昭和55年12月 豪雪の白馬・八方尾根
- Tue
- 00:00
- ∇阿房列車 旅日誌 - ├阿房列車・関東甲信越
最近はスキー人口の減少が報じられるようになったが、小生の大学生時代はまだまだ学生の人気のスポーツだった。
この当時スノーボードはようやく出始めた頃で、スキー場ではちらほらと見受けられた程度。

昭和55年12月25日恒例になったが、大阪駅の中央コンコースで長い間並んだ後、ようやく11番線から列車に乗る。
午後10時過ぎの急行きたぐに(牽引機 EF58112米)で糸魚川に向かった。

翌朝下車した大糸線白馬駅は、雪の中。雪国らしい光景である。
ゲレンデ前の宿屋に陣取り、スキーを満喫する。

八方尾根スキー場の風景・・・今年はずっと雪が降っている状態なので、雪質は片栗粉のような上質のパウダースノーである。
新しいスキー板であるオガサカのケプラーは非常にきっかけがつかめ易いが、やはりグラスファイバーと異なり反発力もそこそこある。慣れれば上手くコブの表面を舐める様に滑降できるような気がする。
この当時スノーボードはようやく出始めた頃で、スキー場ではちらほらと見受けられた程度。

昭和55年12月25日恒例になったが、大阪駅の中央コンコースで長い間並んだ後、ようやく11番線から列車に乗る。
午後10時過ぎの急行きたぐに(牽引機 EF58112米)で糸魚川に向かった。

翌朝下車した大糸線白馬駅は、雪の中。雪国らしい光景である。
ゲレンデ前の宿屋に陣取り、スキーを満喫する。

八方尾根スキー場の風景・・・今年はずっと雪が降っている状態なので、雪質は片栗粉のような上質のパウダースノーである。
新しいスキー板であるオガサカのケプラーは非常にきっかけがつかめ易いが、やはりグラスファイバーと異なり反発力もそこそこある。慣れれば上手くコブの表面を舐める様に滑降できるような気がする。
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驚愕の「みや乃鍋」初体験!
- Sat
- 00:00
- ∇あまから手帖 - ├三ツ星名店街・ミナミ

今年の9月に発売された月刊誌「大阪人」は、港区特集だった。
東京の港区であれば、華やかさと高級感を湛えたものとなるが、大阪なのでベタな下町特集である。

先日、弟家族と小生の家族と一緒にクリスマス会を催すことになり、その中で取り上げられていたお店「みや乃」に出向いた。
(※)みや乃さんの「夜の部」は、予約オンリーとなっているので、注意が要る。
いろんな料理ができるとともに、ボリウム満点のランチも人気のお店だが、今回はこの店しかない驚愕の「みや乃鍋」にトライする。

具材がこれだわ!! 見た瞬間、驚きの声ともに、目が点になるね。
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明治大帝と大阪偕行社と追手門学院の関係について
本日は天皇誕生日なので、明治天皇と大阪偕行社と追手門学院に関するお話。
明治紀念標については、以前2回シリーズで記事にした。
この明治紀念標は、明治35年に中之島から大阪偕行社の敷地内に移築されていたが、戦争中の昭和18年3月に供出されその姿を消した。
またその管理母体の大阪偕行社は、陸軍の附属機関であるので、昭和20年の終戦とともに解散となり、その跡地は、現在では大阪偕行社附属小学校の流れをくむ追手門学院大手前中高の校地となっている。

この写真は昭和34年当時のものだが、校門はもとの大阪偕行社のものをそのまま使用している。、大正5年に第四師団の酒保部から移築された門柱であるといわれている。

現在は校舎改築に伴い少し西に移動している。

大正10年の着色写真・・・大阪偕行社正門とある。

校内に「明治天皇駐蹕(ちゅうひつ)の処」の石碑がある。
これは同校に明治天皇が行幸されたのではなく、大阪偕行社敷地内にあったものがそのまま承継されているからである。(一番上の写真の中央に写っている。)
明治紀念標については、以前2回シリーズで記事にした。
この明治紀念標は、明治35年に中之島から大阪偕行社の敷地内に移築されていたが、戦争中の昭和18年3月に供出されその姿を消した。
またその管理母体の大阪偕行社は、陸軍の附属機関であるので、昭和20年の終戦とともに解散となり、その跡地は、現在では大阪偕行社附属小学校の流れをくむ追手門学院大手前中高の校地となっている。

