昭和28年の大阪駅前風景(2)
- Sun
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和元年-昭和47年
前回からのつづき・・・阪急百貨店の屋上から

御堂筋から右側にターンすると阪神電車の梅田駅が見えてくる。
この写真は右側に黒い影があるが、カメラの革ケースがレンズの前に飛び出たものだろうか・・・昔はこんなことが良くあった。

がらんとした国鉄・大阪駅本屋・・・こんなゆったりとした風景と比べて、敷地を目一杯使った現在のアクティ大阪を見ると息が詰まる思いがする。

御堂筋から右側にターンすると阪神電車の梅田駅が見えてくる。
この写真は右側に黒い影があるが、カメラの革ケースがレンズの前に飛び出たものだろうか・・・昔はこんなことが良くあった。

がらんとした国鉄・大阪駅本屋・・・こんなゆったりとした風景と比べて、敷地を目一杯使った現在のアクティ大阪を見ると息が詰まる思いがする。
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昭和28年の大阪駅前風景(1)
- Thu
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和元年-昭和47年
父のアルバムにあるベスト半裁判のベタ焼き写真から・・・前回はこちら→「昭和28年の花電車」
今回はこれらの写真である。

最初は、どこの風景を撮ったものか良く分からなかったが・・・

下の写真と見比べてみると、お互いに繋ぎ合わさることがわかった・・・梅田・阪急百貨店の屋上から南側を望んで、御堂筋を俯瞰で撮影したものだった。
現在の大換気塔があるあたりだ。

阪急前御堂筋の風景・・・梅田新道に同和火災海上ビンヂングが見え、遠方に大きく立ちはだかっているのは大江橋北詰の堂島ビルだ。
右手の現在駅前第4ビル・駅前第3ビルのあるあたりは、いまだにバラックの建物多く闇市時代の雰囲気を色濃く残している。
今回はこれらの写真である。

最初は、どこの風景を撮ったものか良く分からなかったが・・・

下の写真と見比べてみると、お互いに繋ぎ合わさることがわかった・・・梅田・阪急百貨店の屋上から南側を望んで、御堂筋を俯瞰で撮影したものだった。
現在の大換気塔があるあたりだ。

阪急前御堂筋の風景・・・梅田新道に同和火災海上ビンヂングが見え、遠方に大きく立ちはだかっているのは大江橋北詰の堂島ビルだ。
右手の現在駅前第4ビル・駅前第3ビルのあるあたりは、いまだにバラックの建物多く闇市時代の雰囲気を色濃く残している。
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昭和28年の花電車風景(大阪市電創業50周年)
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和元年-昭和47年
先日、自宅の古いアルバムをペラペラめくっていたら、父が撮った写真が出てきた。

小さなサイズの写真が一面に貼ってある。
一目見て、これはベスト半裁判(4×3cm)のベタ焼きであることが判った。
ベスト判の名称は、BESTではなくチョッキのVESTに由来する。
上着のポケットにも入るくらいコンパクト・・・という謂れから名づけられたものだが、実際に上着のポケットに入れると重くて型崩れしてしまう。
一種形而上の呼称である。
ともかく当時は、ベタ焼きでなんとか観賞できる最小のサイズとして戦後の貧しいときの市民に重宝されたベスト半裁判だった。
もちろん半裁判でないフルサイズのベスト判(4×6.5cm)があったが、これは半裁判の2倍の大きさがあり、ベタ焼きでも今で言う同時プリントのE判くらいの大きさあったが、一本のフイルムでは8枚しか撮影できなくて、もったいなかった。
(手許のベスト判のカメラは以前ご紹介したこちら・・・小西六・パーレット)
そこでいわゆるハーフ判に該当し、その倍の16枚撮れるベスト半裁判が日本国民には重宝がられたようだ。
手許にはこのベスト半裁判のカメラとしては・・・

