熊野街道の起点を歩く(16) 岸和田・西大路~久米田

牛滝川にかかる高橋を渡れば、いよいよ岸和田市に入る。

この高橋は、人の通れるスペースが全くないので極めて危険だ。この黄金週間の通行量閑散期でさえ危険を感じて渡った。(隣には新しい橋を架ける工事が進行中ではあるが・・・)


これだけ金融屋の広告が並ぶと壮観だ。見ていると何となく電話をかけてしまいそうな気分になるんだろうね。

ここではチェリオも健在だ。 オール100円!
昭和の思い出・・・ビンのチェリオはないのかな? 今となっては望むべくもないか・・・。
沿道には岸和田だんじり祭用の衣装を販売するお店も目に付く。

エアークッション付の地下足袋・・・履き心地よさそうだね♪

JR久米田駅の北側の踏切を渡り、本日最後の王子跡となる池田王子を探す。

このノッペラら地図では探しようもないわな。 落書すら消えかかっている!

しかし、ありがたいことに、つい最近、久米田保育園の壁にその案内が掲げられた。

しかし当該場所に行くも一般民家があるのみで史跡らしい場所はない。

保育園の案内図がなければ到底場所の特定ができないところだった。

手許のガイドブック「熊野街道みちしるべ」をみても明治20年の地図と現在のものとでは大いに様子が違っていて迷うだけだった。
今回の行程(その5)

今日は鳳から久米田まで歩き万歩計は16,000歩と示している。この先東岸和田まで行きたいところだが、日中の猛暑には少しバテ気味なので、ここで戻ることにした。

JR久米田駅・・・どこにも駅名板が掲げられていない何とも不思議な駅である。

あ?疲れた。さてさて、どこで一杯やろうかな。
まだ少し日が高いが開いている店といえば・・・・・・あるある♪
(追伸) NHK-BS2で“街道てくてく旅”現在進行形です・・・いきなり追い越されそうですが、こちらはマイペースでまいります。
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Comment
2010.05.16 Sun 13:56 |
120年ほど前、市町村制度が導入された頃の村というのは、本当に集落単位なんですね。
このあたりは平成の大合併もドコ吹く風といった感じですが、それでも隔世の感がありますね。
2010.05.16 Sun 22:28 | *なにわさん こんばんは
おっしゃるとおり、熊野街道を歩いて感じることは、昔は田圃が一面広がっているだけの農村ばかりだったんだろうなあ、そしてポツリポツリと集落があって夫々が村を名乗っていたということです。しかし今では泉北郡や泉南郡を冠する町も極僅かになりその境界が何処だったのかよく分からなくなっていましたが、今回の旅で明確になったのは一つの成果かもしれません。
2010.05.17 Mon 10:56 | 懐かしのテェリオ
高校にチェリオの自販機が設置されていました。もちろん大瓶の。安くて量が多くて重宝しましたね。
後に知ったことですが、チェリオの販社であるチェリオコーポレーションって高槻に本社があるそうで高槻の高校に自販機があるのも当然だったんですね。高校は統廃合で消えてしまいましたが。
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- サットン
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2010.05.17 Mon 12:49 | *サットンさん こんにちは
チェリオのブヨブヨとうねった瓶が懐かしいです。
うちの高校にもヘンなジュースが販売されていたのですが、名前をすっかり忘れてしまいました。
2010.07.23 Fri 12:40 | *ぽんぽこやまさん こんにちは
チェリオは、高槻が本店ですが、なぜ和泉に自販機が多いかは謎です。
泉州人の深遠なる味覚にフィットするのでしょうか♪
2010.07.25 Sun 22:11 | 謎が解けました
自販機を見たら連絡先の電話番号が記載されてました。0725の市外局番です。どうも泉大津に営業所があるからのようです。
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- ぽんぽこやま
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