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平成10年 SuperAngulonと浜寺公園に遊ぶ

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平成10年にライカの超広角レンズ“スーパーアンギュロン21mmf3.4”を手に入れたので、何かにつけて持ち歩いている。
この当時21mmの画角は超広角だったため、その絵が楽しみでならなかった。

平成10年9月23日もM6+SuperAngulon21mmf3.4の組み合わせで、今回のフイルムはモノクロを装填して出かけた。

大阪南部に浜寺公園という景勝地があるが、そこへふらりとフォト散歩と洒落る

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浜寺公園に行くとなれば南海本線か阪堺電車である
時間に制限もあるではなし、気楽に阪堺電車でぶらり旅を決め込む

気の向くまま途中下車するのも一興なり

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姫松・帝塚山界隈は、昭和の風情がある町並みが残る地域であり、ファインダーの景色に事欠かない。


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帝塚山から浜寺公園に向かう・・・

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大阪偕行社附属小学校時代の本館・講堂の惜別会


平成8年の年末の頃だったか、母校の慣れ親しだ本館と講堂が建替えされるため、平成9年2月22日にその惜別会をしたいので参加してください。と追手門学院からご案内をいただいた。

古いもの大好き人間としては、万障繰り合わせてでも参加しなくてはと思い、厳寒の最中ではあったが、厚めのオーバーコートを着込んで出かけた。

そして記録データに残すには、必ず超広角レンズが必要ではないかと考え、
LeicaM6+ソ連製ルサール20mmといういで立ちで母校に乗り込んだ。

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瀟洒な2階建ての本館は、昭和7年製だった。

2階に増設された会議室では、同窓会組織の山櫻會の会議が開催され、何度か参加させていただいた思い出の場所である。

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玄関上に掲げられたこ校章は、“山に桜”だった。

母校の同窓会の「山櫻會」の名称もこれが謂れである。


古地図
大阪市都市計画図 和楽路屋製より

その当時はの陸軍施設は地図上では“山形”のMで表示されていたので、母校の出身母体を無言のうちにアピールしている校章であった。

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本館のエントラスは、あまり生徒や学生が近寄る場所ではなかったので、記憶に薄いが、写真にとると、右側の受付窓口は、高い位置にあり、来訪者にとっては敷居の高い感じを醸し出している。(写真には窓口は写っていないが、踏み台を設けているところから推して知るべし。)

方位図のような八芒星は、陸軍の五芒星とどういう関係があるのかわからないが、その床面の意匠とともに、重厚な木製扉に威厳を感じる。

2階には校長室があったが、歴代の校長は陸軍の将校が務めていた関係か、校長室にはサーベルを立てかける木製スタンドがあった。

後日談ではあるが、大平洋戦争時に憲兵をしていた人とお話をしていた際に、こんなことをうかがった。

「偕行社の酒保部は、学校の給品部のようなものだったが、そこで購入した軍刀は、すぐに折れるなどの二級品で、全く役に立たなかった」とのこどある。

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本館エントランスより南側を望む

隣にあった大阪偕行社の本館と同様に、入口の前には小さな築山が設けてあり、正面から直接内部が見えないような設計がしてあった。

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本館1階通路部分・・・いつも薄暗い雰囲気の場所だった。

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昭和7年完成当時の写真より


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当日配布されたパンフレットと記念の500円テレカ



そもそもこの建物は・・・

大正10年に出来上がった木造洋館の瀟洒な校舎が、昭和5年7月に漏電が原因として一夜にして焼失してしまったことによる建替え事業により出来上がったものだった。

その復興校舎として近代的な鉄筋コンクリート造3階建のものと、同じく鉄筋コンクリート造2階建ての本館を建築することとなった。

これに要する費用は、約30万円といわれ、火災保険金や入学時の保証金で14万円余は補えるが、残りの16万円は寄付に頼るしかなかった。しかし、卒業生や関係者だけでなく一般有志者の援助によりその金員の調達ができた。

この建設資金が、経営母体の偕行社や陸軍財政には一切関係なく調達されたことは、その後、終戦直後の学校存続問題時に大きなプラス要因になるのであった。

昭和6年末には、講堂・屋内体操場と教室が竣工し、本館も昭和7年8月に完成した。施工会社は、大阪・松村組である。
全館スチーム暖房、各教室に電話・ラジオの設備があり当時のモデルスクールという存在だった。

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平成9年12月18日大阪港テクノポート線開通

平成9年12月18日大阪市営地下鉄中央線の終着地であった大阪港駅からニュートラムの中ふ頭駅までが開通した。それは第3セクターの大阪港トランスポートシステムによるテクノポート線と称していた。

この路線の開通には、次のような理由があった。
大阪南港の埋立地に、新たな集客施設として大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC。現在の大阪府咲洲庁舎)やアジア太平洋トレードセンター(ATC)といったタワー型ビルや商業施設が開設されたが、鉄道による交通アクセスが大阪市交通局南港ポートタウン線(現在のOsaka Metro南港ポートタウン線。愛称ニュートラム)しかないという欠点があった。梅田や難波など市内中心部からは、大阪市営地下鉄四つ橋線(現在のOsaka Metro四つ橋線)を経由し住之江公園駅乗り換えでニュートラムを利用するしかなく遠回りで時間がかかるという不便さが災いし、バブル崩壊による不況も重なって企業誘致が思うように進まず空き地だらけなうえに、一度は南港に移転した企業の中には再び都心部へ戻ってしまった企業もあるという悪循環であった。その不便さを解消するために計画されたのが、大阪港駅と中ふ頭駅を結ぶ鉄道路線であった。(Wikipediaより)