テッサーをつけたツアイス・ベビーイコンタや・・・

エルマーをつけたナーゲル・ボレンダーなどなどがある。

小さなサイズの写真が一面に貼ってある。
一目見て、これはベスト半裁判(4×3cm)のベタ焼きであることが判った。
ベスト判の名称は、BESTではなくチョッキのVESTに由来する。
上着のポケットにも入るくらいコンパクト・・・という謂れから名づけられたものだが、実際に上着のポケットに入れると重くて型崩れしてしまう。
一種形而上の呼称である。
ともかく当時は、ベタ焼きでなんとか観賞できる最小のサイズとして戦後の貧しいときの市民に重宝されたベスト半裁判だった。
もちろん半裁判でないフルサイズのベスト判(4×6.5cm)があったが、これは半裁判の2倍の大きさがあり、ベタ焼きでも今で言う同時プリントのE判くらいの大きさあったが、一本のフイルムでは8枚しか撮影できなくて、もったいなかった。
(手許のベスト判のカメラは以前ご紹介したこちら・・・小西六・パーレット)
そこでいわゆるハーフ判に該当し、その倍の16枚撮れるベスト半裁判が日本国民には重宝がられたようだ。
手許にはこのベスト半裁判のカメラとしては・・・

テッサーをつけたツアイス・ベビーイコンタや・・・

エルマーをつけたナーゲル・ボレンダーなどなどがある。
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大正十年刊・鉄道旅行案内
- Fri
- 00:00
- ∇ファジーコレクション - ├鐵道の小筺
手許に一冊の古い鉄道関連書籍がある。

(110mm×190mm×30mm)
鉄道省が鉄道開設50年を記念して大正10年に発行した「鐵道旅行案内」である。
販売元は東京・博文館。
内容は、今で言うところの旅行ガイドブックである。
鉄道省の路線毎に名所・旧跡などが記されているものだ。

外箱には本体の表紙と同じ絵柄が描かれている。

(110mm×190mm×30mm)
鉄道省が鉄道開設50年を記念して大正10年に発行した「鐵道旅行案内」である。
販売元は東京・博文館。
内容は、今で言うところの旅行ガイドブックである。
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外箱には本体の表紙と同じ絵柄が描かれている。
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- Genre :
- 旅行
- ★旅のお役立ちグッズ★
熊野街道の起点を歩く(4) 内久宝寺町~安堂寺町
- Tue
- 00:00
- ∇浪花ほとがら散歩 - ├大阪市旧東区エリア

さらに南に下ると、広い南大江公園に出る。

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熊野街道の起点を歩く(3) 天満橋京町~和泉町
- Sat
- 00:00
- ∇浪花ほとがら散歩 - ├大阪市旧東区エリア
前回の熊野街道の起点を歩く(2)→こちら
いよいよ熊野街道(お祓い筋)を南下していこう。

最初に歴史の散歩道の碑あり。

ここには釣鐘屋敷のことが書かれているので、触れない訳にはいかない。
この場所から少し南下したところに釣鐘町(つりがねちょう)がある。

いよいよ熊野街道(お祓い筋)を南下していこう。

最初に歴史の散歩道の碑あり。

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大阪中央郵便局は移転しました!
2007年1月に「中央郵便局が危ない!」と題して記事を載せたが、ついにその日がやってきた。

黄金週間前には、移転のポスターが気にはなるものの・・・

いつものように営業していたが・・・



5月9日(土)ふらりと梅田に出たときの中央郵便局の変貌ぶりに驚いた。
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熊野街道の起点を歩く(2) 天満橋~お祓い筋・坐摩神社行宮
- Sun
- 00:00
- ∇浪花ほとがら散歩 - ├大阪市旧東区エリア

