JR西日本/灘駅訪問
東海道本線の新快速に乗ると、いつも車窓からの眺めを楽しむ。
大阪から神戸に向う時には、四季によりその姿を変える六甲の山並みは外せない。
そのうち三ノ宮が近づいてくるといつも気になっていた駅がある。
灘(なだ)駅である。
クラシックないでたちのホームと端正な佇まいの駅舎が、いつも目の前を通過していた。
その周辺の駅は、開発だの高架だのと、駅ビルになって随分つまらないモノになってしまったが、そんな中で、この駅はピカ一に輝いていた。
一度訪問しなければ・・・と思いつつ、灘で下車する用事がなく、いつも新快速で通過する年月が続いていた。
平成10年1月31日午後から神戸で会合が予定されていたが、その前に用事はないが灘駅を訪問してみようと思いつき実行に移した。(このあたりは尊敬する百閒先生の教えに忠実である。)

この日のお供は、ミノルタのTC-1
ズボンのポケットにも収まる超小型のボディーに名玉G-ROKKOR28mmf3.5の組合せが、スナツプショットには最高である。
六甲道と三ノ宮の間の駅なので、快速と普通列車を乗り継いでやってきた。

くすんだ暗い色合いが多い鉄道のホームであるが、ここは、アイボリーを基調とした軽快な装いである。

しかし、何といっても鉄骨木造の跨線橋に描かれた駅名板!
戦前ではどの駅でも定番となっていたので、昔は地方の駅ではよく見受けたものだが、昨今は目にすることはめっきりなくなった。
跨線橋の昇り口に設えてある木造の手摺もいい感じである。

跨線橋の通路部分 よく見るとまっすぐではなく途中で折れている。
鉄道省仕様の典型的なものだ。
木造の壁面は上部をガラス窓ではなく開放部としてあるが、目の位置より少し高いので、ここから列車を撮影しようとしてもカメラを上手く構えられない。鉄道ファン泣かせの意匠である。

駅本屋の改札内スペース
アールデコ調の古き良きデザインである。
軒飾りもそのままなのが嬉しいね。
今は柵がして花が飾ってあるが、昔はここから各ホームに繋がっていた通路だったと思われる。

改札の外から同じ方向を見る。行きかう列車も見えて開放的な空間となっている。
駅名の「なだ」の文字が崩壊しているのが残念。
改札横の“Jスルー”ってなんだ?と思ったが、JRの自動改札機のことだった。
平成10年度にはJR京都線・JR神戸線にも設置されたので、訪問した時は、設置の直後といったところか。

駅本屋から入口方向を見る。
反対側と同じ意匠が施されている。

駅の入り口にアーチ状の窓を配したデザインは、戦前の駅舎に多く見受けられた。
香川の琴平駅、東京の国立駅、昔の前橋駅なんかもそうだった。
瀟洒な佇まいの灘駅舎は、昭和9年の建築で阪神間では最も古い駅だったが、惜しまれつつ平成19年に取壊された。

大阪から神戸に向う時には、四季によりその姿を変える六甲の山並みは外せない。
そのうち三ノ宮が近づいてくるといつも気になっていた駅がある。
灘(なだ)駅である。
クラシックないでたちのホームと端正な佇まいの駅舎が、いつも目の前を通過していた。
その周辺の駅は、開発だの高架だのと、駅ビルになって随分つまらないモノになってしまったが、そんな中で、この駅はピカ一に輝いていた。
一度訪問しなければ・・・と思いつつ、灘で下車する用事がなく、いつも新快速で通過する年月が続いていた。
平成10年1月31日午後から神戸で会合が予定されていたが、その前に用事はないが灘駅を訪問してみようと思いつき実行に移した。(このあたりは尊敬する百閒先生の教えに忠実である。)

この日のお供は、ミノルタのTC-1
ズボンのポケットにも収まる超小型のボディーに名玉G-ROKKOR28mmf3.5の組合せが、スナツプショットには最高である。
六甲道と三ノ宮の間の駅なので、快速と普通列車を乗り継いでやってきた。

くすんだ暗い色合いが多い鉄道のホームであるが、ここは、アイボリーを基調とした軽快な装いである。

しかし、何といっても鉄骨木造の跨線橋に描かれた駅名板!
戦前ではどの駅でも定番となっていたので、昔は地方の駅ではよく見受けたものだが、昨今は目にすることはめっきりなくなった。
跨線橋の昇り口に設えてある木造の手摺もいい感じである。

跨線橋の通路部分 よく見るとまっすぐではなく途中で折れている。
鉄道省仕様の典型的なものだ。
木造の壁面は上部をガラス窓ではなく開放部としてあるが、目の位置より少し高いので、ここから列車を撮影しようとしてもカメラを上手く構えられない。鉄道ファン泣かせの意匠である。

駅本屋の改札内スペース
アールデコ調の古き良きデザインである。
軒飾りもそのままなのが嬉しいね。
今は柵がして花が飾ってあるが、昔はここから各ホームに繋がっていた通路だったと思われる。

改札の外から同じ方向を見る。行きかう列車も見えて開放的な空間となっている。
駅名の「なだ」の文字が崩壊しているのが残念。
改札横の“Jスルー”ってなんだ?と思ったが、JRの自動改札機のことだった。
平成10年度にはJR京都線・JR神戸線にも設置されたので、訪問した時は、設置の直後といったところか。

駅本屋から入口方向を見る。
反対側と同じ意匠が施されている。

駅の入り口にアーチ状の窓を配したデザインは、戦前の駅舎に多く見受けられた。
香川の琴平駅、東京の国立駅、昔の前橋駅なんかもそうだった。
瀟洒な佇まいの灘駅舎は、昭和9年の建築で阪神間では最も古い駅だったが、惜しまれつつ平成19年に取壊された。


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古い家並みの残る町~奈良・五條ぶらり旅
山櫻古典寫眞機同好會のメンバーから、「久しぶりに何処か撮影旅行に行きませんか。」というメッセージがLINEのグループ欄にアップされた。
夏の暑い時なのでハードなスケジュールはご免蒙りたいと考えていたが、なりゆきで私が段取りすることになり、奈良の五條には古い町並みが残っているし酒蔵もあるので組織員の嗜好にピッタリということで、7月25日(土)の日帰り旅行を計画した。

近鉄阿倍野橋9:10発の吉野行特急の指定席を確保する。吉野口までの1時間は朝麦酒で乾杯!吉野口からはJR和歌山線で五条に入る。
その予定だった。
いつもなら天神祭りの当日はじりじりとした夏空が広がるものなのだが、今年は要領が違った。
梅雨明けの遅れている近畿地方では、前日夜には近畿中南部に豪雨があり、何かいやな予感がしていた。
案の上、当日の早朝、意気地のないJR西日本は、早々に和歌山線の高田・橋本間を始発からその運転を休止してしまった。


近鉄は動いているが、その先の移動手段を絶たれてしまった。近鉄の下市口まで足を伸ばして、そこからタクシーを飛ばすという手もあったが、組織員にLINEで連絡したところ、複数者から「それなら自家用車出しましょうか」とのありがたい申し出あり。
運転者は、終始お酒が飲めないことになるので誠に申し訳なかったが、なんとか足の手配ができて良かった。
本来7月23日に東京五輪が開催し、なにやかやと沸き立っているはずの4連休だったが、それが憎きコロナ禍により延期となったため、こちらとしては、もしこの計画が中止となれば、その無聊を慰めるものもなくつまらない休日となってしまうところだった。
集合場所を阿倍野橋から谷町六丁目に変更し、予定通り出発進行。
N氏から提供していただいたトヨタ・アルファードの快適な乗り心地を味わいつつ五条に向かう。
途中何度か大雨に出会うが、目的地到着時には霧雨程度の小康状態となる。

五條の新町通りにある源兵衛に11:00からのランチコースを予約していたが、遅れることなく、かつ早すぎず絶妙のタイミングで到着する。
五條 源兵衛は、五條の野菜を中心としたミシュラン☆のレストランである。
日ごろから血液どろどろのメンバーたちには、体が喜ぶ野菜だけのコース料理(@3,500-)を予約していた。お酒は別である。

江戸時代の商家を利用した店舗の中に入ると、落ち着いた雰囲気の中、静かにピアノソナタが流れていた。
店主で料理長でもある中谷暁人さんによるコース料理の説明を受けた後、我々はビール、ドライバー殿はノンアルコールビールで乾杯してコース料理がスタートした。

食前酒ならぬさっぱりとした食前酢で胃を整える

地産のもち米団子のお椀 上には緑鮮やかな様々な野菜が乗っている。黄色い花をつけた極小キュウリもある

湯葉に包まれた正体不明の香草が出てきた。
目をつぶって咀嚼すると牡蠣の味がしますよ。とのことだったので、果たして教示通り反芻すると驚いたことに、生ガキの如き磯臭い風味が漂った。不思議な香草である。

提供される野菜のサンプルが山盛りになってテーブル上に置かれた。
恥ずかしながら、いかに野菜の知識がないかが暴露される瞬間でもある。
あまり聞きなれない野菜の説明が続く。しかし「グラスに入っているのはホップではないですか?」との問いに「そうです」との回答あり・・・やれやれ少しは面目を保つ

野菜だけの天婦羅盛り合わせ
手前の赤いトマトの天婦羅のうしろの大きい一品は、カボチャの花である。
芋の天婦羅も数個あるため、しっかり食べ応えあり。

ビールはほどほどにして、地酒に移る
左は、店主こだわりの野迫川 村おこしプロジェクトにより醸造された「伯母子岳」・・・しっかりとしたガツンとくる味わいで野菜料理との相性が良い。
中と右は、地元の酒蔵山本本家の松の友「十一代」・・・直汲みとは、無濾過の生原酒である。ともに軽やかな飲み口だが、右の大吟醸は少し発泡性を帯びて夏向きの逸品である。

ウリやマメ、豆腐などを色々な味付けで調理した3品 地産池消よろしく地酒との相性も良く、盃がすすんで困る。

止め椀は、五條米の上に針茗荷を乗せたものに、出汁をかけていただく。これも出汁の味わい深く出色の一品だった。

葛菓子 葛の味が濃厚にして弾力のあるものにして、彼の地ならではの得難い風味。
すべて野菜尽しのコース料理だったが、思った以上に満腹感あり。おいしゅうございました。
日ごろの不摂生を洗い流すような、いわば薬膳料理のような感覚がしてならなかった。
少しだけ健康になった気がする。
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みやびの宿 加賀百万石 竣工披露セレモニー
ある程度の年齢の人だと、北陸の山代温泉「ホテル百万石」という名前に聴き覚えがあるに違いない。
ホテル百万石は明治40年創業の老舗旅館だったが、所有者の「北國リゾート株式会社(旧:株式会社ホテル百万石)」が経営不振を理由に平成22年9月に金沢地裁から破産手続き開始の決定を受けた。
その後もホテルは別会社が経営していたが、平成24年9月から休業となっていた。
その後、紆余曲折を経て平成29年に大阪のホテル経営会社ビッググループが買い取り、営業再開に向けて外装・内装・庭園と整備を続けてきた。
そして、この度ようやく開業にこぎつけたということで、平成30年12月22日(土) 関係者向けに竣工披露セレモニーが開催された。

