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平成7年冬の橋本・下市口風景

平成7年12月15日仕事で和歌山県の橋本に行く。

遊びなら大阪からJRを使ってゆっくり行くのだが、仕事なので当然の如く南海高野線を利用する。

橋本駅は、南海とJRが相互乗り入れしているが、駅舎は一つで大きな跨線橋で互いに連絡してあるだけで、その区分けは曖昧なものになっていた。

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列車は橋本で一部が切り離され、急勾配の高野鉄道線を登っていく。

この年の9月から、南海高野線ズームカーの増解結実施駅が三日市町から橋本駅に変更になったのだ。

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大正4年に開業した橋本駅には、このクラシックな跨線橋が名物となっている。

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南海線ホームの支柱は鋳物製で、大正10年10月 梅鉢工場製との銘あり

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一方、JRホームのそれには・・・

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大正元年9月鉄道院との銘があった。


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50パーミルの高野線山岳路線用に開発された21001系“ズームカー” 

姿かたちの良い車輌だったが、ギア比が山岳用に設定してあるので、とにかく走行音が大きい車輌だった。転用されていった他の私鉄では未だに健在ではあるが、親元の南海電鉄では平成9年にその姿を消した。

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また、橋本駅の構内には、こんな大型の車庫があった。

その経歴はよくわからないが、知らない間になくなってしまった。

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平成7年 こだま号グリーン車で熱海へ・・・

平成7年11月11日、年一回の職場の慰安旅行として熱海に向かった。

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JR大阪駅から新大阪まで在来線で行き、新大阪から新幹線に乗るのだが、熱海に止まる列車は少ない。

目的は、熱海の「あたみ石亭」で骨休めすることだから、急ぐことは全くないので、「こだま」で向かうことになった。

新大阪9:36発東京行こだま410号に乗車・・・慰安旅行だから、座席はもちろんグリーン車(8号車)である。

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0系新幹線のグリーン車も20年後の今見るとかなりレトロな雰囲気である。

Leica3C+Russar20mm



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枕カバーのほか肘置きカバーが備えられているのが、嬉しいね!

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お昼は、法隆寺・川田の豪華な松花堂弁当である。これなら酒が進むというものだ。





その車窓からどんなものを撮影していたかというと・・・

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京都手前の梅小路あたりに待機するキハ181・・・特急「あさしお」として運用するのだろう


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建替え工事真っ只中のJR京都駅本屋


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↑名古屋付近で名鉄や、↓豊橋でEF58などを車窓から撮影している。

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平成7年 名鉄揖斐線モ510形再訪

平成7年8月26日厳しい暑さの下、再び名鉄揖斐線を訪れた。

1週間前にも訪問したが、オールドタイマーのモ510に逢いたくて、また岐阜に向かった。

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尻毛駅で下車して、伊自良川鉄橋付近の築堤で走行写真を狙ってみる。

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これも古豪のモ750形だ。吊掛けモーター音を轟かせてやってきた。

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ここは、足回りにさえぎるものがなく、車輌の全体がよく見えて、走行写真を撮るには良い撮影場所である。

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少し流し撮りなども試してみた。

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雲が湧く夏らしい風景が撮れたが、とにかく暑い。

帽子はかぶっているが、よくこの真夏の炎天下で粘ったものだ。

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モ770形 このラッピングカーは、「ブルーライナー・ミニ」

ボディのデザインは、犬山の明治村・リトルワールド・モンキーセンターをイメージしたものだ。

平成6年の名古屋鉄道創業100周年を記念して運行された本線の「ブルーライナー」に準じたもので、岐阜市内線・揖斐線で平成9年まで限定運転された電車である。

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平成7年夏 米原彦根寸描

平成7年8月26日湖北に“SL北びわこ号”を撮影した際に、米原近郊で撮ったネガが残っていた。
それなりに時代を感じさせるものとなっていたので、併せて掲載してみた。

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米原付近の東海道新幹線では、まだまだO系が現役だった。
しかしわざわざ写真に撮っているところを考えると、この当時でも数少なくなっていたのかもしれない。

※2輌目の窓ガラスは広窓だ。この頃はまだ広窓車が残っていたのか!(20年後に気付いた)

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特急“加越”は、湖西線経由の“雷鳥”と区別するため、米原駅 - 金沢駅・富山駅間で昭和50年から運転されていた列車であった。
この当時は、頻繁にその姿を見ることが出来た。しかし、名古屋と北陸を繋ぐ“しらさぎ”と同区間を走るため平成15年に“しらさぎ”に統合されてその姿を消した。

