寛容性)のおかげで神経質になる必要はない。
距離計や露出計からの呪縛から解き放たれたような爽快な気分すら感じる。

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天保山マーケットプレースのウインドーショッピング 1/100 f11

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明暗差の大きな被写体でも明部が白飛びすることなく、暗部もつぶれにくいようだ。

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あえて、太陽を入れて真逆光でも撮影してみた。
右側にゴーストが出ているが、レンズ構成がシンプルなのであまり気にならない。味わい程度のものである。

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マーケットプレースの内部 1/50 f3.5
絞り開放での写りが見てみたかったが、これだけのコントラストがあれば問題ない。

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意地悪なモザイク模様の床面を撮ったがよく再現されていると思う。 1/50 f3.5

過去にもこのカメラを紹介した記事があるが、撮影したネガが出てきたので作例を含めて再掲した。




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Leica Summilux 35mm f1.4  試写



平成8年・9年といえば、カメラ道楽も本格化し始めたころで、甘美なライカの底なし沼にも魅了されつつある頃だった。

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このライカのレンズ・ズミルクス35mm f1.4もそんな折購入したものだった。
大口径の広角レンズがほしくて触手が伸びた。

手許の控えを見ると、H9.1.18大阪の中古カメラ専門店で美品を\100,000-で買ったとある。
専用のフードやフィルターも別途買ったのでさらに2~3万円かかっていると思われる。

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f1.4の開放値で撮るとピントの合っていない場所はズドーンとぼける。この滲むようなぼけ味が何とも美しい。


新しいレンズを買うと使いたくなるのが人情であり、ライカM6に装着して仕事の出張の際にもカバンに忍ばせた。

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岡山方面に出張の朝 大阪駅で準備運動よろしく、1番線から環状線と2番線のスーパー白兎を狙う。

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下りの新幹線では、A席から宮原操車場を俯瞰するのはお決まりのコースである。
日々是好日なり。

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0系新幹線の5号車(自由席)車内の様子。2席+2席のゆったり仕様。

細川ふみえのバスロマンの広告が懐かしい。


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このときには、ビュフェにも立ち寄っている。

扉にはビュフェと標記してあるが、内容はカフェテリアである。山陽新幹線の「ウエストひかり」で活躍した。

只今の速度211km/hという表示は、いつからデジタル表示になったのだろうか?

そんなことにも気づかないまま、0系新幹線は平成12年に「ひかりレールスター」に置き換えられ、ビュフェの営業を終了した。

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内装は、東海道新幹線登場時のビュフェスタイルではなく、このように窓際の一方を通行区域として確保して反対側に喫茶店風にテーブルと椅子を配置したものだった。

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Kodak Signet35と大阪城平成の大修理


平成8年に撮影したネガフイルムを見ていると、カット数は僅かだが、なかなか興味深いものが写っているものがある。

ご紹介するのは、コダック・シグネット35をぶら下げてその年の9月京都に遊んだ後のフイルムを消化するために撮影したものだ。
36枚撮りフイルムだと、少し余るとついつい、こういうことをしてしまうものだ。

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因みにこのカメラは今でも手許にあり、現在は娘の愛用カメラとなっている。
ネガフイルムの持つパステル調の画像がお気に入りなのだ!!

レンズキャップは、コダックのフイルムケースのキャップ・・・ともにKodakの製品のためか?何故か大きさがぴったり!

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大阪城をフォト散歩したが、天守閣は平成の大修理の真っ最中。

こんなシーンは、この時しか見られないものだ。

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建物の形状が複雑なので、足場も普段の建物とは違い、かなり手の込んだものとなっている。

やっぱり何でも撮っておくものだね。

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これは府庁横の古い庁舎を利用した国体センター

翌年の平成9年に第52回国体が大阪で開催されるためその準備をする組織が入っていたのだ・・・すっかり忘れてた。

マスコットの “もずやん”はこの時は“モッピー”と呼ばれていた証拠も写っている。

「大阪国体は、第1回大会以来51年ぶり、初めての単独開催。「なみはや国体」をテーマに、「おおさか ふれ愛 夢づく り」のスローガンのもと、府内全市町村が会場となった本大会は、府民総参加で、進取の気風と人情味あふれる大阪らしい大会として開催され、外国籍の社会人 の初参加や環境にやさしい取組をはじめ、38年ぶりとなる薄暮型の開会式、衛星放送を活用した街角放映など様々な取組が行われるとともに、府内各所で府民 と選手との温かな交流の輪が広がる大会となった。また、広範なデモンストレーションとしてのスポーツ行事の実施など、生涯スポーツ社会づくりへの契機とな る大会となった。」・・・らしい。

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大阪市営地下鉄の中央線には、このような海遊館のラッピングカーが走っていたんだ。

ああ、懐かしい!