山代温泉の中心部の総湯からやや南下した場所にその巨大なホテルはある。

大きく広い玄関車寄せ。
確かに招待客を載せた何台ものタクシーが横付けられていたが、全く問題なかった。


正面玄関を入ると、これまた広いロビー空間が現れる。右わきに立派なフロントがあるのだが、そちらが狭く小さく感じてしまう。

このあたりは、昔喫茶コーナーのあったところかもしれない。

五角形のテーブルにソファを配したラウンジ・・・広いスペースがないと、こんな配置はできないと感心しきり
奥の方にはまだ余裕がありそうだ。

ロビーとラウンジの場所は、本館の3階部分となる。
広い庭園を見渡せるここからの眺めは、素晴らしい。非日常なラグジュアリー感を否応なく満喫することができる。

一階からの風景・・大阪梅田のヒルトンプラザと雰囲気が似ているようだが、こちらのほうが先輩である。
これだけのホテルが5年以上も休業していたとは、もったいないことであった。

大きなおみやげコーナーもあるが、まだ内覧の状態なので品揃えはこれからというところ。
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近江八幡フォト散歩と京阪プレミアムカー

母校の同窓会の有志が集う“山櫻古典寫眞機同好會”でLINE交換をしているうちに、久しぶりに撮影会を催行しようとなった。
いろいろ行き場所を考えたが、ヴォーリズ設計の建築物が多く残る近江八幡をフォト散歩することに決定した。
過去の“山櫻古典寫眞機同好會”の様子は、コチラ

天気もよさそうなので、黄金週間2日目の平成30年4月30日にオヤジ3名で出掛た。
もちろん“古典寫眞機同好會”なので、フィルムカメラがメインである。
一人は、“キャラメル箱”と称される名代のコンパクトカメラのローライ35・ゾナー40mm
もう一人は、ニコンF3に6×6のハッセルブラッドという重装備である。

小生は、コンパクトにLeicaIIIb+Summaron3.5cm・COLOR-SKOPAR21mmといういで立ち
モノクロフイルムには、この暗~いSummaronが階調豊かな描写をしてくれるのでベストな選択だと思っている。
最近富士フイルムが白黒フィルムの製造を中止した。との悲報に接し、急遽買い求めた国産最後の35mmモノクロフイルム「ACROS100」を久しぶりにバルナックライカに装填する

フイルムの装填にも、ライカ特有の作法があり背筋が伸びる思いがした。
※ただし、ブログアップ時にはまだフイルムの現像ができていないので、サブカメラとして併用したデジタルカメラで撮影したものを掲載する。
大阪9:00の新快速に乗車。ゴールデンウイークらしく京都までは混雑していたが、京都以東は車内は閑散とした状態
ゆったりとした雰囲気で10:06近江八幡到着

最初は八幡商業高校を訪問 S13の建築である。
過日いろいろと物議を醸した豊郷小学校よりは洗練されたデザインである。
ここから近江商人の卵たちが多く輩出されたのだろうね。
調べてみると驚いたことに・・・宇野宗佑(元首相)、伊藤忠兵衛(二代目伊藤忠)、塚本幸一(ワコール)、川瀬源太郎(日本生命)など政経界のお歴々が並んでいた。

近くにあった八幡小学校の木造校舎
これはヴォーリズの建築ではないが、壮麗な木造校舎が現役なのが素晴らしい。
行政と市民ともども由緒ある建物に対しての考え方・接し方が偲ばれて、とても感銘を受ける。
ヴォーリズの代表的建築物であった大丸心斎橋筋店の取壊しを目の当たりにしたものとしては、この地はパラダイスのように感じる。

S6築のヴォーリズ記念館 晩年のヴォーリズ夫妻の居所でもある。

歴史的な建造物を訪問するたびにいただいたパンフを見ると、彼のヴォーリズさんだが、昭和16年に日本に帰化したのち、終戦直後、軽井沢に疎開していた時、近衛文麿の密使が訪れて、近衛とマッカーサーとの会見の斡旋を依頼されたことがあった。そしてマッカーサーの側近との会談の中で天皇には戦争責任はないこと、天皇は自分が神と等しいとは考えていないこと等を伝え、近衛とマッカーサーとの会談を実現させたとのこと。そうなれば戦後処理に一翼を担った人物といえよう。

池田町の洋風建築群煉瓦外塀・・・大阪の江戸堀にある大阪教会の外壁を思い起こさす意匠である。
近江八幡は、近江商人の街でもあり、中心部には日本的な古い家並みが残っている。

このような街並みの中、明治中期に西洋建築を建設することは、大変な反感があっただろうし、大いなる努力と周囲の理解がないと難しいと思われる。

またここは、八幡瓦の産地でもある。
豊臣秀次が八幡山城を築城した際、整備した八幡堀を利用して、瓦の製造が栄えたのが礎だとか。それ以降は地場産業としての瓦製造が展開されている。

そんな八幡堀端の一角にある「喜兵衛」さんで昼食


美しい新緑の庭を眺めながら箸を取る。

近江牛のタタキと滋賀づくりの一番搾りでスタート

地元の名物が取り入れられた喜兵衛御膳をあてにビールがすすむ
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餘部・鳥取の夏休み(その4)
平成29年8月11日(金)祝日

岩井温泉9:16の路線バスで砂丘東口に9:56到着
見るだけで暑そうな光景が広がっている。

午前中ではあるが、真夏の砂丘を物好きに訪問する人がいるのかと疑問を持っていたが、予想外に大盛況!
駐車場も満車状態。
砂丘なんて1度訪問すれば、得心がいくと思うのだが、何度も訪問する気持ちがわからない。
地元民の遊びに行くところは外にないのか・・・・と勘繰りたくなる。
はるかに望む馬の背といわれる丘陵まで行けば、美しい日本海が見えるというので、足場の悪い砂場を登っていくが、予想外の高さと難渋さに苦慮させられる。
足を前に出しても砂地なのでめり込んでロスが多い。要するに、なかなか登れないのだ。

ふうふう言いながら、馬の背まで登ると、さわやかな風と共に、日本海の絶景が広がる。
やはりここまで来なくてはならないようだ。

砂だけでこんな小山を形成していることが驚かされる。

海岸線まで下りて楽しんでいる人もいるが、復路のことを考えると有り得ない選択である。

岩井温泉9:16の路線バスで砂丘東口に9:56到着
見るだけで暑そうな光景が広がっている。

午前中ではあるが、真夏の砂丘を物好きに訪問する人がいるのかと疑問を持っていたが、予想外に大盛況!
駐車場も満車状態。
砂丘なんて1度訪問すれば、得心がいくと思うのだが、何度も訪問する気持ちがわからない。
地元民の遊びに行くところは外にないのか・・・・と勘繰りたくなる。
はるかに望む馬の背といわれる丘陵まで行けば、美しい日本海が見えるというので、足場の悪い砂場を登っていくが、予想外の高さと難渋さに苦慮させられる。
足を前に出しても砂地なのでめり込んでロスが多い。要するに、なかなか登れないのだ。

ふうふう言いながら、馬の背まで登ると、さわやかな風と共に、日本海の絶景が広がる。
やはりここまで来なくてはならないようだ。

砂だけでこんな小山を形成していることが驚かされる。

海岸線まで下りて楽しんでいる人もいるが、復路のことを考えると有り得ない選択である。
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餘部・鳥取の夏休み(その3)
(前回からのつづき)
只今の時刻15:10
自宅を午前5時に発ってから10時間の鈍行と途中下車を繰り返した不急旅を経て、本日の宿泊地「岩井温泉」に到着した。

小さな温泉地であるが、昔の街道筋にあたるので、鉄道が開通するまでは、行き交う人々で賑わっていたようだ。
また鳥取最古の温泉地として有名なところである。

上の案内図の右下の絵のように、手ぬぐいを頭に載せて、その上から湯をかける奇習がある温泉でもある。
その名を冠する共同浴場「ゆかむり温泉」
現在では、「タオルは湯船に浸けないでください!」と叱られてしまいそうな感じがする。
・・・少しチェックインには早いので、街中にある明治の遺構を見学に行く。

明治25年築の岩井小学校である。
岩美町の保護文化財とのことであるが、状態が頗る悪い。


つた類のなすがままの朽廃状態で、倒壊の心配までする必要があるようだ。

貴重な明治の遺構だけに何とかいい状態で保存してもらいたいものだ。
「ふるさと納税」は、こういうところにもお金を掛けて欲しいね。

さてさて、貴重な建物を見学した後は、源泉掛け流しの湯元「岩井屋」さんにお世話になる。
昭和9年に発生した町中の大火の後に再建されたと聞く木造3階建の旅館である。

玄関先には、灯篭流しの行灯が置かれ、お盆が近いことを告げていた。

たたきから、クツを脱いで上がれば、そこからすべて畳敷き。
スリッパというものが要らない民芸調の純和風旅館である。

ロビーの片隅に置かれた置き床も趣味のいいものとなっている。


ロビーの展示品やコーヒーカップにいたるまで、オーナーのこだわりを感じさせるシツラエとなっている。

只今の時刻15:10
自宅を午前5時に発ってから10時間の鈍行と途中下車を繰り返した不急旅を経て、本日の宿泊地「岩井温泉」に到着した。

小さな温泉地であるが、昔の街道筋にあたるので、鉄道が開通するまでは、行き交う人々で賑わっていたようだ。
また鳥取最古の温泉地として有名なところである。

上の案内図の右下の絵のように、手ぬぐいを頭に載せて、その上から湯をかける奇習がある温泉でもある。
その名を冠する共同浴場「ゆかむり温泉」
現在では、「タオルは湯船に浸けないでください!」と叱られてしまいそうな感じがする。
・・・少しチェックインには早いので、街中にある明治の遺構を見学に行く。

