昭和58年はじめての大井川鉄道
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東海道線金谷駅から千頭(せんず)に向かう。

金谷駅・大井川鉄道線

大井川鉄道線の終着駅・千頭駅構内


B6が好きでここで出会えたことに喜びを感じていたが、この車両はこの後ホマレの運命を辿ることとなる。
「昭和51年静態保存に切り替え、千頭駅や金谷駅構内で展示・保存されていたが、平成4年産業考古学会より産業遺産として認められた。そして翌平成5年日本工業大学技術博物館において動態保存されることとなった。」

【略歴】
明治24年 イギリス・ダブス社で製造され、日本鉄道が輸入
昭和 3年 西濃鉄道に移籍
昭和45年 廃車。大井川鉄道が譲渡を受け、日本のSLの動態保存の先駆けとして千頭-川根両国駅間を運転
昭和51年 静態保存に切り替え、千頭駅や金谷駅構内で展示・保存
平成 4年 産業考古学会より産業遺産として認められる
平成 5年 学校法人日本工業大学・技術博物館で動態保存

千頭駅は、昭和30年代風の地方ターミナル駅の雰囲気を色濃く残していて好感が持てる。
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昭和59年秋 京都駅1番線ホーム
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目的地は、五条壬生川なのだが、京阪五条からバスというラインもあるが、山陰本線・丹波口駅から歩くという選択肢もある。
今回は後者を選択する。

京都駅の山陰線ホームは、東海道線のホームより一層旅情豊かな空間を提供していた。
というのも、W型のトラスに支えられた上屋は、通行するには高すぎる程であり、通路には売店などの障害物が少ないため、非常にゆったりとした空間を旅行者に与えていたからだ。
※もちろん、駅ビルの改築により現在では見ることは出来ない。
(現在では、大阪・交通科学博物館構内でこの骨組みを使って展示スペースが作られているので、今でも実体験できる。)
写真を少し拡大してみよう・・・

この9時08分発の米子行き普通835列車に乗車。たった一駅であるが、山陰線の客車列車に乗れることは嬉しい。
駅弁の販売台車を改造したような臨時出札所が懐かしい。特別特急券・普通急行券という文字が窺える。

(参考)京都駅1番線の山陰線ホームの西端からの風景(S50.5.2)

京都を出発し、梅小路機関区の手前で大きく右にカーヴするが、そこからは、同機関区の様子が一望できる。
この日はC612は元気に黒煙を上げていた。

また目を遠方に転ずれば、新参者のEF62の姿に交じって、寝台特急“出雲”のトレインマークを付けたEF56を見つけることが出来た。

梅小路と分かれると程なくして「丹波口」に到着・・・時刻は9時13分。僅か4分の列車旅である。
ここでこの列車ともお別れ。
※因みにこの普通列車、終着駅の米子には19時19分に到着する。
要するに全区間を乗車すると普通切符だけで10時間に及ぶ客車列車の旅が楽しめるということだ。
(平成のテツ事情から考えれば“パラダイス”のような列車である。)
昭和59年 電化直前の国鉄奈良線訪問
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そして今回の内容は、昭和59年9月21日、電化完成の10日前、同線を訪れた時の様子。

