平成7年 追憶の西鹿児島駅

こんな時代もありました。
ブルートレインの後ろには建設中の新幹線ホームが見えている。
これは平成7年10月31日に仕事で鹿児島を訪れた時に撮影したもの。

そして、JR西鹿児島駅の駅舎はこんな感じの平家建だった
左端にTSUBAMEの看板が・・・787系が導入され脚光を浴びていた頃ではなかったか。


対面の西鹿児島駅前風景

現在の鹿児島中央駅・・・もう面影は全然ない 同じ場所だとは全く考えられない。
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金沢偕行社の遺構

平成29年2月16日大阪発13:12の特急サンダーバードで金沢を訪れる。
兼六園の近くにある訪問先に出向いたのが午後4時という夕刻であったが、5時過ぎには用件が終わったので、近くにある行きたかった場所を訪問することにした。
旧帝国陸軍の第九師団に属する金沢偕行社の遺構である。
大阪偕行社の跡地を母校にする由縁により、機会があれば全国の存在する偕行社の遺構を行脚している。
過去に、岡山偕行社、善通寺偕行社を訪問したが、ようやく今回は、金沢偕行社を訪問することができた。

夕方も17時を過ぎていたので撮影が厳しいかと思っていたが、周囲の空間が奏功してコントラストを抑えたいい雰囲気で撮影することができた。
護国神社の境内に接する金沢能楽堂の敷地内にそれはあった。

明治31年築 登録有形文化財


意匠を凝らした屋根部分や避雷針も見るべきところと思われる。

残念ながら入館はできなかったが、正面玄関は、奥まったところにあり、両側が区分された部屋になっていることが推察される。


偕行社は、陸軍将校倶楽部としての性格を持つので、館内は広い会合スペースを必要とする。
よって、階段や廊下部分は、広間を相殺しないような配置にする必要がある。
今はなき豊橋偕行社は入口を突出した形状にして2階への階段室を兼ねることにより2階部分を大会議室に使えるようにしていた。

こちらは、正面部分にはそういったスペースはなさそうだ。
余り厚みのない建物かと後ろに回ってみると、少し小振りな後陣部分が現れた。

そして正面の真後ろには扉が配置されている。
実はこの続きに講堂があったが、現在はカットされている。
となれば、正面から建物内部を通ったこの部分に階段室がありここで反転する形で2階に上る構造になっているのであろう。
後陣部分の窓の位置が1偕と2階との間にあることから階段の踊り場部分であると推察できる。

窓下の通気孔には、五芒星が今でも残っていて、これが帝国陸軍の遺構であることを如実に表している。
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