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Super Ikonta 531で港町散歩

平成8年9月23日のことだった。

ファジー・コレクションにはジャバラのカメラも多く存在するが、この日は1938年ドイツ製ツアイスのスーパーイコンタIII(Super Ikonta 531)にモノクロフイルムを詰めて、桜島・天保山の港町散歩に出掛けた。

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このカメラは、分類ではスプリングカメラに属するが、ドレーカイル式のピントあわせ装置を備え、同種の中では最高品である。

レンズの横に飛び出た腕木単目のドレーカイル方式の説明は、本機を手にすればその精緻な光学装置に驚嘆するばかりであるが、その光学装置の説明を文書にすると絶対に理解できない代物である。

アマチュアには、この半分の大きさのセミ・イコンタが好まれたが、イコンタがもつ6×9cmのビックサイズはプロに好まれ、この傾向は1970代まで続いた。

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左側の35mmフイルムではなく、右にある細長いサイズの裏紙のついたプローニ判のフイルムを使う。

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ネガを比べてみると、35mmに比べて圧倒的なサイズの大きさを誇る。これは、今で言うところのデジタルカメラの受像子の大きさの違いと同様の効果がある。

昔はレンズの性能をカバーするため大きなサイズが求められたが、名レンズのテッサーを搭載したスーパーイコンタともなれば、大きく引き伸ばす必要のあるプロ写真にとっては、35mm判より重用された。

そして、スプリングカメラの特徴として、折りたたむとコンパクトになることから山岳写真家には特に愛好された。

今回は、これだけ大きなサイズだと、写真屋さんに頼まなくても、自分でフイルム現像とベタ焼き(ネガフイルムと印画紙を接してプリントする方法)ができるのではと思いトライした次第である。(サンプルは、上記のとおり)

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大阪の臨港貨物線「浪速駅」に隣接するダイゾー(旧:大阪造船)の巨大クレーン

この造形には、人を魅了する要素がある。しばらく見ていても飽きが来ない。
鉄骨の素材が華奢なのにこんなに大きな造作になっていることが、なんとも美しい。しかも縦横無尽に駆動する。

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6cm×9cmなので、中央の操縦室部分の拡大にも破綻を来たさない。

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こちらは、余りに見事な“草ワイパー”があったので、撮ってみた。
こういう被写体はやはりモノクロがいいね!

(注)草ワイパー:草と風が壁面に織りなす造形美であり、振り幅が大きい方が美しいとされている。小さいながら壁面の穴から成長した草木の場合360°にも及ぶものがあるので侮れない。

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Kodakの名玉 Ektar 47mm f2


ドイツKodak社が戦前の1934年から戦中・戦後にかけて製造した大衆向け35mmカメラに
Retina(レチナ:網膜)という名称を付された名カメラがある。その種類が多く形状もバリエーションがあるため、愛好者は多い。

我が家のコレクションの中では、そのRetina族(姉妹シリーズのRetinetteを含む)が、オリジナルをはじめとしていつのまにか一大集団を形成している。



このとおり・・・蛇腹を有するスプリングカメラなので、前ブタを閉じるとコンパクトになり嵩張らないためか、こんな数になってしまった。同じものは一つもない。


以前にも、本ブログでオリジナルの#117レチナ#119を紹介した事があった。

今回は、その中でレンズに米国のEastman Kodak Co.Rochester,N.Y.との銘があるKodakの名玉Ektar 47mm f2を装備したレチナⅡ型 #011を取り上げたい。

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これは、1946-1949年にかけて製造されたモデルで、終戦直後のレチナⅡ型となる。このⅡ型には、レンズがシュナイダー社のクセノン50mmf2とローデンシュトック社のヘリゴン50mmf2のほかに、コダック社オリジナルのエクター47mmf2が装着されているものがある。

エクターの名称は、Eastman Kodak Co.の頭文字EKにレンズの一般的接尾語ARを付けてEKTARとした造語で、Kodak社の並々ならぬ力の入れようが感じられるフラッグシップレンズである。

奇しくも、私がクラシックカメラの泥沼に入る端緒となったカメラがこのレチナⅡ#011である。

蛇腹を備えたクラシックないでたちであり、閉じればコンパクトになり、しかも写りがすばらしい。最初に手に入れた個体は、レンズがシュナイダー社のクセノン50mmf2付であったが、それは売却してしまったので今は手許にない。

今回の対象は、その甘美な蟻地獄にどっぷり浸かった数年後に入手したエクター47mmf2付である。

フイルムを入れて撮影すると、エクターは、クセノンと比べより濃厚な発色をするので不思議なレンズだと思っていた。

世間的には、このレンズは、今でもコレクターズアイテムとなって高価に取引されている、米国のカードンに装着されているレンズと同じで、4群6枚変形ガウス型のレンズ構成をもち、レチナの中でも特に人気のある個体である。

しかし、このボディの不具合か、巻き上げ中にフイルムのスプロケットが巻き上げ爪から外れてシャッターチャージができなくなり、その後の撮影に問題を起こすことが度々あり、使う気が失せたカメラとなっていた。

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そこでこの度、意を決して、レチナの筐体から、レンズとシャッターマウントを取り外して、SONY-α7で利用できるようにM42マウントにすべく移植手術を実施した。