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JR東海の117系は珍しいものではなかったが、当時は雨樋に1本、窓下に太帯と細帯各1本の計3本のオレンジ帯が入っていた。その後、平成11年頃より塗り分けが変更され、側面帯が窓下1本に簡略化された。
これはその初期の塗り分けバージョンである。
平成26年1月にはJR東海の117系は全廃となった。

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EF81は今でも目にする長命な機関車である。
この35号機は昭和44年に日本海縦貫線貨物列車増発用を名目として、製造されたものだ。平成21年3月廃車

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余り美しい姿ではないが、ホロ付の特急“しなの”は珍しい クロ381-5

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平成7年 ふたたび“SL北びわこ号”にトライ

平成7年8月19日に運転を開始した“SL北びわこ号”であったが、初日につづき1週間後の8月26日に再び米原に向かった。

前回はロケーション不足に泣かされたので、今回は沿線の状態を把握しての捲土重来である。

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この当時、JR京都駅は駅本屋の建て替えの真っ最中。

ホームから京都中央郵便局が見えていた貴重なワンショットなり。


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今見ると、全く何処だか分からない風情である。



とまれかくまれ、米原駅到着

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リバーサルフィルムを使って撮影した牽引機C56160 

ジャドゥー部分と照り返し部分の陰翳が実に美しい。

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客車はおなじみの12系

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こちらは、カラーネガフィルムでの撮影 

この子供達も今では立派な大人になっていることだろう・・・


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北陸線の普通列車車内では、熱心にスケッチする年配の方もいて、いかに関西におけるSL走行が待ちわびたものであるのかの証左といえる。

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平成7年8月 コトデン紀行(その2)

(前回からのつづき)

琴電高松築港駅から瓦町まで琴平線に乗車し、そこから志度線に乗り換え

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元京浜急行の“名車”であるデハ230形のコトデン29号車がやってきた

貫通扉に改造されているが、特大のフロントガラスがオリジナルの雰囲気を留めている。

コトデン29←京急デハ275←東急デハ5275←京浜電鉄デ90
1936年汽車製 1979年入線 2000年廃車(Wikipediaより)

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駅ビル工事中の瓦町駅に入線した志度線車輌の後部にはコトデン30号車

元京急デハ266←東急デハ5266←京浜電鉄デ81
1932年汽車製 1979年入線 2000年廃車(Wikipediaより)

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フロントのアップをスーパーイコンタで撮影

シル・ヘッダーのリベットと裾部のアンチクライマーが戦前の車輌であることを物語っている。
惜しむらくは、前照灯がシールドビームになっているところ

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とにかく車窓が大きく、窓枠が細いため、車内が明るい。ガラス張りの車輌のようだ。

妻板にも大窓があることがその効果を増している。(30号車)

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立派な鉄道ファンになるんだよ・・・・

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平成7年8月 コトデン紀行(その1)

平成7年8月20日(日)

昨日の土曜日はSL北びわこ号と名鉄揖斐線を訪れたというのに、翌日も午前5時半に目覚めて、昨日同様「青春18切符」を利用して旅に出た。


今日は、高松からコトデンを見学しようと思い、大阪駅を発った。


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早朝から真夏の強烈な陽光が差し込んでいた。 大阪駅


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岡山支社管内の「マスカット色」クハ103-227ほか4連 (スーパーイコンタで撮影)

姫路駅の電留線では、糸崎からやってきた車輌が見られた。

当時僅かながら姫路-糸崎のロングランを受け持つ普通列車があったが、こんな車輌では、さすがに通しで乗ってみたいとは思わない。


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EF65-1127 金光臨の12系を牽引 姫路駅

金光教の祭礼があるのか、団体の臨時列車が入線してきた。臨時列車だけにダイヤがわからないので、旅の途中に出会うと何やら得をした気がする。


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6連の「スーパーはくと」が鳥取を目指してやってきた。

この車輌を見ると、開通当時阪神大震災のため迂回ルートの運用に回されていた時の光景が目に浮かぶ。

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マリンライナー クロ212-1 高松

本四備讃線ができたため、岡山から容易に高松にやって来られる。まさに人に翼の汽車の恩である。

後方には、これも瀬戸大橋のおかげで、従来は宇野止まりだったが高松まで延伸した寝台特急「瀬戸」


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スハ25-301(スーパーイコンタで撮影)

