トロリーポール時代の叡電を撮影したモノクロフイルムのカラー化
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- 11:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和49年
手許に昭和49年4月7日京福電鉄の叡山線・修学院車庫を訪問した際のモノクロネガがある。
昨今のモノクロフイルムをカラー化する技術は目を見張るものがあるので、一つ試みた。
半世紀前のモノクロフイルムをカラーに転換する作業は、とても心弾むものであるが、色彩を強調すると、不自然な感じになるので、控えめの彩色に止めた。

伝説のデナ1型の車体であるが、修学院車庫の道路わきに置いてあるので見学は容易だった。
現役時代に撮影することは叶わなかったが、こうして優美な車体だけでも目にすることができ感激も一入。
窓の上隅に曲線がつけられている意匠が優雅であり、この後の形式となるデナ21型より両端のRが大きく、南海の玉電に似た古典車両の特徴を備えていて極めて魅力的である。
デナ1型は、大正14年の叡山線開業に際して6両が製造されたが、昭和39年にデナ500形導入により全車廃車された。
この車両は、いわゆる“だるまさん”として物置・休憩所として利用されていた

昭和29年から順次2両で1ユニット固定編成化されたと資料にあるが、それを裏付けるように、反対妻面は貫通扉が設けられている。

右側の工事用車両は、訪問した日の僅か2か月前(昭和49年2月)に登場したばかりのデト1000形車両(1001号車)
廃車になった京都市電600形車両の制御器や台車を利用して作られている。
昭和53年には、集電装置をトロリーポールからZパンタに交換されているが、今でも現役である。

車庫内のデナ500形は、阪神電車からの移籍車である。
昭和3年から4年にかけて阪神831形として製造された車輛だが、昭和39年以降叡山線に入線している。
その際には、パンタグラフからトロリーポールに改造されている。

これはまた別の日、昭和50年10月に鞍馬線を訪問した際の写真
当時は2両で1ユニットを編成して運行していたと記憶していたが、こうして単行での運行もあったようだ。

元田中にあった京都市電との交差点
叡電のトロリーポールと市電のビューゲルとが交叉する架線部分は、複雑な構造となっているが、何ともいえない機能美を有していた。

これは、文頭と同じ昭和49年4月7日に八瀬遊園で撮影した「カラー写真」
これが本来の色調である
今となっては、その日は最初からカラーネガを使うべきだったと思うが、当時のカラーネガは高価(20枚撮りが430円でモノクロの約2倍の価格)だったし、そのプリント代も1枚50円と破格だったから、小遣いをもらう中学生の身分としてはモノクロフイルムを使うのが相応だった。
50年前のことなので確証はないが、この日は、修学院車庫でモノクロフイルムが切れたので、八瀬遊園に向かう叡電の車中でフイルムを交換したようだ。その際、八瀬遊園では桜をバックにすると考え、カラーフィルムを奮発したのかもしれない。

しかし、到着した八瀬遊園は小雨交じりで肌寒く、あてにしていたホーム脇の桜は、つぼみ膨らむ程度で、目論見が外れたようだ。


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昭和49年石見・出雲紀行(田儀・仁万・松江)
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- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和49年
昭和49年3月19日 前回からのつづき・・・

貨物560列車 D51620(浜)
さまざまな貨車の種類と色合いが楽しい。

煙が渦巻いているが、これは春先の強風が日本海から斜面を駆け上がってくるためだ。

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昭和49年石見・出雲紀行(山陰線・田儀)
- Wed
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和49年
昭和49年3月19日 前回からのつづき・・・
気を取り直して、田儀駅に撮影場所を変え、海岸べりの土手でカメラを構える。


DF50の姿もちらほらと・・・

貨物866レ D51376



チップ材を満載にした無蓋貨車トラが目立つ・・・
東京からの遠距離を走ってきた特急「出雲」の姿が見えた・・・
気を取り直して、田儀駅に撮影場所を変え、海岸べりの土手でカメラを構える。


DF50の姿もちらほらと・・・

貨物866レ D51376



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東京からの遠距離を走ってきた特急「出雲」の姿が見えた・・・
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昭和49年石見・出雲紀行(山陰線・久手)
- Sun
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和49年
昭和49年3月19日北九州筑豊地域に9600を求めて訪問した後、そのまま帰阪せずに山陰を巡ってみた。
21時48分博多から乗車した米子行きの寝台急行「さんべ3号」の牽引機関車が何であったかはすっかり忘れてしまったが、乗車した車両が10系寝台の中でも珍しいオロハネ10であったことは、しっかりと憶えている。

