ブログ再開しました! 四ツ橋駅の壁面について
- Sun
- 22:00
- ∇浪花ほとがら散歩 - ├大阪市旧南区エリア
皆様おひさしぶりでございます。

思えば、ちょうど1年半前になりますが、職場環境の激変により休刊を余儀なくされましたこのブログですが漸くその環境にも慣れ、“忙中閑有り”の精神を尊び、突然ですが本日よりブログを再開いたします!
休刊中でも毎日400~500回に及ぶアクセスを頂き、そして古い記事にもかかわらずコメントも多く頂戴いたしましたことを、ここで改めて御礼申し上げます。
さて、再開第1号の記事は、その筋の方にはすでに話題となっているものですが、大阪市営地下鉄四つ橋線の四ツ橋駅構内の新しくなった壁面についてであります。

Twitterに次の4枚の写真をアップするには面倒なのと、一覧性に問題があるなあ~と思ったのも再開の背中を押した理由のひとつなり。

思えば、ちょうど1年半前になりますが、職場環境の激変により休刊を余儀なくされましたこのブログですが漸くその環境にも慣れ、“忙中閑有り”の精神を尊び、突然ですが本日よりブログを再開いたします!
休刊中でも毎日400~500回に及ぶアクセスを頂き、そして古い記事にもかかわらずコメントも多く頂戴いたしましたことを、ここで改めて御礼申し上げます。
さて、再開第1号の記事は、その筋の方にはすでに話題となっているものですが、大阪市営地下鉄四つ橋線の四ツ橋駅構内の新しくなった壁面についてであります。

Twitterに次の4枚の写真をアップするには面倒なのと、一覧性に問題があるなあ~と思ったのも再開の背中を押した理由のひとつなり。
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平成元年 アーケードが取り外された心斎橋筋(2)
- Thu
- 00:00
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前回からのつづき
平成元年4月 アーケードが撤去された心斎橋筋を南下する。

よく見れば彼方に霞む難波の「南海サウスタワーホテル大阪(現:スイスホテル南海大阪)」もこれから1年後のオープンを目指して工事中だ。
現在の様子は・・・

平成元年4月 アーケードが撤去された心斎橋筋を南下する。

よく見れば彼方に霞む難波の「南海サウスタワーホテル大阪(現:スイスホテル南海大阪)」もこれから1年後のオープンを目指して工事中だ。
現在の様子は・・・

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平成元年 アーケードが取り外された心斎橋筋(1)
- Tue
- 00:00
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平成21年の8月末をもって心斎橋の名代の百貨店である「心斎橋そごう」が閉店した。

明治27年にこの地移転し、昭和10年には百貨店をスタートさせ、その後長きにわたり大丸本店とともに心斎橋の顔であった。
平成17年には建物も立替え、新体制で再スタートしたばかりであったのに、残念至極。

8月30日(日)の開店前の様子
そのそごうの閉店とは直接関係ないが、平成元年4月心斎橋のアーケードの新装工事があった。
この工事の期間中、長年「心ブラ客」の銀傘となっていたアーケードが撤去されたため、昔の心斎橋筋の風情を味わえる期間が、ふと復活したのだった。
現在の心斎橋筋との対比も面白いと思い、ここに掲載する。
まずは心斎橋のことから始めなくては・・・

平成元年4月の様子
今から20年前の心斎橋筋の長堀通りから南を見た風景・・・アーケードが撤去されているのがわかる。
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“水都号アクアmini”で大阪橋めぐり(後編)
- Tue
- 00:00
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(前回からのつづき)
東横掘川の水門を経て、“水都号アクアmini”は引き続き南下する。

平野橋は、昭和10年製の上路ランガー桁アーチ橋という構造で、世界的にも珍しいものらしい。

大正15年製のコンクリートアーチ橋である大手橋も美しいシルエットである。
この大手橋は、もとの名を思案橋(しあんばし)という。
豊臣秀吉が、五奉行の一人増田長盛に橋を名づけるように命じた時、なかなか決まらず思案したことから付けられたという。
事の真偽は定かではないが、伝統ある橋梁である。
上に阪神高速があるのが鬱陶しく感じるが、この青天井の小舟にとっては雨天とカンカン照りの下では安らぎの空間となっている。

本町橋は、大阪市内では現役最古のもので、東横掘川では、高麗橋・農人橋とならぶ公儀橋となっている。

大正2年製の三径間の2ヒンジアーチ橋で、下部は広くなっていて橋脚には石柱を模した飾りが付く重厚ないでたちの橋梁である。
整然と並んだリベットがことのほか美しい・・・古典機関車や戦前の客車・電車をつい思い起こさせる。

こういうアングルで見上げられるのは、天井のない小型船ならでは。
(注)2枚目・3枚目の写真を見ると前方の運河が少し左に曲がっているのがわかる。
これを「本町の曲がり」といい、秀吉が開削のとき、その場所にあった浄国寺を避けたためそうなった。