文字で表すとすんなり移植ができたように見えるが、実はシャッターマウントの取り外しに何週間も悪戦苦闘した。

シャッターマウントの取り外しには、まず後玉を取り外す必要があるが、それがどうにもこうにも全く動かない。

ネジがかなりきつく締められているようだ。

最終的には、後玉を包んでいる金属鏡胴のエッジに三角ヤスリで慎重に切れ込みを入れて、そこにカニ目レンチを立てて回転させるという、強硬手段に出た。

何日も悩んでいたが、ようやく外れた。

この時、外れた嬉しさに思わず家内に「苦労していたレンズがようやく外れたよ!」と喜色満面で報告したが、思えば無意味なことをしたものだ。

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そこからはスムーズにことが運んだ。 

内部のレンズシャッターユニットは、必要がないので取り外し、絞り羽根のみを残した。

本来のカメラの形態をとどめない加工というのは、本当に心苦しいが、使わないカメラより換骨奪胎した使うレンズにしてやったほうがエクターも喜んでいるだろうと・・・勝手な解釈をして納得している。


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ピント合わせは、M42マウントのヘリコイドをかましてあるので、無限遠から、何ら問題はない。

前玉をみると、井戸底をのぞくような濃いブルーのコーティングが、怪しさを醸し出している。

なにやらレンズの製造年である1946年のアメリカ的な描写を予感させる。


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手許にあった32mm径のAgfa社のかぶせフードがぴったりである。

逆光のシーンについては、レンズにコーティングがあるのであまり心配はしていないが、これで逆光への対応がより手厚くなった。

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謎のレンズ Carl Zeiss Jena Tessar 4cm f:3.5

ファジー・コレクションの玉手箱の底には、出自のよく判らないレンズがいくつかある。

 Carl Zeiss Jena Tessar 4cm f:3.5 もその一つである。

いつ頃我が家にやってきたのか、何故あるのかもオーナー自ら失念してしまっている。

小さいながらも名玉テッサーであるし、少しのネジ式のヘリコイド (ピント合わせのためレンズを前後する機能) もあるので、M42マウントのボディキャップに移植すれば、面白いレンズになるかもしれないと思って買ったような気がするが、定かではない。

ところがこのレンズがなかなかの曲者である。

フランジバック (レンズからフイルムまでの距離) が40.5mmしかなく、ミラー式一眼レフには利用不可能であることが判った。

それであればライカマウントに改造して、ヘリコイドがあるので目測で距離を測って利用するしかない。

しかしかなり面倒な作業となるため、そのままマイボックスの底に埋もれてしまっていたのかも知れない。



・・・・ところが時代は流れ、“小箱の肥やし”の状況は一変した。



SONYからミラーを使わない一眼レフが誕生し、我が家もそれを導入したことによって、ふたたび謎のレンズが陽を見る日がやってきた。

SONYのEマウントのフランジバックは18mmなので、あと22.5mmのスペースを何とかすれば利用できるのではなかろうか・・・と閃いたわけである。

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幸い、手許のヘリコイド群のなかに18~28mmのヘリコイドがあるので、それをかましてみれば上手くいくような気がした。

試しにレンズを当ててファインダーをのぞくと、ギリギリ無限遠が出た!

これで普通のレンズとして使えると判断するや否や、改造にとりかかる。

この改造は簡単な工作で済んだ。

プラスチックのM42のボディキャップに後ろ玉が入るだけの円形の穴をドリルで開けて、あとは座金にある3箇所の止めネジでボディキャップに取り付けるだけである。

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(M42のボディキャップに取り付けた改造後の状態)

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(裏面の状態)




ところで、このレンズがもともとどんなカメラについていたものかが判らなかった。

Zeissなので、いい加減なカメラにはついていなかったはずである。

レンズのシリアルナンバーは、53万代なので、製造年月は、1922年(大正11年)頃である。

今から95年前のレンズということになる。

この当時の4cmの焦点距離ともなれば、アトム判やベスト半截判などの小型カメラしかない。

あれこれ専門誌を探したり、クラシックカメラ専科のツアイス特集なども漁ってみたが、ヒットなし。

もはや手詰まりかと思われたが、試しにシンプルな項目で、インターネット検索をしてみたところ、思わぬところで発見できた。

ずっと写真機を探していたので発見できなかったが、これは一般的なカメラではなく、映画撮影用の35mmシネカメラレンズであることが判った。


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1926年にはツアイス・イコン社に統合される前のドレスデンにあるイカ社のキノモ(ICA-KINOMO)に取り付けられていたレンズである。製造時期もぴったりと合う。

時計針のようなヘリコイド指針は動画撮影のピントあわせ機能用であった。

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Kodak Signet 35 試写

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平成8年4月2日

 1週間前に25,000円で購入した中古カメラ・コダックのシグネット35の試写をしたく、仕事の出張毎にカバンに忍ばせて意気揚々と出かけた。

フイルムは、リバーサルフイルムであるフジクロームプロビア100(RDⅡ)をはりこんだ。

ところで、このカメラは、米国イーストマン・コダック社が1951年に発売開始した、35mmカメラである。
風貌が似ているということで、一部ではミッキーマウスのカメラなどと呼称されていたように、愛すべき外観ではあるが、極めてまじめなカメラである。

その証左として、軍用といわれたミリタリーカメラまで存在する。しかし兵士が戦場でこのコンパクトなカメラで現況報告していたと考えると、やはり用途が違うようで笑ってしまう。

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このカメラの名声は、その装着しているレンズによることが大なりと思う。
装着されているコダック・エクター44mm f3.5レンズは3群4枚のテッサータイプながら、開放から高解像で、発色もコントラストもすばらしく、その写りの良さは現在でも充分通用する。

