昭和62年国鉄民営化直前の湖北の鉄道風景
- Wed
- 06:45
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年
昭和62年2月17日 仕事で彦根・長浜に行った際、彦根駅でたむろする近江鉄道車両を撮影したもの

彦根駅の連絡橋の上からは、近江鉄道の賑やかな車両たちが確認できるため、訪問毎に要チェックポイントになっている。

右からモユニ11とモユニ10
モユニ10は、昭和3年川崎造船所製の西武鉄道モハ232が前身
地方私鉄では、郵便荷物車は、貴重な存在だったが、3年前の昭和59年1月末をもって鉄道郵便輸送が廃止されたことからこれらの車両は用途を失ない、構内でひがな一日甲羅干という体をなしていた。

彦根駅の連絡橋の上からは、近江鉄道の賑やかな車両たちが確認できるため、訪問毎に要チェックポイントになっている。

右からモユニ11とモユニ10
モユニ10は、昭和3年川崎造船所製の西武鉄道モハ232が前身
地方私鉄では、郵便荷物車は、貴重な存在だったが、3年前の昭和59年1月末をもって鉄道郵便輸送が廃止されたことからこれらの車両は用途を失ない、構内でひがな一日甲羅干という体をなしていた。
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かに三昧の湯村温泉へ
- Fri
- 06:30
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年
国鉄が民営化される直前だった昭和62年2月7日
年に2回あった職場の慰安旅行で、今回は但馬の湯村温泉に行くことに・・・目的は、云わずと知れたる“温泉とカニ”なり。
、
朝の大阪駅のお馴染みさん・・・長野からの夜間急行「ちくま」

新しく登場した特急北近畿3号城崎行きに乗車
大阪駅9:05発である。

クロハ481-301
この当時、普通車とグリーン車との合造車(クロハ)は珍しいものだった。
年に2回あった職場の慰安旅行で、今回は但馬の湯村温泉に行くことに・・・目的は、云わずと知れたる“温泉とカニ”なり。
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朝の大阪駅のお馴染みさん・・・長野からの夜間急行「ちくま」

新しく登場した特急北近畿3号城崎行きに乗車
大阪駅9:05発である。

クロハ481-301
この当時、普通車とグリーン車との合造車(クロハ)は珍しいものだった。
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東武鉄道・鬼怒川温泉駅
- Sun
- 06:30
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年
昭和61年11月3日 会津地方への1泊2日の職場の慰安旅行に出かける。
その際撮影したリバーサルフイルムがあったのでスキャンしてみた。
しかしスリーブではなくマウントしたものだったため、わずかのスキャンにも随分時間を要してしまった。

さてさて、これは昭和57年に開業した東北新幹線に、ようやく初乗車した際のもの。郡山駅でのワンショット。
思えばJR移行直前のものとなった。
ここより会津観光のツアーバスであちこち観光地をめぐり・・・

整備されたばかりで、これから観光地として名乗りを上げようとする大内宿では、こんなことしたり・・・

・・・ということで、今日のお宿は、磐梯熱海のホテル一力
宿での写真は、今のようなデジタルカメラでないのでほとんど撮っていない。撮っていても人物中心なのでここには掲載できないのだ。
とにかく広く立派な庭園に面した1階客室で、そこから下駄履きで紅葉の盛りに彩られた広い庭園に出られた思い出がある。
その際撮影したリバーサルフイルムがあったのでスキャンしてみた。
しかしスリーブではなくマウントしたものだったため、わずかのスキャンにも随分時間を要してしまった。

さてさて、これは昭和57年に開業した東北新幹線に、ようやく初乗車した際のもの。郡山駅でのワンショット。
思えばJR移行直前のものとなった。
ここより会津観光のツアーバスであちこち観光地をめぐり・・・

整備されたばかりで、これから観光地として名乗りを上げようとする大内宿では、こんなことしたり・・・

・・・ということで、今日のお宿は、磐梯熱海のホテル一力
宿での写真は、今のようなデジタルカメラでないのでほとんど撮っていない。撮っていても人物中心なのでここには掲載できないのだ。
とにかく広く立派な庭園に面した1階客室で、そこから下駄履きで紅葉の盛りに彩られた広い庭園に出られた思い出がある。
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オリエント・エクスプレス '88 (その3)
- Sun
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年
前回(その2)からのつづき・・・

