鉄道開業150周年と“名建築で昼食を”
- Sat
- 07:00
- ∇阿房列車ピクトリアル・総記
令和4年10月14日をもって、わが国の鉄道開業から150年となる
国民こぞって奉祝すべき記念日である
10月9日から東京に出張するので、用事のない時間には、鉄道開業150周年に因んだ聖地巡りをしてみようと思う
上りの新幹線で、車内販売員に缶ビールを注文するとコレが供された!

実に幸先が良く気分も高揚するというものだ!
ヱビスビールは、鉄道の恩恵をたっぷりと享受しているからなあ
鉄道開業150年を祝わずにはおれないのであろう

新橋駅前の“鉄道唱歌の碑”
鉄道開通85周年・大和田建樹の生誕100周年を記念して昭和32年に建てられた碑文であるが、150周年の今日眺めてみると、しみじみとした趣きがある

ゆりかもめの新橋駅からペデストリアンを使って歩いていくと、この場所に出る
聖地と言えばココを外す訳にはいかない
旧新橋停車場
大切な史跡ながら、摩天楼囲まれて何やら肩身の狭そうな感じが漂う

エントランスに立つ
この時はスマホのカメラしかなかったため、残念ながら両脇まで写せなかった

これが開業当時の姿・・・比較するととても忠実に再現されていることが分かる

12年前になるが、一度ここに訪問したことがあったが、その時は館内が休業日で立ち入られなかった
本日は日曜日ということもあり開館しているし、150周年の記念展示である“新橋停車場、開業!”を無料で見学できる

建物内は多くの見学者が、数々の展示資料に見入っていた


歩廊(プラットホーム)部分から見るとこんな具合だ・・・開業当時は下記のとおり

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“天空”に乗って高野山まいり(後編)
- Sun
- 07:00
- ∇阿房列車ピクトリアル・総記
(前回からのつづき)
令和3年10月24日天空に乗って高野山にやってきた。
今年は暖かい日が続いているため、高野山の紅葉は遅れている。
例年ならば見頃なはずだが・・・
ここで、愛すべきレンズであるライツ・ズミルクス35mmf1.4の撮り比べをしてみよう。

↑:f1.4開放 ↓:f5.6
絞ると極めてシャープな描写となるが、解放の滲みがとても良い味となっている。
ソフトレンズとはまた違う描写と感じる。


↑:f1.4開放 ↓:f5.6
壇上伽藍にある御社(みやしろ)の鳥居より1枚
上の方が何か御座すような雰囲気が漂い神々しい感じがする。

高野山縁起では、唐で習得した真言密教の道場となる地を求める弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人が現れ、弘法大師を高野山へ導いたと伝えられている。この狩人こそ丹生都比売大神の御子である高野御子大神が化身された姿であり、丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け高野山に根本道場を開いた弘法大師は、丹生都比売大神と高野御子大神に深く感謝し、高野山の守護神(明神)として、山内の壇上伽藍に御社(みやしろ)を建てお祀りしたのだ。(丹生都比売神社HPより)

↑:f1.4開放 ↓:f5.6
登録有形文化財に登録されている高野山霊宝館 夕暮れの高野山はまた別の姿を見せてくれる。
この霊宝館にも入館したが、国宝が数多く展示されていて、それもガラス越しではなく、中には息がかかる程の距離で鑑賞することができるがあることにとても驚く。


これは、ヘクトール7.3cmの撮り比べ
奥之院参道にある空挺部隊の慰霊碑
「空の神兵」といいわれた陸軍の落下傘部隊から自衛隊空挺団に至る物故者を祀っている。

↑:f1.9開放 ↓:f5.6
この石碑に刻された「空」の字が只ならぬ気配を漂わせているので撮影する。
きっと弘法大師の筆跡を写したものだと思って撮影していると、隣で掃除をしていた男性に「これは弘法大師の風信帖の字ですわ」と教えてくれた。
なるほど。だからオーラを感じていたのかと一人納得していたが、帰宅後調べてみると弘法大師の「勧頂記」からの字だった(笑)


↑:f1.9開放 ↓:f5.6
奥之院一の橋 聖域の入口
今回は中の橋から参拝したが、本来はここから参詣すべきだと思う。

高野山ケーブルに乗る頃には、とっぷりと日が暮れて極楽橋駅の構内が不思議な雰囲気を湛えていた。

ケーブル乗り場は聖域として「赤」があえて用いられている。

ところが回廊を戻ってくると、俗世の「黒」がモチーフとなっている。
令和3年10月24日天空に乗って高野山にやってきた。
今年は暖かい日が続いているため、高野山の紅葉は遅れている。
例年ならば見頃なはずだが・・・
ここで、愛すべきレンズであるライツ・ズミルクス35mmf1.4の撮り比べをしてみよう。

↑:f1.4開放 ↓:f5.6
絞ると極めてシャープな描写となるが、解放の滲みがとても良い味となっている。
ソフトレンズとはまた違う描写と感じる。


↑:f1.4開放 ↓:f5.6
壇上伽藍にある御社(みやしろ)の鳥居より1枚
上の方が何か御座すような雰囲気が漂い神々しい感じがする。

高野山縁起では、唐で習得した真言密教の道場となる地を求める弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人が現れ、弘法大師を高野山へ導いたと伝えられている。この狩人こそ丹生都比売大神の御子である高野御子大神が化身された姿であり、丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け高野山に根本道場を開いた弘法大師は、丹生都比売大神と高野御子大神に深く感謝し、高野山の守護神(明神)として、山内の壇上伽藍に御社(みやしろ)を建てお祀りしたのだ。(丹生都比売神社HPより)