明治25年築の岩井小学校である。
岩美町の保護文化財とのことであるが、状態が頗る悪い。


つた類のなすがままの朽廃状態で、倒壊の心配までする必要があるようだ。

貴重な明治の遺構だけに何とかいい状態で保存してもらいたいものだ。
「ふるさと納税」は、こういうところにもお金を掛けて欲しいね。

さてさて、貴重な建物を見学した後は、源泉掛け流しの湯元「岩井屋」さんにお世話になる。
昭和9年に発生した町中の大火の後に再建されたと聞く木造3階建の旅館である。

玄関先には、灯篭流しの行灯が置かれ、お盆が近いことを告げていた。

たたきから、クツを脱いで上がれば、そこからすべて畳敷き。
スリッパというものが要らない民芸調の純和風旅館である。

ロビーの片隅に置かれた置き床も趣味のいいものとなっている。


ロビーの展示品やコーヒーカップにいたるまで、オーナーのこだわりを感じさせるシツラエとなっている。

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おとなび「立山黒部アルペンルートと新緑の安曇野・上高地2日間」(その3)
- Sun
- 07:00
- ∇阿房列車 旅日誌 - ├阿房列車・関東甲信越
前回からのつづき
立山黒部アルペンルートを越えて、本日のお宿は、安曇野

エントランスは、ゴルフ場のクラブハウスのような“穂高ビューホテル”

快適な環境が提供された。
“おとなび”頑張りましたね。


ルームキーは、定番のクリスタルキー
(ホテルのキーもそれぞれ特徴があって面白いので、できるだけ撮っておくようにしている。)

私は、もちろんビールだが、子どもたちは、これを自販機で買ってきた。
「富より健康」と言い切るところが、清々しい松田牛乳である。

一風呂浴びた後は、お楽しみの夕食である。
普通の夕食より軽めだったのは、“おとなび”の構成年齢を考えたものかもしれないね。
日ごろ食べすぎ傾向なので、少なめでもOKですよ。

こういった、HOTAKAの地ビールとか・・・

地酒を楽しめたら、それで満足なのだ!
それなりに温泉などを楽しんだ後、爆睡すれば翌朝となる。
今日も天気は良くないが、高原ホテルの朝霧に包まれて散歩するのも悪くない。
亜熱帯の大阪のことを思えば、涼しいだけでご馳走である。


星空広場というだけに、天気がよければ満点の星が楽しめるのであろうが、昨夜はクローズの館内掲示があった。
この天気では致し方ない。

もうすぐ8月というのに、こちらでは紫陽花が見ごろである。

同じところを露出と絞りを変えて撮ってみたら、かなり雰囲気の違うものになった。

やはり Leitz SUMMILUX35mm f1.4 は面白いレンズである。

立山黒部アルペンルートを越えて、本日のお宿は、安曇野

エントランスは、ゴルフ場のクラブハウスのような“穂高ビューホテル”

快適な環境が提供された。
“おとなび”頑張りましたね。


ルームキーは、定番のクリスタルキー
(ホテルのキーもそれぞれ特徴があって面白いので、できるだけ撮っておくようにしている。)

私は、もちろんビールだが、子どもたちは、これを自販機で買ってきた。
「富より健康」と言い切るところが、清々しい松田牛乳である。

一風呂浴びた後は、お楽しみの夕食である。
普通の夕食より軽めだったのは、“おとなび”の構成年齢を考えたものかもしれないね。
日ごろ食べすぎ傾向なので、少なめでもOKですよ。

こういった、HOTAKAの地ビールとか・・・

地酒を楽しめたら、それで満足なのだ!
それなりに温泉などを楽しんだ後、爆睡すれば翌朝となる。
今日も天気は良くないが、高原ホテルの朝霧に包まれて散歩するのも悪くない。
亜熱帯の大阪のことを思えば、涼しいだけでご馳走である。


星空広場というだけに、天気がよければ満点の星が楽しめるのであろうが、昨夜はクローズの館内掲示があった。
この天気では致し方ない。

もうすぐ8月というのに、こちらでは紫陽花が見ごろである。

同じところを露出と絞りを変えて撮ってみたら、かなり雰囲気の違うものになった。

やはり Leitz SUMMILUX35mm f1.4 は面白いレンズである。

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おとなび「立山黒部アルペンルートと新緑の安曇野・上高地2日間」(その2)
(前回からのつづき)
H29.7.29(土)
ケーブル立山から黒四ダムを経て扇沢までいろいろな乗り物を経て行くと一人当たり8,290円必要である。
個人旅行であれば、大変な負担となるところだが、ツアーなので、その点は気楽なものだ。

ケーブル立山駅から美女平に標高差500メートルの斜面を登っていく。

美女平から室堂までは立山高原バスに乗る。ここから標高差1,500メートルを約50分かけて登っていく。
相変わらず天気が悪い。今にも雨がふってきそうな霧の中を進む。
晴天もいいが、避暑に来ているので、涼しい天気は有り難い。
名所の称名滝もホワイトアウトで見えず。
まあ、以前来た時に見たから別にかまわない・・・などと負け惜しみをいう。

弥陀ヶ原を経て室堂に到着すると、7月末というのに、「雪の大谷」の残景が見られた。
室堂の標高は、2,450メートルである。

乗換の待ち時間を利用して戸外に出てみる。

見晴台からの現実・・・・

ここからは、こんな風景が見えるはずだった。
パンフレットの「ヤッホー!立山」の文字が、イラッと来る。

最も標高の高いところにある湧き水という「立山玉殿の湧水」の清冽を味わう。
こちらは天気は関係ない。
H29.7.29(土)
ケーブル立山から黒四ダムを経て扇沢までいろいろな乗り物を経て行くと一人当たり8,290円必要である。
個人旅行であれば、大変な負担となるところだが、ツアーなので、その点は気楽なものだ。

ケーブル立山駅から美女平に標高差500メートルの斜面を登っていく。

美女平から室堂までは立山高原バスに乗る。ここから標高差1,500メートルを約50分かけて登っていく。
相変わらず天気が悪い。今にも雨がふってきそうな霧の中を進む。
晴天もいいが、避暑に来ているので、涼しい天気は有り難い。
名所の称名滝もホワイトアウトで見えず。
まあ、以前来た時に見たから別にかまわない・・・などと負け惜しみをいう。

弥陀ヶ原を経て室堂に到着すると、7月末というのに、「雪の大谷」の残景が見られた。
室堂の標高は、2,450メートルである。

乗換の待ち時間を利用して戸外に出てみる。

見晴台からの現実・・・・

ここからは、こんな風景が見えるはずだった。
パンフレットの「ヤッホー!立山」の文字が、イラッと来る。

最も標高の高いところにある湧き水という「立山玉殿の湧水」の清冽を味わう。
こちらは天気は関係ない。
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おとなび「立山黒部アルペンルートと新緑の安曇野・上高地2日間」(その1)
JR西日本のシニア向け旅行クラブ「おとなび」からは、ウェブでいろいろな旅行プランの案内がある。
そんな中で、目に留まったツアー旅行があった。
平成29年7月29日(土)・30日(日)に催行される「立山黒部アルペンルートと新緑の安曇野・上高地2日間」である。

私は数回訪れたことがあるルートであるが、以前から中学生の長男から立山黒部アルペンルートに行きたいとの要望があった。個人的に行くと結構費用がかかるし、日程調整が難しいと考えていたところに、このプランが提示された。
まさに渡りに舟というわけだ。

「おとなび」は50歳以上が入会資格となるので、このツアーも年齢層が高そうだが、予想通り初日の大阪駅で集まった34名の面々を見るとシニアのカップルがほとんど。中高生を含む家族旅行は我々だけだった。

ツアー旅行は、団体行動なので、勝手な振る舞いは厳禁であるが、ツアコンの指示に従っていればいいので、個人旅行のような気配りする苦労はないのがありがたい。
そしてこれは、年齢層の高いツアーなので華やかさはないが、良識を持った方々による落ち着いた旅が出来るようにも感じた次第である。(注:これは実際のところ、最後まで裏切られることはなかった。)
さてさて・・・

大阪駅7:40発のサンダーバード5号 この最後尾の12号車に乗車

朝食は、車中にて・・・旅の定石として、とりあへず飲み始めました。

武生駅で福井鉄道の車輌を見る。どれも新型の低床型(路面電車形)車両「F1000形」だ。(ペットボトルじゃま!)
そんな中で、目に留まったツアー旅行があった。
平成29年7月29日(土)・30日(日)に催行される「立山黒部アルペンルートと新緑の安曇野・上高地2日間」である。

私は数回訪れたことがあるルートであるが、以前から中学生の長男から立山黒部アルペンルートに行きたいとの要望があった。個人的に行くと結構費用がかかるし、日程調整が難しいと考えていたところに、このプランが提示された。
まさに渡りに舟というわけだ。

「おとなび」は50歳以上が入会資格となるので、このツアーも年齢層が高そうだが、予想通り初日の大阪駅で集まった34名の面々を見るとシニアのカップルがほとんど。中高生を含む家族旅行は我々だけだった。

ツアー旅行は、団体行動なので、勝手な振る舞いは厳禁であるが、ツアコンの指示に従っていればいいので、個人旅行のような気配りする苦労はないのがありがたい。
そしてこれは、年齢層の高いツアーなので華やかさはないが、良識を持った方々による落ち着いた旅が出来るようにも感じた次第である。(注:これは実際のところ、最後まで裏切られることはなかった。)
さてさて・・・

大阪駅7:40発のサンダーバード5号 この最後尾の12号車に乗車

朝食は、車中にて・・・旅の定石として、とりあへず飲み始めました。

武生駅で福井鉄道の車輌を見る。どれも新型の低床型(路面電車形)車両「F1000形」だ。(ペットボトルじゃま!)
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平成7年 特急“TSUBAME”乗車記
平成7年11月9日再度鹿児島に出張した際、前回は空路で帰阪したが、今回は時間に余裕があったので、陸路を選ぶ。
憧れの特急“つばめ”を始発の西鹿児島から終着の博多まで乗車した。
西鹿児島12:10発の特急つばめ14号である。

西鹿児島駅の在来線ホームを横切るように新幹線ホームがその姿を見せようとしている。
新八代~鹿児島中央の開業は、平成16年3月13日なので、その9年前の姿だ。


クモロ787-2 先頭車のサイドビューは直線的な輪郭で、とても精悍なものとなっている。

そのサイドには、歴史と伝統の名列車“TSUBAME”の表示が大書されている。


サハシ787形のセミコンパートメントで4席×6室が配置されていた。

正方形の窓も、この車輌を特徴付けている。
憧れの特急“つばめ”を始発の西鹿児島から終着の博多まで乗車した。
西鹿児島12:10発の特急つばめ14号である。

西鹿児島駅の在来線ホームを横切るように新幹線ホームがその姿を見せようとしている。
新八代~鹿児島中央の開業は、平成16年3月13日なので、その9年前の姿だ。


クモロ787-2 先頭車のサイドビューは直線的な輪郭で、とても精悍なものとなっている。

そのサイドには、歴史と伝統の名列車“TSUBAME”の表示が大書されている。


サハシ787形のセミコンパートメントで4席×6室が配置されていた。

正方形の窓も、この車輌を特徴付けている。
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平成7年 追憶の西鹿児島駅