そもそも「フイルム会社のレンズはよく写る。」というが、フジフイルムのフジノンや、コニカのヘキサノンはもちろんのこと、コダックのエクターも素晴らしいレンズの出来となっている。

そして、コダックのレンズに付した2桁のアルファベットは製造年を示している。

   C A M E R O S I T Y
   1 2 3 45 6 7 89 0   

この対照表に照合すれば、このレンズはRRなので、1955年製しいうことになる。


ただ、シャッタースピードが1/25、1/50、1/100、1/300の4段階しかなく、貧弱な感じがするが、気持ちを割り切れば、これだけあれば充分な気もする。

しかし、実際取り扱ってみると、赤ちゃんのくしゃみのようなクシュン!というシャッター音には癒されこそすれ、不愉快ではない。

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裏ブタには、スライドさせて使用する簡易露出計がある。
モノクロやカラーネガならばこれでもいいが、リバーサルとなると不安が募る。
インジケータには、コダクロームの表示があるが、これでは無理でしょう・・・

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ドピーカンの早春の桑名・長良川河口堰・・・1/300 f11  

絞ってはいるものの、これだけのシャープ・コントラストは素晴らしい!


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つぼみ固しの桜 1/100 f11  

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旧ソ連製レンズ RUSSAR MR-2 試写(続編)

前回、旧ソ連製レンズのルサール20mm F5.6の試写レポートを載せたが、その後もこのレンズが気に入ったのか、暫くあちこちに連れ出している。

超広角レンズのルサールを使った鉄道関連の写真をまとめてアップしてみたい。


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デハ70系73号車 昭和18年製造 平成12年廃車   (平成7年10月3日東急世田谷線松陰神社前)

この日は、大阪から東京出張。 まだまだ暑さの残る一日だった。

渋谷から東急田園都市線で三軒茶屋に行き、そこから路面電車のような世田谷線に乗車

この線は、もともと玉川電気鉄道の支線として敷設された歴史があるので玉電とゲージが同じである1372mm。

馬車鉄道の軌道幅であったいわゆる“馬車軌間”を採用している。

今では、東京都電・京王線・東急世田谷線と函館市電だけだ。

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車内の様子はルサールの効果がいかんなく発揮されている。

窓は全開にして、扇風機がグルグル回つて生暖かい空気を攪拌してゐる・・・昭和の風情が残っていた。

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デハ150系 151号車 昭和39年製造 平成13年廃車 

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松陰神社前での用事を済ませた後、府中に向い、その後なぜかJR中央線の武蔵小金井駅で下車している。
きっと中古カメラ店めぐりでもしていたんだろう。

この南口にある緑色の三角屋根が特徴の駅舎は、停車場に昇格して以来の由緒ある建物だったが、高架化工事に伴い平成21年に解体された。

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新橋駅日比谷口前交差点で夜景にトライしている。

露出計のないカメラで夜景を撮影するのはかなり難しいが、ISO400のフイムル感度に助けられたようだ。

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しかし、サラ金のネオンサインの何と多いことか・・・

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旧ソ連レンズ RUSSAR MR-2 試写

平成7年頃の話ではあるが、ライカをいじっいてると、ついついレンズの数が増える。ライカのLマウント(ネジ式マウント)に装着できるレンズの数が星の数ほどもあり、ドイツや、日本の西側諸国の製造品だけではなく、東側の旧ソ連製のものも存在するからだ。

ソ連は、第二次世界大戦直後、ドイツから優秀な光学技術を有する人材を多数連れ帰った。そしてソ連独自のカメラやレンズの作成に努めてきた。

よってソ連製のレンズには優秀なものが見受けられる。そのひとつが、このレンズだ。

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旧ソ連レンズ ルサール(RUSSAR MR-2) 20mm f5.6

レンジファインダーのカメラには広角レンズが扱いやすいが、28mm以上はよく見受けられるが、それより短い焦点距離のレンズは極端に少なかった。

ライツにはホロゴン18mmという名玉が存在するが、希少価値から天文学的な値段がつけられている。またツアイスにもビオゴン21mmという名玉があるが、それもおいそれとは手の出せない価格となっている。

しかしこのルサールは、ライツ・ホロゴンと同じようなドーム型レンズを前後に配した構成ながら非常に安価に購入することができる。

平成7年9月26日、大阪市内の中古カメラ店でようやく見つけた。上代は26,000円也

ソ連製レンズは、そもそも個体差が大きいので当りハズレがあるが、この値段だとハズレたとしても我慢ができる範囲である。

しかし、このレンズ平成15年に手放してしまったので、手許にない。(因みに36,000円で売却できた。)

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同じようなイメージを再現するために、装着したバルナックライカのライツIIIbに同じようなサイズのCanon25mmを並べてみる。ともにマウントの後ろが出っ張った非レトロフォーカスタイプで、外に向かっての出っ張りが少ないパンケーキレンズとなっている。

そして、ライツのファインダーは50mmなので外付けの21mmファインダーを載せて写る範囲を確認することとなる。

ルサールの20mm純正ファインダーというものが存在はするが、非常に不細工なものゆえ、傑作のひとつライツの21mmレンズファインダーを選択する。20mmも21mmも写る範囲はさほど変わらないと割り切って使うのが精神衛生上よろしい。

そして、焦点距離に応じて外付けファインダーを交換するという、この面倒くさい手順が、なにより楽しいのである。

よってレンズだけでなく、そのレンズの焦点距離に応じた外付けファインダーも手許にゴロゴロすることとなる。




新しい(古い)レンズを手に入れるとすぐに使いたくなるのが人情というもので、購入した次の日に松山への出張が入った。

やったー!とばかりに、カバンには、仕事の書類とともに、ライツIIIcとルサールを入れて、平成7年9月27日早暁、ラピートで関空へ向かった。

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東洋現像所とトーヨープリント・・・ネガ袋を視る!