この日は、途中にパンタグラフを載せた変り種車輌のスハ25を連結していた。

この車輌は、「瀬戸」用ラウンジカーとして改造されたもので、電源を取るためのパンタグラフがついている。

パンタグラフつきの客車としては、カニ22が有名だったが、昭和48年当時ではすでに「耳なし芳一」のような哀れな姿しか見たことがなかった。

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S48.8大阪駅

スハ25のその後は・・・「瀬戸」は電車化されたため、「あさかぜ」に転用されたが、平成17年3月の「あさかぜ」廃止により運用を離脱し、平成20年までに全車廃車となって形式消滅した。

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平成7年 名鉄揖斐線探訪

平成7年8月19日SL北びわこ号の始発下りを撮影した後、最終上りの時刻までかなりあるので、足を伸ばして岐阜までやってきた。

目的は、名鉄揖斐線で活躍中の大正15年生まれのオールドタイマーモ510形に会うため。
その運行は全く予備知識としてはないため、ぶっつけ本番である。

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これは新岐阜駅前(現:岐阜駅)だろう。後ろの新岐阜百貨店が目印となるが、現在では存在しない。

車輌は、名鉄岐阜市内線のモ550形551 元北陸鉄道金沢市内線のモハ2000形(昭和25年製)

岐阜市内線は、平成17年4月1日に廃止された。


揖斐線を進んでいくと・・・いきなりだが、政田駅でモ510形514と遭遇!・・・初お目見え

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半円形の先端部分の5枚窓がなんとも優雅である。側面戸袋の丸窓も典雅なり。

御年70歳なれど、元気にご活躍のようでなにより!

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谷汲線との分岐駅「黒野」で下車

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名鉄市内線との直通列車である左側モ770形と揖斐線・谷汲線を専ら走る右側モ750形

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左が本揖斐方面、右が谷汲方面となる。

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黒野駅には電留線がある。モ510形がここで休んでいるかと思っていたが、空振りに終わった。




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平成7.8.19 SL北びわこ号 運転初日

昭和51年9月4日京阪100年号の人身事故により、SLの牽引する臨時列車はご法度となっていた関西地域であったが、それから19年の長きを経て漸く平成7年8月19日から米原・木ノ本間にC56160(梅)牽引のSL北びわこ号が走り出すとの報に接した。

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よって、用意万端の上、満を持して当日湖北へと出向いた。お盆明けの暑い日だった。

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米原駅跨線橋内の掲示板

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長浜駅にて  この歓迎看板には実行委員会の名が見える。 よって地元の熱心な働きかけがあってこその運行実現だったことが容易に推察できる。 ご苦労様でした。

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しかし撮影ポイントがわからないため、田村駅で下車して沿線から撮影することにした。

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“食パン電車”と揶揄された419系もこの当時は元気一杯活躍中だった。

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ボンネットの485系特急“加越” 

米原駅 - 金沢駅・富山駅間を結んでいたエル特急であったが、特急“しらさぎ”と変わりないため平成15年には“しらさぎ”に一本化された。

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ついに本命の登場・・・SLの走行写真を撮るのは・・・・本当に何年ぶりだろうか

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初日だけあって運転手の対応も頗るよろしい。

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スーパーイコンタをお供に・・・天下茶屋パトロール

平成7年7月新たにファジー・コレクションに加わった1938年ドイツ製ツアイスのスーパーイコンタⅢの試写を兼ねて、天下茶屋界隈をパトロールする。

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このカメラは、分類ではスプリングカメラに属するが、ドレーカイル式のピントあわせ装置を備え、同種の中では最高品である。

レンズの横に飛び出た腕木単目のドレーカイル方式の説明は、本機を手にすればその精緻な光学装置に驚嘆するばかりであるが、文書にすると絶対に理解できない代物である。

アマチュアには、この半分の大きさのセミ・イコンタが好まれたが、イコンタがもつ6×9cmのビックサイズはプロに好まれ、この傾向は1970代まで続いた。

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左側の35mmフイルムではなく、右にある細長いサイズの裏紙のついたプローニ判のフイルムを使う。

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ネガを比べてみると、35mmに比べて圧倒的なサイズの大きさを誇る。これは、今で言うところのデジタルカメラの受像子の大きさの違いと同様の効果がある。

昔はレンズの性能をカバーするため大きなサイズが求められたが、名レンズのテッサーを搭載したスーパーイコンタともなれば、大きく引き伸ばす必要のあるプロ写真にとっては、35mm判より重用された。