こんな時代もありました。
ブルートレインの後ろには建設中の新幹線ホームが見えている。
これは平成7年10月31日に仕事で鹿児島を訪れた時に撮影したもの。

そして、JR西鹿児島駅の駅舎はこんな感じの平家建だった
左端にTSUBAMEの看板が・・・787系が導入され脚光を浴びていた頃ではなかったか。


対面の西鹿児島駅前風景

現在の鹿児島中央駅・・・もう面影は全然ない 同じ場所だとは全く考えられない。
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肥薩線めぐりの旅(その6) SL人吉
5回シリーズで続けてきた「肥薩線めぐりの旅」もこれが最終回

平成28年8月20日 人吉市内観光を終えて今回は人吉駅からスタートする。

人吉駅の構内には、立派な石造りの機関庫がある。肥薩線開業直後の明治44年築である。
下りの「SL人吉」を牽引した58654の休憩場所でもある。
妻面が覆い屋根のためよくわからないが、入口は3連のアーチ型となっている。


SL人吉が推進運転で駅ホームに入線していく。

隣の車庫の長さと列車を比べると、その車庫は、機関車1輌+客車3輌がすっぽり納められるほどの規模をもっていることがわかる。

14:38発熊本行きの“SL人吉”に乗車 (SL人吉号とは言わないことに注意!)
本日のこの上り便は、夏休みの土曜日だけあって満席札止めとなっている。

平成28年8月20日 人吉市内観光を終えて今回は人吉駅からスタートする。

人吉駅の構内には、立派な石造りの機関庫がある。肥薩線開業直後の明治44年築である。
下りの「SL人吉」を牽引した58654の休憩場所でもある。
妻面が覆い屋根のためよくわからないが、入口は3連のアーチ型となっている。


SL人吉が推進運転で駅ホームに入線していく。

隣の車庫の長さと列車を比べると、その車庫は、機関車1輌+客車3輌がすっぽり納められるほどの規模をもっていることがわかる。

14:38発熊本行きの“SL人吉”に乗車 (SL人吉号とは言わないことに注意!)
本日のこの上り便は、夏休みの土曜日だけあって満席札止めとなっている。
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肥薩線めぐりの旅(その5) 球磨川の温泉地「人吉」
前回からのつづき

平成28年8月20日13:30 人吉駅からレンタサイクルで相良氏の城下町に飛び出した。
電動アシスト付ママチャリなので楽チンであるが、気温35度快晴の下ではやや辛い。
はやく一っ風呂浴びたいものだ!

レトロの極みといわれた昭和初期の銭湯の様子を今に伝える「新温泉」や

大正築の最古参の「堤温泉」の佇まいを確認した後・・・

熊本県最南端の裁判所をチェックし・・・

裁判所あるところには、検察・法務局の存在もあるので、新築なったお洒落な人吉法務総合庁舎も確認!

人吉城郭のほとりの球磨川支流「胸川」で川遊びする親子連れの姿に、いまだ変わらぬ日本の夏景色を見て嬉しくなる。
因みに城下町人吉球磨を治めた相良(さがら)氏は鎌倉初期から江戸時代の終わりまで700年治世した氏柄である。
球磨での相良家の歴史は、源頼朝の命により遠江国より下向して来ることがはじまる。
以後、戦国の世を乗り切り、豊臣秀吉、徳川氏からも所領を安堵され、明治維新まで命脈を保った。
そのように、相良家は長きにわった所領を守り抜いた全国的には稀有な大名である。
そして、彼の地は明治2年の版籍奉還により人吉県となり、その後八代県に合併され人吉藩は消滅した。
それはさておき・・・人吉城址に近い人吉温泉「元湯」に到着


平成28年8月20日13:30 人吉駅からレンタサイクルで相良氏の城下町に飛び出した。
電動アシスト付ママチャリなので楽チンであるが、気温35度快晴の下ではやや辛い。
はやく一っ風呂浴びたいものだ!

レトロの極みといわれた昭和初期の銭湯の様子を今に伝える「新温泉」や

大正築の最古参の「堤温泉」の佇まいを確認した後・・・

熊本県最南端の裁判所をチェックし・・・

裁判所あるところには、検察・法務局の存在もあるので、新築なったお洒落な人吉法務総合庁舎も確認!

人吉城郭のほとりの球磨川支流「胸川」で川遊びする親子連れの姿に、いまだ変わらぬ日本の夏景色を見て嬉しくなる。
因みに城下町人吉球磨を治めた相良(さがら)氏は鎌倉初期から江戸時代の終わりまで700年治世した氏柄である。
球磨での相良家の歴史は、源頼朝の命により遠江国より下向して来ることがはじまる。
以後、戦国の世を乗り切り、豊臣秀吉、徳川氏からも所領を安堵され、明治維新まで命脈を保った。
そのように、相良家は長きにわった所領を守り抜いた全国的には稀有な大名である。
そして、彼の地は明治2年の版籍奉還により人吉県となり、その後八代県に合併され人吉藩は消滅した。
それはさておき・・・人吉城址に近い人吉温泉「元湯」に到着

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肥薩線めぐりの旅(その4) 鉄道の聖地“矢岳越え”
前回からのつづき

平成28年8月20日(土)肥薩線の吉松から人吉に向けて、いよいよ日本屈指の山線「矢岳越え」に挑む

今回の行程(ブルーのライン)
吉松からは11:49発の「しんぺい2号」に乗車

今までの磨墨が如き「はやとの風」とは異なり、これからは、眞田の赤備えの如き「しんぺい号」である。
この上り列車「しんぺい号」は、鉄道開通当時の鉄道院総裁の後藤新平から名づけられた。
因みに下り列車は「いさぶろう号」である。当時の官鉄を管掌していた逓信大臣・山縣伊三郎からとられた。
その訳は・・・
肥薩線の矢岳第一トンネルは、矢岳駅と真幸駅の間にあり、矢岳駅を出て最初のトンネルである。
明治42年11月21日に開通した、全長2,096メートルのこのトンネルは、肥薩線で最も長いトンネルとして知られている。
また、南側へ向けて25パーミルの下りの片勾配となっている。この勾配と、人里離れた山奥ということもあり、資材搬入の便の困難さ、そして水分の多い凝灰岩のために湧水が多く、工事はかなり難航した。この工事は、現在の青函トンネル工事に匹敵する大工事だったと言われている。
トンネルの人吉側には、当時の逓信大臣・山縣伊三郎の揮毫で「天険若夷」(てんけんじゃくい)、吉松側には、鉄道院総裁・後藤新平の揮毫で「引重致遠」(いんじゅうちえん)の扁額が取り付けられている。これらの言葉を繋げて読むことにより、「天下の難所を平地であるかのように工事したおかげで、重い貨物であっても、遠くまで運ぶことができる」という意味である。
これらの揮毫がなされるほどの国家を挙げての大工事であった訳だ。
この二人にあやかって名づけられたのが「しんぺい号」であり「いさぶろう号」である。
今から思えば、鉄道路線は、険しい山岳コースより海側のルート(現鹿児島本線)のほうが安全安価に仕上がる気がするが、明治時代の陸軍が、海側ルートは外国から狙われて危険であるとして鉄道敷設に強く反対したからこうなった。
現鹿児島本線の開通は肥薩線開通から18年後の昭和2年になる。
明治の軍人は薩摩人が多かったが、幕末の薩英戦争の影に怯えていたのだろうか?

先頭車の3号車からキハ47-8159+キハ47-9082+キハ140-2125の3輌編成である。


強度の点は問題ないのであろうか?と、心配になるほどフリースペース部分が大胆にカットされている。

「はやとの風」と異なりスタンディングタイプのフリースペースとなっている。


平成28年8月20日(土)肥薩線の吉松から人吉に向けて、いよいよ日本屈指の山線「矢岳越え」に挑む

今回の行程(ブルーのライン)
吉松からは11:49発の「しんぺい2号」に乗車

今までの磨墨が如き「はやとの風」とは異なり、これからは、眞田の赤備えの如き「しんぺい号」である。
この上り列車「しんぺい号」は、鉄道開通当時の鉄道院総裁の後藤新平から名づけられた。
因みに下り列車は「いさぶろう号」である。当時の官鉄を管掌していた逓信大臣・山縣伊三郎からとられた。
その訳は・・・
肥薩線の矢岳第一トンネルは、矢岳駅と真幸駅の間にあり、矢岳駅を出て最初のトンネルである。
明治42年11月21日に開通した、全長2,096メートルのこのトンネルは、肥薩線で最も長いトンネルとして知られている。
また、南側へ向けて25パーミルの下りの片勾配となっている。この勾配と、人里離れた山奥ということもあり、資材搬入の便の困難さ、そして水分の多い凝灰岩のために湧水が多く、工事はかなり難航した。この工事は、現在の青函トンネル工事に匹敵する大工事だったと言われている。
トンネルの人吉側には、当時の逓信大臣・山縣伊三郎の揮毫で「天険若夷」(てんけんじゃくい)、吉松側には、鉄道院総裁・後藤新平の揮毫で「引重致遠」(いんじゅうちえん)の扁額が取り付けられている。これらの言葉を繋げて読むことにより、「天下の難所を平地であるかのように工事したおかげで、重い貨物であっても、遠くまで運ぶことができる」という意味である。
これらの揮毫がなされるほどの国家を挙げての大工事であった訳だ。
この二人にあやかって名づけられたのが「しんぺい号」であり「いさぶろう号」である。
今から思えば、鉄道路線は、険しい山岳コースより海側のルート(現鹿児島本線)のほうが安全安価に仕上がる気がするが、明治時代の陸軍が、海側ルートは外国から狙われて危険であるとして鉄道敷設に強く反対したからこうなった。
現鹿児島本線の開通は肥薩線開通から18年後の昭和2年になる。
明治の軍人は薩摩人が多かったが、幕末の薩英戦争の影に怯えていたのだろうか?