手許の地図に行程を朱線で示していこう。

この土佐堀通りの永田昆布店の軒先に「八軒家船着場跡」の標石がある。
この店の西側には大きな石垣が残っている。

下段が江戸時代のもので上段が明治時代のものとか・・・ここまで河岸だった証拠らしい。

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熊野街道の起点を歩く(1) 天満橋・八軒家
- Thu
- 00:00
- ∇浪花ほとがら散歩 - ├大阪市旧東区エリア
先日大阪・天満橋の八軒家浜のことを本ブログに載せたが、ここは、平安朝からの「熊野街道」の陸路の起点にあたるので、南に向かって当時の道筋を歩いてみようと思う。
まず現在の天満橋南詰の土佐堀通り交差点から北側を見る。

正面には、「かさね橋」といわれる天満橋に続く。

明治末の京阪電車開通時の天満橋南詰交差点の同風景
中央を走っているのは大阪市電で、京阪電車は右の看板の奥になる。

これが開通当時の京阪・天満橋駅
開通当時は、市電のような終点の停留所といった感じだった。
右手奥には、京橋口の伏見櫓が見える。
大阪城内には珍しい三重の櫓だったが、先の大戦の戦禍で消失してしまった。
まず現在の天満橋南詰の土佐堀通り交差点から北側を見る。

正面には、「かさね橋」といわれる天満橋に続く。

明治末の京阪電車開通時の天満橋南詰交差点の同風景
中央を走っているのは大阪市電で、京阪電車は右の看板の奥になる。

これが開通当時の京阪・天満橋駅
開通当時は、市電のような終点の停留所といった感じだった。
右手奥には、京橋口の伏見櫓が見える。
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このゲームは・・・何といいましたかねぇ?
- Mon
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- ∇ファジーコレクション - └筐底の我楽苦多
明日は、端午の節句なので、子どもの室内ゲームについて・・・
昔の鉄道写真のネガをスキャンしてみると一緒に写っていたものだが、昭和48年夏のネガなので、その当時にはすでに世の中に出回っていた室内ゲームだ。
この写真は、ストロボを使って撮影しているが、当時は、まだまだ一発勝負の閃光球をつかったフラッシュ撮影が主だった。
しかし、1回使うと捨てるしかなかった閃光球は少ない小遣いの中では貴重品なので、乱用は出来なかった。

同時のナショナルフラッシュガンを装着したミノルタハイマチック・・・残念ながら、閃光球は手許にない。
そんな中、直近で手に入れたストロボが楽しくて仕方なかったようだ。
何度光らしても閃光球を替える必要のないストロボが便利で嬉しくて、何でも光らせては訳のわからない写真を量産していた。
これも、その倒れる瞬間の動きを止めた写真を撮っては喜んでいたようだ。

チープな文字盤を回して矢印が示す色の柱をひとつずつ抜いていって、バランスを崩して倒れてしまうとマケという単純なゲームだった。
一番上に揺れるとチン・チンと鳴るベルがついていて、その音がまた緊張感を高めるんだな。

とにかく遊び方が単純なので、小さな子供でもすぐに楽しめた。
今ではこんな単純なゲームは流行らないんだろうか?
また子供の頭に落下物が降り注ぐとは・・・「危険!」ということになるんでしょうなぁ。
スリル・タワーとか云ってましたか?
昔の鉄道写真のネガをスキャンしてみると一緒に写っていたものだが、昭和48年夏のネガなので、その当時にはすでに世の中に出回っていた室内ゲームだ。
この写真は、ストロボを使って撮影しているが、当時は、まだまだ一発勝負の閃光球をつかったフラッシュ撮影が主だった。
しかし、1回使うと捨てるしかなかった閃光球は少ない小遣いの中では貴重品なので、乱用は出来なかった。

同時のナショナルフラッシュガンを装着したミノルタハイマチック・・・残念ながら、閃光球は手許にない。
そんな中、直近で手に入れたストロボが楽しくて仕方なかったようだ。
何度光らしても閃光球を替える必要のないストロボが便利で嬉しくて、何でも光らせては訳のわからない写真を量産していた。
これも、その倒れる瞬間の動きを止めた写真を撮っては喜んでいたようだ。