今まで撮り貯めた鉄道写真のネガはすべて年月ごとに区分して保管してあるが、昭和57年に撮った写真のネガ現像は、すべて東洋現像所(現:イマジカ)でお願いしているようだ。

どこのDPEに依頼したのか、いくら考えても思い出せないのだが、すっきりと統一されたネガ袋とKodakのエンブレムは美しい。

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当時はデジタルカメラなんてものはカケラすら存在しなかったから、撮影したその場では、インスタント写真でもない限りは、撮影結果は分からなかった。

従って、上手く撮れたと思っていても、あくまで自分が思っているだけで確証がない。

そして、帰り道に写真屋さんに撮影済みのフイルムが入ったパトローネを持っていって、現像・焼付けをしてもらうのだが、この出来上がるまでの数日間がなんとも落ち着かない。

出来上がる予定日には真っ先にお店に立ち寄って楽しみにしていたプリントを手にするわけだが、とにかく早く出来上がりがどんな具合か見たいので、ドキドキしながら歩きながらプリントをめくって見ていたことを思い出す。

予想外の出来に満足することもあったが、それより落胆するほうがはるかに多かった(笑)

数日待って、心の中で山のように大きくなっていたその期待感が、ガラガラと音を立てて崩れ去るときの感覚は、またなんともいえない悲しさと諦念感を孕んでいた。

こういう出来上がるまでの数日をワクワクしながら待つとともに出来上がりを見たときの喜び(ほとんどが悲しみ)を味わえるのが銀塩写真のもつ醍醐味ではなかっただろうか。






小西六のサクラカーは、こんなオレンジがコーポレート・カラーで、肌色が美しい発色するなどと言われていた。

またハーフサイズは、フイルム代が節約されて嬉しかったが、逆にプリント代が高くつき、お小遣いを逼迫させたものだった。(この当時カラープリントはE判で1枚50円くらいだったと記憶している。)

“昭和46年の記事「柳生号」より”




フジカラーのネガ袋では百恵ちゃんが微笑んでいたこともあったね♪(過去記事から再掲)


青の発色が綺麗だとされるフジカラーは、ネガ袋も緑が基調だった。




そんなカラーネガフイルムから、今後もその当時の様子などを見て行きたい。





 1日1回 ぽちっとね♪  

ライカ鉄道写真全集 第8巻 西尾克三郎

今年3月20日に待望の「ライカ鉄道写真全集 第8巻」がついに・・・というより突然発売された!

プレス・アイゼンバーンさん 驚かさないでくださいよ!

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ライカ鉄道写真全集 第8巻 定価:7980円(本体7600円)


まだかまだか・・・とその発売を待ち焦がれて、頻繁に書店をパトロールしているときには、発刊せずに、こちらがちょっと気を抜いた間に発売するなんて・・・

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USJで六櫻社8年型Pearlの試写

前回からのつづき・・・



平成22年2月20日(土)ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に出かけた。

もちろんジャバラの再生により70年前の姿に甦った六櫻社8年型パールをお供に・・・。

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純正のフードがないのだが、手許にある戦後に発売されたコニカI型(昭和23年)のチープなかぶせの角型フードがなぜかしっくりと合致した。

戦前と戦後、ブローニ判と35mmの違いはあれど、同じ会社のカメラだけあって融通が効くものだ・・・と感心しきり。

ショートレリーズは、外様であるイーストマン・コダック社(米)のNo.29 Cable Release


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フイルムは、ブローニ判のフジのNew PRO 400 (自宅の冷凍庫で保存してあるものを解凍して使用)

このカメラのフイルムサイズは、6cm×9cmなので、1本のフイルムで8枚しか撮影できない。

デジカメのようにバシバシ連写してあとでバッサリ消去すればよいという代物ではなく、一枚一枚をいとおしむ様にして撮影する。


また古典写真機の場合、お茶の作法のような一連の所作が欠かせない。


 その壱、静かに前蓋を開き、鏡玉(レンズ)を正しく屹立させるべし。

 その弐、フアインダーを覗き、被写枠を定むべし。

 その参、底の螺子(ネジ)を静かに巻き上げ、フイルムを正位置に留むべし。

 その四、正しき絞りとシヤツター速度を撰ぶべし。
     (手馴ともなれば適正値は露出計なしにて撰びたし)

 その五、ピントは目測で合わすべし。
     (近距離に於いてはピンボケ生み易きが故に慎重怠るべからず)

 その六、両脚を開き体を安定せしめ、両脇を閉ぢ両手にて写真機を確実に保持すべし。

 その七、息を殺し心静かにシャッターレリーズをゆるりと押込むべし・・・ カシャリ!