この写真は昭和34年当時のものだが、校門はもとの大阪偕行社のものをそのまま使用している。、大正5年に第四師団の酒保部から移築された門柱であるといわれている。

現在は校舎改築に伴い少し西に移動している。

大正10年の着色写真・・・大阪偕行社正門とある。

校内に「明治天皇駐蹕(ちゅうひつ)の処」の石碑がある。
これは同校に明治天皇が行幸されたのではなく、大阪偕行社敷地内にあったものがそのまま承継されているからである。(一番上の写真の中央に写っている。)
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昭和40年前後の絵葉書について・・・
- Mon
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- ∇ファジーコレクション - ├古書三昧(戦後篇)
これはひとつの思い出話である。
昭和30年代後半から40年前半にかけて、祖父や父があちこち出張した際、ご当地の絵葉書を買ってきて、われわれ子供たちへのお土産としていた。
併せて、ひよこ饅頭・吉備だんご・かるかん・鶴の玉子・にわか煎餅・もみぢ饅頭・ポエム・・・等が手許に届けられたのだった。
(今になって考えると・・・ひょっとしてこれは彼らの煙幕「アリバイ作り」であったのかもしれない・・・?)
それはともかく、食べ物は、食べてしまうと消えてなくなるが、絵葉書は一度は取り出して見るものの、引き出しの肥やしとなって溜まっていった。
最近、あの頃の絵葉書はどうなったのかなあ・・・もう捨ててしまったのかなあ?とふと思って母に尋ねたところ、「段ボール箱に入れてしまってありますよ♪」とのこと。
何十年振りかにその封印を解くと、懐かしい絵葉書が続々と出てきた。

しかしながら、足摺岬や松島といった純日本観光地については、今と大して風景が変わっていないので面白くない。

本来この変わっていないことを重視すべきだが、小生は「昭和」の時代を切り取ったような絵葉書を喜ぶので、それらはさほど面白みを感じない。
そこで小生の基準をもって面白そうなものをピックアップしてみた。

遅くとも大阪万博までの絵葉書と思われるので、どれからご紹介しようかと思案している。
東京の空から・・・は新幹線と都電が写っている。しかし撮影年月が不明なのだ。ぜひ読者のお助けを得たい写真集なり。
別府航路も年代不明・・・ごばると丸は登場していないので、それなりに古いものと思われる。
滋味豊かな瀬戸内風景も見逃せない。
どれからご紹介していこうかと・・・思案している。
ぽちっとね♪
昭和30年代後半から40年前半にかけて、祖父や父があちこち出張した際、ご当地の絵葉書を買ってきて、われわれ子供たちへのお土産としていた。
併せて、ひよこ饅頭・吉備だんご・かるかん・鶴の玉子・にわか煎餅・もみぢ饅頭・ポエム・・・等が手許に届けられたのだった。
(今になって考えると・・・ひょっとしてこれは彼らの煙幕「アリバイ作り」であったのかもしれない・・・?)
それはともかく、食べ物は、食べてしまうと消えてなくなるが、絵葉書は一度は取り出して見るものの、引き出しの肥やしとなって溜まっていった。
最近、あの頃の絵葉書はどうなったのかなあ・・・もう捨ててしまったのかなあ?とふと思って母に尋ねたところ、「段ボール箱に入れてしまってありますよ♪」とのこと。
何十年振りかにその封印を解くと、懐かしい絵葉書が続々と出てきた。

しかしながら、足摺岬や松島といった純日本観光地については、今と大して風景が変わっていないので面白くない。

本来この変わっていないことを重視すべきだが、小生は「昭和」の時代を切り取ったような絵葉書を喜ぶので、それらはさほど面白みを感じない。
そこで小生の基準をもって面白そうなものをピックアップしてみた。

遅くとも大阪万博までの絵葉書と思われるので、どれからご紹介しようかと思案している。
東京の空から・・・は新幹線と都電が写っている。しかし撮影年月が不明なのだ。ぜひ読者のお助けを得たい写真集なり。
別府航路も年代不明・・・ごばると丸は登場していないので、それなりに古いものと思われる。
滋味豊かな瀬戸内風景も見逃せない。
どれからご紹介していこうかと・・・思案している。

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上毛電鉄大胡駅から伊香保温泉へ
- Fri
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- ∇阿房列車 旅日誌 - ├阿房列車・関東甲信越
2009年12月7日 群馬の上毛電鉄に関するニュースがあった。
利用者減少で経営不振に陥っている上毛電鉄(本社・前橋市)の存続を支援しようと、地元市民らが中心となり「上電友の会(仮称)」を立ち上げることになった。15人が発起人となり、同電鉄の創立記念日である来年5月27日の発足に向け、準備を進めている。・・・というものである。
このニュースを見て、たしか伊香保温泉に友達と行った時に立ち寄ったことがあると思い、当時の写真を手繰ると果たして出てきた。

