餘部・鳥取の夏休み(その2)
- Wed
- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成23年-平成29年
(前回からのつづき)

平成29年8月10日(木)城崎温泉で、温泉と昼食を楽しんだあとは、本日のメインイベント餘部鉄橋に向かう。
11:56発の鳥取行きに乗車 キハ47の2両編成である。

香住・鎧を過ぎてトンネルを抜けると、いきなり天空を駆けるが如く足元の地面がなくなる・・・餘部鉄橋である。

高さ 41.45 mではあるが、いきなり展開する風景によるものなのか、感覚的にはそれ以上の高さを感じる。

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息子が動画を撮っていたので、それもアップ!

12:43餘部駅到着
左側の線路は、兵庫県が主体となって整備した旧鉄橋部分に通じる展望施設“余部鉄橋「空の駅」”部分である。

餘部駅の駅名板
この地域は、「余部」と表記するのが相当らしいが、同じ兵庫県の姫新線に「余部駅」があるため、旧字の餘部を使用している。
よって、橋梁名も「余部橋梁」が正式らしいが、本記事では、前後の都合上「餘部橋梁」と表記することとする。

待合室には、時刻表(上)と、土木遺産に認定されたことの新聞記事(下)が掲示されていた。

その土木遺産の「空の駅」では、現在地上から一気に上れるようにエレベータの設置工事中
シースルーの籠であれば日本海の風景も楽しめるものとなろう。
(注)このエレベータは、余部クリスタルタワーとして平成29年11月26日にオープンする。H29.11.14追記


ちょうど線路の真下あたりがY字路になっていて右に上れば餘部駅、左に登ればお立ち台となっている。
その看板に早くも「瑞風」の写真が使われているのにちょっと驚く。
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餘部・鳥取の夏休み(その1)
- Sun
- 11:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成23年-平成29年
中学生の長男の口から何気なく漏れた「餘部鉄橋に行ってみたい・・・」という一言がそもそもの端緒だった。
最近鉄道に関心がなくなってきたと思っていた長男坊から、そんな一言が発せられたので、ここは鉄道マニアの父親として、「親子の思い出作り」に一肌脱ぐこととした。

ちょうど今夏の“青春18切符”が使える時期でもあるので、
「普通列車を乗り継いで餘部鉄橋へ行こか。その後鳥取まで足を伸ばすか・・・」
と提案したところ、すんなり承諾され、諸事万端整えた後、実行に移すこととなった。
平成29年8月10日(木)早暁ながら足取りも軽く親子旅がスタートした。

さすが巨大駅「大阪」である。午前6時前というのにホームにはたくさんの人影が見受けられる。
乗車するのは、午前5:55発の福知山線福知山行普通列車2525Mである。
もっと遅い時刻の列車でもよかったが、18切符利用者がわんさか乗車してくることが予想されるので、それらの利用が少ないであろうと思われる午前6時前の列車を選択した。
この選択は正解であった・・・乗客の姿は朝早くから仕事に向かう人々がほとんどで、不要不急の旅人は稀だった。

先頭車に乗ったので、広野駅では上り特急“こうのとり2号”なども一枚収めておく。

福知山駅到着(右側の電車) 午前8時19分


「丹後の海」は、『走る「海の京都」』としてタンゴ・ディスカバリー車両をリニューアルした車両です。
丹後の美しい海を想起するような、「海の京都」をイメージした車両を導入したいという願いから、水戸岡鋭治先生にデザインを依頼しました。
車体色を藍色メタリックとし、利用者をはじめ多くの方々に丹後の美しい海を想起していただける車両となっています。地元の方の新しい足として、そして旅行者にとっての丹後の足として、愛される列車を目指し、運行していきます。
(京都丹後鉄道ホームページより)

もともと20年前の誕生時は、下記のような姿だった。H 8.2.18 タンゴ・ディスカバリーお披露目式 於:大阪駅

福知山駅は、山陰本線・福知山線・舞鶴線・京都丹後鉄道の車輌が往来する中心駅なので、ホームに現れる車輌も多士済々であ。

東舞鶴行きは(上)クモハ114-6123と(下)クモハ115-6510のクモハ同士の組み合わせ

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謎のレンズ Carl Zeiss Jena Tessar 4cm f:3.5
ファジー・コレクションの玉手箱の底には、出自のよく判らないレンズがいくつかある。
Carl Zeiss Jena Tessar 4cm f:3.5 もその一つである。
いつ頃我が家にやってきたのか、何故あるのかもオーナー自ら失念してしまっている。
小さいながらも名玉テッサーであるし、少しのネジ式のヘリコイド (ピント合わせのためレンズを前後する機能) もあるので、M42マウントのボディキャップに移植すれば、面白いレンズになるかもしれないと思って買ったような気がするが、定かではない。
ところがこのレンズがなかなかの曲者である。
フランジバック (レンズからフイルムまでの距離) が40.5mmしかなく、ミラー式一眼レフには利用不可能であることが判った。
それであればライカマウントに改造して、ヘリコイドがあるので目測で距離を測って利用するしかない。
しかしかなり面倒な作業となるため、そのままマイボックスの底に埋もれてしまっていたのかも知れない。
・・・・ところが時代は流れ、“小箱の肥やし”の状況は一変した。
SONYからミラーを使わない一眼レフが誕生し、我が家もそれを導入したことによって、ふたたび謎のレンズが陽を見る日がやってきた。
SONYのEマウントのフランジバックは18mmなので、あと22.5mmのスペースを何とかすれば利用できるのではなかろうか・・・と閃いたわけである。