その開通から5日後の12月23日(祝)に新駅のトレードセンター前駅とATCの様子などをパトロールしてきた。

その当時の様子をまとめるだけでなく、22年後となる令和2年の今日の様子と見比べてみたいと考え、R2.3.15新型コロナウイルス感染症で自粛ムードが高まっている最中訪れてみた。



※上の写真は、1997.12.23撮影、下の写真は2020.3.15同位置から撮影したものである。

(1)トレードセンター前駅の改札口
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(2)トレードセンター前駅連絡通路から北側を望む
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(3)同連絡橋からコスモスクエア駅発のニュートラム車輌を撮影
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(4)同連絡橋から南側のO's棟を望む
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(5)大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)の前を進むニュートラム
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金沢偕行社の遺構

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平成29年2月16日大阪発13:12の特急サンダーバードで金沢を訪れる。

兼六園の近くにある訪問先に出向いたのが午後4時という夕刻であったが、5時過ぎには用件が終わったので、近くにある行きたかった場所を訪問することにした。

旧帝国陸軍の第九師団に属する金沢偕行社の遺構である。

大阪偕行社の跡地を母校にする由縁により、機会があれば全国の存在する偕行社の遺構を行脚している。

過去に、岡山偕行社善通寺偕行社を訪問したが、ようやく今回は、金沢偕行社を訪問することができた。

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夕方も17時を過ぎていたので撮影が厳しいかと思っていたが、周囲の空間が奏功してコントラストを抑えたいい雰囲気で撮影することができた。

護国神社の境内に接する金沢能楽堂の敷地内にそれはあった。

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明治31年築 登録有形文化財

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意匠を凝らした屋根部分や避雷針も見るべきところと思われる。

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残念ながら入館はできなかったが、正面玄関は、奥まったところにあり、両側が区分された部屋になっていることが推察される。

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偕行社は、陸軍将校倶楽部としての性格を持つので、館内は広い会合スペースを必要とする。

よって、階段や廊下部分は、広間を相殺しないような配置にする必要がある。

今はなき豊橋偕行社は入口を突出した形状にして2階への階段室を兼ねることにより2階部分を大会議室に使えるようにしていた。

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こちらは、正面部分にはそういったスペースはなさそうだ。

余り厚みのない建物かと後ろに回ってみると、少し小振りな後陣部分が現れた。

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そして正面の真後ろには扉が配置されている。

実はこの続きに講堂があったが、現在はカットされている。

となれば、正面から建物内部を通ったこの部分に階段室がありここで反転する形で2階に上る構造になっているのであろう。

後陣部分の窓の位置が1偕と2階との間にあることから階段の踊り場部分であると推察できる。

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窓下の通気孔には、五芒星が今でも残っていて、これが帝国陸軍の遺構であることを如実に表している。

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水陸両用観光バス“ダックツアー”体験記

鉄道ネタが続くので、一服の清涼剤として、日本初の水陸両用観光バス“ダックツアー”を利用したときの様子のレポート。

平成28年7月16日(土)職能団体の支部活動としての日帰り旅行に参加した。

いつも職場の前を観光客を載せて通過するこのバスの事はよく知っていたが、乗るのは初めてだ。

身近なツアーだけに、こんな企画がなければ、利用することもなかったであろう。

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八軒家浜から出発し、御堂筋を南下し、本町通りを東行し、上町筋を北に行き桜ノ宮から大川に入って天満橋界隈を一周して帰ってくるという1時間30分のコース。

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この水陸両用車輌を利用したツアー企画については、運行スタート時の企画から実施できるまでには、様々な行政法規の壁が存在し、その実現までに一つ一つクリアーするについて大変な苦労をしたと以前TV番組で報じていた。

そういう苦労があったことを思いつつ、前のタラップから乗車

車内にはトイレがなく、飲食禁止 よってビールは乗車前にいただき、トイレも済ませました。

因みに、この特殊車輌は1台しかなく、故障すればツアーは中止となる。

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大型バスの様な運転席の脇にあるのが、船舶用の操縦機器

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この車輌には窓ガラスがないので、雨天のときは、雨合羽を着用しての乗車となるらしいが、今日はその心配はなさそうだ。
しかし、差し込む夏の日差しは窓側席の人にとっては辛いかもしれない。

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大阪臨港線(浪速貨物線)の今昔

平成7年といえば、クラシックカメラに興味を持ち始めた頃だった。

KodakのLetinaやZeissのSuper-Ikontaで遊んでいるうちはよかったが、
Leicaに手を出したのが間違いだった。ドイツのLeicaは、無尽蔵ともいえるライカマウントのレンズが交換ができる万能カメラであり、古きよきドイツ工業製品の精華ともいうべき金属製カメラの甘美なる魅力の泥沼に陥るのに時間はかからなかった。