昭和56年11月15日の上毛電鉄・大胡駅構内の様子。
この年の3月に伊豆箱根鉄道を訪れた際にも同じような西武カラーの車輌を見ていたので、これには正直なところ食傷気味。

しかし、その中では異彩を放っていたデハ101であるが、当時は貨物電動車として黄色いボディーで、一日中この構内で昼寝をしていた。
今では、ぶどう色に塗り替えられ昭和レトロ電車としてもてはやされている様だ。
利用者減少で経営不振に陥っている上毛電鉄(本社・前橋市)の存続を支援しようと、地元市民らが中心となり「上電友の会(仮称)」を立ち上げることになった。15人が発起人となり、同電鉄の創立記念日である来年5月27日の発足に向け、準備を進めている。・・・というものである。
このニュースを見て、たしか伊香保温泉に友達と行った時に立ち寄ったことがあると思い、当時の写真を手繰ると果たして出てきた。

昭和56年11月15日の上毛電鉄・大胡駅構内の様子。
この年の3月に伊豆箱根鉄道を訪れた際にも同じような西武カラーの車輌を見ていたので、これには正直なところ食傷気味。

しかし、その中では異彩を放っていたデハ101であるが、当時は貨物電動車として黄色いボディーで、一日中この構内で昼寝をしていた。
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大阪万博の頃の住友銀行メモ帳
- Wed
- 00:00
- ∇ファジーコレクション - ├古書三昧(戦後篇)
自宅の戸棚からこんなものがポロリと出てきた。

表面 裏面

中身


表面 裏面

中身
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豊穣の筑波路・・・筑波鉄道めぐり
- Sun
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和55年-昭和56年
昭和56年9月27日当時の日記より・・・
素晴らしい秋晴れの一日・・・「筑波の秋」を撮らんと自動車を飛ばして筑波鉄道を追う。

まづは、土浦駅に近いところにある、レンコン畑が広がる「虫掛」に向かう。

このレンコン畑の大きさは、並ではない・・・日本随一の生産地である。

しかし、この駅名板は何だ? 隣の駅はどこ? 新土浦? 坂田?
よ?く見れば、反対ホームにあったものを持ってきたもののようだ。
それで右・左の駅が逆転したので上書きしたもののようだが、それにしてももう少し上手にできなかったのだろうか?

彼方に見えるは、建設中の国道6号線の土浦バイパスか・・・。
素晴らしい秋晴れの一日・・・「筑波の秋」を撮らんと自動車を飛ばして筑波鉄道を追う。

まづは、土浦駅に近いところにある、レンコン畑が広がる「虫掛」に向かう。

このレンコン畑の大きさは、並ではない・・・日本随一の生産地である。

しかし、この駅名板は何だ? 隣の駅はどこ? 新土浦? 坂田?
よ?く見れば、反対ホームにあったものを持ってきたもののようだ。
それで右・左の駅が逆転したので上書きしたもののようだが、それにしてももう少し上手にできなかったのだろうか?

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国鉄・木原線と久留里線寸描
- Thu
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和55年-昭和56年
昭和56年8月21日 千葉・館山にある大学研修所に向かう途中に立ち寄った、千葉県内の国鉄・緒路線を横断した道中記なりなり。
当時の日記から・・・

自動車で級友を乗せて出発。まづは国鉄・八街(やちまた)駅近くで総武本線と交叉する。
運転しながらもカメラを手許に置いているのは、我ながらアッパレ。

さらに進むと外房線・茂原(もばら)駅に到着
この辺りの中枢駅となっているようで駅前には路線バスやタクシーの姿も多く見受けられる。

しかし、軒先の日変わりカレンダーといい、入り口辺りの雑然さといい、昭和30年代を色濃く残している駅舎だ。
また、近々高架工事の予定もあるようだが、国鉄の厳しい経理状態で円滑に進行するものだろうか?
(注:同駅の高架化は、昭和61年10月に完成している。)
次に廃止される予定があるという国鉄・木原線(現:いすみ鉄道)の見学に向かう。
当時の日記から・・・

自動車で級友を乗せて出発。まづは国鉄・八街(やちまた)駅近くで総武本線と交叉する。
運転しながらもカメラを手許に置いているのは、我ながらアッパレ。

さらに進むと外房線・茂原(もばら)駅に到着
この辺りの中枢駅となっているようで駅前には路線バスやタクシーの姿も多く見受けられる。

しかし、軒先の日変わりカレンダーといい、入り口辺りの雑然さといい、昭和30年代を色濃く残している駅舎だ。
また、近々高架工事の予定もあるようだが、国鉄の厳しい経理状態で円滑に進行するものだろうか?
(注:同駅の高架化は、昭和61年10月に完成している。)
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昭和50年代の大阪住吉大社夏祭
大阪の夏祭りの嚆矢は、勝鬘院の愛染まつりに始まり、シンガリは住吉大社の大祭に終わる。
これを「愛(あい)、住(すみ)ません。 」などと昔は言っていたらしい。
今は全く耳にしない俚言。文献に文字として残るのみである。
これは、昭和56年の7月31日大阪の夏祭りを締めくくる住吉大社大祭に訪れたときの様子

