平成7年大阪春景色
阪神淡路大震災から程ない平成7年4月、いつものように春爛漫の季節は巡ってきた。
被災された方への支援活動が本格化していた頃でもあった。
平成7年4月8日ほかほか陽気に誘われて大川端をフォト散歩することに・・・

造幣局の迎賓館である泉布観も桜の季節はこんな風景となる。
明治村ではなく、明治初期の洋風建築が今でも現存しているのがありがたい。
内部の詳細はコチラ

泉布観の隣の桜ノ宮公会堂も重厚な建物であるが、初代造幣局の正面玄関を移設したもの
初代の正面玄関といわれても、記憶に無い方のため当時の建物の全体像は下記のとおり

正面エントランス部分が残されているのだが、当時のよすがを偲ぶには十分な遺構である。

昭和5年に建築された桜宮橋・通称銀橋も重厚そのものの愛すべき橋梁である。
平成18年には、この左となりに新桜宮橋が敷設されダブル銀橋の姿を見ることができる。
旧銀橋が撤去されずに残された功績は大きい。
被災された方への支援活動が本格化していた頃でもあった。
平成7年4月8日ほかほか陽気に誘われて大川端をフォト散歩することに・・・

造幣局の迎賓館である泉布観も桜の季節はこんな風景となる。
明治村ではなく、明治初期の洋風建築が今でも現存しているのがありがたい。
内部の詳細はコチラ

泉布観の隣の桜ノ宮公会堂も重厚な建物であるが、初代造幣局の正面玄関を移設したもの
初代の正面玄関といわれても、記憶に無い方のため当時の建物の全体像は下記のとおり

正面エントランス部分が残されているのだが、当時のよすがを偲ぶには十分な遺構である。

昭和5年に建築された桜宮橋・通称銀橋も重厚そのものの愛すべき橋梁である。
平成18年には、この左となりに新桜宮橋が敷設されダブル銀橋の姿を見ることができる。
旧銀橋が撤去されずに残された功績は大きい。
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JR東海道線ガード下にみる戦争の痕跡

平成5年9月 福島区鷺洲五丁目所在のJR東海道線ガードに立ち寄った。
何故ならば・・ここのコンクリート壁面に、先の大戦において米軍の戦闘機P51・ムスタングによる機銃掃射の痕跡があると耳にしていたからだ。


硬いコンクリート壁を穿つ数多くの不規則な蜂の巣状の“くぼみ”がそれである。
薄暗く人通りのないガード下でその“くぼみ”を一人凝視する。
堅固なコンクリートにこれだけの穴を穿つ銃弾の威力を想像すると、ゾクリと戦慄を感じた。

昭和20年6月7日の空襲の時、ガード下に逃げた民間人を狙ったものか、線路上の列車を攻撃したものと思われる。
(参考) 西鉄電車が筑紫駅付近でP51の機銃掃射を受ける様子
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昭和58年“アクティ大阪”展望テラスから(定点撮影)
前回からのつづき
昭和58年9月10日“サロンカーなにわ”のお披露目展示会のあったその日、同年4月27日にオープンした新しい大阪駅“アクティ大阪”の最上階展望ロビーから梅田界隈の眺めを撮影した。
※昭和58年当時と27年後の平成22年夏の様子とを撮り比べてみた。
(その1)大阪駅前第4ビル方面


中央のダイヤモンドタワーの建設地には、戦後の闇市の名残である小さなアーケードが残っていた。
同様のバラックがこの東側の駅前第4ビルの北側にもあったと記憶している。

平成22年の様子 そこには、モノリスのようなダイヤモンドタワーが屹立している。
そしてその東側に当たる駅前第4ビルの北側もイーマビル、リクルートビル、梅田第一生命ビルが、いつの間にか立ち並び、現在では小奇麗な区画となってしまった。
昭和58年9月10日“サロンカーなにわ”のお披露目展示会のあったその日、同年4月27日にオープンした新しい大阪駅“アクティ大阪”の最上階展望ロビーから梅田界隈の眺めを撮影した。
※昭和58年当時と27年後の平成22年夏の様子とを撮り比べてみた。
(その1)大阪駅前第4ビル方面


中央のダイヤモンドタワーの建設地には、戦後の闇市の名残である小さなアーケードが残っていた。
同様のバラックがこの東側の駅前第4ビルの北側にもあったと記憶している。

平成22年の様子 そこには、モノリスのようなダイヤモンドタワーが屹立している。
そしてその東側に当たる駅前第4ビルの北側もイーマビル、リクルートビル、梅田第一生命ビルが、いつの間にか立ち並び、現在では小奇麗な区画となってしまった。
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重要文化財・泉布観 拝見
前回からのつづき・・・