S63.11.23 大阪駅3番ホームに停車中のオリエント・エクスプレス '88
編成は、EF8167(酒)牽引によるオニ231+スタッフ車+荷物車+食堂車+プルマン+バーサロン車+寝台車×6+マニ502236の13両編成である。



寝台車の連結面
左“CARROZZA CON LETTI”(伊表記)
右“SLEEPING CAR”(英表記)
ステップ扉の楕円窓が微妙に異なる。それぞれ作られた時代が異なることが窺われる。
とにかく・・・ため息が漏れそうな造形美である。

S63.11.23 大阪駅3番ホームに停車中のオリエント・エクスプレス '88
編成は、EF8167(酒)牽引によるオニ231+スタッフ車+荷物車+食堂車+プルマン+バーサロン車+寝台車×6+マニ502236の13両編成である。



寝台車の連結面
左“CARROZZA CON LETTI”(伊表記)
右“SLEEPING CAR”(英表記)
ステップ扉の楕円窓が微妙に異なる。それぞれ作られた時代が異なることが窺われる。
とにかく・・・ため息が漏れそうな造形美である。
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オリエント・エクスプレス '88 (その2)
- Sun
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年
前回(その1)からのつづき・・・
昭和63年11月23日の日記から・・・
“来日中のオリエント急行が大阪駅での最後の公開展示をなすことを知り、昔取った杵柄よろしくNikonFを携えて、午前9時過ぎに大阪駅へ。係員に聞けば、午前9時46分下り3番ホームに入線との事・・・”
“ホームにて中高生時代を想いださせる少年達に交じってイベント列車を撮る“
“恥ずかしくもありまた嬉しくもあり。”

“ついにそのときがやってきた!”
“13両編成のオリエント急行の姿が見えたと思うと、たちまち滑るが如く入線してきた。そのさまを引き付けて、さらにひきつけて、その瞬間震える手でシャッターレリーズを押し切った。カシャリ!”
“この瞬間が堪らない。緊張感の高まりと一瞬に賭ける意気込み。これだからこの趣味がやめられない。今日はもう二度と来日することはないであろう同列車を隅々まで愉しまん”


3・4番線ホームは、関係者以外立ち入り禁止なのだ。

これは、当日ホームで貰った「日立オリエント・エクスプレス 観覧記念ガイドブック」である。
これから登場する車輌の説明にはこれがあって助かった・・・四半世紀後に役立つとは・・・なんでも取っておくものである♪
昭和63年11月23日の日記から・・・
“来日中のオリエント急行が大阪駅での最後の公開展示をなすことを知り、昔取った杵柄よろしくNikonFを携えて、午前9時過ぎに大阪駅へ。係員に聞けば、午前9時46分下り3番ホームに入線との事・・・”
“ホームにて中高生時代を想いださせる少年達に交じってイベント列車を撮る“
“恥ずかしくもありまた嬉しくもあり。”

“ついにそのときがやってきた!”
“13両編成のオリエント急行の姿が見えたと思うと、たちまち滑るが如く入線してきた。そのさまを引き付けて、さらにひきつけて、その瞬間震える手でシャッターレリーズを押し切った。カシャリ!”
“この瞬間が堪らない。緊張感の高まりと一瞬に賭ける意気込み。これだからこの趣味がやめられない。今日はもう二度と来日することはないであろう同列車を隅々まで愉しまん”


3・4番線ホームは、関係者以外立ち入り禁止なのだ。

これは、当日ホームで貰った「日立オリエント・エクスプレス 観覧記念ガイドブック」である。
これから登場する車輌の説明にはこれがあって助かった・・・四半世紀後に役立つとは・・・なんでも取っておくものである♪
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オリエント・エクスプレス '88 (その1)
- Sun
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年
昭和63年11月23日(祝)
フジテレビジョン開局30周年、JRグループ発足一周年記念事業として、フジテレビ・JR東日本主導のもと、各国政府・鉄道各者の協力により、NIOEの車両を利用してパリ→東京間でORIENT EXPRESS'88が運行された。
正式名称は"HITACHIカルチャースペシャル・ORIENT EXPRESS'88"
思えば、あの憧れのオリエント急行の車輌が、シベリア鉄道を経由して極東の島国に渡り、日本全国を走り回るという話を耳にしたのは、どれくらい前のことであったか。
その当時は、日本の国力は絶好調ではあったが、この手の眉唾物は、テツ仲間に多く、また夢のような話をしている趣味人の戯言と耳を貸さなかった。
「そもそも、どうやって運んでくるの?」「レールの幅が違うから理論的に走行できない!」「連結器も全部取り替えるのか?」「だいたい定期運用車輌を貸し出せば、本来の運行に差し障るし・・・」
などの素人でも実現不可能と思っていた夢物語が、数々の難問を全て解決して・・・・ついに実現したのだった。