そして、スプリングカメラの特徴として、折りたたむとコンパクトになることから山岳写真家には特に愛好された。

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これは同サイズの六曜社・8年型パールにおけるカメラとフイルムの様子。極めてシンプルにして完全なるアナログ仕様である。

この六曜社・8年型パールは、以前にも記事にしたことがあった

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この日は、恵美須町から阪堺電車で天下茶屋に向かった。

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平成7年6月 阪神淡路大震災から復旧した阪急・阪神電車

今年も1月17日が巡ってきた。

阪神淡路大震災から21年が経過し、あの日の体験者も相対的に少なくなったことと、その後発生した東日本大震災の影響もあり、その記憶の風化が心配されるようになった。

中心部の神戸市内における住民の40パーセントが震災を知らない世代らしい。

震災当日の様子の記事は・・・コチラ

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無残な姿となった三宮の神戸阪急ビル東館「阪急会館」 H7.1.30撮影

そんな今日の状況下であの震災を忘れないために、今回は、手許の写真を基に、震災の甚大な被害から見事復旧した阪急電鉄と阪神電鉄の姿を振り返ってみたい。





平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災から5ヶ月ほど経過したある日、途絶していた阪急神戸線、阪神本線が懸命の復旧作業によりようやく開通した。

『通常では2年から3年が必要であるといわれた甚大な被害を受けた鉄道の復旧作業を、僅か半年足らずで完遂させたことは、鉄道会社、建設会社の方々の並々ならぬ努力のたまものであることには相違ない.。しかし、その作業に献身的な協力・並々ならぬ忍耐を惜しまなかった沿線市民の復旧に対する大きな思いが、奇跡のスピード復旧の大きな推進力になったと聞いている。』


そのとき、仕事の途中で数枚の写真を撮っているので、並べて掲載してみたい。

阪急梅田駅・・・6/12の神戸線全線復旧を祝うプレートが取り付けられた。
H7.5.31撮影

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阪急・茨木市駅の構内で見つけた告知ポスター・・・それぞれ内容がわかるように拡大してみた。

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(その1)

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(その2)

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(その3)

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茨木市駅を通過する特急列車・・・すべての特急車輌の先頭に復旧プレートが取り付けてあった。

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【阪急電鉄の震災復旧一覧】
  平成7年 1月17日 阪神・淡路大震災で各線に被害。
  1月23日までに京都本線、宝塚本線、神戸本線の一部などで運転再開。
  2月5日 今津線が全線復旧。
  3月1日 甲陽線が全線復旧。
  3月11日 伊丹線が新伊丹 - 伊丹(仮駅)間で運行再開。
  6月12日 神戸本線が全線復旧。


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平成7年 蹴上浄水場のツツジと京阪・京津線

今からちょうど20年前の今日のことだった。

平成7年5月6日 京都・蹴上浄水場のツツジが見ごろとの報に接し、京阪京津線と一緒に撮れないか・・・という思いに突き起こされ、天気も上々、発作的にカメラバックを肩に京阪電車に飛び乗った。

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ところが、馳せる気持ちを挫くが如く、淀屋橋から乗った特急は、前方での何かのトラブルにより萱島駅で臨時停車。

こういうときは、扉は開けないのが常であるが、今回は扉が開き乗下車可能となった。

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珍しい現象なので・・・記念に一枚!

トラブルで予定時刻よりかなり遅れたが、無事に蹴上に到着。

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さてさて浄水場のツツジをバックに京津線をどう撮るか?

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午前中は、逆光気味なので絵にするのが難しい。

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順光で撮ろうとすると国道を東に上った位置から撮影することになるが、自動車の交通量が多く、すっきりとした写真を撮るのが、これはこれで難しい。

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地下鉄サリン事件と「かえ~るボックス」

平成7年は阪神淡路大震災とともに、世間を震撼とさせた地下鉄サリン事件(H7.3.20)が発生した年である。

その事件の余波として、その後しばらくの間、国内の公共交通のゴミ箱が撤去されたり封鎖されたりしたことがあった。

毒物・爆発物等の危険物を設置させないようするための予防措置である。


大阪市交通局もその例外ではなかった。

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地下鉄朝潮橋ホーム・・・この頃は種類別のゴミ箱ではなく投入口は一つだけだった。

新聞雑誌用のゴミ箱は、これとは別に大きな駅に限ってリサイクルの意味を含め「かえ~るボックス」が設置されていた。


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地下鉄本町(四つ橋線)ホーム・・・特別警戒実施中なのだ


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地下鉄天満橋ホーム・・・行き場のない空き缶は、勢いこのような状態となってしまう。

案内板の②松坂屋の文字も懐かしい。



なかでも哀れなのが、新聞雑誌用のカエル形大型回収箱「かえ~るボックス」だった!

