平成7年1月30日震災半月後の姫路行き(その2)
- Sun
- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成11年-平成17年
前回からのつづき・・・当時の日記から
平成7年1月30日 明石からJRで姫路に向かうと被災した家屋の姿が徐々に少なくなり、姫路の町は全くいつもどおりの表情を見せた。
本日の仕事を滞りなく終えて、夕方大阪への帰路に着く。今日から須磨・神戸間が復旧したので、今回初めて被災地の中心部を通って帰ろうとする。
JR線の下り電車は帰宅のサラリーマンで満席の様子だが、上りの神戸行きはガラガラだった。

明石の天文科学館の大時計は、震災発生時の5時47分のままで止まっているのが印象的である。内部の傷みも大きく、復旧にはまだ随分日数が掛かりそうだ。
車窓の外は暗くなり、窓外の風景は近くの様子しか見えないが、須磨を越えると倒壊家屋が目立ってきた。大きなビルが傾いているのを目の当たりにすると地震の威力の甚大なことを思い知らされる。
長田付近の焼失区域の規模の大きさは、夜でも判る。
しかし、兵庫駅付近のメチャクチャになった街の中で、ビルの一室にある学習塾で熱心に勉強している小中学生たちの姿が明るい蛍光灯であぶりだされた時、ふただび頭の中で混乱が生じた。

平成7年1月30日 明石からJRで姫路に向かうと被災した家屋の姿が徐々に少なくなり、姫路の町は全くいつもどおりの表情を見せた。
本日の仕事を滞りなく終えて、夕方大阪への帰路に着く。今日から須磨・神戸間が復旧したので、今回初めて被災地の中心部を通って帰ろうとする。
JR線の下り電車は帰宅のサラリーマンで満席の様子だが、上りの神戸行きはガラガラだった。

明石の天文科学館の大時計は、震災発生時の5時47分のままで止まっているのが印象的である。内部の傷みも大きく、復旧にはまだ随分日数が掛かりそうだ。
車窓の外は暗くなり、窓外の風景は近くの様子しか見えないが、須磨を越えると倒壊家屋が目立ってきた。大きなビルが傾いているのを目の当たりにすると地震の威力の甚大なことを思い知らされる。
長田付近の焼失区域の規模の大きさは、夜でも判る。
しかし、兵庫駅付近のメチャクチャになった街の中で、ビルの一室にある学習塾で熱心に勉強している小中学生たちの姿が明るい蛍光灯であぶりだされた時、ふただび頭の中で混乱が生じた。

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- Genre :
- 日記
- 伝えたいこと・残しておきたいこと
平成7年1月30日震災半月後の姫路行き(その1)
- Sun
- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成6年-平成7年
平成7年1月30日 ・・・当時の日記から
今日は姫路に出張である。しかし震災のためJR・阪神・阪急・山陽の各鉄道は神戸付近で不通である。恃みは、福知山・播但線経由の迂回ルートか、海上ルートまたは岡山へ空路で飛ぶしかない。迂回ルートは到着が17時前になるので却下。空路も伊丹までの高速道路が不通なのでダメ。残るは、海上ルートだけだ。
その海上ルートであるが、基地となる大阪天保山は、神戸ハーバーランド行きに大阪湾クルーズのレストランクルーズ船シルフィードや遊覧船のサンタ・マリアまで狩り出されてピストン運行している。

(参考)瀟洒なレストランクルーズ船“シルフィード”

(参考)おなじみの遊覧船サンタマリア号
姫路行きもあったが、時刻が合わず利用できなかった。
結局、共同汽船で淡路島の津名に渡り、岩屋から明石に渡る手段をとった。上陸した津名付近は震災の被害は少ないようだったが、バスで岩屋に向かうと北行するほどに被害家屋の数が目立つ。

(岩屋港の様子)
岩屋港桟橋も亀裂あり。周辺の町家にブルーシートでカバーしたものが多し。

岩屋から明石への船便は、風が強くよく揺れたが定刻には明石到着。

建設中の明石大橋も地震により、南北の橋脚間で1メートルのズレが生じたと聞く。
今日は姫路に出張である。しかし震災のためJR・阪神・阪急・山陽の各鉄道は神戸付近で不通である。恃みは、福知山・播但線経由の迂回ルートか、海上ルートまたは岡山へ空路で飛ぶしかない。迂回ルートは到着が17時前になるので却下。空路も伊丹までの高速道路が不通なのでダメ。残るは、海上ルートだけだ。
その海上ルートであるが、基地となる大阪天保山は、神戸ハーバーランド行きに大阪湾クルーズのレストランクルーズ船シルフィードや遊覧船のサンタ・マリアまで狩り出されてピストン運行している。

(参考)瀟洒なレストランクルーズ船“シルフィード”