乗車口が両端にはなくて車両の中央に一箇所だけついてある。そしてその扉を境にA寝台とB寝台が配置されている。
オロハネ10-3 夜明け前午前5時03分大田市駅にて

(参考)昭和32年完成当時のナロハネ10・・・後日冷房装置設置により重量が増したため、オロハネ10と形式変更された

10系のB寝台は三段寝台で窮屈そうだが、最上段は、通路の天井裏が物置になるので割りとゆったりと過ごす事ができるのだった。

21時48分博多から乗車した米子行きの寝台急行「さんべ3号」の牽引機関車が何であったかはすっかり忘れてしまったが、乗車した車両が10系寝台の中でも珍しいオロハネ10であったことは、しっかりと憶えている。

乗車口が両端にはなくて車両の中央に一箇所だけついてある。そしてその扉を境にA寝台とB寝台が配置されている。
オロハネ10-3 夜明け前午前5時03分大田市駅にて

(参考)昭和32年完成当時のナロハネ10・・・後日冷房装置設置により重量が増したため、オロハネ10と形式変更された

10系のB寝台は三段寝台で窮屈そうだが、最上段は、通路の天井裏が物置になるので割りとゆったりと過ごす事ができるのだった。

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昭和49年 “筑豊のBOSS” D6046
- Sat
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和49年
昭和49年3月18日前回からのつづき・・・
後藤寺の次に訪れた直方(のうがた)駅は、SLパラダイスともいうべき誠に楽しい場所であった。

居ながらにして数多くの機関車の働く姿を目の当たりにできる。

29641(後)が牽引する貨物5597レ

次にやってくる直方止の1899レは、牽引機はD51であるとSLダイヤ情報に記していたが・・・
後藤寺の次に訪れた直方(のうがた)駅は、SLパラダイスともいうべき誠に楽しい場所であった。

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昭和49年 後藤寺のキューロク
- Wed
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和49年
昭和49年3月18日前回からのつづき・・・
国鉄田川線油須原を後にして、後藤寺に向かう。

途中の伊田駅の風景・・・昭和の炭鉱町という感じがするのだが如何だろうか。
縦書きの時刻表といい、ねんねこのお母さんもえ?感じ♪

9600の溜まり場・・・後藤寺駅に到着

59647(行)
だいぶ9600にも慣れたようで、駅構内でその姿を見てもドキドキしなくなった。
しかしながら、愛すべきサイドビューだわ。
国鉄田川線油須原を後にして、後藤寺に向かう。

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縦書きの時刻表といい、ねんねこのお母さんもえ?感じ♪

9600の溜まり場・・・後藤寺駅に到着

59647(行)
だいぶ9600にも慣れたようで、駅構内でその姿を見てもドキドキしなくなった。
しかしながら、愛すべきサイドビューだわ。
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昭和49年 国鉄田川線・油須原の9600
- Mon
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昭和49年3月18日 前回からのつづき
ここの田川線・内田信号所→油須原の急勾配では、後補機に9600をつかった列車が見られるというので、名所となっている。



名物列車5492レがついにやってきた。
かなりの重量なのか速度はかなり遅い。
三脚にとりつけた8ミリのスイッチを入れる。

(ダブルマガジンを使用するsankyoの8ミリを当時使っていた。)
当時の動画をアップできないのがなんとも残念至極!!
ここの田川線・内田信号所→油須原の急勾配では、後補機に9600をつかった列車が見られるというので、名所となっている。



名物列車5492レがついにやってきた。
かなりの重量なのか速度はかなり遅い。
三脚にとりつけた8ミリのスイッチを入れる。

(ダブルマガジンを使用するsankyoの8ミリを当時使っていた。)
当時の動画をアップできないのがなんとも残念至極!!
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昭和49年3月名機9600を求めて北九州へ
- Fri
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和49年
これも昔むかし・・・今から36年前のことだった。
大好きだった大正時代の代表的な蒸気機関車である9600に会いに行きたいという思いが昂じて、昭和49年3月17日春休みになるや否や寝台急行「日南」2号で北九州に向かった。

勿論、この日を迎えるまでには綿密な行動計画が練られている。
特に迷路のような後藤寺附近に踏み込むと訳がわからなくなりそうになったが、時刻表を眺め眇めつ自分なりに納得する経由を決めたことを思い出す。

その計画を一筆書きのような乗車区間の切符を作ってもらった。

行き先が白木原(現:大野城)となっているのは、博多で途中下車して切符を手に入れるためだ。
今になってみると、よくこんな手間のかかる切符を作ってくれたと思うね。
弁天町の交通公社(現:JTB)さん、感謝してますよ。