天王寺からは上町線で住吉公園までやってくる。

当時のモ151形(昭和2年製)は、こんなシンプルな南海グリーン塗装だった。
(注)阪堺電車に造詣の深いブロガーさんから、これは「タマノ井酢」の広告車輛である「すしのこ電車」であるとご指摘を受けました。そういえば、サイドに少し黄色いペイント(波型模様)が見えてますね。
もちろん冷房なんてないので、正面窓から強制送風による避暑あるのみ。
しかしながら、カナブンやてんとう虫がビシッ!と顔に当ることがあるので注意されたし。
これを「愛(あい)、住(すみ)ません。 」などと昔は言っていたらしい。
今は全く耳にしない俚言。文献に文字として残るのみである。
これは、昭和56年の7月31日大阪の夏祭りを締めくくる住吉大社大祭に訪れたときの様子

天王寺からは上町線で住吉公園までやってくる。

当時のモ151形(昭和2年製)は、こんなシンプルな南海グリーン塗装だった。
(注)阪堺電車に造詣の深いブロガーさんから、これは「タマノ井酢」の広告車輛である「すしのこ電車」であるとご指摘を受けました。そういえば、サイドに少し黄色いペイント(波型模様)が見えてますね。
もちろん冷房なんてないので、正面窓から強制送風による避暑あるのみ。
しかしながら、カナブンやてんとう虫がビシッ!と顔に当ることがあるので注意されたし。
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森永ミルクキヤラメル 復刻版秘話
- Fri
- 00:00
- ∇ファジーコレクション - └筐底の我楽苦多
自宅の抽斗の奥に、さくらフヰルムの復刻版とともに長らく眠っていたものがあった。

森永製菓が昭和54年に発売した森永ミルクキャラメル復刻版(14粒100円)である。

経年変化で多少の伸縮があるようだが、そこにはピンクの帯封があり、タバコの封緘紙のような材質で出来ている。
今でも全くの未開封のもの。
ちょうど30年間、陽も当らず眠っていたことになる。何度も引越しをしたが、ずっとそのままだった。

森永製菓が昭和54年に発売した森永ミルクキャラメル復刻版(14粒100円)である。

経年変化で多少の伸縮があるようだが、そこにはピンクの帯封があり、タバコの封緘紙のような材質で出来ている。
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昭和56年の総武流山電鉄
- Tue
- 00:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和55年-昭和56年
これも昭和のお話・・・

昭和56年5月2日たまには賑やかなところにも行ってみるか・・・と都会の空気を感じるために原宿を訪れるが・・・

駅前の人の多さもさりながら・・・この「原宿ホコ天」の様子には、驚いた。

昭和55年にはいわゆる「竹の子族」が全盛だったが、わずか1年後のこの頃になると、リーゼントに革ジャンというファッションでロカビリーに合わせツイストダンスを踊るグループ「フィフティーズ系」が登場し、竹の子族をすっかり駆逐していた。
人の多さにげんなりして、早々と切り上げる。
そして、まだ訪れたことのなかった総武流山電鉄に向かう。
常磐線の馬橋から流山まで通じている鉄道は、大正5年に開通した流山軽便鉄道の路線をそのまま今に引き継いでいる。

先ほどの原宿風景との余りの違い・・・なんだこの落差は!!
しかし反面ホッとする自分自身がいたことも否めない。

昭和56年5月2日たまには賑やかなところにも行ってみるか・・・と都会の空気を感じるために原宿を訪れるが・・・

駅前の人の多さもさりながら・・・この「原宿ホコ天」の様子には、驚いた。

昭和55年にはいわゆる「竹の子族」が全盛だったが、わずか1年後のこの頃になると、リーゼントに革ジャンというファッションでロカビリーに合わせツイストダンスを踊るグループ「フィフティーズ系」が登場し、竹の子族をすっかり駆逐していた。
人の多さにげんなりして、早々と切り上げる。
そして、まだ訪れたことのなかった総武流山電鉄に向かう。
常磐線の馬橋から流山まで通じている鉄道は、大正5年に開通した流山軽便鉄道の路線をそのまま今に引き継いでいる。

先ほどの原宿風景との余りの違い・・・なんだこの落差は!!
しかし反面ホッとする自分自身がいたことも否めない。
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