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Leicaコレクション第1号であるⅢCとズミター5cm

新たに手に入れた古典カメラは、愛でるだけではなく、あちこち持ち歩きたくなるのは当然であり、この日も地元のパトロールへと出かけた。

お手軽な大阪臨港線(浪速貨物線)を撮影して回ったが、その20年前のネガを見つめていると、平成28年現在の風景とは何か解からないが空気感が違うような気持ちが湧いてきたので、昨今のデジカメを持ち出して20年の時間と空気の違いを比べてみたいと思う。

前回の記事に登場したSuper-IkontaやContaxで撮影した写真もあるが、その時間の経過を並べてみたい。

まずは、当時の地図にて撮影場所のチェック

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大阪臨港線の歴史は古く、今宮から大阪港まで昭和3年には臨海貨物を扱う貨物線として誕生した。そして、その路線の一部を使って昭和36年に大阪環状線が大正・弁天町・西九条の間を新しく路線を敷設することによりループ状の環状線となったわけである。

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浪速駅構内

大阪環状線は、今ではなくてはならない大阪の大動脈となっているが、一方その礎ともいうべき大阪臨港線は、湾岸荷役の衰退と貨物輸送手段の変化により、徐々にその活躍の場は少なくなっていったが、平成7年当時では、1日2本の運用となっていた。浪速駅 10:52発と16:20着だけであった。それも休日は運休だった。

しかし特筆すべきは、それだけ運用が減っても廃止にならなかったのは、鉄道レールの輸送が挙げられる。JR西日本管内で使用されるすべてのレールが、高松のレール製造工場から船便でここ大阪港まで運ばれ、ここからは鉄路によりレール運搬貨車(チキ)で運び各地に配るという大切な使命があったからだ。

しかし、その役目もついに終焉を迎え、平成16年には休止路線となり2年後には廃止された。

また、その線路周辺には臨海風景としてなかなか味わい深い被写体が点在していた。

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なみはや大橋の大正区側を望む・・・いまでは橋のたもとにブルーとイエローの
IKEAの建物が存在感をアピールしている。


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歴史を刻む倉庫群・・・重厚な鉄製扉が魅力的である。


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“たばこのむな”ではなく“たばこのめぬ”の表示・・・“のめぬ”の方が、一切例外を認めない感じがして上から目線で威圧的である。 今は普段では見られない表現だ。



その1日2便しかない消え行く臨港貨物線の姿を追ってみた。



①福栄橋西詰から東を向く
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Super-Ikonta

大きなハンマーの音が聞こえてきそうな純然たる工場地帯だった。

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平成28年の姿


②福栄橋東詰から西を向く
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Super-Ikonta

クレーンや建設工事機材が台船に乗って出番を待っている姿がいつもの風景だった。

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平成7年大阪春景色

阪神淡路大震災から程ない平成7年4月、いつものように春爛漫の季節は巡ってきた。

被災された方への支援活動が本格化していた頃でもあった。

平成7年4月8日ほかほか陽気に誘われて大川端をフォト散歩することに・・・

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造幣局の迎賓館である泉布観も桜の季節はこんな風景となる。 

明治村ではなく、明治初期の洋風建築が今でも現存しているのがありがたい。

内部の詳細はコチラ

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泉布観の隣の桜ノ宮公会堂も重厚な建物であるが、初代造幣局の正面玄関を移設したもの

初代の正面玄関といわれても、記憶に無い方のため当時の建物の全体像は下記のとおり

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正面エントランス部分が残されているのだが、当時のよすがを偲ぶには十分な遺構である。


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昭和5年に建築された桜宮橋・通称銀橋も重厚そのものの愛すべき橋梁である。

平成18年には、この左となりに新桜宮橋が敷設されダブル銀橋の姿を見ることができる。

旧銀橋が撤去されずに残された功績は大きい。

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完成直後の“なみはや大橋”と浪速駅のJR東日本E127系

平成7年3月18日のことだった。

港区と大正区を結ぶ“なみはや大橋”が、昭和52年の着工以来18年の歳月を経て、平成7年2月に完成したと聞いたので、さっそくその1ヵ月後にパトロールに出かけた。

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地下鉄中央線「朝潮橋」駅の北側では巨大な「大阪プール」が建設の真っ最中である。

地下鉄の駅から八幡屋方面に向かう。

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地下鉄中央線・朝潮橋南側のみなと通から大阪港方面を望む

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(参考)平成26年の様子・・・歩道橋や中央緑地帯ができているのと、街路樹が大きくなっているのに20年の歳月を感じる。

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そこから道なりに西に進むと、下町の庶民の胃袋を養ってきた、なんでも安い八幡屋市場に出る。

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昭和36年に地下鉄が開通した当時は、こんな風情であった、

・・・すっかり変わったような・・・余り変わってないような

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八幡屋市場の周囲を沿うように進むと、それはあった。

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猛烈な急勾配がつづく“なみはや大橋”である。これが自動車専用道路なら、驚くには値しないが、自転車や徒歩でも渡れるというのがミソ

(注)平成24年になって島根と鳥取とをむすぶ江島大橋が「べた踏み坂」としてダイハツのCMで紹介されているが、実はこちらの方が勾配はキツイらしい。

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阪神淡路大震災から20年目を前にして

平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災から、早いものであと半年ほどで20年目を迎えようとしている。