この日が大阪駅に現れる最終日ということであり、しかも祝日ということもあって、マイカメラのNikonFに望遠や広角レンズを携えて、いそいそと出向く。
「この日を逃すと一生オリエント急行を目にすることはないだろう・・・」という思いをもちながら。
午前9時には大阪駅に到着
オリエント・エクスプレスの到着までには、少し時間があるので、去来する列車を撮影する。
フジテレビジョン開局30周年、JRグループ発足一周年記念事業として、フジテレビ・JR東日本主導のもと、各国政府・鉄道各者の協力により、NIOEの車両を利用してパリ→東京間でORIENT EXPRESS'88が運行された。
正式名称は"HITACHIカルチャースペシャル・ORIENT EXPRESS'88"
思えば、あの憧れのオリエント急行の車輌が、シベリア鉄道を経由して極東の島国に渡り、日本全国を走り回るという話を耳にしたのは、どれくらい前のことであったか。
その当時は、日本の国力は絶好調ではあったが、この手の眉唾物は、テツ仲間に多く、また夢のような話をしている趣味人の戯言と耳を貸さなかった。
「そもそも、どうやって運んでくるの?」「レールの幅が違うから理論的に走行できない!」「連結器も全部取り替えるのか?」「だいたい定期運用車輌を貸し出せば、本来の運行に差し障るし・・・」
などの素人でも実現不可能と思っていた夢物語が、数々の難問を全て解決して・・・・ついに実現したのだった。

この日が大阪駅に現れる最終日ということであり、しかも祝日ということもあって、マイカメラのNikonFに望遠や広角レンズを携えて、いそいそと出向く。
「この日を逃すと一生オリエント急行を目にすることはないだろう・・・」という思いをもちながら。
午前9時には大阪駅に到着
オリエント・エクスプレスの到着までには、少し時間があるので、去来する列車を撮影する。
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昭和62年4月1日新会社JR発足
- Tue
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年
昭和62年4月1日紆余曲折を経て、日本国有鉄道の民営化として新会社JR6社が発足した。

ちょうどその日の朝、ラッキーなことに新幹線出張の日だったので、乗る列車の時刻より随分はやく新大阪駅に向かい、東京発の1番列車を待ち構えた。
新大阪駅の在来線からの乗り換えコンコースには☆JR西日本・東海・・・本日スタート☆の電光掲示の文字が躍る!

デモ列車“ひかり1号”博多行きが新大阪駅に到着したが、100系新幹線のトンガリ鼻に“よろしくJR”のベタシールが貼ってあるだけだった。
これが0系のダンゴ鼻であればもう少し美しいのでは・・・と思ったのは小生だけだっただろうか?

それでも、ホーム上の乗客の受けは上々の様子だ。

ちょうどその日の朝、ラッキーなことに新幹線出張の日だったので、乗る列車の時刻より随分はやく新大阪駅に向かい、東京発の1番列車を待ち構えた。
新大阪駅の在来線からの乗り換えコンコースには☆JR西日本・東海・・・本日スタート☆の電光掲示の文字が躍る!

デモ列車“ひかり1号”博多行きが新大阪駅に到着したが、100系新幹線のトンガリ鼻に“よろしくJR”のベタシールが貼ってあるだけだった。
これが0系のダンゴ鼻であればもう少し美しいのでは・・・と思ったのは小生だけだっただろうか?