クハ104-501+クモハ105-501
奈良駅構内では“試運転”の表示を掲げた電車の姿が見受けられ、いよいよその時を迎えるという雰囲気が満ち溢れていた。

クハ104-508 + クモハ105-508 + クハ105-5 + クモハ105-512

9時48分発京都行き 636D キハ35-122 + キハ36-31

当時の時刻表をアップしてみた。 縦書き表示も懐かしい♪

電化を前に、最後のお勤めのような哀れな姿を見せるキハ36?31
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昭和59年真夏の昼下り・・・国鉄&近江鉄道貴生川駅
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いきなり出会ったのは、この夏の特別仕立ての“昆虫列車”
カバンの中に常に忍ばせているOLYMPUS?XAをおもむろに取り出してパチリ!
前面バリアをスライドさせることでスイッチONになるのがスマート。コンパクトながら二重像合致式のピントあわせができるのか嬉しい。
(このカメラは、大学時代ほとんど毎日持ち歩いていたもので、仕事に就いてもしばらくは常に携帯していたが・・・今は、稼動されることもなくタンスの肥やし状態となっている。)
この“昆虫列車”の車内には多賀神社の写真や“襟巻きトカゲ”のぬいぐるみが飾ってあるという珍妙な電車である。
正面に足のないテントウ虫を配するのは、ちょっと不気味だ!
(平成の時代からするとラッピング車輌は珍しくもないが、当時はこれでも驚きをもって迎えられた奇抜な車輌なのだ。)
モハ131-クハ1214
これが本来の近江鉄道の電車スタイルである。モハ132+クハ1215か?
これらの車輌は、外観は比較的新しく見えるが、出自を辿れば大正時代の車輌となる。
元車は、西武クハ1203・1204である。いずれも木造ダブルルーフだった車輌である。
モハは1925年(大正14年)汽車会社製造。クハは池袋 - 所沢電化開業にあわせて1922年(大正11年)に製造の梅鉢鉄工所製となっている。
近江鉄道線から跨線橋を渡って国鉄線ホームに移って来る。
当時は国鉄の草津線と信楽線の乗換え駅ナリ。
往時C58の貨物列車を狙って訪問したのが懐かしく思い出される。
たくましい現役の気動車である面構えを見せる信楽行き529列車・・・キハ5826+キハ58651・・・もちろん非冷房車
真夏の熱気を増大しそうなディーゼルのアイドリング音が、気だるく響く昼下がり
あの大事故“信楽高原鐵道列車衝突事故”が発生する7年前の穏やかな姿である。
乗換え客の姿もほとんど見受けられない、長閑そのものの国鉄ローカル線乗り換え駅なり。
草津を経由して京都に戻る。
いつものように奈良線のホームではキハ35がカラカラとアイドリング音を響かせていたが、程なくして非冷房の単に日陰でしかない車輌が、轟音を響かせて出発した。
新幹線ホームとローカル線との妙な対比を楽しめる一角だ。
しかし、この2ヵ月後には奈良線電化完成のために見られなくなる光景でもあった。
昭和58年カラーネガ拾遺集
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わざわざ撮影目的で出かけたものではないので、いい加減なものではあるが、当時の様子が閉じ込められているので、少し記事にしてみた。(いわゆる小ネタ集)

撮影の2カ月前に登場したばかりの京阪6000系 (守口市駅にて)
従来の京阪本線の車輌とは一線を画すデザインを持っていたためか、こうして新車にもカメラを向けていたようだ。
この当時は専ら普通列車としての運用だった。(現在では特急として活躍中)
加山雄三が登場する、ナショナルエアコン“楽園”の広告も懐かしい。

京阪・枚方市駅
地下通路と跨線橋で各ホームをつなぐ地上駅であったが、かなりくたびれた感じが漂う駅だった。

現在(平成22年9月)の様子。駅前のバスターミナルは、そのままだ。
昭和63年5月に京阪本線上り線が高架になったのだが、この高架駅の姿しか記憶にない人にとっては、昔の姿に何を感じるだろうか?

この踏切の北西には、街道筋の石碑があるが、それは今も残されてある。

右 倉治滝・・・交野の倉治にあるこの附近では一番大きな「源氏の滝」のことだろう。
落差約17.5メートル。昔は修験者の修業の場であった。
左 京六里、八幡(やわた)ニ里
この当時本線が高架工事中ではあったが、交野線の高架化は少し遅れた。
交野線ホームに入線する600系(昭和57年夏撮影)
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昭和58年3月湖西・堅田に江若鉄道の遺構を発見!
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昭和58年3月 国鉄・湖西線の堅田駅に立つ
ここ堅田は、琵琶湖畔には浮御堂があり、近江八景のひとつ“堅田落雁 ”として古来よりの名所である。

また東海道線から遠く離れた堅田の風景は、国文学者の大和田建樹により、鉄道唱歌東海道編の43番にも読み込まれている。
堅田におつる雁がねの たえまに響く三井の鐘
夕くれさむき唐崎の 松には雨のかかるらん
また、堅田は、“かたた”と濁らずに発音する。
そして訪れた年から遡ること14年前の昭和44年までは、ここに「江若鉄道」が走っていたところでもある。

日本鉄道旅行地図帳(第9号・関西2)より
国鉄堅田駅から国道に沿って南下したところには、その遺構の一つが残っていた。

「本堅田」とバスの停留所として利用されているようだが、もとの江若鉄道・堅田駅(大正12年開業・昭和44年廃止)である。

反対側に回ってみると、線路は剥がされているといえ、低いホームがそのまま残っている。
その近くの江若バスの整備場を覗くと、懐かしいボンネットバスが残っていた。

ナンバープレートは取り外され哀れな姿だが、湖西の山岳地区を走り回っていた車輌のようだ。
※この車輛は、昭和55年2月に登録抹消されて、平成4年に福山自動車時計博物館がを引き取り、修復して平成5年9月に再生したものかもしれない。
そうだとすると、平成6年7月より北塩原村から依頼を受けられた磐梯東都バスが毎年春季?秋季に運用している桧原湖周遊レトロバスとして活躍しているものかもね♪

堅田というところは面白いものが残っているなあ♪と感心しながらフォト散策を続けた。
昭和58年“サロンカーなにわ” お披露目展示会
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当時の不爾日記によれば「我、数日前より新聞にて識りたれば、かくも珍しき事、屡なるはあるまじき事なれば、職場より写真機を肩に携えていざ参らむと、正午過ぎより彼のステンショへ馳せ参じたり。」とある。
これは、東京鉄道管理局が豪華列車「サロンエクスプレス東京」を作ったことに対する大阪鉄道管理局が仕立てた対抗車輌である。