急行「比叡」が並ぶホームを横目に4番ホームに停車中の大阪始発19時43分発の寝台急行「日南2号」9号車16番の上段の寝台に陣取る。
初めての寝台車だ。
大好きだった大正時代の代表的な蒸気機関車である9600に会いに行きたいという思いが昂じて、昭和49年3月17日春休みになるや否や寝台急行「日南」2号で北九州に向かった。

勿論、この日を迎えるまでには綿密な行動計画が練られている。
特に迷路のような後藤寺附近に踏み込むと訳がわからなくなりそうになったが、時刻表を眺め眇めつ自分なりに納得する経由を決めたことを思い出す。

その計画を一筆書きのような乗車区間の切符を作ってもらった。

行き先が白木原(現:大野城)となっているのは、博多で途中下車して切符を手に入れるためだ。
今になってみると、よくこんな手間のかかる切符を作ってくれたと思うね。
弁天町の交通公社(現:JTB)さん、感謝してますよ。

急行「比叡」が並ぶホームを横目に4番ホームに停車中の大阪始発19時43分発の寝台急行「日南2号」9号車16番の上段の寝台に陣取る。
初めての寝台車だ。
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昭和49年2月 津山機関区見学
- Mon
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和49年
昭和49年2月11日建国記念日を利用して、わが鉄道研究部の課外活動に参加する。
この日は、すでに無煙化して久しい津山機関区を表敬訪問する。

ようやく朝日が顔を見せだした午前8時3分
下り特急「かもめ」の到着を出迎えた後、一行は山陽路を下る。

姫路駅から姫新線に乗り換えるが、新幹線ホームの下の留置線には、正面が3枚窓のクハ86(80系一次形)の姿が望めた。
この日は、すでに無煙化して久しい津山機関区を表敬訪問する。

ようやく朝日が顔を見せだした午前8時3分
下り特急「かもめ」の到着を出迎えた後、一行は山陽路を下る。

姫路駅から姫新線に乗り換えるが、新幹線ホームの下の留置線には、正面が3枚窓のクハ86(80系一次形)の姿が望めた。
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昭和49年 寝台特急「日本海」ナハネフ22
- Sat
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和49年
先日ブログに載せたSL白鷺号の露払いとして登場した寝台特急「日本海」だが、その半年後である昭和49年11月23日大阪駅で到着シーンをカラーネガで撮影していたようだ。
最後尾には曲面ガラスを用いたナハネフ22を従えていたので、その比較のためにここに載せてみた。

阪急百貨店の壁面時計が午前8時24分を示している。
寝台特急「日本海」が大阪駅3番線ホームにすべり込んできた。
天候の荒れやすい日本海側の長距離を運行するこの寝台特急「日本海」は、よくダイヤの遅れる列車であったが、この日は極めて正確に運用していたようだ。
一番線ホームには朝早くからファンの姿が見受けられる。このあたりは昔も今もさほど変わらない光景だ。
最後尾には曲面ガラスを用いたナハネフ22を従えていたので、その比較のためにここに載せてみた。

阪急百貨店の壁面時計が午前8時24分を示している。
寝台特急「日本海」が大阪駅3番線ホームにすべり込んできた。
天候の荒れやすい日本海側の長距離を運行するこの寝台特急「日本海」は、よくダイヤの遅れる列車であったが、この日は極めて正確に運用していたようだ。
一番線ホームには朝早くからファンの姿が見受けられる。このあたりは昔も今もさほど変わらない光景だ。
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昭和49年5月2日 SL白鷺号
- Fri
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和49年
昭和49年5月2日大阪~神戸開通100年を記念して"SL白鷺号"が運転された。
まずは梅小路からのC612の回送シーンを撮ろうと吹田の築堤に向かう。

ブルートレインの寝台特急「日本海」は、本日のカメラテストとして撮影したもの。
今日もシャッターは快調だ!

EF58と20系寝台なんて珍しくもなんともないので・・・。
まずは梅小路からのC612の回送シーンを撮ろうと吹田の築堤に向かう。

ブルートレインの寝台特急「日本海」は、本日のカメラテストとして撮影したもの。
今日もシャッターは快調だ!