手許にある写真のネガのスキャニングも平成6年分が終わり平成7年分に差し掛かると、どうしても震災の記録を避けて通れない。

人によっては思い出したくない記憶でもあるので、ブログの記事にすることを長い間ためらっていたが、20年を目前にして一つの節目と考え、当時の日記と自らの体験を基に少し記事にしてみることとした。



当時の日記から・・・

平成7年1月17日 
 風邪による頭痛と発熱により、眠っては目覚めるという事を繰り返していた未明だった。(5:46)
遠来からゴーという異音が響いた後、突然猛烈な横揺れと突き上げが襲った。それまで多少の地震は生命体としての大地のパワーを感じ、快く思うほどであったが、今回はそんな生易しいものではない。兎に角寝床で四つんばいになるのが精一杯で、立ち上がることもできなかった。
リビングでは花瓶が倒れる音がしただけで大きな被害がないように思えた。しかし浴室の浴槽では7分目入った残り湯がチャポチャポと大きな音をたてて溢れている。コンクリートと扉の木枠の接合部分がギシギシと異音を発し、リビングの吊り電灯が大揺れに揺れている様を目にするにつけこれは大変なことが起ったと感じた。直ぐにTVをつけて夜明けを待つと、映し出されるその様子に愕然とした。

地震だからといって仕事が休みになるわけではない。大阪市営地下鉄は全線で止まっているため、市バスを利用して職場に向かう。普段の地下鉄利用者が一斉に市バスに群がるために積み残しが出るありさまのなか、何とか肥後橋までやってくる。

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1月17日午前8時30分の肥後橋交差点の様子・・・阪神高速は、“地震発生 通行止”の電光掲示が見えるとおり全線通行止めである。また大阪グランドホテルの入っている新朝日ビルの西側ガラス面に被害があるようだ。(南北に強い揺れがあったというのか・・・)

本日は須磨や鈴蘭台方面へ出かける予定であったが、鉄道は京阪と近鉄を除き全面ストップ。アクセスが断たれ途方にくれるとともに、この地震6時間遅く発生していたら、完全に巻き込まれていたなあ・・・と微熱ですっきりしない頭でぼんやりと考える。

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阿倍野パトロールと明治屋

平成25年9月14日(土)中学生の娘が通う女学校の文化祭を見学に行った帰り、久しぶりに阿倍野界隈を歩いてみた。

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あべのベルタ北側から北方を望めば、ハルカスが聳えるとともに阿倍野筋の拡張工事がかなり進んでいるようだ。

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しかし、阿倍野筋の東側の大きなビルの前には、今でも古い建物が2棟がドンと居座ったままである。
セットバックして建てたビルもえらいが、居座る側もしぶといものだ。

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平成6年1月 伊丹空港の“マリンジャンボ”

平成6年1月30日のことだった。

大阪国際空港(伊丹空港)にクジラのペインティングを施した全日空機の“マリンジャンボ”が飛来するというので出かけてみた。

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航空ファンというわけではないが、話題性が高い飛行機なので、カメラの望遠レンズの性能テストを兼ねて伊丹空港の屋上デッキからひとときあれこれと航空機を撮影してみた。

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駐機場には、「ロッキード事件」で名を馳せた全日空のトライスター機の姿も見える。


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これは国産の名機YS-11だと思う。

あのブウーンというプロペラ音とともに、ふわりと浮くが如き離陸シーンはなんとも軽やかで心地よい航空機であった。

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これは、日本エアシステム(JAS)時代の1988年から1992年にかけて8機が導入されたマクドネルダグラス(ボーイングに吸収合併)のMD-87だ。

鶴首のようなスマートな機体だったが、下記のエンジンを4基備えた大型機のジャンボ機が現れると、存在感が薄れてしまった。

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関西国際空港が開港するまでは、国際空港を冠する伊丹空港だけに、大型機の去来は珍しいものではなかった。

しかし、同じ年の平成6年9月4日の関空開港の後、国際便は関空に移譲された。

そして環境問題から平成17年4月1日以降は、3発以上のエンジンを搭載した大型航空機の定期便の来航は禁止されてしまい、飛来する機種の多様性には乏しいものとなった。

よって、このような華やかな伊丹空港の様子も風前の灯といった具合だった。

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エアバスA320-200


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このときは、普段のネガではなく、36枚撮りのKodak Ektachrome400Xprofessionalのホジフイルムを使った。半絞りくらい露出を切り詰めると、ポジらしく高コントラストで緻密な金属感が記録されるが、この一枚もそういえよう。



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平成6年1月 大型練習帆船“海王丸”の大阪寄港

平成6年1月22日大阪港に航海練習船で大型練習帆船の海王丸が寄港すると聞いていたので、天気晴朗なれど、北風強く、港内にも白波が立つ状態の天保山岸壁にカメラを携えて出かけた。

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11時30分 大阪市の広報船に先導されるようにして大阪港内にその姿を現すと、華麗なスタイルの大型帆船の来航に、岸壁にいる人たちはその耳目を自然に集めていた。

左隅の工事現場は、建設中の“なにわの海の時空館”である。


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着岸が近づくと、タグボートの援助をもってゆっくりと作業がすすめられる。

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平成5年 Tessarと天保山ほとがら散歩 (続)

