青春18きっぷ・出雲一畑紀行(その3)
- Sun
- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成8年-平成10年
(前回からのつづき)
H8.8.17
一畑電鉄の出雲大社前駅から徒歩で、JR大社線の旧大社駅に向かう

平成2年の大社線廃止により廃駅となった大社駅であるが、その後も取り壊されることなく保存されている。
構内の立ち入りは自由にできる。
京都のJR二条駅の双子ともいえる様式美を持っている。

(参考:旧二条駅舎を移築した梅小路蒸気機関車館正面玄関 H27.8.22撮)

玄関付近の軒下部分も、二条駅のそれと似た雰囲気を漂わせている。

大正13年に竣工した2代目駅舎になるが、とてもいい状態で保存されている。
正面の破風下部には、懸魚があり、上部には動輪を配した鬼瓦が備わっているという格調高いこだわりが随所に見られる。

構内に立ち入ると、今でも木の香りが漂っていた。
外から見ると2階部分に該当するところは、明り取りになっているだけで待合部分は、吹き抜けの平家建となっている。

何といってもこの出札所の構えがスゴい!!
純木造の格子造りで、神社の社務所のような佇まいである。
これを見て思うことは・・・この駅ができた6年後に誕生した一畑電鉄の大社前駅には、この意匠に対抗意識をもって、小さいながらに特異な円形の出札所(参照:前回記事)を設計したものではなかろうか。

ホームに出ると当時の時刻表が残っていた。急行の表示がないので、廃止時のものをそのまま残しているのだろう。

国鉄フォントの電光駅名板が懐かしい!

ホーム側に設けられた清算所・・・こんな小さな窓口でやり取りしていたとは・・・間違いはなかったのだろうか?

駅のホームからの光景・・・緑で覆われた線路部分に廃線の虚しさが感じられてならない。
※しかし、貴重な建築物であることが認められ、訪問から8年後の平成16年に重要文化財に指定された(祝)

旧大社駅から再び、北上して出雲大社に向かう
途中渡った穏やかな高浜川からは、ちょうど終点出雲大社前駅に到着しようとするデハ3の勇姿を見ることができた。
いつまでも現役でいてほしいものだ。
H8.8.17
一畑電鉄の出雲大社前駅から徒歩で、JR大社線の旧大社駅に向かう

平成2年の大社線廃止により廃駅となった大社駅であるが、その後も取り壊されることなく保存されている。
構内の立ち入りは自由にできる。
京都のJR二条駅の双子ともいえる様式美を持っている。

(参考:旧二条駅舎を移築した梅小路蒸気機関車館正面玄関 H27.8.22撮)

玄関付近の軒下部分も、二条駅のそれと似た雰囲気を漂わせている。

大正13年に竣工した2代目駅舎になるが、とてもいい状態で保存されている。
正面の破風下部には、懸魚があり、上部には動輪を配した鬼瓦が備わっているという格調高いこだわりが随所に見られる。

構内に立ち入ると、今でも木の香りが漂っていた。
外から見ると2階部分に該当するところは、明り取りになっているだけで待合部分は、吹き抜けの平家建となっている。

何といってもこの出札所の構えがスゴい!!
純木造の格子造りで、神社の社務所のような佇まいである。
これを見て思うことは・・・この駅ができた6年後に誕生した一畑電鉄の大社前駅には、この意匠に対抗意識をもって、小さいながらに特異な円形の出札所(参照:前回記事)を設計したものではなかろうか。

ホームに出ると当時の時刻表が残っていた。急行の表示がないので、廃止時のものをそのまま残しているのだろう。

国鉄フォントの電光駅名板が懐かしい!

ホーム側に設けられた清算所・・・こんな小さな窓口でやり取りしていたとは・・・間違いはなかったのだろうか?

駅のホームからの光景・・・緑で覆われた線路部分に廃線の虚しさが感じられてならない。
※しかし、貴重な建築物であることが認められ、訪問から8年後の平成16年に重要文化財に指定された(祝)

旧大社駅から再び、北上して出雲大社に向かう
途中渡った穏やかな高浜川からは、ちょうど終点出雲大社前駅に到着しようとするデハ3の勇姿を見ることができた。
いつまでも現役でいてほしいものだ。
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青春18きっぷ・出雲一畑紀行(その2)
- Sun
- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/平成編 - ├平成8年-平成10年
(前回からのつづき)
平成8年8月17日盛夏の昼下がりだった。

一畑電鉄の松江温泉駅は、煙突の様な搭屋を有するレトロな駅舎である。
駅前も何故かリラックスバージョン・・・

待合をのぞくと、ちょうど高校野球の最中・・・クーラーのない待合のお客はタオルで汗をふきふき観戦していた。


木製の改札口がなんとも懐かしい。

ホームのわきには、一畑電車沿線地域対策協議会の意見広告があった。
「がんばれ、一畑電車」
右下には小さな文字でこう書かれていた。
あなたは、一畑電車に乗ったことがありますか。
あなたは、一畑電車が好きですか。
あなたは、この一畑電車が廃止になることを考えたことがありますか。
このふるさと電車を守るために、
県民及び沿線の方々の積極的なご利用をお願いいたします。