↑:f1.4開放 ↓:f5.6
登録有形文化財に登録されている高野山霊宝館 夕暮れの高野山はまた別の姿を見せてくれる。
この霊宝館にも入館したが、国宝が数多く展示されていて、それもガラス越しではなく、中には息がかかる程の距離で鑑賞することができるがあることにとても驚く。


これは、ヘクトール7.3cmの撮り比べ
奥之院参道にある空挺部隊の慰霊碑
「空の神兵」といいわれた陸軍の落下傘部隊から自衛隊空挺団に至る物故者を祀っている。

↑:f1.9開放 ↓:f5.6
この石碑に刻された「空」の字が只ならぬ気配を漂わせているので撮影する。
きっと弘法大師の筆跡を写したものだと思って撮影していると、隣で掃除をしていた男性に「これは弘法大師の風信帖の字ですわ」と教えてくれた。
なるほど。だからオーラを感じていたのかと一人納得していたが、帰宅後調べてみると弘法大師の「勧頂記」からの字だった(笑)


↑:f1.9開放 ↓:f5.6
奥之院一の橋 聖域の入口
今回は中の橋から参拝したが、本来はここから参詣すべきだと思う。

高野山ケーブルに乗る頃には、とっぷりと日が暮れて極楽橋駅の構内が不思議な雰囲気を湛えていた。

ケーブル乗り場は聖域として「赤」があえて用いられている。

ところが回廊を戻ってくると、俗世の「黒」がモチーフとなっている。
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平成9年12月18日大阪港テクノポート線開通
- Sun
- 07:00
- ∇阿房列車ピクトリアル・総記
平成9年12月18日大阪市営地下鉄中央線の終着地であった大阪港駅からニュートラムの中ふ頭駅までが開通した。それは第3セクターの大阪港トランスポートシステムによるテクノポート線と称していた。
この路線の開通には、次のような理由があった。
大阪南港の埋立地に、新たな集客施設として大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC。現在の大阪府咲洲庁舎)やアジア太平洋トレードセンター(ATC)といったタワー型ビルや商業施設が開設されたが、鉄道による交通アクセスが大阪市交通局南港ポートタウン線(現在のOsaka Metro南港ポートタウン線。愛称ニュートラム)しかないという欠点があった。梅田や難波など市内中心部からは、大阪市営地下鉄四つ橋線(現在のOsaka Metro四つ橋線)を経由し住之江公園駅乗り換えでニュートラムを利用するしかなく遠回りで時間がかかるという不便さが災いし、バブル崩壊による不況も重なって企業誘致が思うように進まず空き地だらけなうえに、一度は南港に移転した企業の中には再び都心部へ戻ってしまった企業もあるという悪循環であった。その不便さを解消するために計画されたのが、大阪港駅と中ふ頭駅を結ぶ鉄道路線であった。(Wikipediaより)
その開通から5日後の12月23日(祝)に新駅のトレードセンター前駅とATCの様子などをパトロールしてきた。
その当時の様子をまとめるだけでなく、22年後となる令和2年の今日の様子と見比べてみたいと考え、R2.3.15新型コロナウイルス感染症で自粛ムードが高まっている最中訪れてみた。
※上の写真は、1997.12.23撮影、下の写真は2020.3.15同位置から撮影したものである。
(1)トレードセンター前駅の改札口


(2)トレードセンター前駅連絡通路から北側を望む


(3)同連絡橋からコスモスクエア駅発のニュートラム車輌を撮影


(4)同連絡橋から南側のO's棟を望む


(5)大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)の前を進むニュートラム


この路線の開通には、次のような理由があった。
大阪南港の埋立地に、新たな集客施設として大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC。現在の大阪府咲洲庁舎)やアジア太平洋トレードセンター(ATC)といったタワー型ビルや商業施設が開設されたが、鉄道による交通アクセスが大阪市交通局南港ポートタウン線(現在のOsaka Metro南港ポートタウン線。愛称ニュートラム)しかないという欠点があった。梅田や難波など市内中心部からは、大阪市営地下鉄四つ橋線(現在のOsaka Metro四つ橋線)を経由し住之江公園駅乗り換えでニュートラムを利用するしかなく遠回りで時間がかかるという不便さが災いし、バブル崩壊による不況も重なって企業誘致が思うように進まず空き地だらけなうえに、一度は南港に移転した企業の中には再び都心部へ戻ってしまった企業もあるという悪循環であった。その不便さを解消するために計画されたのが、大阪港駅と中ふ頭駅を結ぶ鉄道路線であった。(Wikipediaより)
その開通から5日後の12月23日(祝)に新駅のトレードセンター前駅とATCの様子などをパトロールしてきた。
その当時の様子をまとめるだけでなく、22年後となる令和2年の今日の様子と見比べてみたいと考え、R2.3.15新型コロナウイルス感染症で自粛ムードが高まっている最中訪れてみた。
※上の写真は、1997.12.23撮影、下の写真は2020.3.15同位置から撮影したものである。
(1)トレードセンター前駅の改札口


(2)トレードセンター前駅連絡通路から北側を望む


(3)同連絡橋からコスモスクエア駅発のニュートラム車輌を撮影


(4)同連絡橋から南側のO's棟を望む


(5)大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)の前を進むニュートラム


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