先頭車の3号車からキハ47-8159+キハ47-9082+キハ140-2125の3輌編成である。


強度の点は問題ないのであろうか?と、心配になるほどフリースペース部分が大胆にカットされている。

「はやとの風」と異なりスタンディングタイプのフリースペースとなっている。

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肥薩線めぐりの旅(その3) 鉄道の町吉松へ
前回からのつづき

今回の旅程(ブルーのライン)
平成28年8月20日(土) 霧島温泉で英気を養ったあと、丸尾温泉バス停留所からJR霧島温泉駅に戻る。
この10:01発のバスを逃すと13時までないので、油断ならない。

霧島温泉からは10:41発の特急「はやとき風2号」に乗車するが、やってきた列車がこの駅で5分停車
停車中は、ホームでは、乗客にお茶が振舞われ、地元の特産物販売の即席市場となる。
この特急は自由席ならば300円の支払いで済む。この列車も混雑とは無縁のローカル列車であった。
10:48大隅横川駅着 ここでは6分の停車である。


どうやらこの地における昔の基準的な駅舎構造は、駅舎の出入り口を端に設けて、庇を深く角の周りをL字型に配するもののようだ。

この駅も嘉例川駅同様、明治36年築
改札の梁にその証拠を見つけた。 鉄道の財産標である。

駅本屋 明治36年1月築・・・確認! 日本に風雲急を告げる日露開戦の前年である。




機銃掃射の痕跡に当時の町の規模を推量していると・・・
アテンダントの打ち鳴らす鐘に我を戻し、車内に戻る。

ラウンジコーナーで自撮したものだが、偶然稼働中のアテンダントが写り込んだ。
彼女たちは実によく働きます。

今回の旅程(ブルーのライン)
平成28年8月20日(土) 霧島温泉で英気を養ったあと、丸尾温泉バス停留所からJR霧島温泉駅に戻る。
この10:01発のバスを逃すと13時までないので、油断ならない。

霧島温泉からは10:41発の特急「はやとき風2号」に乗車するが、やってきた列車がこの駅で5分停車
停車中は、ホームでは、乗客にお茶が振舞われ、地元の特産物販売の即席市場となる。
この特急は自由席ならば300円の支払いで済む。この列車も混雑とは無縁のローカル列車であった。
10:48大隅横川駅着 ここでは6分の停車である。


どうやらこの地における昔の基準的な駅舎構造は、駅舎の出入り口を端に設けて、庇を深く角の周りをL字型に配するもののようだ。

この駅も嘉例川駅同様、明治36年築
改札の梁にその証拠を見つけた。 鉄道の財産標である。

駅本屋 明治36年1月築・・・確認! 日本に風雲急を告げる日露開戦の前年である。




機銃掃射の痕跡に当時の町の規模を推量していると・・・
アテンダントの打ち鳴らす鐘に我を戻し、車内に戻る。

ラウンジコーナーで自撮したものだが、偶然稼働中のアテンダントが写り込んだ。
彼女たちは実によく働きます。
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肥薩線めぐりの旅(その2) はやとの風で霧島温泉へ
前回からのつづき
-101.jpg)
H28.8.19 いよいよ大人の夏休みのスタートである。
昔の鹿児島本線であった山岳ルートの肥薩線(明治42年開通)は私にとって未踏路線だ。
(註)湾岸ルートの現鹿児島本線は、昭和2年10月17日の湯浦駅から水俣駅までの開通より海岸線周りの八代駅から鹿児島駅までが全通することによって誕生した。それまでは現肥薩線が鹿児島本線を名乗っており、鹿児島・宮崎への大動脈だった。
この機会にぜひ訪れてみたいと考えた。
おまけに霧島温泉で一泊すればなお素晴らしいではないか・・・と。

午前中の仕事では紆余曲折があったが、奮闘努力の結果・・・なんとか鹿児島中央13:23発の特急「はやとの風4号」に間に合った。

本日の旅程表(ブルーのライン)

在来線の普通列車に並ぶ女子高校生の列をカメラ片手に「ごめんなさい」と告げて横切り、テンション上げてホームを駆け巡っていたビジネスマン姿のオヤジは私でした。

そりや、頻繁に来られない場所ですしね。
おまけに初めて乗るデザイナーズ特急となればテンションも上がりますよ!!!
1号車(キハ147-1045)+2号車(キハ47-8092) というあっさりとした2両編成の観光特急列車である。

1号車キハ147-1045の車内 重厚なつくりで国鉄時代の車内イメージを色濃く伝える装飾

2号車キハ47-8092の車内 淡い色合いで軽快な感じがする車内装飾
中央にフリースペースがあり、とにかくJR西日本には見られない意匠の車輌に、一期一会で楽しまなくては・・・
金曜日の午後ということもあってか、車内は空席が目立つ。

定時の出発の後、鹿児島駅を過ぎれば、左手に磯庭園、右の窓からは錦江湾と桜島を楽しむ

次の竜ケ水駅には、何やら意味ありげな石碑がホームに鎮座していた。
平成5年に発生した8月豪雨で駅舎および周辺地域は甚大な被害を受けており、その際の乗員乗客脱出劇は、さまざまなドキュメンタリー番組で取り上げられた。
被災時の有名なエピソードとして、停車中の車両を堤防代わりにして乗客を避難させた乗務員の話がある。
被災したのは西鹿児島駅(現:鹿児島中央駅)行の普通列車(キハ200-1007)で、竜ケ水駅に停車中に鹿児島駅方面の線路が土砂崩れで通行不能となった。運転士は国分方面へ引き返そうとしたが、いつまでたっても指令室の許可が下りず、交渉中に国分方面の線路も遮断され立ち往生してしまった。このとき土石流の危険を感じた運転士が、自らの判断で崩れそうな箇所に、あえて列車を停車させ、乗客のいない車両を堤防代わりにして乗客を避難させた。この好判断により乗客は土石流発生直前に避難することができた。ただし、乗務員の指示を無視して列車内に留まった乗客3人は死亡した。(ウィキペディアより)
その災害復旧記念碑である。

島津の歴史とかかる出来事に思いを馳せながら、一方では車内のアテンダントにオーダーして、地元の地ビール「SATSUMA GOLD」を持ってきてもらった。
こういうのは逃すわけには行かない。
ところが瓶ビールとプラコップの組み合わせだった。
座席のテーブルは、ディーゼル車輌の横揺れに耐えるほどのものではなく、表面はツルツル。両手を離して写真撮影できたのが奇跡のようなお話。

車内検札の際に手渡された記念乗車証・・・ミヤマキリシマと対照的な漆黒の「はやとの風」が印象的である。

隼人から肥薩線に入り、車窓から霧島連峰の山々を楽しんでいると、14:13九州最古の木造駅舎である嘉例川(かれいがわ)駅に到着。
観光列車ならではの嬉しいことに、5分の停車時間があり、乗客は自由に下車して駅の外にも出られるのだ。(そもそも無人駅ではあるが。)

鉄道だけではなく、自動車でこの駅に立ち寄る観光客も数多くいる。彼の地の人気スポットである。


開業100周年の記念碑が、平成15年に建立されているので、まさしく明治36年開業である。

ホームのベンチの高さが、当時の日本国民の身の丈を忍ばせている。

さて、から~ん・から~んとアテンダントの打ち鳴らす出発のベルが聞こえてきたので車内へと戻ろう。
-101.jpg)
H28.8.19 いよいよ大人の夏休みのスタートである。
昔の鹿児島本線であった山岳ルートの肥薩線(明治42年開通)は私にとって未踏路線だ。
(註)湾岸ルートの現鹿児島本線は、昭和2年10月17日の湯浦駅から水俣駅までの開通より海岸線周りの八代駅から鹿児島駅までが全通することによって誕生した。それまでは現肥薩線が鹿児島本線を名乗っており、鹿児島・宮崎への大動脈だった。
この機会にぜひ訪れてみたいと考えた。
おまけに霧島温泉で一泊すればなお素晴らしいではないか・・・と。

午前中の仕事では紆余曲折があったが、奮闘努力の結果・・・なんとか鹿児島中央13:23発の特急「はやとの風4号」に間に合った。

本日の旅程表(ブルーのライン)

在来線の普通列車に並ぶ女子高校生の列をカメラ片手に「ごめんなさい」と告げて横切り、テンション上げてホームを駆け巡っていたビジネスマン姿のオヤジは私でした。

そりや、頻繁に来られない場所ですしね。
おまけに初めて乗るデザイナーズ特急となればテンションも上がりますよ!!!
1号車(キハ147-1045)+2号車(キハ47-8092) というあっさりとした2両編成の観光特急列車である。

1号車キハ147-1045の車内 重厚なつくりで国鉄時代の車内イメージを色濃く伝える装飾

2号車キハ47-8092の車内 淡い色合いで軽快な感じがする車内装飾
中央にフリースペースがあり、とにかくJR西日本には見られない意匠の車輌に、一期一会で楽しまなくては・・・
金曜日の午後ということもあってか、車内は空席が目立つ。

定時の出発の後、鹿児島駅を過ぎれば、左手に磯庭園、右の窓からは錦江湾と桜島を楽しむ

次の竜ケ水駅には、何やら意味ありげな石碑がホームに鎮座していた。
平成5年に発生した8月豪雨で駅舎および周辺地域は甚大な被害を受けており、その際の乗員乗客脱出劇は、さまざまなドキュメンタリー番組で取り上げられた。
被災時の有名なエピソードとして、停車中の車両を堤防代わりにして乗客を避難させた乗務員の話がある。
被災したのは西鹿児島駅(現:鹿児島中央駅)行の普通列車(キハ200-1007)で、竜ケ水駅に停車中に鹿児島駅方面の線路が土砂崩れで通行不能となった。運転士は国分方面へ引き返そうとしたが、いつまでたっても指令室の許可が下りず、交渉中に国分方面の線路も遮断され立ち往生してしまった。このとき土石流の危険を感じた運転士が、自らの判断で崩れそうな箇所に、あえて列車を停車させ、乗客のいない車両を堤防代わりにして乗客を避難させた。この好判断により乗客は土石流発生直前に避難することができた。ただし、乗務員の指示を無視して列車内に留まった乗客3人は死亡した。(ウィキペディアより)
その災害復旧記念碑である。

島津の歴史とかかる出来事に思いを馳せながら、一方では車内のアテンダントにオーダーして、地元の地ビール「SATSUMA GOLD」を持ってきてもらった。
こういうのは逃すわけには行かない。
ところが瓶ビールとプラコップの組み合わせだった。
座席のテーブルは、ディーゼル車輌の横揺れに耐えるほどのものではなく、表面はツルツル。両手を離して写真撮影できたのが奇跡のようなお話。

車内検札の際に手渡された記念乗車証・・・ミヤマキリシマと対照的な漆黒の「はやとの風」が印象的である。

隼人から肥薩線に入り、車窓から霧島連峰の山々を楽しんでいると、14:13九州最古の木造駅舎である嘉例川(かれいがわ)駅に到着。
観光列車ならではの嬉しいことに、5分の停車時間があり、乗客は自由に下車して駅の外にも出られるのだ。(そもそも無人駅ではあるが。)

鉄道だけではなく、自動車でこの駅に立ち寄る観光客も数多くいる。彼の地の人気スポットである。


開業100周年の記念碑が、平成15年に建立されているので、まさしく明治36年開業である。

ホームのベンチの高さが、当時の日本国民の身の丈を忍ばせている。

さて、から~ん・から~んとアテンダントの打ち鳴らす出発のベルが聞こえてきたので車内へと戻ろう。
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肥薩線めぐりの旅 (その1) いざ薩摩へ

平成28年8月18日翌日の鹿児島における仕事のため、前夜のさくら573号で大阪を発つ
新大阪18時59分発で鹿児島中央には23時07分着
たっぷり4時間あるので夕食をとりながら、だらだらと一人居酒屋状態


箱寿司と白ワインの組み合わせもなかなかイケル!