平成22年3月22日に造幣局の泉布観を訪れたが、館内には入らずに外観を眺めて帰ってきた。


これは、フェンスの隙間にレンズをあてて撮影したもの。
館内の様子は、平成18年の一般公開の時に撮影したものがあるので、その時の写真で代用することに。

平成22年3月22日に造幣局の泉布観を訪れたが、館内には入らずに外観を眺めて帰ってきた。


これは、フェンスの隙間にレンズをあてて撮影したもの。
館内の様子は、平成18年の一般公開の時に撮影したものがあるので、その時の写真で代用することに。
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造幣局・泉布観の一般公開
平成22年3月20日(土)から22日(月)の3日間だけ大阪市北区の造幣局の重要文化財である泉布観が一般公開された。
最終日の午後、訪れてみた。
今日のお供は、ローライフレックス3.5Fである。レンズはシュナイダーの名玉クセノターがついている。

網島の大阪市長公邸をバックに記念写真だぁ♪
なぜか今日は、ゆっくりとした間合いで真四角の写真が撮りたくてこのカメラを選んだ。
上からスクリーンを覗くと、周りを遮光された薄暗い中に浮き出る景色を見つめるのもまた愉しみなのだ。
キリキリとピントを合わしていくとある一点で合焦するその気持ちの良さがなんともいえない。
桜にはまだ早い大川端を天満橋から遡っていくと、途中、藤田邸跡公園というのを見つけたので、立ち寄る。


立派な屋敷門が語るが如く、ここはその昔、藤田傳三郎男爵の邸宅だったところ。
今の太閤園や藤田美術館となった敷地の一部である。
昔はこの門も固く閉ざされて内部を覗くことも叶わずままだったが、今はこうして市民の憩いの場となっている。
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- 大阪
- 泉布観
- 造幣寮鋳造所正面玄関
- ローライ
西梅田 100万人のキャンドル・ナイト
12月11日夕方、西梅田付近を徘徊していたら学生らしき面々が何やら路上で作業をしていた。

見れば、ローソクが入っているビンを並べている。
今夜は、この付近でキャンドル・ナイトがあるらしい。
実行委員らしき女性からパンフレットも貰った。


見れば、ローソクが入っているビンを並べている。
今夜は、この付近でキャンドル・ナイトがあるらしい。
実行委員らしき女性からパンフレットも貰った。

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プラネタリウム今昔
「写真とビールの一日」
「サクラサク」
今年は桜の開花が早いと聞いていたが、昨日梅田を歩いていたら・・・咲いてましたよ。
ソメイヨシノが。
ここは、ビルの谷間で温室効果が高いのでいつも早く咲くんだが・・・これほど早く咲くとは。
まだ3月の一桁じゃないの?
これじゃあ、お花見の日程大幅修正の要あり・・・。なんて考えながら目的地に向かう。
「太閤園で忘年会」
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- グルメ
- こんな店に行ってきました
2006年9月1日、11:38:34

なにげない日常であっても、エアーポケットに落ちたような一瞬がある。
梅田の大歩道橋からの風景。いつも車両でごった返している大阪駅前の道路に全くといっていいほど自動車がいない。
なんでだろう?
お盆の最中ではない。普通の金曜日の正午前
陥穽に落ちたような不思議な感覚があった。
余りに不思議な風景なので思わずデジカメで撮影。
デジカメのデータを見ると撮影時刻2006年9月1日、11:38:34


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- 大阪駅
☆花火大会
☆シンドラーエレベーター
☆国産ビール発祥の地


北の新地でみつけました。
曽根崎新地の中を昼間歩いていたら「国産ビール発祥の地」の碑を発見した。
このあたりは、いつも日が暮れてから徘徊するので、いままで気がつかなかった。
その碑文には、
「わが国におけるビールの醸造は幕末に横浜で外国人がおこなっていたが、日本人の手によるものとしては、渋谷庄三郎がこの地で醸造したのが最初といわれている。
当初は、大阪通商会社で、明治4年(1871年)に計画された。これは、外国から醸造技師を招いた本格的なものだったが、実現には至らなかった。この計画を通商会社の役員のひとりであり、綿問屋や清酒の醸造を営んでいた天満の渋谷庄三郎が引継ぎ、明治5年3月から、このあたりに醸造所を設け、ビールの醸造・販売を開始した。銘柄は「渋谷ビール」(しぶたにびーる)といい、犬のマークの付いたラベルであった。年間約32?45キロリットルを製造し、中之島付近や川口の居留地の外国人らに販売した。」
大阪市教育委員会
とある。
これからは、先人の努力に感謝しながらジヨツキを傾けることといたしませう。