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平成7年大阪春景色(続)

(前回からのつづき)

大川端で春景色を楽しんだ後、阪急沿線にも足を伸ばす。

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崇禅寺・淡路間の桜並木は、どこも見頃を迎え、花見客で賑わっている。

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平成7年春 正雀工場見学 続編(その1)


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この圧倒的な存在感は、さすがである。

平成7年4月29日に阪急正雀工場を見学した折に展示してあったP-6ことデイ100である。

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昭和2年当時、新京阪鉄道に登場したときの衆人の驚きは、どんな具合だっただろうか・・・。

鋼鉄製電車は、当時の鉄道省はモハ30シリーズを投入していたが、ダブルルーフの17メートル小型車ゆえ鈍重な感じが否めなかった。

そもそもそれらは、東京地区の一部でしか見られないものだったので、この19メートルにしてシングルルーフの鋼鉄車両のP-6は、珍しいもが大好きな大阪人の耳目を集めるには十分すぎる存在だった。

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鉄道省が併走する私鉄に対抗してフリーケントサービスを目指して京阪神の電化がスタートしたのが昭和9年のことである。
P-6に似た鉄道省様式モハ42系が登場するものは、6年後の昭和8年となる。

いかに新京阪がいち早く先進的な車両の導入を遂行したかが見て取れる。

この後、関西の阪和電鉄などが同様の車両の導入を計ったが、デザイン的にはP-6を上回るような洗練したものは登場しなかった。


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社章は、京阪神急行電鉄からのもの・・・京都市・大阪市・神戸市の市章が上手に組み合わされている。

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平成7年 阪神淡路大震災直後の阪急正雀工場見学会

平成7年4月29日のことだった。

阪急正雀工場で一般見学会があると耳にしたので、その日訪問した。

あの忌まわしき阪神淡路大震災から僅か3ヶ月余の後のことであった。

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阪急京都線は、震災の被害は少なかったので、その直後から通常運転をこなしており、この日はさらに嵐山直通臨時急行「嵯峨野エキスプレス」も運転していて、震災の傷跡が感じられないほどだった。

しかし神戸本線の被害は甚大でありその復旧は、この1ヵ月半後である6月12日まで待たねばならなかった。

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この列車で淡路乗り換え・・・ここから普通列車で正雀に向かう


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阪急電鉄・正雀工場 正面玄関  JRの車窓から毎回見つめていたが、訪問するのはこれが初めてである。

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「懐かしの車両展示会」が訪問の目的であったが、「車両部品セール」というのも気にかかる。

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京阪京津線を行く 三条~蹴上

過日京阪三条の京津線の様子をアップしたが、これはその続編・・・

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平成7年3月21日 祝日の午後・・・京津三条を後に三条通りを東に進む

この幅の狭い道路に路上駐車されると大変だわ・・・

また、右側の「めん処みやこ」の数軒奥(西側)には、この17年前に山口組三代目襲撃事件の舞台となったナイトクラブ・ベラミがあった。

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「東山三条駅」


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東山三条の東には、疎水から引き込まれ平安神宮の外堀を経て祇園に続く白川がある。

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強引な撮り込だが、これとて懐かしい思い出になってしまった。

「是より左 知恩院祇園」の石標が、京の味わひを添へてゐる。

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地上に残った京津三条駅

平成7年3月21日 CONTAXのPLANAR85mm1.4fの試写を兼ねて、京都三条付近をパトロールした。

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昭和62年5月の京阪本線の地下化工事の完成により、地上駅は京津線のみとなり、駅名も「京阪三条駅」から「京津三条駅」と変更されて表示されるようになった。

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その京津線も2年後には、地下鉄路線の完成とともに廃止されると聞いていたので、混み合う前にゆったりとフォト散歩することとした。

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京阪三条の工事に伴いあちこちに移動させられていた高山彦九郎先生だったが、ようやくここに安住の地を得たようだった。

因みにこれは土下座ではなく皇居に向かって拝礼して旅立つ時のお姿である。

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その高山彦九郎先生の後ろを、ゴロゴロと頻繁に京津線車輌が往来していたのだった。

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阪神淡路大震災による阪神・石屋川車庫の被災レポート(後編)

前回からのつづき・・・


平成7年2月12日 石屋川駅から西へ進む

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高架の路盤は、支えるべき鉄筋コンクリートが脆弱だったためか、または想定外の震動のためか、ほとんどのところで座屈して見る影がない。