九州線に入れば、車内販売で芋焼酎を販売しているのは、前回学習済みなので、欠かさず注文・・・九州新幹線サマサマなり。

23時すぎの鹿児島中央駅新幹線構内 誰もいな~い
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北海道青森紀行(その5)はやぶさ編
前回からのつづき
酸ヶ湯から新青森まで戻ってきた。
ここからは新幹線を利用して帰阪するのだが、仙台~新青森はこれが初乗車区間となる・・・ワクワク

ガラス張りの本屋が現代的な新青森駅

駅前の案内図には、新幹線の新青森以北は、点線で表示されているが、これも来春まで。

青森ねぶたのミニチュアや棟方志功の羅漢像図などを掲げて地元をアピールしているが、函館有斗まで延伸すると青森は一通過点になってしまうようで、歓迎しているのか、嘆いているのかよくわからなくて、何とも切なくてならない。


改札上部の案内板は、函館方面を表示するスペースが準備されているが、今だ利用されていないのだが・・・

改札内の番線表示を見ると、11番線から14番線の4ホームを、それぞれフル活用しているようだ。

酸ヶ湯から新青森まで戻ってきた。
ここからは新幹線を利用して帰阪するのだが、仙台~新青森はこれが初乗車区間となる・・・ワクワク

ガラス張りの本屋が現代的な新青森駅

駅前の案内図には、新幹線の新青森以北は、点線で表示されているが、これも来春まで。

青森ねぶたのミニチュアや棟方志功の羅漢像図などを掲げて地元をアピールしているが、函館有斗まで延伸すると青森は一通過点になってしまうようで、歓迎しているのか、嘆いているのかよくわからなくて、何とも切なくてならない。


改札上部の案内板は、函館方面を表示するスペースが準備されているが、今だ利用されていないのだが・・・

改札内の番線表示を見ると、11番線から14番線の4ホームを、それぞれフル活用しているようだ。

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北海道青森紀行(その4)青森酸ヶ湯編
(前回からのつづき)
平成27年10月1日午前6時19分寝台急行「はまなす」は定刻どおり青森駅に到着した。

この列車は、ビジネスで利用する人が多いために、新幹線接続として、普通列車・新青森行きがすぐの連絡である。

「急行はまなす」とは、ここでお別れ(残念ながら、これが今生の別れとなろう・・・)

昔は、この線路の先には青函連絡船が待っていたのだが・・・


今から37年前(昭和53年8月)の青森駅。
大学のサイクリング部の合宿で訪れた時のモノ・・・駅舎も随分変ったが、撮影者も随分変ったねぇ・・・

JRと青い森鉄道が同居している駅本屋

青い森鉄道とJR大湊線の路線図・・・大都市の路線図を見慣れていると、なんとも寂しく感じてしまう。

平成27年10月1日午前6時19分寝台急行「はまなす」は定刻どおり青森駅に到着した。

この列車は、ビジネスで利用する人が多いために、新幹線接続として、普通列車・新青森行きがすぐの連絡である。

「急行はまなす」とは、ここでお別れ(残念ながら、これが今生の別れとなろう・・・)

昔は、この線路の先には青函連絡船が待っていたのだが・・・


今から37年前(昭和53年8月)の青森駅。
大学のサイクリング部の合宿で訪れた時のモノ・・・駅舎も随分変ったが、撮影者も随分変ったねぇ・・・

JRと青い森鉄道が同居している駅本屋

青い森鉄道とJR大湊線の路線図・・・大都市の路線図を見慣れていると、なんとも寂しく感じてしまう。

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北海道青森紀行(その3)すすきのはまなす編
前回からのつづき・・・
平成27年9月30日東奔西走の一日が終わり、日が暮れた札幌に戻ってきた。
札幌駅では稚内行きの特急スーパー宗谷3号が出発のときを待っていた。昨日、札幌に到着したときに出会った同じ特急である。

17:49に札幌を発ち、終着の稚内に到着するのが22:56である。
約5時間のロングランとなるが、261系新型車輌だけに乗り心地はよくなっているのだろう・・・

しかしまだまだ本日の予定は終わらない。
まずは、すすきので北海道の幸を堪能することとしよう・・・

この地には既知の店がないので、日本全国に詳しいスーパー国家公務員の太郎さんに事前に教えてもらったお店「味処 まつ田」に向かう。
地下鉄のすすきの駅から近い店ですぐに見つかった。このビルの2階だ

太郎さんからは、マスターに値段を言って、おまかせで・・・といえば美味いモンが食べられると聞いていたので、ビギナーとしてはそのとおりに。

いろいろな種類のウニウニウニ・・・それぞれ微妙に味が違う。
こうしてシンプルにして食べるとその違いがよく分る。ウニ好きにはたまらない一品である。

北海道の珍しい海の幸が満載! 魚の名前を聞いたが、初めてのものばかりなので再現不可!
右側のシシャモの造りは、特に珍しい。この時季の2~3週間しか食べられないものらしい。

アワビの煮付にサッポロクラシック・・・満足度高いです!
もちろんこの後、燗酒もグビグビやりました。とにかく何を食べても美味い。大満足の酒肴でありました。

この他にも数品いただいて、〆のごはんが、コレ・・・画像を受験生の息子に送ってやると、カンカンになって怒っていたとか・・・笑
平成27年9月30日東奔西走の一日が終わり、日が暮れた札幌に戻ってきた。
札幌駅では稚内行きの特急スーパー宗谷3号が出発のときを待っていた。昨日、札幌に到着したときに出会った同じ特急である。

17:49に札幌を発ち、終着の稚内に到着するのが22:56である。
約5時間のロングランとなるが、261系新型車輌だけに乗り心地はよくなっているのだろう・・・

しかしまだまだ本日の予定は終わらない。
まずは、すすきので北海道の幸を堪能することとしよう・・・

この地には既知の店がないので、日本全国に詳しいスーパー国家公務員の太郎さんに事前に教えてもらったお店「味処 まつ田」に向かう。
地下鉄のすすきの駅から近い店ですぐに見つかった。このビルの2階だ

太郎さんからは、マスターに値段を言って、おまかせで・・・といえば美味いモンが食べられると聞いていたので、ビギナーとしてはそのとおりに。

いろいろな種類のウニウニウニ・・・それぞれ微妙に味が違う。
こうしてシンプルにして食べるとその違いがよく分る。ウニ好きにはたまらない一品である。

北海道の珍しい海の幸が満載! 魚の名前を聞いたが、初めてのものばかりなので再現不可!
右側のシシャモの造りは、特に珍しい。この時季の2~3週間しか食べられないものらしい。

アワビの煮付にサッポロクラシック・・・満足度高いです!
もちろんこの後、燗酒もグビグビやりました。とにかく何を食べても美味い。大満足の酒肴でありました。

この他にも数品いただいて、〆のごはんが、コレ・・・画像を受験生の息子に送ってやると、カンカンになって怒っていたとか・・・笑
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北海道青森紀行(その2)小樽市総合博物館編
(前回の続き)
小樽の街中を歩いて、小樽総合博物館にやってきた。
ここは、昔、北海道鉄道博物館と呼ばれていたところ。
鉄道以外の資料もまとめて総合博物館と名称を変更したが、内容は鉄道一色といっても過言ではない。
昭和55年に訪問して以来35年ぶりとなるので、その変化が気になるところだ。

(これは退出時撮影したものだが、構成上ここで掲載する。)
まずは、入り口すぐに鎮座したお宝の「しづか」号拝見。


テンダのしづかの文字が左書きだが、義経・弁慶は右書きとの統一や如何に?

しづか号のうしろに展示されていた一等客車「い1号」の内部・・床中央部の穴は、タンツポである。
タンツボについては、過去の記事にまとめてあるので、そちらをご参考のこと。

二重屋根の明かり窓のところの換気口枠にもみやびな細工が施されている。 ともに鉄道記念物に指定されている。



(S55.10訪問時の写真・・・鷹取から義経号を持ってきて、しづか号とランデブーしたときの様子 この当時から見ると後ろの車庫に煙突の有無の違いがうかがわれる。)

35年前にはいなかったレールバス「キハ03」・・・愛すべき小型デイーゼルカーである。
北海道や九州の僻地で運転していたので現役時代は見たことがない。廃車後、旭川車両所に保存されていたものが移管されたようだ。

明治28年の国産第2号機となる7150形大勝号・・・現存の国産機関車としては最も古いものである。もちろん鉄道記念物なり



国指定の重要文化財の手宮機関庫も、このように内部は鉄骨で補強されている。
小樽の街中を歩いて、小樽総合博物館にやってきた。
ここは、昔、北海道鉄道博物館と呼ばれていたところ。
鉄道以外の資料もまとめて総合博物館と名称を変更したが、内容は鉄道一色といっても過言ではない。
昭和55年に訪問して以来35年ぶりとなるので、その変化が気になるところだ。

(これは退出時撮影したものだが、構成上ここで掲載する。)
まずは、入り口すぐに鎮座したお宝の「しづか」号拝見。


テンダのしづかの文字が左書きだが、義経・弁慶は右書きとの統一や如何に?

