“日本大正村”訪問~岐阜・明智町
明知鉄道の終着駅・明智は、日本大正村の入口として整備されている。

岐阜・犬山の日本明治村は、名鉄が力を入れて成功させているが、この日本大正村は、この地元行政が独自に立ち上げたものだった。
「昭和50年代、明智町は、主産業である林業や製材業も不振となり、急速に過疎化を迎えていた。追い討ちをかけるように昭和56年6月10日国鉄は明知線を含む15鉄道線区と23バス線区を特定地方交通線に選定した。これは事実上の廃線を意味するものであった。しかし、当時の明智町が時代に取り残されていくという危機感と、推進派の説得により昭和58年9月25日に観光協会は大正村建設を決断した。
そうして、翌昭和59年5月6日には大正村実行委員会へと生まれ変わり、日本大正村を立村した。」 (サイト“日本大正村”より)
とりあえず、昼食のために「浪漫倶楽部」に入る。

ハヤシライスが名物というので一同注文。素朴な味がするものだった。

店内にも大正レトロの品々が何気なく置いてあるのだ。

古い建物が集まる中心部に向かって徒歩で進むが、その途中になんとも風情ある写真館を発見した。
「寫眞の店 ささき」
2階にある大きな窓の場所は、写場であろう。
きっと、大きなアンソニーカメラをゴロゴロ動かして肖像写真を撮っていたのだろう。
いいねぇ♪

岐阜・犬山の日本明治村は、名鉄が力を入れて成功させているが、この日本大正村は、この地元行政が独自に立ち上げたものだった。
「昭和50年代、明智町は、主産業である林業や製材業も不振となり、急速に過疎化を迎えていた。追い討ちをかけるように昭和56年6月10日国鉄は明知線を含む15鉄道線区と23バス線区を特定地方交通線に選定した。これは事実上の廃線を意味するものであった。しかし、当時の明智町が時代に取り残されていくという危機感と、推進派の説得により昭和58年9月25日に観光協会は大正村建設を決断した。
そうして、翌昭和59年5月6日には大正村実行委員会へと生まれ変わり、日本大正村を立村した。」 (サイト“日本大正村”より)
とりあえず、昼食のために「浪漫倶楽部」に入る。

ハヤシライスが名物というので一同注文。素朴な味がするものだった。

店内にも大正レトロの品々が何気なく置いてあるのだ。

古い建物が集まる中心部に向かって徒歩で進むが、その途中になんとも風情ある写真館を発見した。
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2階にある大きな窓の場所は、写場であろう。
きっと、大きなアンソニーカメラをゴロゴロ動かして肖像写真を撮っていたのだろう。
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