梅田の大歩道橋の上から進入の様子を撮ろうとカメラを構えた。
(この頃の歩道橋の上空にはまだまだ広い空間があったのだ。)

EF56に牽引されて、入線してきた。

よく見るとバックの大阪鉄道管理局の正面には「サロンカーなにわ誕生」の垂れ幕が掛かっている。

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大阪駅ターミナルビル新築工事の推移(昭和55年~定点撮影)
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現在4代目となる現大阪駅ターミナルビルは、北口の駅改装工事に伴い、増床工事の真最中である。

(現在の様子 H22.1.4撮影)
以下は昭和55年3月から昭和58年9月までの3年半にわたり、折に触れ定期的に撮影してきた現大阪駅の建築の様子である。

(1)昭和55年3月12日阪急グランドビル31階より
昭和54年12月15日大阪駅北口駅舎完成により取壊し中の旧3代目の中央本屋

(2)昭和56年4月6日阪急グランドビル31階より
いよいよ新ターミナルの基礎部分が建設されようとしている。
前回の写真から1年ほど経ているが、旧建物の撤去と地階部分の掘り込みなど基礎工事にかなりの手間がかかっているようだ。

(2-1)本屋の基礎部分を拡大してみた。

(2-2)現在では、大阪ガーデンシティとして高層ビルが林立する中央郵便局の西側は、コンテナ基地として利用されていた。
南側の道路には、阪神高速の入口もありました。
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「鴨東・京阪電車の桜並木」
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- 07:48
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昔のネガをスキャンしてみた。
・・・・・・・・
昭和58年4月桜の散り初めの頃、鴨川を訪れた。
鴨東には、京阪本線が走っている。四条駅の路面交差は有名であったが、三条?四条の桜並木も美しい。
車窓から桜越しに対岸に並ぶ料理屋の風情を楽しむのもここならでのものであった。
特急カラーが桜に溶け込んで美しいね。
古豪も疾走!!
もうすぐこの風景が見られなくなるので、仕事の合間を割いて訪れた。
「倉吉線・混合列車 オハニ36」
- Sat
- 07:31
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朝目覚めれば、かすかに雨音あり。窓より日影なく、雨男の面目躍如たるところ。
霖雨の中、米子より倉吉へ向かう。
第二の目的、倉吉線の混合列車に乗りに行く。
(貨車と客車を連結して走る列車を混合列車というが、その当時でも、関西では倉吉線より他では見ることが出来なかった。)
米子から倉吉までの列車はキハ58。倉吉までは快速列車だが、そりより以東は、急行白兎となるものである。

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「餘部鉄橋よ永遠に!!」
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- 00:30
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「大阪発出雲市行各駅停車721列車」
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- 00:12
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残念だねえ。
今度はすっきりとしたコンクリート橋になるらしい。今のままで充分だと思うのだが。
現在では鉄道ファンだけでなく一般人も訪れる機会が多いようだ。
もうこれで見納めか・・と思いつつ、過去の写真を探してみれば、ちょうど24年前に訪問した記録があった。
当時の日記もあるので、少しご披露させていただきます。
( )は現在の注釈・陰の声
~昭和58年3月20日の日記から(その1)~
仕事が多忙で疲労困憊しているところに、悪友のイバ君からのびのび切符での呑気な小旅行のお誘いがあった。
多少躊躇したものの連休なので、急遽、山陰路へ旅立つ事となる。
メインは餘部大鉄橋と倉吉線。雨男の道中ゆえ、天気が気がかり。
早暁5時46分大阪駅発出雲市行の各駅列車721レに乗車。
(その時刻に大阪駅に行くだけでも大変だった。)
DD511110+スユニ502013+マニ6043+オハフ33227+オハ462033☆+オハ473041+オハフ33377+オハ351028+オハフ33126
(テツは、こういう編成ものは緻密に記録する。☆の車両に乗車。
まだまだ国鉄の元気な頃。どう考えても無駄な長編成ながら、このまま出雲市まで各駅停車で突っ走る。
因みにこの列車、終着駅の出雲市には同夜20時頃に到着する。
約14時間をかけて310kmをゆったりと走る。平均速度30km/hにも及ばない。
名実ともに鈍行列車である。
当時、日本最長の普通列車として有名なのは、門司から山陰本線を経由して福知山まで560kmを18時間半かけて走破する824レであったが、この721列車とて現在の基準から見れば異常も思われる走行距離と所要時間である。)
さてさて、721レの車中の人となるが、窓外はいまだ藍色の空が広がる。
スチームのカンカンという音が耳につく。架線柱が目障りになってきた福知山線ではあるが、久しぶりの客車列車の旅、ウイスキー片手に心ワクワク、ご機嫌である。
三田駅到着6時58分。ようやく日光が歩廊に差し込む。客車の下から立ち上るスチームの湯気に日光が映える。
(大阪から三田まで、1時間10分。現在では各駅停車で50分所要。この20分の短縮によって通勤圏となったわけだ。しかしその代償も大きかったね。)
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