前回からのつづき・・・平成5年当時の天保山界隈の風景を追う

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大阪・天保山では、今でもおなじみの遊覧船サンタマリア号

よく考えればもう20年以上の現役選手なのだ。よく頑張ってるね。


これだけ見れば、平成25年の現在の風景と同じように見えるが、左奥の様子がちょっと気にかかる。

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建設中の大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)

現在ではコスモタワーとよばれている。

今になって冷静に考えると、大阪市民のみならず大阪府民にまで甚大な負債を負担させることとなったバブルにしてバベルの塔

こんな高層ビルは造らなければ良かったのに・・・・と反省しきりナウ


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平成5年 Tessarと天保山ほとがら散歩

平成5年のことだった。

いままで数多くの一眼レフ用のレンズを見てきたが、そのレンズの大きさには常々辟易していた。とくに父から「これはプロ用のカメラだから大切に使いなさい」と譲り受けたNikonFフォトミックとニッコール5.8cm/f1.4の組合せは、比べるものなく長年大切に使い続けていたが、最近その大きさと重さに疑問を感じるようになった。確かに写りに不満はないが、アマチュアはアマチュア用のコンパクトで軽量のカメラやレンズがあるのではないかと・・・。

そんな中、カメラ店で見つけたCarl Zeiss Tessar 45mm/f2.8の際立ったコンパクトさには瞠目させられる思いがあった。またTessarは、3群4枚のシンプルなレンズ構成だが誕生から100年近く現役であることから判るようにその信頼性が高い名玉である。

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                       Tessarのレンズ構成

このレンズを使うには、カメラのボディがContaxでなくてはならず、その値段の高さが邪魔をしてCarl Zeissのレンズを身近にすることは叶わなかったが、平成5年10月このレンズが使える安価なマニュアルカメラ Yasica FX-3 SUPER が発売されたので、一緒に手に入れることが出来た。

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     Carl Zeiss Tessar 45mm/f2.8 定価¥37,000- 購入価格¥27,000-
     Yashica FX-3 SUPER       定価¥24,800- 購入価格¥16,000-

 レンズより安価なカメラとはどんな関係になるのかと疑問を持ちながらも・・・その軽さと、電池がなくてもシャッターが切れるマニュアル機の信頼性と余計なものがついていないシンプル性がストレスをもたらさないのが嬉しい。



そうなると、早く使ってみたいのが人情ということで、次の休日である平成5年10年 日このペッタンコのパンケーキレンズの試写を兼ねて、天保山界隈をぶらりとフォト散歩に出かけた。

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JR東海道線ガード下にみる戦争の痕跡

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平成5年9月 福島区鷺洲五丁目所在のJR東海道線ガードに立ち寄った。

何故ならば・・ここのコンクリート壁面に、先の大戦において米軍の戦闘機P51・ムスタングによる機銃掃射の痕跡があると耳にしていたからだ。

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硬いコンクリート壁を穿つ数多くの不規則な蜂の巣状の“くぼみ”がそれである。

薄暗く人通りのないガード下でその“くぼみ”を一人凝視する。

堅固なコンクリートにこれだけの穴を穿つ銃弾の威力を想像すると、ゾクリと戦慄を感じた。

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昭和20年6月7日の空襲の時、ガード下に逃げた民間人を狙ったものか、線路上の列車を攻撃したものと思われる。


(参考) 西鉄電車が筑紫駅付近でP51の機銃掃射を受ける様子

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太っ腹な“関西文化の日”・・・博物館はしごの一日

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平成24年も“関西文化の日”がやってきた。

今年は11月17日と18日がメインとなって、数多くの博物館・美術館の入場料がタダになるので、このときとばかりに預けてあった博物館はしご訪問を、小学生の息子とともに実行する。

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平成24年 続・善通寺偕行社を訪ねて

このブログでは、以前に大阪偕行社および岡山偕行社の記事を掲載してきたが、今回は香川県の善通寺偕行社を取上げる。

香川県善通寺市は今でも自衛隊の基地があり、戦前までは第11師団の軍都であった。

初代師団長は乃木希典で、その指令部の庁舎は「乃木館」として今でも健在である。


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善通寺偕行社は、その指令本部と同様のスタイルを踏襲しながらも、将校親睦機関としての性格から軽快な姿でその5年後に建築されている。

外観は簡明なルネサンス様式で、正面中央にドリス式角柱と三角ペディメントによる車寄せポーチを構え、両側にシンメトリーな棟屋を配し、明治期における陸軍建築の堅実な作風が顕著に表現されている。



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煉瓦造布基礎部分の通気穴には五芒星の鉄柵が取り付けてある。

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ブログ再開しました! 四ツ橋駅の壁面について

皆様おひさしぶりでございます。

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思えば、ちょうど1年半前になりますが、職場環境の激変により休刊を余儀なくされましたこのブログですが漸くその環境にも慣れ、“忙中閑有り”の精神を尊び、突然ですが本日よりブログを再開いたします!

