昭和59年秋 京都駅1番線ホーム
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和58年-昭和59年
昭和59年の秋、京都に行くことがあった。
目的地は、五条壬生川なのだが、京阪五条からバスというラインもあるが、山陰本線・丹波口駅から歩くという選択肢もある。
今回は後者を選択する。

京都駅の山陰線ホームは、東海道線のホームより一層旅情豊かな空間を提供していた。
というのも、W型のトラスに支えられた上屋は、通行するには高すぎる程であり、通路には売店などの障害物が少ないため、非常にゆったりとした空間を旅行者に与えていたからだ。
※もちろん、駅ビルの改築により現在では見ることは出来ない。
(現在では、大阪・交通科学博物館構内でこの骨組みを使って展示スペースが作られているので、今でも実体験できる。)
写真を少し拡大してみよう・・・

この9時08分発の米子行き普通835列車に乗車。たった一駅であるが、山陰線の客車列車に乗れることは嬉しい。
駅弁の販売台車を改造したような臨時出札所が懐かしい。特別特急券・普通急行券という文字が窺える。

(参考)京都駅1番線の山陰線ホームの西端からの風景(S50.5.2)

京都を出発し、梅小路機関区の手前で大きく右にカーヴするが、そこからは、同機関区の様子が一望できる。
この日はC612は元気に黒煙を上げていた。

また目を遠方に転ずれば、新参者のEF62の姿に交じって、寝台特急“出雲”のトレインマークを付けたEF56を見つけることが出来た。

梅小路と分かれると程なくして「丹波口」に到着・・・時刻は9時13分。僅か4分の列車旅である。
ここでこの列車ともお別れ。
※因みにこの普通列車、終着駅の米子には19時19分に到着する。
要するに全区間を乗車すると普通切符だけで10時間に及ぶ客車列車の旅が楽しめるということだ。
(平成のテツ事情から考えれば“パラダイス”のような列車である。)
目的地は、五条壬生川なのだが、京阪五条からバスというラインもあるが、山陰本線・丹波口駅から歩くという選択肢もある。
今回は後者を選択する。

京都駅の山陰線ホームは、東海道線のホームより一層旅情豊かな空間を提供していた。
というのも、W型のトラスに支えられた上屋は、通行するには高すぎる程であり、通路には売店などの障害物が少ないため、非常にゆったりとした空間を旅行者に与えていたからだ。
※もちろん、駅ビルの改築により現在では見ることは出来ない。
(現在では、大阪・交通科学博物館構内でこの骨組みを使って展示スペースが作られているので、今でも実体験できる。)
写真を少し拡大してみよう・・・

この9時08分発の米子行き普通835列車に乗車。たった一駅であるが、山陰線の客車列車に乗れることは嬉しい。
駅弁の販売台車を改造したような臨時出札所が懐かしい。特別特急券・普通急行券という文字が窺える。

(参考)京都駅1番線の山陰線ホームの西端からの風景(S50.5.2)

京都を出発し、梅小路機関区の手前で大きく右にカーヴするが、そこからは、同機関区の様子が一望できる。
この日はC612は元気に黒煙を上げていた。

また目を遠方に転ずれば、新参者のEF62の姿に交じって、寝台特急“出雲”のトレインマークを付けたEF56を見つけることが出来た。

梅小路と分かれると程なくして「丹波口」に到着・・・時刻は9時13分。僅か4分の列車旅である。
ここでこの列車ともお別れ。
※因みにこの普通列車、終着駅の米子には19時19分に到着する。
要するに全区間を乗車すると普通切符だけで10時間に及ぶ客車列車の旅が楽しめるということだ。
(平成のテツ事情から考えれば“パラダイス”のような列車である。)
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