幸い、手許のヘリコイド群のなかに18~28mmのヘリコイドがあるので、それをかましてみれば上手くいくような気がした。
試しにレンズを当ててファインダーをのぞくと、ギリギリ無限遠が出た!
これで普通のレンズとして使えると判断するや否や、改造にとりかかる。
この改造は簡単な工作で済んだ。
プラスチックのM42のボディキャップに後ろ玉が入るだけの円形の穴をドリルで開けて、あとは座金にある3箇所の止めネジでボディキャップに取り付けるだけである。

(M42のボディキャップに取り付けた改造後の状態)

(裏面の状態)
ところで、このレンズがもともとどんなカメラについていたものかが判らなかった。
Zeissなので、いい加減なカメラにはついていなかったはずである。
レンズのシリアルナンバーは、53万代なので、製造年月は、1922年(大正11年)頃である。
今から95年前のレンズということになる。
この当時の4cmの焦点距離ともなれば、アトム判やベスト半截判などの小型カメラしかない。
あれこれ専門誌を探したり、クラシックカメラ専科のツアイス特集なども漁ってみたが、ヒットなし。
もはや手詰まりかと思われたが、試しにシンプルな項目で、インターネット検索をしてみたところ、思わぬところで発見できた。
ずっと写真機を探していたので発見できなかったが、これは一般的なカメラではなく、映画撮影用の35mmシネカメラレンズであることが判った。

1926年にはツアイス・イコン社に統合される前のドレスデンにあるイカ社のキノモ(ICA-KINOMO)に取り付けられていたレンズである。製造時期もぴったりと合う。
時計針のようなヘリコイド指針は動画撮影のピントあわせ機能用であった。
Carl Zeiss Jena Tessar 4cm f:3.5 もその一つである。
いつ頃我が家にやってきたのか、何故あるのかもオーナー自ら失念してしまっている。
小さいながらも名玉テッサーであるし、少しのネジ式のヘリコイド (ピント合わせのためレンズを前後する機能) もあるので、M42マウントのボディキャップに移植すれば、面白いレンズになるかもしれないと思って買ったような気がするが、定かではない。
ところがこのレンズがなかなかの曲者である。
フランジバック (レンズからフイルムまでの距離) が40.5mmしかなく、ミラー式一眼レフには利用不可能であることが判った。
それであればライカマウントに改造して、ヘリコイドがあるので目測で距離を測って利用するしかない。
しかしかなり面倒な作業となるため、そのままマイボックスの底に埋もれてしまっていたのかも知れない。
・・・・ところが時代は流れ、“小箱の肥やし”の状況は一変した。
SONYからミラーを使わない一眼レフが誕生し、我が家もそれを導入したことによって、ふたたび謎のレンズが陽を見る日がやってきた。
SONYのEマウントのフランジバックは18mmなので、あと22.5mmのスペースを何とかすれば利用できるのではなかろうか・・・と閃いたわけである。

幸い、手許のヘリコイド群のなかに18~28mmのヘリコイドがあるので、それをかましてみれば上手くいくような気がした。
試しにレンズを当ててファインダーをのぞくと、ギリギリ無限遠が出た!
これで普通のレンズとして使えると判断するや否や、改造にとりかかる。
この改造は簡単な工作で済んだ。
プラスチックのM42のボディキャップに後ろ玉が入るだけの円形の穴をドリルで開けて、あとは座金にある3箇所の止めネジでボディキャップに取り付けるだけである。

(M42のボディキャップに取り付けた改造後の状態)

(裏面の状態)
ところで、このレンズがもともとどんなカメラについていたものかが判らなかった。
Zeissなので、いい加減なカメラにはついていなかったはずである。
レンズのシリアルナンバーは、53万代なので、製造年月は、1922年(大正11年)頃である。
今から95年前のレンズということになる。
この当時の4cmの焦点距離ともなれば、アトム判やベスト半截判などの小型カメラしかない。
あれこれ専門誌を探したり、クラシックカメラ専科のツアイス特集なども漁ってみたが、ヒットなし。
もはや手詰まりかと思われたが、試しにシンプルな項目で、インターネット検索をしてみたところ、思わぬところで発見できた。
ずっと写真機を探していたので発見できなかったが、これは一般的なカメラではなく、映画撮影用の35mmシネカメラレンズであることが判った。

1926年にはツアイス・イコン社に統合される前のドレスデンにあるイカ社のキノモ(ICA-KINOMO)に取り付けられていたレンズである。製造時期もぴったりと合う。
時計針のようなヘリコイド指針は動画撮影のピントあわせ機能用であった。
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