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クラシックカメラのジャバラ再生について(2)

前回からのつづき・・・


ナベル社に、新しい蛇腹を作ってもらうには、正確な寸法を指定用紙に記入しなければならない。

まず8年型パールから蛇腹をはずす。

シャッターマウントは4つのねじで台座から取り外すことが出来るので、苦もなくできる。

しかし、手前のボディー側は、接着剤でベタリと貼り付けてあるので、簡単にはいかない。

手許にリムーバーがあったので、それを張り合わせ箇所に垂らして暫く置くことに・・・。

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そうすると70年前の接着剤がゆるんで来た。

程なくして完全に取り外すことができ、これならなんとか寸法が計測できそうだ。

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ただ、かなりのヘタリがあるので、寸法が測りにくい。中央と端とでは長さが異なる。う?ん困ったなあ。

まあ昔のカメラなので、そう厳密にしなくても何とかなると思い、長さを特定し、用紙に記入した。

会社には、用紙と併せて実物も添付して送った。



数日後、設計図面が出来上がって送られてきた。

ジャバラ設計図007-3


その立派な図面に精密機械を見るような思いがする。


内容OKの回答をして、代金+送料の振込みを済ませ、製作に取り掛ってもらった。

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クラシックカメラのジャバラ再生について(1)

思えば・・・平成21年の暮れのことだった。


会議が終わった後、仲間で、いつものように居酒屋で盃を傾けていた時のお話。

酔いが回ってきた頃からF(ファジー)とS(仲良しグループの女性)との趣味の話に入ってきた頃の・・・何とも不思議な会話





F:「私は戦前のクラシックカメラを集めては、廃棄直前のようなモノを修理して最新のフイルムを入れてやってですね・・・現代社会の様子を撮影してそのカメラを驚かせてやるのが趣味なんですよ♪」

S:「ヘェー」

F:「ところが・・・多少の修理ならば何とか出来る自信はあるのですが、手許にあるカメラ「小西六(六櫻社)8年型パール」というカメラのジャバラがボロボロになって、撮影に適さないんですよ。」

  「小さなピンホールの一つや二つは塞ぐことが出来るのですが、一旦補修しても、いざ撮影の段になるとまた光漏れがあるという繰り返しでお手上げ状態なのです。」

  「レンズがヘキサーという良いものを装備しているだけに、このまま棚の肥やしにしてしまうのは、つくづく勿体なくて残念で・・・(泣)」

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(ジャバラがお手上げ状態の「六櫻社8年型パール」ヘキサー11.5cm f4.5付 昭和11年製)


S:「カメラのジャバラが具合悪いんですか・・・?」

F:「そうです。当時のカメラは個体差があるようで、大正・明治期のジャバラでも完璧なものもあるのですが、手許のこのカメラはダメでした。ジャバラさえ取替えてやれば完全に復活できる自信があるんですけどなあ?」

S:「それなら新しいジャバラが手に入ればOKですよね。」

F:「そうなんですが、今時新品のジャバラなんてないですから・・・ヤフーオークションなどで同形式でジャバラの状態のいいものをゲットして取り替えようかと画策してるんですが・・・これだれの古い機種となると出品自体なかなかなくてね・・・」

S:「私、ジャバラを作っている会社知ってますよ♪

F:「ええっ。何ですって・・・ジャバラのメーカーを・・・」

S:「はい♪」

F:「あの?。肩こりがひどいのでいい医者を知らないか?という問いかけに回答はあっても、クラシックカメラのジャバラが具合悪いので困っている・・・の問いに即座にクリーンヒットする回答があるなんて・・・1万人に問いかけても絶対100パーセント『知らな?い』と答えますよ・・・ホントですか?」

S:「でもジャバラって、昔の写真機についていて伸び縮みするアコーディオンみたいなモノですよね。」

F:「まあ?なんということでしょう♪・・・是非ご紹介ください!」

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徳國製寫眞機 Ikonta 異聞

本日はクラシック・カメラの一大勢力であるツアイス・イコンの話題をひとつ。


1926年にドイツのカメラメーカーであるツアイス・イコンが誕生した経緯から始めてみよう。

第一次世界大戦後の敗戦国ドイツに於ける、目を蔽うような大インフレは、歴史の教科書にも載るくらいの大きな出来事だった。

1923年6月30日現在は1$=100万マルクだったが・・・

同じ年の8月13日には、1億マルクになり10月9日に10億マルク、11月15日には4兆2000億マルクになった。

このような状況のものとでは、一日も早く通貨を品物に替えておく必要があった。
そこでドイツ国民は、こぞってカメラを買い求めた。

一家に1台あれば贅沢と言われた頃のカメラである。それを何台も何台も買い求めた。このインフレに対応し、後で換金し易く、貯蔵性に優れていて、かさばらないものとしてカメラに人気が集中した。

従って、このインフレにもかかわらずドイツのカメラメーカーは超多忙を極めた。大メーカーはもとより弱小メーカーでも製造するその端から品物が売れたのだった。

しかし、インフレが収束すると、国民はこぞって手許のカメラを手放しだした。一気に数多くのカメラが市場に溢れたため、値崩れを起こした。そして国民の家庭には一生使っても使い切れないほどの台数のカメラがあったものだから、カメラメーカーのカメラが全く売れなくなった。