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少し高いところから望む。今来た石屋川駅方面と進むべき車庫方面の光景

すでに復旧に向けた前向きな工事が始まっているようにうかがえる。

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徳井町と乙女塚を結ぶ県道との交差部分の様子

交差していた高架部分はすでに撤去されているが、県道の西側部分はこの有様で手付かずの状態である。
いずれにせよ、一旦撤去して再築するしかない。その時間と手数を考えると暗澹たる気持ちになる。

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しかし、石屋川車庫に到着すると、さらに酷い状態であることが分かった・・・

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新旧の赤胴車が、枕を並べて討ち死に状態である。

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阪神淡路大震災による阪神・石屋川車庫の被災レポート(前編)

平成7年2月12日(日) 阪神淡路大震災のよる鉄道被害の大なるは、阪神電鉄であると耳にする。

また石屋川車庫の損傷著しいとの報を受け、その心配するとともに、物見遊山のように余所者が訪れるべきではないとの信念があった。

しかし、やきもきしていた1ヶ月を経て、本日思い切って訪問することとした。

大きな一眼レフを肩からぶらさげる訳にはいかず、コンパクトなCONTAX-T2をカバンに忍ばせてのいでたちである。

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もちろん阪神電車は不通なので、JR線に向かう。

JR東海道線は、ようやく住吉まで電車が行くようになった。

大阪駅東海道線のホームの時刻表は臨時のペーパーが貼付され、下り線は、新快速も快速も普通もすべて住吉止まりである。

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ホームは、さながら買出し列車の如し。

リュックを背負った人ばかりが目立つ・・・しかしその人たちに微笑はない。

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北陸線の11番ホームは、この日も通常通りの運行をしていたが、被災地に遠慮してか、気楽な旅行客は少なく、ホームは閑散としている。

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平成7年1月30日震災半月後の姫路行き(その1)

平成7年1月30日 ・・・当時の日記から
 今日は姫路に出張である。しかし震災のためJR・阪神・阪急・山陽の各鉄道は神戸付近で不通である。恃みは、福知山・播但線経由の迂回ルートか、海上ルートまたは岡山へ空路で飛ぶしかない。迂回ルートは到着が17時前になるので却下。空路も伊丹までの高速道路が不通なのでダメ。残るは、海上ルートだけだ。

その海上ルートであるが、基地となる大阪天保山は、神戸ハーバーランド行きに大阪湾クルーズのレストランクルーズ船シルフィードや遊覧船のサンタ・マリアまで狩り出されてピストン運行している。

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(参考)瀟洒なレストランクルーズ船“シルフィード”

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(参考)おなじみの遊覧船サンタマリア号

姫路行きもあったが、時刻が合わず利用できなかった。

結局、共同汽船で淡路島の津名に渡り、岩屋から明石に渡る手段をとった。上陸した津名付近は震災の被害は少ないようだったが、バスで岩屋に向かうと北行するほどに被害家屋の数が目立つ。

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(岩屋港の様子)

岩屋港桟橋も亀裂あり。周辺の町家にブルーシートでカバーしたものが多し。

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岩屋から明石への船便は、風が強くよく揺れたが定刻には明石到着。

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建設中の明石大橋も地震により、南北の橋脚間で1メートルのズレが生じたと聞く。

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平成6年 南海の新星「空港特急・ラピート」登場


南海電鉄が発表した関空連絡の新型「空港特急」なるものの設計図書を見たが、いままで見たこともないデザインの列車だった。

微かに戦前の流線型車輌の流れを感じるものの、その奇抜なデザインに瞠目するとともに、本当に実現可能なのかと猜疑心をもってその動向を見守っていた。


しかし、ついに現実の車輌として登場した!

平成6年9月4日のことである。 関西国際空港開業に伴い南海の新星「空港特急・ラピート」がその運用を開始したのだった。

それから3ヶ月ほどたった平成6年12月18日南海・貴志川線を訪問する経路として南海難波駅に立ち寄った。


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難波駅では、9番線にラピート専用ホームが設けられ、専用の特別改札を設置して、女性アテンダントを配すという、南海電鉄の威信をかけた意気込みが感じられる設計となっていた。

パタパタと表示が変わるフラップ式表示板も懐かしい。

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午前11時00分のラピート・α11号の発車シーン


もちろん乗客のほうもそれなりにステイタスを感じ、関空に行くならラピートに乗ってみたいと思うようになっていた。


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当初、αは特別列車として難波駅 - 関西空港駅間無停車、βは途中駅として新今宮駅・堺駅・岸和田駅・泉佐野駅に停車していた。