駅舎の周りを巡ってみると、旧型車両が顔を見せた。

デハニ52号(昭和3年9月製)である。内部はお座敷列車に改造されている。


次位は、クハ101号(昭和15年11月製)

3輌目は、デハニ53号(昭和4年12月製)である。
(後日譚)
このデハニ52と53は、この後平成21年3月さよなら運転をして営業運転を終えたが、同年8月には『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』のロケーション撮影に用いられ、奇跡の復活をなしている。
当時はそんなことは知る由もなく、ただ旧型車両に出会えたことが嬉しく、カメラを向けたものだった。

松江温泉駅では、入場券と一日乗車券を購入して車中の人となる。


松江温泉駅には、路線図のパンフのほかに、↑の所有車輛一覧や、↓のデハニ車輛竣工図などが置かれて、自由にお持ち帰りくださいとしてあり、マニア心を揺さぶってくれる。


デハ2103号(昭和42年9月製)とデハ2101号(昭和43年6月製)
もとは、京王帝都電鉄5000系である。
これらは、冷房付きなのでさっそく車内にて涼む
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近江八幡フォト散歩と京阪プレミアムカー

母校の同窓会の有志が集う“山櫻古典寫眞機同好會”でLINE交換をしているうちに、久しぶりに撮影会を催行しようとなった。
いろいろ行き場所を考えたが、ヴォーリズ設計の建築物が多く残る近江八幡をフォト散歩することに決定した。
過去の“山櫻古典寫眞機同好會”の様子は、コチラ

天気もよさそうなので、黄金週間2日目の平成30年4月30日にオヤジ3名で出掛た。
もちろん“古典寫眞機同好會”なので、フィルムカメラがメインである。
一人は、“キャラメル箱”と称される名代のコンパクトカメラのローライ35・ゾナー40mm
もう一人は、ニコンF3に6×6のハッセルブラッドという重装備である。

小生は、コンパクトにLeicaIIIb+Summaron3.5cm・COLOR-SKOPAR21mmといういで立ち
モノクロフイルムには、この暗~いSummaronが階調豊かな描写をしてくれるのでベストな選択だと思っている。
最近富士フイルムが白黒フィルムの製造を中止した。との悲報に接し、急遽買い求めた国産最後の35mmモノクロフイルム「ACROS100」を久しぶりにバルナックライカに装填する

フイルムの装填にも、ライカ特有の作法があり背筋が伸びる思いがした。
※ただし、ブログアップ時にはまだフイルムの現像ができていないので、サブカメラとして併用したデジタルカメラで撮影したものを掲載する。
大阪9:00の新快速に乗車。ゴールデンウイークらしく京都までは混雑していたが、京都以東は車内は閑散とした状態
ゆったりとした雰囲気で10:06近江八幡到着

最初は八幡商業高校を訪問 S13の建築である。
過日いろいろと物議を醸した豊郷小学校よりは洗練されたデザインである。
ここから近江商人の卵たちが多く輩出されたのだろうね。
調べてみると驚いたことに・・・宇野宗佑(元首相)、伊藤忠兵衛(二代目伊藤忠)、塚本幸一(ワコール)、川瀬源太郎(日本生命)など政経界のお歴々が並んでいた。

近くにあった八幡小学校の木造校舎
これはヴォーリズの建築ではないが、壮麗な木造校舎が現役なのが素晴らしい。
行政と市民ともども由緒ある建物に対しての考え方・接し方が偲ばれて、とても感銘を受ける。
ヴォーリズの代表的建築物であった大丸心斎橋筋店の取壊しを目の当たりにしたものとしては、この地はパラダイスのように感じる。

S6築のヴォーリズ記念館 晩年のヴォーリズ夫妻の居所でもある。

歴史的な建造物を訪問するたびにいただいたパンフを見ると、彼のヴォーリズさんだが、昭和16年に日本に帰化したのち、終戦直後、軽井沢に疎開していた時、近衛文麿の密使が訪れて、近衛とマッカーサーとの会見の斡旋を依頼されたことがあった。そしてマッカーサーの側近との会談の中で天皇には戦争責任はないこと、天皇は自分が神と等しいとは考えていないこと等を伝え、近衛とマッカーサーとの会談を実現させたとのこと。そうなれば戦後処理に一翼を担った人物といえよう。

池田町の洋風建築群煉瓦外塀・・・大阪の江戸堀にある大阪教会の外壁を思い起こさす意匠である。
近江八幡は、近江商人の街でもあり、中心部には日本的な古い家並みが残っている。

このような街並みの中、明治中期に西洋建築を建設することは、大変な反感があっただろうし、大いなる努力と周囲の理解がないと難しいと思われる。

またここは、八幡瓦の産地でもある。
豊臣秀次が八幡山城を築城した際、整備した八幡堀を利用して、瓦の製造が栄えたのが礎だとか。それ以降は地場産業としての瓦製造が展開されている。

そんな八幡堀端の一角にある「喜兵衛」さんで昼食


美しい新緑の庭を眺めながら箸を取る。

近江牛のタタキと滋賀づくりの一番搾りでスタート

地元の名物が取り入れられた喜兵衛御膳をあてにビールがすすむ
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