それでも、ホーム上の乗客の受けは上々の様子だ。
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昭和61年11月1日福知山線複線電化開業出発式
- Sat
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年
大阪・新三田間の複線工事と、大阪・城崎間の電化工事を進めていた国鉄がその工事をついに完成させ、昭和61年11月1日大阪駅1番線で「福知山線複線電化開業」と題して、L特急“北近畿”の出発式が盛大に行われた。


特急の先頭部分は大変な人出だったが、式典を後ろからながめるこの場所は、さほどでもなく小生のような一般人でも立ち入ることが許されていた。


午前8時ちょうど、1番列車として特急“北近畿1号”が出発した。
・・・福知山線が便利になったが、その反面、鉄道ファンとして面白みを失った朝だった。
1日1回 ぽちっとね♪


特急の先頭部分は大変な人出だったが、式典を後ろからながめるこの場所は、さほどでもなく小生のような一般人でも立ち入ることが許されていた。


午前8時ちょうど、1番列車として特急“北近畿1号”が出発した。
・・・福知山線が便利になったが、その反面、鉄道ファンとして面白みを失った朝だった。

雪の城崎・西村屋城崎グランドホテルにて
- Wed
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年
昭和61年2月志賀直哉のように怪我をしたわけではないが、カニが美味い時期なので、城崎温泉に湯治にでかけた。

(明治44年の鉄道地図) 「八鹿」を「やをか」とする興味深い表記も見受けられる。
志賀直哉が訪れた大正2年では、すでに福知山?和田山が開通しているので、山陰線経由で向かったことだろう。
われわれは、このときは姫路経由の特急“はまかぜ”を利用したように記憶している。
泊まった旅館は、温泉街の一番奥にある“西村屋城崎グランドホテル”(現:西村屋ホテル招月庭)である。
ここは、繁華街から遠く離れて近くに見るべきものはないなあ。と思っていたらホテルの非常階段から「絶景」が見えたのだ。

上り特急“あさしお14号”
こうなるとどうもいけない!
部屋に備え置きの時刻表をチェックして、許す限り撮影を試みた。

上り福知山行き普通526列車

(明治44年の鉄道地図) 「八鹿」を「やをか」とする興味深い表記も見受けられる。
志賀直哉が訪れた大正2年では、すでに福知山?和田山が開通しているので、山陰線経由で向かったことだろう。
われわれは、このときは姫路経由の特急“はまかぜ”を利用したように記憶している。
泊まった旅館は、温泉街の一番奥にある“西村屋城崎グランドホテル”(現:西村屋ホテル招月庭)である。
ここは、繁華街から遠く離れて近くに見るべきものはないなあ。と思っていたらホテルの非常階段から「絶景」が見えたのだ。

上り特急“あさしお14号”
こうなるとどうもいけない!
部屋に備え置きの時刻表をチェックして、許す限り撮影を試みた。

上り福知山行き普通526列車
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昭和60年 旧友と越中・信濃に遊ぶ
- Sun
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年
昭和60年9月14日大学の友達たちと2泊3日の旅行に出かける。
金沢・富山をめぐり、黒四ルートで長野入りして中央線で帰ってくるというコース。
途中立ち寄る都市で頑張っている同級生を呼び出して、旧友を温めるとともにご当地の案内をしてもらうという作戦である。

これは、出発の朝、大阪駅11番線の西端のホームに電留線があり、そこに留置されていたEF58150

プレートにある「インポート・エキスプレス・大阪」とは、梅田コンテナヤード跡で催されていた、個人輸入推進の展示会のようなものではなかったと記憶しているが、まったく興味がなかったので出向くことはなかった。

金沢駅の風景・・・下り特急“雷鳥13号”
高架を目前にして広い構内のレールが剥がされ、寂しい光景となっていた。奥のほうには43系客車の姿も見える。
金沢・富山をめぐり、黒四ルートで長野入りして中央線で帰ってくるというコース。
途中立ち寄る都市で頑張っている同級生を呼び出して、旧友を温めるとともにご当地の案内をしてもらうという作戦である。

これは、出発の朝、大阪駅11番線の西端のホームに電留線があり、そこに留置されていたEF58150

プレートにある「インポート・エキスプレス・大阪」とは、梅田コンテナヤード跡で催されていた、個人輸入推進の展示会のようなものではなかったと記憶しているが、まったく興味がなかったので出向くことはなかった。

金沢駅の風景・・・下り特急“雷鳥13号”
高架を目前にして広い構内のレールが剥がされ、寂しい光景となっていた。奥のほうには43系客車の姿も見える。
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