しづか号のうしろに展示されていた一等客車「い1号」の内部・・床中央部の穴は、タンツポである。
タンツボについては、過去の記事にまとめてあるので、そちらをご参考のこと。

二重屋根の明かり窓のところの換気口枠にもみやびな細工が施されている。 ともに鉄道記念物に指定されている。



(S55.10訪問時の写真・・・鷹取から義経号を持ってきて、しづか号とランデブーしたときの様子 この当時から見ると後ろの車庫に煙突の有無の違いがうかがわれる。)

35年前にはいなかったレールバス「キハ03」・・・愛すべき小型デイーゼルカーである。
北海道や九州の僻地で運転していたので現役時代は見たことがない。廃車後、旭川車両所に保存されていたものが移管されたようだ。

明治28年の国産第2号機となる7150形大勝号・・・現存の国産機関車としては最も古いものである。もちろん鉄道記念物なり



国指定の重要文化財の手宮機関庫も、このように内部は鉄骨で補強されている。
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北海道青森紀行(その1)札幌・小樽編
平成27年9月29日(火)
伊丹空港から15:00発の日本航空2009便で札幌に向かう。

北海道に行くのは、何年ぶりだろうか・・・最後はバブル期の職場旅行だったので、20年ほどは確実に経っていることだろう。
・・・仕事をそつなく終えた後は、あそこに行って・・・あそこで食べて・・・と

そんなことを考えながら搭乗機の整備中にガソリンが切れたので少しだけ給油。
ご当地に行けば、サッポロクラシックが待っているのでお湿り程度に・・・
新千歳からJRで札幌に向かったが、17:40に到着した札幌駅は冷たい雨が降っていた。

亞熱帶の大阪から来た者としては、冷蔵庫の中に頭を突っ込んだような感覚に陥る。
遥か北方の遠国に来た心地である。
隣のホームでは、17:49発の稚内行き特急「スーパー宗谷3号」261系が出発を待っている。

関西では類を見ない車両デザインなので、自ずとカメラを向けてしまう。
この特急の走行距離は396.2kmに及び、これは現在の日本で運行されている気動車特急で一番長いものである。
この日は、クライアントと夕食をともにして、札幌ラーメンで〆る。

独特の味噌味が美味なり。
伊丹空港から15:00発の日本航空2009便で札幌に向かう。

北海道に行くのは、何年ぶりだろうか・・・最後はバブル期の職場旅行だったので、20年ほどは確実に経っていることだろう。
・・・仕事をそつなく終えた後は、あそこに行って・・・あそこで食べて・・・と

そんなことを考えながら搭乗機の整備中にガソリンが切れたので少しだけ給油。
ご当地に行けば、サッポロクラシックが待っているのでお湿り程度に・・・
新千歳からJRで札幌に向かったが、17:40に到着した札幌駅は冷たい雨が降っていた。

亞熱帶の大阪から来た者としては、冷蔵庫の中に頭を突っ込んだような感覚に陥る。
遥か北方の遠国に来た心地である。
隣のホームでは、17:49発の稚内行き特急「スーパー宗谷3号」261系が出発を待っている。

関西では類を見ない車両デザインなので、自ずとカメラを向けてしまう。
この特急の走行距離は396.2kmに及び、これは現在の日本で運行されている気動車特急で一番長いものである。
この日は、クライアントと夕食をともにして、札幌ラーメンで〆る。

独特の味噌味が美味なり。
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岡山・真庭へのぶらり旅(その4)
前回からのつづき
平成27年9月6日(日) 美作三湯のひとつ湯原温泉で一泊した翌日は、雨の音で目覚めた。
夜中もよく降っていたようだ。
マラソンランナーのフクちゃんは、朝5時に起きて暗闇の中、8キロほど走ってきた。幸い雨には会わなかったらしい。
帰りのバス便を調べると・・・湯原温泉9:22のバスに乗らないと次便は13:06になってしまう。
よって6時半には起床して朝風呂を楽しんだ後は朝食タイム

大飲した翌朝は、胃の腑に優しいシンプルな食材が嬉しいね。お粥もありがたい。
さきほど湯上りにビールを飲んだため、食卓にはビールはなし。
ホテルを立つ時、温泉でゆでた玉子をお土産にいただき車中の人に・・・
中国勝山には、10:00に到着 JRの津山行きまで40分あるので、勝山の城下町をぶらり散策

古くは出雲街道の要衝として繁栄していた城下町・勝山。昔から鉱山経営で蓄財した藩である。
白壁や格子窓の古い町並みが残ることから、昭和60年に岡山県初となる「町並み保存地区」に指定された。
各建物の軒先にオリジナルの暖簾が掲げられることから「のれんのある風景」としても有名なところである。




古い日本建築には、暖簾がぴったりだが・・・こんな洋風建築にもそれはあった。

教会に暖簾?・・・なにやらミスマッチな感じもするが、クラシック建築なので、和洋折衷的な明治・大正期の建築を見ている気分である。


こんな含蓄のある看板を掲げたタバコ屋さんもあった・・・灰になるまで判らないか!

川岸の屋敷から河原に降りる石段のふもとまで水が来ている。
昨夜の雨は、旭川にも影響しているようだ・・・後ほど判るが、実はこれが我々の旅程にも影響することとなるのだ!
平成27年9月6日(日) 美作三湯のひとつ湯原温泉で一泊した翌日は、雨の音で目覚めた。
夜中もよく降っていたようだ。
マラソンランナーのフクちゃんは、朝5時に起きて暗闇の中、8キロほど走ってきた。幸い雨には会わなかったらしい。
帰りのバス便を調べると・・・湯原温泉9:22のバスに乗らないと次便は13:06になってしまう。
よって6時半には起床して朝風呂を楽しんだ後は朝食タイム

大飲した翌朝は、胃の腑に優しいシンプルな食材が嬉しいね。お粥もありがたい。
さきほど湯上りにビールを飲んだため、食卓にはビールはなし。
ホテルを立つ時、温泉でゆでた玉子をお土産にいただき車中の人に・・・
中国勝山には、10:00に到着 JRの津山行きまで40分あるので、勝山の城下町をぶらり散策

古くは出雲街道の要衝として繁栄していた城下町・勝山。昔から鉱山経営で蓄財した藩である。
白壁や格子窓の古い町並みが残ることから、昭和60年に岡山県初となる「町並み保存地区」に指定された。
各建物の軒先にオリジナルの暖簾が掲げられることから「のれんのある風景」としても有名なところである。




古い日本建築には、暖簾がぴったりだが・・・こんな洋風建築にもそれはあった。

教会に暖簾?・・・なにやらミスマッチな感じもするが、クラシック建築なので、和洋折衷的な明治・大正期の建築を見ている気分である。


こんな含蓄のある看板を掲げたタバコ屋さんもあった・・・灰になるまで判らないか!

川岸の屋敷から河原に降りる石段のふもとまで水が来ている。
昨夜の雨は、旭川にも影響しているようだ・・・後ほど判るが、実はこれが我々の旅程にも影響することとなるのだ!
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岡山・真庭へのぶらり旅(その3)
(前回からのつづき)
湯原温泉のバス停に到着すると、ホテルの送迎バスが待っていた。
今日のお宿は、湯原温泉の一番奥まったところにあるホテル「八景」

川向に湯原温泉の名湯「砂湯」がある。

通された客室からは、その砂湯が丸見え・・・入浴シーンが見放題というわけだ!
ここは混浴であるが、たまに女性の姿も見えるがほぼムームーのような湯浴衣を着用しての入浴

入り口に「名泉砂湯」と彫られた石碑があるだけで、河原への坂道を下れば、即湯船・・・遮るものは何もない。
もちろん無料である。
われわれもタオル一枚で体験入浴 オープンな雰囲気になにやら解き放たれたような開放感が気持ちいい。
熊野川の川湯のような感じで、河原の砂地から温泉が湧いているものだ。


砂湯を上がった後、浴衣に下駄履きで街中をぶらぶら・・・レトロな雰囲気の油屋旅館

射的のお店もあったが、歓楽街といった雰囲気はない。

夕刻の川霧が旅情をかきたてるねえ・・
湯原温泉のバス停に到着すると、ホテルの送迎バスが待っていた。
今日のお宿は、湯原温泉の一番奥まったところにあるホテル「八景」

川向に湯原温泉の名湯「砂湯」がある。

通された客室からは、その砂湯が丸見え・・・入浴シーンが見放題というわけだ!
ここは混浴であるが、たまに女性の姿も見えるがほぼムームーのような湯浴衣を着用しての入浴

入り口に「名泉砂湯」と彫られた石碑があるだけで、河原への坂道を下れば、即湯船・・・遮るものは何もない。
もちろん無料である。
われわれもタオル一枚で体験入浴 オープンな雰囲気になにやら解き放たれたような開放感が気持ちいい。
熊野川の川湯のような感じで、河原の砂地から温泉が湧いているものだ。


砂湯を上がった後、浴衣に下駄履きで街中をぶらぶら・・・レトロな雰囲気の油屋旅館

射的のお店もあったが、歓楽街といった雰囲気はない。

夕刻の川霧が旅情をかきたてるねえ・・
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岡山・真庭へのぶらり旅(その2)
(前回からのつづき)
平成27年9月5日(土)今まで気にはなっていたが、場所柄なかなか訪問することが叶わなかったところに漸くやってきた。
明治40年築の遷喬尋常小学校である。

辰野金吾設計の南海浜寺公園駅舎にも一脈通じるようなハーフチンバー様式のまことに瀟洒な木造建築である。
建築当時のご当地の林業盛んなバックボーンが偲ばれる堂々たる構造物で、今なお現存していることが奇跡のようでならない。
さらに、現実に自分自身の眼で見ること、接することができることが嬉しくてならない。


館内には、平成11年の重要文化財指定書なるものもあった・・・こんな地模様の用紙が使われているのか!

もらったパンフレットの表紙には、明治40年の開校式当時の写真がある・・・校庭部分は沼地だったようだ。

生徒だけでなく、町中の人も一緒に写っている・・・当時の賑わいと住民たちの矜持が見る者の胸に迫ってくる写真である。
平成27年9月5日(土)今まで気にはなっていたが、場所柄なかなか訪問することが叶わなかったところに漸くやってきた。
明治40年築の遷喬尋常小学校である。

辰野金吾設計の南海浜寺公園駅舎にも一脈通じるようなハーフチンバー様式のまことに瀟洒な木造建築である。
建築当時のご当地の林業盛んなバックボーンが偲ばれる堂々たる構造物で、今なお現存していることが奇跡のようでならない。
さらに、現実に自分自身の眼で見ること、接することができることが嬉しくてならない。


館内には、平成11年の重要文化財指定書なるものもあった・・・こんな地模様の用紙が使われているのか!