こうしてドイツのカメラ界に壊滅的な大不況が訪れた。

生産を増大していた頃の生産体制の肥大・借金の増大などのツケが一気にその会社を苦しめることとなった。

そこでドイツのカメラメーカーは大合併して生き残りを賭けることとした。

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そうして1926年にドレスデンで誕生したのが、Zeiss Ikon(ツアイス・イコン)社である。

約10社ほどのメーカーが統合したものと言われるが、大きな流れは、次の4大メーカーになる。

  イカ社(ドレスデン)
  ハインリヒ・エルネマン社(ドレスデン)
  C.P.ゲルツ光学研究所(ベルリン)
  コンテッサ・ネッテル社(シュツットガルト)


日本で言うと4大カメラメーカーが一度に合併したようなものだった。

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こうして、巨大企業となったZIESS・IKONが最初の自社ブランドとして1929年に製造販売したのが、Ikonta(イコンタ)と呼称されるこれらのカメラである。


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イコンが作ったカメラなのでイコンタらしいが、なにやら「いがみのゴンタ」を連想させる和風の名前に聞こえるのが楽しいカメラである。

もちろん今でもブローニ判フイルムを用いると普通に使える現役写真機だ。


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GR-DIGITALIIをドレスアップ

最近リコーからGR-DIGITALの最新バージョンDIGITALIIIが発売されたらしいが、売れ行きは如何であろうか。

GR-DIGITALIIのレンズの焦点距離は、28mm(35mmカメラ換算)の開放絞りF2.4

一方最新機のDIGITALIIIの方は、28mm(35mmカメラ換算)の開放絞りF1.9

解放値が少し明るくなったようだ。取っ掛かりとしては、この差をどうみるのかで触手が動くか否かという所ではないだろうか。

焦点距離が50mm以上のレンズであれば、この数値の違いは大きな魅力になる。開放値で撮れば被写体以外のバックが綺麗にぼけて主題が引き立つこととなる。

しかし、28mmのような広角レンズであれば、写っているものすべてにピントが合っているパンフォーカスになり易いので、コレくらいの数値の違いでは普段使いの用途においては歴然とした違いとして体感できないのではないだろうか。

勿論それ以外にも新機種ではバージョンアップされた箇所も数多くあるとは思うが、まだまだ高価だし、手許のGR-DIGITALIIの働きぶりに不満がないので、これからも買い換える予定はない。


ただ、オリンパス ペン E?P1のようなレンズ交換式の小型デジカメをRICOHが発売すれば話は別だが。


それはそうとして・・・


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手許のGR-DIGITALIIを費用をかけずにドレスアップしてやることとした。

(かかった費用 金210円也)


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今年の古典寫眞機同好會は・・・

8月の土曜日、ライカ先生のクリニックで恒例となった「古典寫眞機同好會」があった。

なんだかんだといいながら、もう8回目となっている。


去年のお題は、ハッセル祭りだったが、今年は“蛇腹の写真機”。

ジャバラなら大小問わずかなりの台数を所持しているので、持参するカメラの選択に苦慮する。

またジャバラカメラといっても数多くなると随分重くなるので、持ち歩ける程度の台数にしなければ・・・。


ライカ先生のクリニックで早速カメラ談義が始まる・・・ベルギーの白ビールであるヒューガルデン・ホワイトをグビグビやりながら。

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小生が持参したカメラは、左から・・・

1950年 コンテッサ35(独ツアイン・イコン)・・・戦後の最も美しいジャバラカメラとして

1924年 ルックスピコレット(独コンテッサ・ネッテル)・・・手許にある最も華奢なジャバラカメラとして

1936年 コダック・バンタム・スペシャル(米イーストマン・コダック)・・・戦前の最も美しいジャバラカメラとして

因みに、コダック・バンタム・スペシャルは、著名工業デザイナーのワルター・ドゥイン・テーグが手がけたバンタム版カメラの最高級機種で、アルミダイキャスト製黒エナメル塗ボディに9本の銀線を磨きだした流麗なスタイルを持ち、当時流行のアールデコ調を感じる気品あるものとなっていて、21世紀の現在においてもそのデザインは遜色がない。

もう一台は、中判のジャバラカメラ





1935年 パテント・エッツイ(独 カメラウエルクステーテン)・・・ジャバラの機能をとても上手に使い一番コンパクトになるカメラの代表として



畳み込むと、こんなにコンパクトに収納される。

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日本最古のカメラメーカー “堆錦(ついきん)カメラ”

平成21年7月5日まで、尼崎市総合文化センターで第9回上野彦馬賞のフォトコンテストをしているので前の日曜日に出かけてみた。

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このフォトコンテスト前回も訪れたのであるが、「上野彦馬賞」と冠するくらいなので、写真コンテストもさりながら、併設される古写真に関する展示がとても魅力的なのだ。

前回は幕末写真の集大成だったが、今回は当時のカメラ「堆錦(ついきん)カメラ」が主役だった。

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ちょうど21日(日)14時から古カメラに造詣が深い東野進氏による「日本最古のカメラメーカー」と題した講演会があったので、それに併せるように会場を訪れた。

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気になる広告

梅田を徘徊すると、いつもこの広告に出くわすが、会う度に気になって仕方がない。

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キャッチコピーを読んでみると・・・

      「時代を超えて、あなたと輝く」

カメラの広告のように見えて仕方がないが、モデルがつけている宝飾アクセサリーの宣伝だ。


TIFFANYのお店が大阪駅前にあるので、その宣伝だが、広告のド真ん中のカメラが気になる。




そのカメラとは・・・

ボディーは、クロームに輝くフロントエプロンの処理と軍艦部に見えるシャッターダイヤルの大きさからライツが1950年から発売したベストセラーのライカIIIfに間違いなかろう。

即座にカメラは、Leicaであることはわかったが、そのレンズが問題なのだ。

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銀塩カメラは、昔のカメラか?