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「レトロフューチャー」をデザインコンセプトとした南海空港特急<ラピート>は、力強さと速さを融合させた先頭形状と人間味ある曲線、航空機のイメージから生まれた楕円窓がデザインのポイントです。最高時速120km/hで、南海なんば駅と関西空港駅の間をダイレクトに運行。国際都市なんばにふさわしく、都市景観としての充分なデザイン性を備えた、最先端の鉄道アクセスです。また、端正なそのフォルムの内部には、ゆとりある車内空間までも包み込みました。快適な居住性やゆきとどいたサービス施設・スタッフにより、快適に、しかもスピーディーに、お客さまを目的地までお運びします。(南海電鉄HPより)

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平成6年 古豪を訪ねて・・・南海・貴志川線(後編)



(前回のつづき・・・)

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南海電気鉄道・貴志川線の終着駅・貴志駅にやってきた。

野上電鉄の終着駅「登山口駅」同様、駅前は閑散としていて、立ち寄るところもない。

隣の商店の三毛猫が、あれよあれよと駅長から社長代理になるシンデレラ・ストーリーなど、夢にも思わなかった時代。

世間の耳目を集めることとなる「事件」の12年前の寂しい終着駅「貴志駅」である。

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貴志駅のモハ1201+1217

モハ1201の妻面の下部にスカート部がなく、直線で切られていて精悍な顔立ちとなって好感がもてる。


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平成6年 古豪を訪ねて・・・南海・貴志川線(前編)

平成6年12月18日JR和歌山駅から出ている南海電気鉄道・貴志川線を訪ねた。

以前から訪問したいと思っていた路線であったが、和歌山駅でオリエンタルグリーンとグリーンの2色濃淡塗り分けした懐かしい南海カラーの車輌をチラリと見るだけで乗車したことのなかった路線だ。

その年の10月13日(木)の毎日新聞で同線の記事が掲載されていたのが、その契機となった。

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JR和歌山線の車輌はすっかり変わってしまったが、南海貴志川線の車輌は、昭和48年以降ずっと変化なし!

昭和8年製の1201号車をはじめ、現存する戦前の南海1201形10輌を楽しめるのはここより他はない。

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往年を髣髴とさせるニス色の車内と臙脂のビロード張りシート、それと轟々と唸る吊掛けモーター音は、マニアにとっては堪らない魅力である。

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伊太祁曽(いだきそ)駅で対向列車のため一寸下車してホームの様子を撮影する。

しかしホーム面の黄色い誘導タイルの貼り方は酷いものだった。

芸術的ではあるが、利用者の事は少しも考えていないとしか思えない杓子定規な貼り方である。

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平成6年錦秋の鞍馬路にデナ21を見送る

平成6年11月13日

叡山電鉄の古豪デナ21がついに引退するとの報を受け、大好きな車輌だけに今生のお別れを告げるため洛北を訪問する。

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最初に訪問したのが、鞍馬線の二ノ瀬駅

出町柳から乗車したのは、このデオ605 四角いだけの面白みに欠ける車輌である。

因みに叡山電鉄特有の呼称であるデオ・デナは、デは「電動車」。オは「大型車」。ナは「中型(なかがた)車」の意である。


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鞍馬方面から愛すべきデナ21がその姿を現した。

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曲線を各部に上手に取り入れたため優雅なデザインとなっている。京都らしい実に端正な車輌である。


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室内から漏れる白熱灯の明かりが何とも暖かい。

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平成6年8月盛夏の南海線フォト散歩

平成6年8月14日真夏の盛りに、何を思ったのかフォト散歩にでかけた。

1年前の9月に一度訪問したことがある南海高野線の木津川駅を再訪したのだった。

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相変わらず駅前には道路からの案内標はなく、舗装されない広場の奥まったところにソレはあった。

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この当時は自動改札機はまだ整備されておらず、街中の駅とは思えないような閑散とした無人駅であった。

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少し顔を見せているモハ1529(南海1521系)は、この1年後である平成7年8月24日に運転終了となり、同年10月の和歌山港線でのさよなら運転をもってすべての営業運転を終了した。