もらったパンフレットの表紙には、明治40年の開校式当時の写真がある・・・校庭部分は沼地だったようだ。

生徒だけでなく、町中の人も一緒に写っている・・・当時の賑わいと住民たちの矜持が見る者の胸に迫ってくる写真である。
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岡山・真庭へのぶらり旅(その1)
毎年9月の第一土・日に実行している仲間内の不要不急旅が、今年も巡ってきた・・・今回は第20回目となる・・・祝
今回の目的地は、美作三湯の一つ「湯原温泉」である。
※昨年実施した第19回の竹原「マッサン」訪問の様子は、コチラ
※平成8年の第1回の様子は、コチラ
平成27年9月5日(土)午前7時45分にJR大阪駅中央コンコース南側キヨスク前にて集合。
参加者は慣れたもので、皆さん5分前には集った。

今回も往路は、「青春18切符」を利用する。
予定より1本前の下りの新快速に乗ったが、それが播州赤穂行きで、車内はすし詰め状態。
きっと18切符を利用して岡山方面に向かう乗客が多いと見える。
我々は姫路で乗り換え津山に向かうので、尼崎で下車し、一本後の新快速・姫路行きに乗り換えた。

とりあえず、乗り換えの間に無事にスタートできたことを互いに祝う! 8:10
次の新快速は、先ほどの窮屈がウソのようなゆったりとした車内・・・座席にも座れ姫路着 9:18

昼食には早いが、乗り換えの時間も30分ほどあるので、姫路名物のまねき食品「えきそば」を食す 360円
姫路を通るときには素通りし難い寄り道処である。

姫新線のホームから姫路城が額縁つきで望める場所があった。今まで気づかなかったなあ・・・
姫新線の播磨新宮行きに乗車 9:46

車輌は平成21年から運用が始まったキハ127系(キハ127-1005)
ほぼ座席は埋まったが、心配するほどの混雑ではなかった。
今回の目的地は、美作三湯の一つ「湯原温泉」である。
※昨年実施した第19回の竹原「マッサン」訪問の様子は、コチラ
※平成8年の第1回の様子は、コチラ
平成27年9月5日(土)午前7時45分にJR大阪駅中央コンコース南側キヨスク前にて集合。
参加者は慣れたもので、皆さん5分前には集った。

今回も往路は、「青春18切符」を利用する。
予定より1本前の下りの新快速に乗ったが、それが播州赤穂行きで、車内はすし詰め状態。
きっと18切符を利用して岡山方面に向かう乗客が多いと見える。
我々は姫路で乗り換え津山に向かうので、尼崎で下車し、一本後の新快速・姫路行きに乗り換えた。

とりあえず、乗り換えの間に無事にスタートできたことを互いに祝う! 8:10
次の新快速は、先ほどの窮屈がウソのようなゆったりとした車内・・・座席にも座れ姫路着 9:18

昼食には早いが、乗り換えの時間も30分ほどあるので、姫路名物のまねき食品「えきそば」を食す 360円
姫路を通るときには素通りし難い寄り道処である。

姫新線のホームから姫路城が額縁つきで望める場所があった。今まで気づかなかったなあ・・・
姫新線の播磨新宮行きに乗車 9:46

車輌は平成21年から運用が始まったキハ127系(キハ127-1005)
ほぼ座席は埋まったが、心配するほどの混雑ではなかった。
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おとなびパスひとり旅(温泉津~倉吉)
(前回からのつづき)
温泉津温泉の街中をパトロールした後、本日のお宿「輝雲荘」に戻る。

この宿にも源泉掛け流しのお風呂がある。
これは「甍の湯」と呼ばれる半露天風呂 地元特産の福光石(淡青緑色)を敷いた石風呂
涼風がそよぐ中、壁のない2面から町並みの甍が望める。
大解放の露天風呂ではないところに楚々とした味わいがあってよろし・・・

夕食は、昔ながらのスタイルである部屋食・・・仲居さんには、ひとり客で申し訳なかった!

レンコ鯛・・・小ぶりの鯛で、ここの名物。塩焼きが美味

地酒 “開春”・・・温泉津の浜にある若林酒造のもの。 地産地消のレアものに出会うのも旅の楽しみ。

・・・ただ、一人では広すぎる部屋である。

TVの天気予報・・・地元の天気予報を見るのも楽しみのひとつだ。
大阪・東京も併せて載せているところに島根の悲哀を感じる。

夕食後、灯の点った町並みを散歩する。


薬師湯入り口のステンドグラスも夜にならないと実力が発揮できない。

たまに自動車の通行がある程度で、そぞろ歩きの当事客には一人も出会わなかった。
また、居酒屋はあったが、射的場などの遊技場は全くない静かな温泉街である。

薬師湯・旧館の内部は、こんなギャラリーになっていたのだ・・・
温泉津温泉の街中をパトロールした後、本日のお宿「輝雲荘」に戻る。

この宿にも源泉掛け流しのお風呂がある。
これは「甍の湯」と呼ばれる半露天風呂 地元特産の福光石(淡青緑色)を敷いた石風呂
涼風がそよぐ中、壁のない2面から町並みの甍が望める。
大解放の露天風呂ではないところに楚々とした味わいがあってよろし・・・

夕食は、昔ながらのスタイルである部屋食・・・仲居さんには、ひとり客で申し訳なかった!

レンコ鯛・・・小ぶりの鯛で、ここの名物。塩焼きが美味

地酒 “開春”・・・温泉津の浜にある若林酒造のもの。 地産地消のレアものに出会うのも旅の楽しみ。

・・・ただ、一人では広すぎる部屋である。

TVの天気予報・・・地元の天気予報を見るのも楽しみのひとつだ。
大阪・東京も併せて載せているところに島根の悲哀を感じる。

夕食後、灯の点った町並みを散歩する。


薬師湯入り口のステンドグラスも夜にならないと実力が発揮できない。

たまに自動車の通行がある程度で、そぞろ歩きの当事客には一人も出会わなかった。
また、居酒屋はあったが、射的場などの遊技場は全くない静かな温泉街である。

薬師湯・旧館の内部は、こんなギャラリーになっていたのだ・・・
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おとなびパスひとり旅(温泉津温泉・薬師湯)
・・・前回からのつづき

平成27年7月10日 初訪問した島根の温泉津(ゆのつ)温泉は、レトロな温泉街だった。
メインストリートを囲む宿屋の建物も古き良きイメージ漂ういい感じのものである。
また道路も極めて狭隘で、普通自動車の対向が精一杯だ。送迎自動車の窓から見たときも、かなり狭く感じたものだった。
さもありなん。ここは、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されるほどの古風な温泉街なのだ。
また、この温泉地は、男はつらいよの第13回「寅次郎恋やつれ」の舞台となっている。左側の後楽さんは、寅さんが泊まったお宿

この薬師湯に入ることが、今回の旅の主たる目的である。(この温泉がとにかく凄いのだ!)

時刻が早かったせいか、貸しきり状態なので、脱衣所の撮影もできた。

そのこだわりの温泉であるこの薬師湯は、日本温泉協会の天然温泉の審査で、山陰で唯一最高評価の「オール5」を受けた100%本物のかけ流し湯温泉である。

ホマレの温泉利用証の拡大がコレ
左下サイコロの目がオール5の満点なのだ!
ようするに専門家が認めた文句なしの最高評価の天然温泉・・・これを楽しまない訳にはいかない。


このトロトロ感は中途半端なく・・・すごい!お湯の含有物が析出して鍾乳石のような独特の景色を作り出している。
塩化物泉であるが、濁りが強く湯船の底は見えない。そしてやや熱めのお湯は、肌にじんじんと響くような感じがする。
2~3分浸っては休むを3回ほど繰り替えるだけで、体中から汗が噴出す。
普通の温泉より濃度が3倍から10倍も高いといわれる源泉掛け流しだけのことはある。
入浴前に水を飲むこと、長時間の入浴は禁忌と番台のお姉ちゃんに教わったのも・・・むべなるかな。

平成27年7月10日 初訪問した島根の温泉津(ゆのつ)温泉は、レトロな温泉街だった。
メインストリートを囲む宿屋の建物も古き良きイメージ漂ういい感じのものである。
また道路も極めて狭隘で、普通自動車の対向が精一杯だ。送迎自動車の窓から見たときも、かなり狭く感じたものだった。
さもありなん。ここは、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されるほどの古風な温泉街なのだ。
また、この温泉地は、男はつらいよの第13回「寅次郎恋やつれ」の舞台となっている。左側の後楽さんは、寅さんが泊まったお宿

この薬師湯に入ることが、今回の旅の主たる目的である。(この温泉がとにかく凄いのだ!)

時刻が早かったせいか、貸しきり状態なので、脱衣所の撮影もできた。

そのこだわりの温泉であるこの薬師湯は、日本温泉協会の天然温泉の審査で、山陰で唯一最高評価の「オール5」を受けた100%本物のかけ流し湯温泉である。

ホマレの温泉利用証の拡大がコレ
左下サイコロの目がオール5の満点なのだ!
ようするに専門家が認めた文句なしの最高評価の天然温泉・・・これを楽しまない訳にはいかない。


このトロトロ感は中途半端なく・・・すごい!お湯の含有物が析出して鍾乳石のような独特の景色を作り出している。
塩化物泉であるが、濁りが強く湯船の底は見えない。そしてやや熱めのお湯は、肌にじんじんと響くような感じがする。
2~3分浸っては休むを3回ほど繰り替えるだけで、体中から汗が噴出す。
普通の温泉より濃度が3倍から10倍も高いといわれる源泉掛け流しだけのことはある。
入浴前に水を飲むこと、長時間の入浴は禁忌と番台のお姉ちゃんに教わったのも・・・むべなるかな。
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おとなびパスひとり旅(博多→温泉津)

平成27年7月10日祇園山笠で賑わう博多での仕事をさらりと終えた。
通常であればこのまま帰阪するはずだが、今日はウイークエンドで明日は土曜日ときては、道草の宿痾が騒ぎ出す。
実は今回の博多行きが決定してからその模索は始まっていた。
それは、JR西日本が発売していた期間限定切符「おとなびパス」を見つけたからである。
6/10~7/17の期間限定の上、おとなび会員になる50歳以上という利用制限があるが、2万円のチケットだがJR西日本線の全線が3日間連続乗り放題で、しかも特急グリーン車が4回まで利用できるというしろものである。

通常、大阪~博多の新幹線往復だけでも3万円は越えるご時世、この信じられないような大盤振る舞いに、自ずと鉄道ファンの血が騒ぐというものだ。
あれこれルートを考えたが、1日目は九州新幹線さくらのグリーン車を使って博多入り、2日目はまじめに仕事をした後、新山口までさくらのグリーンを使い、新山口から特急スーパーおきを利用して山口線を経て山陰・温泉津の温泉で骨休め。3日目は山陰線を進み、倉吉からスーパーはくとのグリーン車で大阪へ戻るという、大名旅行を企画した。
首尾よく事が運べばいいが、どこかで時間が狂えば、前途多難となる。そのときの第2、第3のルート選びも事前に設定するのも旅行計画の楽しみの一つ・・・1粒で3度美味しいというわけだ。
さてさて・・・
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