休刊中でも毎日400~500回に及ぶアクセスを頂き、そして古い記事にもかかわらずコメントも多く頂戴いたしましたことを、ここで改めて御礼申し上げます。




さて、再開第1号の記事は、その筋の方にはすでに話題となっているものですが、大阪市営地下鉄四つ橋線の四ツ橋駅構内の新しくなった壁面についてであります。


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Twitterに次の4枚の写真をアップするには面倒なのと、一覧性に問題があるなあ~と思ったのも再開の背中を押した理由のひとつなり。

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昭和58年大阪世界帆船まつり(夜)

前回のつづき・・・世界からやって来た帆船の夜の風情


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桜島埠頭に繋留する左:日本丸、右:海王丸

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外国船が繋留しているため、夜間は、岸壁への立ち入りは厳しく禁止されている。

従って桜島埠頭から対岸の帆船を狙ってみたが、こちらから撮影している人はほとんどいなかった。

天保山岸壁に繋留する帆船群:左から、クォウテモック(メキシコ)、サグレス(ポルトガル)、ダルモジェジィ(ポーランド)、エスメラルダ(チリ)

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昭和58年大阪世界帆船まつり(昼)

昭和58年10月23日(日)大阪湾において、世界から10隻の帆船が集まり大々的な帆船パレードが行われた。

この年は、大阪城築城400年を記念して、世界帆船まつりをはじめ、大阪城博覧会、御堂筋パレード、食博覧会などのイベントが数多く開催された。華やかな一年であった。


当日は早朝から上空に飛来するヘリコプターの轟音がやかましく、いつもの静かな天保山とは様相を異にしていた。

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天保山周辺は、極めて多くの市民が押し寄せているため、多少遠いが安治川内港の弁天埠頭突堤から望遠レンズでその様子を捉えた。

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(2010.11.14撮影)
現在ではこの風景のど真ん中に阪神高速湾岸線の天保山大橋が横たわっている。

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クォウテモック(メキシコ)の着岸の様子

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船首を180度向きを変えたのち、タグボートに助けられ天保山岸壁に着岸した。

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その後、午後になってから天保山エリアに向って撮影を行った。



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建設中の天保山大橋

前回「港大橋」の建設中の写真をご紹介したが、もうひとつの大きな橋梁の建設中の姿をご覧いただこう。

大阪・港区と此花区を結ぶ天保山大橋である。


天保山大橋(てんぽうざんおおはし)は、安治川の河口に架かる斜張橋。大阪市港区築港と同市此花区桜島とを結んでおり、阪神高速5号湾岸線の一部となっている。

完成は平成2年。


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昭和62年4月撮影


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平成22年11月撮影



昭和62年4月 場所をかえて、天保山突堤から同橋梁の様子を眺めてみる。

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此花区側橋脚・・・橋脚の奥には、日立造船の工場群が望めるが、いまではすっかりUSJの景色となっている。


水面に浮かぶは、高松行き高速艇・ジェットラインである。

瀬戸大橋・明石大橋の開通により、大阪?高松航路は、2000年に廃止された。

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港区側橋脚・・・天保山ハーバービレッジなどは未だなかった頃で、三菱倉庫が立並ぶだけの寂しい波止場だった。


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上記2枚を繋いでみたらこんな具合になった。

この橋ができたのが昨日のように感じられるが、もう20年も経ってしまったか・・・。


  1日1回 ぽちっとね♪

建設中の大阪・港大橋

阪神高速道路大阪湾岸線の港大橋は、大阪市港区港晴と住之江区南港を結ぶ巨大な橋梁であり、そのスケールや他を圧倒する重量感から、大阪港のランドマークになっている。

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この橋梁は、昭和49年に完成した。

最大支間長510mのダブルデッキ形式のゲルバートラス橋で、トラス橋としては、カナダのQuebec橋(549m)、イギリスのForce橋(521m)についで世界第3位の威容を誇っている。

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朝焼けに輝く現在の港大橋・・・平成22年12月撮影


手元にその建設中の写真があったので、掲載してみた。


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橋下を4万トン級の大型コンテナ船が航行できるよう、海面から桁下までは50m以上の空間を確保するため、巨大な橋梁となるが、その僅かな地上との接点を中心にバランスよく上部および左右にトラスを伸ばしていく様子は、“やじろべえ”のようにも見えた。

また元々の鋼材の色は、このようなダークグリーンだった。


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使用された鋼材は約35,000tであるが、断面のコンパクト化を図るため、破断強度が80、70kgf/m2という極厚板の超高張力鋼HT80、HT70が、上下弦材に約5,000tも使用され、強度と溶接性を兼ね備えた鋼材の開発と製作に関する検討に重点が置かれた。耐風設計においては、全橋模型による風洞実験によって抗力係数を設定し、耐震設計においては、動的解析結果に基づき各種振動モードを想定した修正震度法を採用するとともに、躯体の設計には早くから三次元有限要素法が取り入れてられている。架設においても、中央支間4500tの一括吊り上げ架設を行い、今日の大ブロック架設工法のさきがけとなった。(関西土木学会のページから)

これらの写真の撮影時期は不祥だが、昭和47年か48年の夏ではないかと思われる。

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自家用の小型プレジャーボートを利用しての大阪港遊覧をしたときのスナップのようだ。

(大阪港の水の色は、平成22年現在のような澄んだものではなく、どこまで行ってもチョコレート色だった。)

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同乗者の写真だが、やはり昭和の香りがするなあ。




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完成後の港大橋を走る大阪市営バス(昭和49年大阪市交通局パンフより抜粋)