デジタルカメラに慣れている子供たちを、たまに銀塩カメラで撮影すると・・・、

すぐに「うまく撮れた?見せて、見せて?」とカメラのモニターを見に寄って来る。

「これはモニターのないカメラだよ」と説明すると、「なぜないの?」と来る。


  背中に冷たいものを感じ、悲しい気持ちになる一瞬だ。


・・・昔、二眼レフを覗いて、「どうして左右が逆に写っているの?」(※1)と尋ねられたのと同様に、もう銀塩カメラは昔のカメラなのか?

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(※1)知らない世代のために、ここで二眼レフの神秘を紹介しよう。
   上からのぞくと、ピントグラスに写った被写体は反転している。
   (友情参加 RolleiFlex 2.8D)
   

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ライツ35mmファインダー”WEISU”

久しぶりにライカねたをひとつ。

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ライカマウントのぺったんこのレンズElmar35mmf3.5には、メッキがクローム(左)とニッケル(右)のものがあるが、戦前のブラックペイントのボディにはニッケルのものが、とにもかくにも良く似合う。


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手許にあるニッケルエルマー3.5cmをひっくり返してみると、裏側の距離計連動カムが極厚な初期型で
「ヘビーカム」と呼ばれるレアもの。

手が込んでいて、古雅な風情がある。

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Carl Zeiss Planar 75mmf3.5

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これは、二眼レフのRolleiflex3.5fの装着レンズであるツアイスのプラナー75mmf3.5を取り出して一眼レフで使えるように加工してM42マウントに仕上げたもの。

どこの御仁がこんな荒業を思いついたか知るすべもないが、とある中古カメラ店で手に入れたもの。

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月刊「写真工業」おまえもか・・・

今年の月刊「写真工業」12月号を購入して最後のページを見て驚いた。

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今月号で休刊・・・つまり廃刊ということが記されていた。


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Rietzschel Clack(リーチェル・クラック)といふ冩眞機

手許に一台の古典写真機(クラシック・カメラ)がある。

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かなりの時代物だが、外革をふくめ状態は非常に良好。

またジャバラカメラなので折りたたむとこんな感じでペッタンコ。

とてもコンパクト。

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外革に丸くRietzschel’s CLACK Munchenとある。


このリーチェル・クラックというカメラ、今から4年前、平成16年12月2日に中古カメラ店でその美貌に一目惚れして買ったものだが・・・ライカやコンタックスと比べ、その氏素性が全くといっていいほど判らない。


そういうときには、文献漁りをするのもこの道の楽しみだが・・・

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古典写真機同好会?ハッセル祭りだ!

8月のとある日曜日、ライカ先生のクリニックで古典写真機同好会の例会があった。

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前回の会合では、ライツのフォコマートでモノクロ写真の焼付けを愉しんだ。


本日のお題は、6×6の雄「ハッセル・ブラッド」である。

構成員がそれぞれご自慢の愛機を持ち寄った。

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やはり、ハッセルには、白い鏡胴のレンズが似合うねえ。美しいねえ。


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Kodak Retina 幻の鏡玉 KODAK PUPILLAR

コダック社が発売した35mmカメラのRetina(レチナ)シリーズは、発売された期間も長く、その種類も豊富である。

またその折りみ可能なコンパクトさが愛らしく、またライカやコンタックスの様な高価なものではないので、お手軽なコレクションアイテムとなっている。

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以前コレクションからレチナの初期3種をご紹介したが、今回ご披露するものは、#126といわれるもの。

1936年3月から1937年10月にかけて約40,000台を製造したグループのものだ。

これだけ製造されていれば、別に珍しいものではないといえるが・・・さらあらず。

レンズが激レアものである。コダック・ピュピラー(KODAK・PUPILLAR)というもの。

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買っちゃいましたよ♪ EPSON “R-D1s”

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ライカマウントのレンズが使えるデジタルカメラ エプソンの“R-D1s”を入手した。

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汽笛一聲・阿房列車

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 阿房(あほう)と云ふのは、人の思わくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。
 
 用事が なければどこへも行つてはいけないと云ふわけはない。
 なんにも用事がないけれど、汽車に乘つて大阪へ行つて來やうと思ふ。   
    ・・・内田百閒「特別阿房列車」


        

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長崎の鴉・・長崎阿房列車

段段車窓が薄暗くなり、汽車が次第に濃ひ夕闇へ走り込んで行く時に聞く汽笛の響きは、鼻へ抜けたかさ掻きのやうな電氣機關車の聲よりも、蒸氣機關車の複音汽笛が旅情に相應しい。


          


  いつの間にか窓が眞暗になり、窓硝子に響く汽笛の音が、蒸氣機關車C62の複音に變つてゐる。


          
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