昭和48年7月 無煙化の報ありて (その1柘植)
- Sun
- 07:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和48年
昭和48年7月16日のことだった
少し前に、参宮線が9月末で無煙化になり、SL(C57)が客車列車を牽引する姿も見られなくなるとの報道を得た。
それでは最後の撮影に行かねば・・・となり、この日も愛用のNikonFを携えて天王寺8:27発の急行“かすが”の乗客となる。
このまま亀山まで行ってしまうと時間的にはやや早いので、柘植駅で途中下車して撮影することとした。


途中、通過駅の島ケ原では、待避線で停車中のD51831が牽引する龍華発稲沢行貨物1292列車を追い越す
急行かすがキハ58の車窓からのワンショット (非冷房車ならではの迅速なカメラワーク)
この当時の鉄道ダイヤは、旅客優先だったので、とにかく貨物列車は虐げられていた。
この貨物列車も、駅々で追い越されるものだから、早暁4:35に龍華を出発したが、亀山には12:47到着。
そこから先は、DD51が牽引することになるが、終着駅の稲沢到着は何時になるやら・・・

当時のバイブル「SLダイヤ情報」

当時はこの本を携帯して、往く先々で駅スタンプを押して楽しんでいたようだ。
DISCOVER⇒JAPANの文字も懐かしい
青塗りがD51831牽引の1292列車のダイアである

柘植駅到着の18分後には、京都を9:20に発った草津線経由の鳥羽行急行「志摩1号」がやってきた。
柘植到着10:25
このルートだと京都から鳥羽まで急行で3時間を要する。
しかし、当時、近鉄電車を利用すると、京都から鳥羽まで「近鉄直通特急」で2時間30分。
運賃で両者を比較すると・・・
国鉄 運賃630円 急行料金200円 合計830円
近鉄 運賃740円 特急料金400円 合計1,140円
速くて冷房車指定席の近鉄か、遅いし非冷房だが300円安価な国鉄か・・・
当時の駅弁一つくらいの差である。
さて、どっちを採るかな

(参考)同年5月に購入した柘植駅の中村屋幕ノ内弁当 金300円也

この時間帯の柘植駅は何かと気忙しい
急行志摩と入れ替わるように、D51882牽引の百済行荷物41列車が、奈良を目指して出発した
この列車奈良から先は、機関車が交代しDD51が受け持つ

D51882は、デフレクター(除煙板)に優美な“月と鹿”の飾りつけがあり、関西線では最も人気のあるカマだった。


柘植駐泊所のC58312(亀)

小型の機関車であるC58のボディーに集煙装置と重油タンクを載せるとかなり精悍な容姿となる。
磨き上げられた観光列車の機関車ではなく、煤煙にまみれた働く現役機関車そのものである。

亀山からの貨物783列車の後補機として柘植に9:16到着したのち切り離され、駐泊所にて暫し休息
そののち、信楽線の貨物牽引のため10:26単機回送として草津線を北上していく。

貴生川では転車台がないため、信楽線で正位置に就くには柘植からはバック運転で向かわなくてはならない。
ご苦労様です


柘植駅発11:13の普通列車で亀山に向かうが、まだ改札は始まらない・・・(つづく)


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トロリーポール時代の叡電を撮影したモノクロフイルムのカラー化
- Mon
- 11:00
- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和49年
手許に昭和49年4月7日京福電鉄の叡山線・修学院車庫を訪問した際のモノクロネガがある。
昨今のモノクロフイルムをカラー化する技術は目を見張るものがあるので、一つ試みた。
半世紀前のモノクロフイルムをカラーに転換する作業は、とても心弾むものであるが、色彩を強調すると、不自然な感じになるので、控えめの彩色に止めた。

伝説のデナ1型の車体であるが、修学院車庫の道路わきに置いてあるので見学は容易だった。
現役時代に撮影することは叶わなかったが、こうして優美な車体だけでも目にすることができ感激も一入。
窓の上隅に曲線がつけられている意匠が優雅であり、この後の形式となるデナ21型より両端のRが大きく、南海の玉電に似た古典車両の特徴を備えていて極めて魅力的である。
デナ1型は、大正14年の叡山線開業に際して6両が製造されたが、昭和39年にデナ500形導入により全車廃車された。
この車両は、いわゆる“だるまさん”として物置・休憩所として利用されていた

昭和29年から順次2両で1ユニット固定編成化されたと資料にあるが、それを裏付けるように、反対妻面は貫通扉が設けられている。

右側の工事用車両は、訪問した日の僅か2か月前(昭和49年2月)に登場したばかりのデト1000形車両(1001号車)
廃車になった京都市電600形車両の制御器や台車を利用して作られている。
昭和53年には、集電装置をトロリーポールからZパンタに交換されているが、今でも現役である。

車庫内のデナ500形は、阪神電車からの移籍車である。
昭和3年から4年にかけて阪神831形として製造された車輛だが、昭和39年以降叡山線に入線している。
その際には、パンタグラフからトロリーポールに改造されている。

これはまた別の日、昭和50年10月に鞍馬線を訪問した際の写真
当時は2両で1ユニットを編成して運行していたと記憶していたが、こうして単行での運行もあったようだ。

元田中にあった京都市電との交差点
叡電のトロリーポールと市電のビューゲルとが交叉する架線部分は、複雑な構造となっているが、何ともいえない機能美を有していた。

これは、文頭と同じ昭和49年4月7日に八瀬遊園で撮影した「カラー写真」
これが本来の色調である
今となっては、その日は最初からカラーネガを使うべきだったと思うが、当時のカラーネガは高価(20枚撮りが430円でモノクロの約2倍の価格)だったし、そのプリント代も1枚50円と破格だったから、小遣いをもらう中学生の身分としてはモノクロフイルムを使うのが相応だった。
50年前のことなので確証はないが、この日は、修学院車庫でモノクロフイルムが切れたので、八瀬遊園に向かう叡電の車中でフイルムを交換したようだ。その際、八瀬遊園では桜をバックにすると考え、カラーフィルムを奮発したのかもしれない。

しかし、到着した八瀬遊園は小雨交じりで肌寒く、あてにしていたホーム脇の桜は、つぼみ膨らむ程度で、目論見が外れたようだ。


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