・・・まだまだ非冷房車の時代だったので、この路線は恰好の納涼コースだった。


  1日1回 ぽちっとね♪



ベイ&リバーサイドパーティOSAKA2010

日頃から天保山マーケットプレイスあたりでブラブラ散歩することが多いが、

子どもが遊覧船の「サンタマリア」に乗りたいと言って仕方ない。

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その度に「サンタマリアは、日頃海に縁のない人がココに来て乗るモンや。普段から海見ているような者は、乗ったらいかんのや。たとえ乗っても船から見えるのは、いつも見てる風景やぞ!」と言って納得させていたが・・・

今年の10月2日(土)は、“ベイ&リバーサイドパーティOSAKA2010”という催しのため大人500円小人200円で乗船できると聞いた。(普段の遊覧コースは、大人1,600円 小人700円)


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それも普段のコースとは全く違う、天保山を発ち鶴浜イケヤ前に到着するという珍しいコースだった。

これなら小生も乗ってみたいと思い、「ええ子にしてたら今度の土曜日サンタマリアに乗せてやる。」と子どもに恩着せがましく言う。




果たして・・・当日は秋晴れの絶好のお出掛け日和となった。

予定時刻には随分早くから出かけ、マーケットプレイスで久しぶりに銀塩カメラを振り回す。

今日のお供は、にせコンタックスのソビエト製のКиев(キエフ)+Zeiss-Opton Tessar50mmf3.5

ストラップはカール・ツアイスの双眼鏡用とバラバラの組み合わせ。

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まあソビエトと西ドイツという今はなき国同士の組み合わせというのも愉快ではないか。

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“出張なんでも鑑定団 in 大阪・上町”公開収録!


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9月19日(日)に大阪城のお堀端にある追手門学院の“大阪城スクエア”において“出張なんでも鑑定団 in 大阪・上町”の公開収録があった。

当初は、“in 大阪・追手門”だったが、出演者が学院関係者に限らなかったためか、“in 大阪・上町”となっていた。

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事前に観覧希望の申し出をしていたら当籤したので、追手門学院大手前中高の門をくぐった。


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何故ここでこのようなTVの公開収録が行われたか不思議であったが、鑑定士団を見て合点がいった。

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鑑定士は、おなじみの中島誠之助さんと、京都・思文閣の代表者田中大さん、いろんな骨董の専門家の勝見充男さんの三人の方々。

田中大さんは、追手門大学の出身である。卒業といえないのは、8年間在学したが中退したため。奥様も同大学でみつけられたとか。そのあたりのことは、「追手門学院の履歴書(文化人編)」日経大阪刊に詳しい。

また勝見充男さんは、同大学の客員准教授をしていらっしゃるとか。

またTV東京系のTV大阪が校地に隣接しているということもあるかもしれない。



小生は、追大のことはよく分からないが、とにかくこうしてこの番組の収録が行われることとなった。

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昭和58年“アクティ大阪”展望テラスから(定点撮影)

前回からのつづき

昭和58年9月10日“サロンカーなにわ”のお披露目展示会のあったその日、同年4月27日にオープンした新しい大阪駅“アクティ大阪”の最上階展望ロビーから梅田界隈の眺めを撮影した。


※昭和58年当時と27年後の平成22年夏の様子とを撮り比べてみた。


(その1)大阪駅前第4ビル方面

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中央のダイヤモンドタワーの建設地には、戦後の闇市の名残である小さなアーケードが残っていた。

同様のバラックがこの東側の駅前第4ビルの北側にもあったと記憶している。


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平成22年の様子 そこには、モノリスのようなダイヤモンドタワーが屹立している。

そしてその東側に当たる駅前第4ビルの北側もイーマビル、リクルートビル、梅田第一生命ビルが、いつの間にか立ち並び、現在では小奇麗な区画となってしまった。

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昭和50年代の大阪港・大阪臨港線(浪速貨物線)風景

拙ブログのアクセス状況を見ると、“在りし日の大阪臨港線・港のスイッチャー”の記事が常に上位に入っている。

これは、同様の記事が少ないのでアクセス数が多いためか、どこかの人気ページにリンクが貼られているものと思われる。

そこで、大阪臨港線に関する他の写真はないかと探したところ、昭和58年5月に天保山?大阪臨港線(浪速貨物線)をフォト散歩したもの等があった。

そのネガを改めて見ていると、現在との相違に少なからず驚かされるので、少しご紹介しようと思う。




(その1)大阪市営地下鉄・大阪港

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昭和58年5月 大阪市営高速鉄道(地下鉄中央線)“大阪港”駅 

昭和36年弁天町?大阪港が高架鉄道として誕生したが、その当時のままの佇まいを残していた。
“築港”の表示あるこの交差点も広々というより、なにやら閑散とした風情である。

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高架部分に表示された“地下鉄”の表示もユニークであった。


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平成22年7月 現在の同場所からの光景

平成9年には大阪港から海底トンネルを通じて南港のコスモスクエアまで延伸したことにより終着駅としての役割を終えた。

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大阪港中央突堤の付け根から東側を望む。

大阪港を出ると急勾配で地上に降りてきて、そのまま咲州トンネルに吸い込まれていく。

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白いフェンスで囲まれたところが地下鉄路線で、両側は自動車専用トンネル。



