昭和50年 加悦鉄道訪問記(その1)
- Sun
- 15:15
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和50年-昭和52年
昭和50年11月23日親友のイバさんと一緒に加悦(かや)鉄道を訪ねることにした。
基本的に優等列車を使わない鉄道旅なので、あらかじめのタイムテーブルは必須である。

まずは、丹後半島にある加悦鉄道の位置と、そこへの行き方を確認する。
※ 色を付けたラインが今回の経路となる

実家のコレクションの中に同月の大型時刻表があるので、47年ぶりにページを披いて経路を追ってみた。

京都6:46発の列車に乗車する必要がある。
これに乗らないと日帰りは難しくなる。
これは、福知山行のディーゼル列車である。当時の山陰本線は旧型客車列車がまだまだ多かったが、この列車はディーゼル列車なので大いに落胆したものだった。このスジは、2年ほど前は、京都を出発して綾部からは敦賀に抜ける客車921列車だった。
大阪からは福知山線で豊岡を経由して向かう方法もあるが、京都から西舞鶴を経由して行くほうが1時間以上早く到着できることが分かった。
もっとも同じラインをかっ飛ばす京都8:52発の特急あさしお1号に乗れば、もっと早く目的地に着けそうな気がするが、天橋立で追いついて、そこからは丹後山田までは同じ列車に乗ることとなる。
よって、特急料金を浮かせるために2時間早起きをした次第である。
大阪駅から京都に向かう東海道線は、まだ快速のない時間帯なので、大阪発5:45発の普通列車に乗車

もちろん大阪駅からその列車に乗るためには、大阪環状線は始発列車でなければならなかった。
さてさて、京都から予定の列車には乗車できたが、一切写真がない。
よほどディーゼル列車に興味が湧かなかったのであろう。

綾部で乗り換えて舞鶴線を行く。
ここからは敦賀行の客車935列車だった。もともと京都発の921列車だったものが綾部発に短縮されたようだ。

綾部では遅めの朝食として駅弁購入 当日の包み紙がコレクションに残っていた
当時の400円弁当はそこそこ上等な部類だった
西舞鶴には9:35到着

広いヤードを有する西舞鶴駅
左端の客車が乗ってきた935列車、その右側は急行丹波3号
この日のお供は、NikonF +Nikkor-S Auto 5.8cm F1.4+NEOPANSS


豊岡から宮津線を経由してきた急行丹波3号大阪行きを見送る

この列車、天橋立から宮津線を経由して西舞鶴に向かい、そこから折り返して舞鶴線で綾部に行き、さらに山陰本線で福知山まで戻り、折り返して大阪に向かう変わり種のスイッチバック列車だった。
まるで、天橋立や宮津のお客を大阪まで直接届けるのが目的であるかのような運行をする列車だった
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