(大正13年大阪市パノラマ地図)
ところがここで川が曲がっているため水流が増して渦が生じ、昔は入水自殺者が多発する所だったらしい。
もちろんガタロ(河童)も棲んでいる恐ろしい曲り淵だったそうな。(「饅頭こわい」など上方落語にも登場する名所である)
また現在では、上部の阪神高速道路も環状線と東大阪線のジャンクション部分が同様にS字型にカーヴを描いていて、本家そのままに「本町の曲がり」を形成している。

東横掘川の水門を経て、“水都号アクアmini”は引き続き南下する。

平野橋は、昭和10年製の上路ランガー桁アーチ橋という構造で、世界的にも珍しいものらしい。

大正15年製のコンクリートアーチ橋である大手橋も美しいシルエットである。
この大手橋は、もとの名を思案橋(しあんばし)という。
豊臣秀吉が、五奉行の一人増田長盛に橋を名づけるように命じた時、なかなか決まらず思案したことから付けられたという。
事の真偽は定かではないが、伝統ある橋梁である。
上に阪神高速があるのが鬱陶しく感じるが、この青天井の小舟にとっては雨天とカンカン照りの下では安らぎの空間となっている。

本町橋は、大阪市内では現役最古のもので、東横掘川では、高麗橋・農人橋とならぶ公儀橋となっている。

大正2年製の三径間の2ヒンジアーチ橋で、下部は広くなっていて橋脚には石柱を模した飾りが付く重厚ないでたちの橋梁である。
整然と並んだリベットがことのほか美しい・・・古典機関車や戦前の客車・電車をつい思い起こさせる。

こういうアングルで見上げられるのは、天井のない小型船ならでは。
(注)2枚目・3枚目の写真を見ると前方の運河が少し左に曲がっているのがわかる。
これを「本町の曲がり」といい、秀吉が開削のとき、その場所にあった浄国寺を避けたためそうなった。

(大正13年大阪市パノラマ地図)
ところがここで川が曲がっているため水流が増して渦が生じ、昔は入水自殺者が多発する所だったらしい。
もちろんガタロ(河童)も棲んでいる恐ろしい曲り淵だったそうな。(「饅頭こわい」など上方落語にも登場する名所である)
また現在では、上部の阪神高速道路も環状線と東大阪線のジャンクション部分が同様にS字型にカーヴを描いていて、本家そのままに「本町の曲がり」を形成している。

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熊野街道の起点を歩く(6) 谷町九丁目~夕陽丘
- Mon
- 00:00
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前回からのつづき
・・・街道を少し西に外れて高津宮(こうづのみや)に向かう。

大きな本堂や庫裏のつづく中寺地区に隣接して高津宮がある。

ここが熊野街道の第3の王子「郡戸(こほづ)王子」のあったところといわれている。
高津は、昔は郡戸と書いており、藤原定家の「熊野縁起」にも郡戸王子は、高津宮附近としているが、詳細は不明。石碑もない。

石灯籠には、安永4年の文字が・・・1775年である。アメリカの独立戦争の頃か・・・。

街道に戻る途中にある公団のアパートを見て驚いた。

どうやればこんな落書きができるのか・・・よ?く考えるとゾッとする。
・・・街道を少し西に外れて高津宮(こうづのみや)に向かう。

大きな本堂や庫裏のつづく中寺地区に隣接して高津宮がある。

ここが熊野街道の第3の王子「郡戸(こほづ)王子」のあったところといわれている。
高津は、昔は郡戸と書いており、藤原定家の「熊野縁起」にも郡戸王子は、高津宮附近としているが、詳細は不明。石碑もない。

石灯籠には、安永4年の文字が・・・1775年である。アメリカの独立戦争の頃か・・・。

街道に戻る途中にある公団のアパートを見て驚いた。

どうやればこんな落書きができるのか・・・よ?く考えるとゾッとする。
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「大阪のおばちゃん」
- Fri
- 06:43
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「御堂筋完成70周年・オープンフェスタ」
- Mon
- 07:08
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標題を記念して、5月13日(日)午後1時から4時まで、御堂筋長堀から御堂筋千日前まで歩行者天国になった。
「御堂筋オープンフェスタ2007」というらしい。
御堂筋がホコテンになるのは、滅多にないので散歩がてらプラプラ出かける。
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☆ボリショイサーカス
- Mon
- 07:24
- ∇浪花ほとがら散歩 - ├大阪市旧南区エリア

昨日、ボリショイサーカスの大阪公演が大阪府立体育館であった。
一ヶ月前から予約したので、子供にとっては、待ちに待ったサーカス。勿論初めての経験。私は、何十年かぶり。
犬のサーカス、空中ブランコ、熊の曲芸などスタンダードでオーソドックスな演技種目だったが、やはり伝統芸だけに充分に練られたもので、それぞれ見ごたえあるものであった。
しかし、甲子園がまさかあんなことになっているとは・・・。
三沢・松山の死闘をオンタイムで見ている者にとっては、見逃したことは残念無念。以前同様、今日はあっさり勝負がつくでしょう。


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- 学問・文化・芸術
- 展示会、イベントの情報
☆耳そうじ
- Wed
- 07:19
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