(その2)天保山の渡し

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昭和58年5月天保山渡船場

平成3年9月に開通する阪神高速湾岸線・天保山大橋はもちろんなく、遠方の対岸には、平成13年USJに様変わりすることになる工場群が望める。


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平成22年7月現在の渡船場の風景

昭和58年の頃と比べ場所自体もかなり東側に移っている。現在は明治天皇の観艦式記念塔の北側にある。


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京セラ大阪ドーム野球観戦記

6月20日の気だるい日曜日の昼下がり、チケットがあるので、自宅から近い京セラ大阪ドームにオリックス・日本ハムの公式戦を見に行った。

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座席は、スーパーシート(3塁側)というところ。バックネット裏のエグゼクティブシートと通路を隔てた隣の席なので、選手の姿もよく見えて快適な場所である。

小学生の子供がプロ野球見たい!というので連れてきたが、選手のプレーはそこそこに、手許のお菓子ばかり食べている。



そんなときに、売り子が“ジュースいかがっすか?♪”と近づいてくる。

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もちろん“ジュース買って♪”と泣訴哀願して来る。


“さっきお茶飲んだばかりやないか!”と叱責するも・・・

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おいおい、どこ行くの?

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ほほう、こういうシステムになってるんやね♪

ビアタンク重そうだから、どこかに忘れたということで、ココに置いていってくれてもいいよ。



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野球観戦には、ビールはつき物。これなくして野球観戦はありえない!

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海上自衛隊の輸送艦“おおすみLST-4001”見学(後編)

前回からのつづき・・・



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輸送艦「おおすみ」の甲板に上がると只々広い空間が広がっている。

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帝国海軍の軍艦旗(十六条旭日旗)が戦後の自衛隊にも引き継がれ、「自衛艦旗」として使われている。

こういうのを旗色鮮明というのだろう。

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海上自衛隊の輸送艦“おおすみLST-4001”見学(前編)

近畿地方の梅雨明け宣言が出された7月17日

海上自衛隊の輸送艦「おおすみLST-4001」が大阪港の中央突堤で一般公開しているとの情報を得て、見学に出向く。

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子ども「お父さん・・あの船いがんでるで?、運転するところ左に寄ってる。ひっくり返れへんのかな?」

お父さん「ひっくり返れへんように、ちゃんと工夫してあるんや、心配せんでええ」と言ったものの、その工夫具合はよくわからない。


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入口では、ボディチェックを受けたものの、艦内では写真撮影もOKでいろんなところを見せてもらった。

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輸送艦“おおすみLST-4001”は、平成8年11月に進水した輸送艦おおすみ型の一隻である。

艦種を示す略号はLSTは、Landing ship,Tankの意味で、つまり「戦車揚陸艦」として製造され現在全3隻が呉に配備されている。

また、艦内には数区画に分けられた陸上自衛隊員用の居住区を持ち、完全武装した陸上自衛隊員330名と90式戦車10輌または74式戦車12輌の輸送が可能である。

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大きな開口部から中に入る。

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司馬遼太郎記念館

今月の或る土曜日、上本町で2時間ほどの空き時間ができたので、行きたいと思いながらいまだ実現できていなかった司馬遼太郎記念館に行ってみることにした。

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上本町からは、地階の奈良線で一本、河内小阪駅で下車して徒歩で向う。

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小阪駅のホームには、早くも記念館の広告あり!


駅前の地図を見ると、何ともクネクネして一度見ただけでは憶えられない道順であるが・・・

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アーケードにも大書してあるのでなんとか行けるのではないかと、ゆるゆると出発する。

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アーケードを抜けて公民館のある三叉路を左に向う。(標識がちゃんとある。)
その後も曲がらなくてはならない箇所には標識があるので、見落としさえしなければ大丈夫のようだ。



この横の小阪公園には、氏の文学碑がある。

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 21世紀に生きる君たちへ  司馬遼太郎

 君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
 ― 自分に厳しく、相手にはやさしく。
 という自己を。
 そして、すなおでかしこい自己を。
 21世紀においては、特にそのことが重要である。
 21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向へ持っていってほしいのである。




程なく司馬遼太郎記念館に到着。

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汽笛一聲・阿房列車

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Author : Fuzzy Studio




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何カノキツカケガアレバ汽車ノ事ヲ一所懸命ニ記述シテヰル。子供ノ時ノ汽車に對スル憧憬ガ大人ニナツテモ年を取ツテモ抜ナイノデアラウ。


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 阿房(あほう)と云ふのは、人の思わくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。
 
 用事が なければどこへも行つてはいけないと云ふわけはない。
 なんにも用事がないけれど、汽車に乘つて大阪へ行つて來やうと思ふ。   
    ・・・内田百閒「特別阿房列車」


        

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長崎の鴉・・長崎阿房列車

段段車窓が薄暗くなり、汽車が次第に濃ひ夕闇へ走り込んで行く時に聞く汽笛の響きは、鼻へ抜けたかさ掻きのやうな電氣機關車の聲よりも、蒸氣機關車の複音汽笛が旅情に相應しい。


          


  いつの間にか窓が眞暗になり、窓硝子に響く汽笛の音が、蒸氣機關車C62の複音に變つてゐる。


          
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