EF58と20系寝台なんて珍しくもなんともないので・・・。
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流電 クモハ52002
- Thu
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和49年
今は昔・・・
昭和11年に京都・神戸間に颯爽と登場した流線型電車モハ52形は、鉄道ファンの憧憬の的だった。
老いてなお、飯田線で活躍という情報は常々得ていたので、機会があれば是非・・・と思いながらもなかなか実行する機会がなかった。
しかし・・・ある日思い立ったが吉日、昭和49年8月24日、夏の暑い日、豊橋に向かった。
もちろん在来線を利用して、何時間もかけての訪問である。
途中米原ではDD503+DD505の姿を見る。

この当時、何台ものDD50がいつも米原の転車台のまわりで日向ぼっこしていた。
特に1次形のフロントマスクは、海坊主のようで愛嬌があったね。
しかし、結局この車両の活動している姿は見れず終いだった。
長い時間がかかったが、ようやく豊橋に到着。
豊橋の飯田線ホームには、先客あり。

クハ47076・・・古豪ながら、正面のHゴムがなんとも残念だ。
片町・阪和でも前面のHゴム車両が多く見られたものだった。
実際、運転する運転手にとってはこのほうが好環境には違いないのだが・・・。
入れ替わり立ち代り旧型国電が出入りする。

ここの行き先表示板には、下に発車時刻が入っている。

といことは、列車の本数分だけの表示板があるというわけか・・・と思うが、実際はそうではなく、
まことにファジーなものらしい。
昭和11年に京都・神戸間に颯爽と登場した流線型電車モハ52形は、鉄道ファンの憧憬の的だった。
老いてなお、飯田線で活躍という情報は常々得ていたので、機会があれば是非・・・と思いながらもなかなか実行する機会がなかった。
しかし・・・ある日思い立ったが吉日、昭和49年8月24日、夏の暑い日、豊橋に向かった。
もちろん在来線を利用して、何時間もかけての訪問である。
途中米原ではDD503+DD505の姿を見る。

この当時、何台ものDD50がいつも米原の転車台のまわりで日向ぼっこしていた。
特に1次形のフロントマスクは、海坊主のようで愛嬌があったね。
しかし、結局この車両の活動している姿は見れず終いだった。
長い時間がかかったが、ようやく豊橋に到着。
豊橋の飯田線ホームには、先客あり。

クハ47076・・・古豪ながら、正面のHゴムがなんとも残念だ。
片町・阪和でも前面のHゴム車両が多く見られたものだった。
実際、運転する運転手にとってはこのほうが好環境には違いないのだが・・・。
入れ替わり立ち代り旧型国電が出入りする。

ここの行き先表示板には、下に発車時刻が入っている。

といことは、列車の本数分だけの表示板があるというわけか・・・と思うが、実際はそうではなく、
まことにファジーなものらしい。
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「瀬野八のプッシャー EF59」
- Sat
- 10:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和49年
広島の東に位置する、山陽線上りの瀬野→八本松(瀬野八)は、西の箱根と喩えられるほどの急勾配がつづく難所である。
瀬野駅から八本松駅に向かって22.6‰(パーミル)(1000メートルあたり22.6メートルの高低差)の急勾配が連続し、往年は、3シリンダーを駆使する蒸気機関車のC52がここで列車の後部に連結して、後押ししながら列車を押し上げていった。
電化した後では、現在の高性能の電車は単独で登れるようになったが、貨物列車はまだまだ後補機を必要としている。
東海道の優等列車を牽引していた、往年の大型電機EF53やEF56が活躍していると聞いて、昭和49年9月16日瀬野駅を訪れた。
岡山までは新幹線を利用したようだ。(この当時、山陽新幹線は、岡山まで開通済み。岡山以西はこの半年後には完成するという頃だった。)
新大阪駅では、いきなりドクターイエローの登場。

黄色いボディと六角形の窓が特殊車両であることを示している。
むおぉ・・・何か今日はいい事があるような気がしてきた
。

しかし、このボディー、かなり痛んできているね。

きっと開業以来酷使されてきたんだろう。
・・・・・・・
瀬野駅から八本松駅に向かって22.6‰(パーミル)(1000メートルあたり22.6メートルの高低差)の急勾配が連続し、往年は、3シリンダーを駆使する蒸気機関車のC52がここで列車の後部に連結して、後押ししながら列車を押し上げていった。
電化した後では、現在の高性能の電車は単独で登れるようになったが、貨物列車はまだまだ後補機を必要としている。
東海道の優等列車を牽引していた、往年の大型電機EF53やEF56が活躍していると聞いて、昭和49年9月16日瀬野駅を訪れた。
岡山までは新幹線を利用したようだ。(この当時、山陽新幹線は、岡山まで開通済み。岡山以西はこの半年後には完成するという頃だった。)
新大阪駅では、いきなりドクターイエローの登場。

黄色いボディと六角形の窓が特殊車両であることを示している。
むおぉ・・・何か今日はいい事があるような気がしてきた


しかし、このボディー、かなり痛んできているね。

きっと開業以来酷使されてきたんだろう。
・・・・・・・
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