チープな文字盤を回して矢印が示す色の柱をひとつずつ抜いていって、バランスを崩して倒れてしまうとマケという単純なゲームだった。
一番上に揺れるとチン・チンと鳴るベルがついていて、その音がまた緊張感を高めるんだな。

とにかく遊び方が単純なので、小さな子供でもすぐに楽しめた。
今ではこんな単純なゲームは流行らないんだろうか?
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仮株券って何だ?
- Fri
- 00:00
- ∇ファジーコレクション - ├古書三昧(戦前篇)
本日は、不案内で甚だ苦手な分野である法律学から、少し堅苦しい話題をひとつ
ファジーコレクションの中には、訳のわからないものが多いが、これもそのひとつ。

假株券(仮株券)というものである。

(裏面)
名前からして、株券の親戚みたいなものだろうと推測できるが、会社法や商法にこんな規定はないし、一体なんだろうと思ってしまう。
仮株券そのものを検証する前に、発行会社の商号から、会社の事業内容とその時代背景が窺い知れるので、少し述べてみたい。
それは、「改良酒造」なる文字を冠するこの会社は明治20年代に全国的な規模で展開していった酒造改良運動によって設立したものであるということだ。
そもそも、江戸期における日本酒の醸造業者の大部分は、その組織が脆弱であり、醸造水準も満足なものではなかったが、明治以降に一気にその勢力を拡大した洋酒ことに麦酒(ビール)にその販路を奪われ、衰退の一途をたどっていた。
そこで日本酒の醸造業者は、麦酒醸造を手本として、近代的西洋的な醸造法に基礎をおいた品質の高い清酒を生み出しその挽回を図ろうとしたが、その活動がこの酒造改良運動といわれるものであった。
その一例として、酒造先進地の伊丹では、学理応用による酒造改良を目指さんと明治21年に酒造家28名を株主として資本金1万円の「有限責任伊丹酒造改良会社」を設立して、この醸造場で集中的に技術改良を企図している。これは醸造の大工業化を推進し、清酒の海外輸出を目標としたものであった。
他方、酒造先進地以外の零細醸造地では、酒造改良の目的は伊丹の近代化の例のようなものではなく、およそ学理応用とはほど遠い伝統的な灘酒造法を真似るものであった。丹波杜氏を招き、灘の酒造業者が培ってきたその技術を導入し応用することによって、酒質の均一化・向上化を図り上質な清酒を生み出すことを目指した。
そして鉄道・汽船の発展に伴い大量に流入してきた上方酒(灘・伊丹などで製造された良質な清酒)に伍するようなものを提供できる醸造業者となってその地方における地位を磐石にすることが目的であった。
しかしそれには気候・風土が異なるそれぞれの醸造地においては、醸造用水・醸造米の根本的改良から手をつける必要があったため、その手間と時間そして莫大な経費を要するものとなり、果たしてその試みの多くが失敗に終わったが、品質向上に成功した場合や軟水を用いた醸造方法の確立をみた場合などは、その地方における勢力地図を書換えるような成功例もあった。
さて、仮株券の検証に戻ると、前回の満鉄の株券とよく似ているし、名前から株券の類のものだろうと推測できるが、会社法や商法にこんな規定はないし、一体なんだろうと思ってしまう。わずかに商法施行法(明治32年法律第49号)に仮株券についての規定が見受けられる。
第56条 商法中株券ニ関スル規定ハ商法施行前ニ発行シタル仮株券ニモ亦之ヲ適用ス
第57条 商法施行前ニ発行シタル株券及ヒ仮株券ハ商法148条 又ハ218条ノ規定ニ違フモ之ヲ改ムルコトヲ要セス但商法施行後ニ株金ノ払込ヲ為シタル場合ニ於テハ前ニ払込ミタル金額及ヒ新ニ払込ミタル金額ヲ仮株券ニ記載スルコトヲ要ス
現在の会社法は、明治32年にできた商法(明治32年法律第48号)を基にしているが、その商法には規定がなく、同時に公布された旧法からの経過措置を示した商法施行法(明治32年法律第49号)にその名称が見出せるということは、さらに遡った法律を調べる必要がある。