(参考)おなじみの遊覧船サンタマリア号
姫路行きもあったが、時刻が合わず利用できなかった。
結局、共同汽船で淡路島の津名に渡り、岩屋から明石に渡る手段をとった。上陸した津名付近は震災の被害は少ないようだったが、バスで岩屋に向かうと北行するほどに被害家屋の数が目立つ。

(岩屋港の様子)
岩屋港桟橋も亀裂あり。周辺の町家にブルーシートでカバーしたものが多し。

岩屋から明石への船便は、風が強くよく揺れたが定刻には明石到着。

建設中の明石大橋も地震により、南北の橋脚間で1メートルのズレが生じたと聞く。
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- 日記
- 伝えたいこと・残しておきたいこと
阪神淡路大震災から20年目を前にして
平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災から、早いものであと半年ほどで20年目を迎えようとしている。
手許にある写真のネガのスキャニングも平成6年分が終わり平成7年分に差し掛かると、どうしても震災の記録を避けて通れない。
人によっては思い出したくない記憶でもあるので、ブログの記事にすることを長い間ためらっていたが、20年を目前にして一つの節目と考え、当時の日記と自らの体験を基に少し記事にしてみることとした。
当時の日記から・・・
平成7年1月17日
風邪による頭痛と発熱により、眠っては目覚めるという事を繰り返していた未明だった。(5:46)
遠来からゴーという異音が響いた後、突然猛烈な横揺れと突き上げが襲った。それまで多少の地震は生命体としての大地のパワーを感じ、快く思うほどであったが、今回はそんな生易しいものではない。兎に角寝床で四つんばいになるのが精一杯で、立ち上がることもできなかった。
リビングでは花瓶が倒れる音がしただけで大きな被害がないように思えた。しかし浴室の浴槽では7分目入った残り湯がチャポチャポと大きな音をたてて溢れている。コンクリートと扉の木枠の接合部分がギシギシと異音を発し、リビングの吊り電灯が大揺れに揺れている様を目にするにつけこれは大変なことが起ったと感じた。直ぐにTVをつけて夜明けを待つと、映し出されるその様子に愕然とした。
地震だからといって仕事が休みになるわけではない。大阪市営地下鉄は全線で止まっているため、市バスを利用して職場に向かう。普段の地下鉄利用者が一斉に市バスに群がるために積み残しが出るありさまのなか、何とか肥後橋までやってくる。

1月17日午前8時30分の肥後橋交差点の様子・・・阪神高速は、“地震発生 通行止”の電光掲示が見えるとおり全線通行止めである。また大阪グランドホテルの入っている新朝日ビルの西側ガラス面に被害があるようだ。(南北に強い揺れがあったというのか・・・)
本日は須磨や鈴蘭台方面へ出かける予定であったが、鉄道は京阪と近鉄を除き全面ストップ。アクセスが断たれ途方にくれるとともに、この地震6時間遅く発生していたら、完全に巻き込まれていたなあ・・・と微熱ですっきりしない頭でぼんやりと考える。
手許にある写真のネガのスキャニングも平成6年分が終わり平成7年分に差し掛かると、どうしても震災の記録を避けて通れない。
人によっては思い出したくない記憶でもあるので、ブログの記事にすることを長い間ためらっていたが、20年を目前にして一つの節目と考え、当時の日記と自らの体験を基に少し記事にしてみることとした。
当時の日記から・・・
平成7年1月17日
風邪による頭痛と発熱により、眠っては目覚めるという事を繰り返していた未明だった。(5:46)
遠来からゴーという異音が響いた後、突然猛烈な横揺れと突き上げが襲った。それまで多少の地震は生命体としての大地のパワーを感じ、快く思うほどであったが、今回はそんな生易しいものではない。兎に角寝床で四つんばいになるのが精一杯で、立ち上がることもできなかった。
リビングでは花瓶が倒れる音がしただけで大きな被害がないように思えた。しかし浴室の浴槽では7分目入った残り湯がチャポチャポと大きな音をたてて溢れている。コンクリートと扉の木枠の接合部分がギシギシと異音を発し、リビングの吊り電灯が大揺れに揺れている様を目にするにつけこれは大変なことが起ったと感じた。直ぐにTVをつけて夜明けを待つと、映し出されるその様子に愕然とした。
地震だからといって仕事が休みになるわけではない。大阪市営地下鉄は全線で止まっているため、市バスを利用して職場に向かう。普段の地下鉄利用者が一斉に市バスに群がるために積み残しが出るありさまのなか、何とか肥後橋までやってくる。

1月17日午前8時30分の肥後橋交差点の様子・・・阪神高速は、“地震発生 通行止”の電光掲示が見えるとおり全線通行止めである。また大阪グランドホテルの入っている新朝日ビルの西側ガラス面に被害があるようだ。(南北に強い揺れがあったというのか・・・)
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