地上に残った京津三条駅
- Sun
- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成6年-平成7年
平成7年3月21日 CONTAXのPLANAR85mm1.4fの試写を兼ねて、京都三条付近をパトロールした。

昭和62年5月の京阪本線の地下化工事の完成により、地上駅は京津線のみとなり、駅名も「京阪三条駅」から「京津三条駅」と変更されて表示されるようになった。

その京津線も2年後には、地下鉄路線の完成とともに廃止されると聞いていたので、混み合う前にゆったりとフォト散歩することとした。

京阪三条の工事に伴いあちこちに移動させられていた高山彦九郎先生だったが、ようやくここに安住の地を得たようだった。
因みにこれは土下座ではなく皇居に向かって拝礼して旅立つ時のお姿である。

その高山彦九郎先生の後ろを、ゴロゴロと頻繁に京津線車輌が往来していたのだった。

昭和62年5月の京阪本線の地下化工事の完成により、地上駅は京津線のみとなり、駅名も「京阪三条駅」から「京津三条駅」と変更されて表示されるようになった。

その京津線も2年後には、地下鉄路線の完成とともに廃止されると聞いていたので、混み合う前にゆったりとフォト散歩することとした。

京阪三条の工事に伴いあちこちに移動させられていた高山彦九郎先生だったが、ようやくここに安住の地を得たようだった。
因みにこれは土下座ではなく皇居に向かって拝礼して旅立つ時のお姿である。

その高山彦九郎先生の後ろを、ゴロゴロと頻繁に京津線車輌が往来していたのだった。
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完成直後の“なみはや大橋”と浪速駅のJR東日本E127系
平成7年3月18日のことだった。
港区と大正区を結ぶ“なみはや大橋”が、昭和52年の着工以来18年の歳月を経て、平成7年2月に完成したと聞いたので、さっそくその1ヵ月後にパトロールに出かけた。

地下鉄中央線「朝潮橋」駅の北側では巨大な「大阪プール」が建設の真っ最中である。
地下鉄の駅から八幡屋方面に向かう。

地下鉄中央線・朝潮橋南側のみなと通から大阪港方面を望む

(参考)平成26年の様子・・・歩道橋や中央緑地帯ができているのと、街路樹が大きくなっているのに20年の歳月を感じる。

そこから道なりに西に進むと、下町の庶民の胃袋を養ってきた、なんでも安い八幡屋市場に出る。

昭和36年に地下鉄が開通した当時は、こんな風情であった、
・・・すっかり変わったような・・・余り変わってないような

八幡屋市場の周囲を沿うように進むと、それはあった。

猛烈な急勾配がつづく“なみはや大橋”である。これが自動車専用道路なら、驚くには値しないが、自転車や徒歩でも渡れるというのがミソ
(注)平成24年になって島根と鳥取とをむすぶ江島大橋が「べた踏み坂」としてダイハツのCMで紹介されているが、実はこちらの方が勾配はキツイらしい。
港区と大正区を結ぶ“なみはや大橋”が、昭和52年の着工以来18年の歳月を経て、平成7年2月に完成したと聞いたので、さっそくその1ヵ月後にパトロールに出かけた。

地下鉄中央線「朝潮橋」駅の北側では巨大な「大阪プール」が建設の真っ最中である。
地下鉄の駅から八幡屋方面に向かう。

地下鉄中央線・朝潮橋南側のみなと通から大阪港方面を望む

(参考)平成26年の様子・・・歩道橋や中央緑地帯ができているのと、街路樹が大きくなっているのに20年の歳月を感じる。

そこから道なりに西に進むと、下町の庶民の胃袋を養ってきた、なんでも安い八幡屋市場に出る。

昭和36年に地下鉄が開通した当時は、こんな風情であった、
・・・すっかり変わったような・・・余り変わってないような

八幡屋市場の周囲を沿うように進むと、それはあった。

猛烈な急勾配がつづく“なみはや大橋”である。これが自動車専用道路なら、驚くには値しないが、自転車や徒歩でも渡れるというのがミソ
(注)平成24年になって島根と鳥取とをむすぶ江島大橋が「べた踏み坂」としてダイハツのCMで紹介されているが、実はこちらの方が勾配はキツイらしい。
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