また、この仮株券の発行年月は明治30年8月20日と記載されているので、やはりその当時の法律を見てみないと始まらないようだ。
ファジーコレクションの中には、訳のわからないものが多いが、これもそのひとつ。

假株券(仮株券)というものである。

(裏面)
名前からして、株券の親戚みたいなものだろうと推測できるが、会社法や商法にこんな規定はないし、一体なんだろうと思ってしまう。
仮株券そのものを検証する前に、発行会社の商号から、会社の事業内容とその時代背景が窺い知れるので、少し述べてみたい。
それは、「改良酒造」なる文字を冠するこの会社は明治20年代に全国的な規模で展開していった酒造改良運動によって設立したものであるということだ。
そもそも、江戸期における日本酒の醸造業者の大部分は、その組織が脆弱であり、醸造水準も満足なものではなかったが、明治以降に一気にその勢力を拡大した洋酒ことに麦酒(ビール)にその販路を奪われ、衰退の一途をたどっていた。
そこで日本酒の醸造業者は、麦酒醸造を手本として、近代的西洋的な醸造法に基礎をおいた品質の高い清酒を生み出しその挽回を図ろうとしたが、その活動がこの酒造改良運動といわれるものであった。
その一例として、酒造先進地の伊丹では、学理応用による酒造改良を目指さんと明治21年に酒造家28名を株主として資本金1万円の「有限責任伊丹酒造改良会社」を設立して、この醸造場で集中的に技術改良を企図している。これは醸造の大工業化を推進し、清酒の海外輸出を目標としたものであった。
他方、酒造先進地以外の零細醸造地では、酒造改良の目的は伊丹の近代化の例のようなものではなく、およそ学理応用とはほど遠い伝統的な灘酒造法を真似るものであった。丹波杜氏を招き、灘の酒造業者が培ってきたその技術を導入し応用することによって、酒質の均一化・向上化を図り上質な清酒を生み出すことを目指した。
そして鉄道・汽船の発展に伴い大量に流入してきた上方酒(灘・伊丹などで製造された良質な清酒)に伍するようなものを提供できる醸造業者となってその地方における地位を磐石にすることが目的であった。
しかしそれには気候・風土が異なるそれぞれの醸造地においては、醸造用水・醸造米の根本的改良から手をつける必要があったため、その手間と時間そして莫大な経費を要するものとなり、果たしてその試みの多くが失敗に終わったが、品質向上に成功した場合や軟水を用いた醸造方法の確立をみた場合などは、その地方における勢力地図を書換えるような成功例もあった。
さて、仮株券の検証に戻ると、前回の満鉄の株券とよく似ているし、名前から株券の類のものだろうと推測できるが、会社法や商法にこんな規定はないし、一体なんだろうと思ってしまう。わずかに商法施行法(明治32年法律第49号)に仮株券についての規定が見受けられる。
第56条 商法中株券ニ関スル規定ハ商法施行前ニ発行シタル仮株券ニモ亦之ヲ適用ス
第57条 商法施行前ニ発行シタル株券及ヒ仮株券ハ商法148条 又ハ218条ノ規定ニ違フモ之ヲ改ムルコトヲ要セス但商法施行後ニ株金ノ払込ヲ為シタル場合ニ於テハ前ニ払込ミタル金額及ヒ新ニ払込ミタル金額ヲ仮株券ニ記載スルコトヲ要ス
現在の会社法は、明治32年にできた商法(明治32年法律第48号)を基にしているが、その商法には規定がなく、同時に公布された旧法からの経過措置を示した商法施行法(明治32年法律第49号)にその名称が見出せるということは、さらに遡った法律を調べる必要がある。

また、この仮株券の発行年月は明治30年8月20日と記載されているので、やはりその当時の法律を見てみないと始まらないようだ。
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