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下町の原風景を切り取ったようなワンショット

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平成6年 桜島線から浪速駅へパトロール

前回からのつづき

平成6年6月に桜島をパトロールして港区に天保山渡船で渡る。

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その渡船場まえには、何とも風情のある食堂があった。

その名称は“渡船場食堂” 白い暖簾が清清しいね。

さて、今も健在かは、確認していない。

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桜島から港区の天保山へは、渡船を利用する。

良く見ると天保山岸壁には、大型客船が到着しているが、そのバックが現在とは異なる。

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あの大観覧車が見当たらない!それもそのはず、大観覧車はその後3年を経て建築されたのだ

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うつぼがエクトプラズムを吐くの図?・・・この混沌とした絵が好きだった。

今ではこの風景は見られない。

大観覧車の北側半分がが写り込むし、うつぼも消えた。

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平成6年 JR桜島線の可動橋レポート



現在では、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)で日夜賑わっている彼の地であるが、まだUSJがオープンする7年前の平成6年6月11日のことだった。

此花区の北港運河にかかるJR桜島線の可動橋の存在が気になって訪れた。

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昭和36年の地図から

現在USJの東に位置する南北の道路は、昔は北港運河と呼ばれる水路であった。

(陰の声)因みに安治川口駅前の汽車製造株式会社もこれまた懐かしい!

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その北港運河には正安橋という一般道路の橋梁が架かっていたが、その下の運河に船舶が通航する時には天秤方式で跳ね上げる可動橋であった。

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道路には、橋梁の可動時に鳴動したであろう信号機は、すっかりツタに覆われ、もう長い年月稼動していないことを示していた。

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可動時のバランスをとるためのオモリ部分にはこのような名板があった。

可動橋設計製作 大正15年10月架橋
山本工務所 山本卯太郎


調べてみると日本最古の跳上橋(鋼製跳開式可動橋)で、とても貴重なものらしく、その後平成11年には復元できるように解体保存された

しかし、これだけ大きなもの、保存するだけでも大変だが、果たして再び陽の目を見ることはあるのだろうか?

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平成6年 長野電鉄訪問・長野線(続)

前回からのつづき・・・

長野電鉄の屋代駅から乗車して須坂駅で本線に乗り換え

今日の宿泊地は、渋温泉・・・湯田中行きの特急が来るまで暫し構内パトロール

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長野行きの特急は、阪神電車の3011系によく似た、タマゴ形ののっぺりとしたマスクの2000系

昭和32年から39年にかけて12輌が、長野電鉄のオーダーで日本車輌で製作されたものだ。


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通勤車輌として導入された新OSカー・・・まだまだ利用可能と思われるが、この後2年ほどで全車廃車となっている。



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須坂車庫の様子

ご存知、元東急の“青ガエル”5000系が、ここでは長野電鉄2600系として現役で活躍中である。




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平成6年 長野電鉄訪問・屋代線屋代駅

平成6年5月14日(土)大学時代の友人が長野で結婚式を挙げるというので、一日前から信州に向かう。

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キハ85系 特急ワイドビューひだ

名古屋駅には、少し早く到着したので、在来線の特急ウオッチング。

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こちらは、ワイドビュー南紀の先頭車

どちらもJR東海のシンボルカラーのオレンジのラインをまとっている。

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最後尾の車輌は1両増結しているが、黄金週間仕様なのか?



特急しなのに乗車し中央線を北上する。

中津川を過ぎると、山々の新緑が目に染みる。見入ってしまうほどの美しさだ。

湯田中で友人達と落ち合う予定だが、ちょっと迂回して屋代から長野電鉄・屋代線を利用することとする。

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屋代駅の駅前通りの街灯は、とてもユニーク

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汽笛一聲・阿房列車

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何カノキツカケガアレバ汽車ノ事ヲ一所懸命ニ記述シテヰル。子供ノ時ノ汽車に對スル憧憬ガ大人ニナツテモ年を取ツテモ抜ナイノデアラウ。


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 阿房(あほう)と云ふのは、人の思わくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。
 
 用事が なければどこへも行つてはいけないと云ふわけはない。
 なんにも用事がないけれど、汽車に乘つて大阪へ行つて來やうと思ふ。   
    ・・・内田百閒「特別阿房列車」


        

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長崎の鴉・・長崎阿房列車

段段車窓が薄暗くなり、汽車が次第に濃ひ夕闇へ走り込んで行く時に聞く汽笛の響きは、鼻へ抜けたかさ掻きのやうな電氣機關車の聲よりも、蒸氣機關車の複音汽笛が旅情に相應しい。


          


  いつの間にか窓が眞暗になり、窓硝子に響く汽笛の音が、蒸氣機關車C62の複音に變つてゐる。


          
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