阪急・阪神の名車を求めて・・・野上電鉄
- Wed
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和57年
モハ23(旧阪急1)とモハ24(旧阪神604)の2輌だろう。
日方駅に戻り、構内の車輌を見学していると、一両の定期列車が、吊り掛けモーター音を轟かせて構内に進行してきた。

この車輌下回りに、台枠の歪みを修正するトラス棒を有することから、元車はかなり古く、木造車であったことが判る。
なんと出自は、小林一三説くところの「最も有望なる電車」である箕面有馬電鉄(現阪急電鉄)の1型車輌であって、木造からの鋼体化は昭和25年になされているが、製造年は明治43年まで遡る。

(友情出演) 阪急正雀工場で保存されている箕面有馬電鉄1型(平成7年撮影)

同車車内の様子(阪急・正雀工場にて) 二重屋根とすずらん型室内灯が優雅の極みだ!

野上電鉄の写真に戻ると・・・
旧阪急モハ23が入線する日方駅
留置されたモハ31の車内の明かり窓の様子が、窓越しにわかる。
そして・・・注目すべきもう一輌は、車庫の前で日光浴していた、これだ!

モハ24 旧阪神601形の604もここでは現役・・・大正13年藤永田造船所製
ペンキ塗りたて注意!

この陶酔すら覚えるフォルムを見よ!
大正末期から昭和初期の標準タイプの一つといえるリベットが整然と並んだ3扉車で、正面は半円形に5枚窓のいわゆる“玉電”タイプ
特筆すべきは、わが国最初の高速鉄道形半鋼体車体という誠に記念すべき電車の生き残りである。

台車は、線路幅が異なるため阪神時代のものではなく、もと南海電2形用のブリル27-E1 1/2に履きかえられている。
この車輌の最晩年は、薄汚れたアーモンドチョコの広告電車になっていたが、この当時はこのとおり、阪神時代より垢抜けしたような秀麗な姿を披露していた。

阪神電鉄時代の同僚車輛(昭和9年)
余りにキャラの濃い車輌を掲載したので、その他のものは、次回に・・・
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Comment
2010.07.15 Thu 06:30 | *新之介さん おはようございます
箕面有馬電気軌道1型、気に入っていただいてありがとうこざいます。泉下の逸翁もお喜びでしょう。
また、こんな車輌がゴロゴロと淀川を渡って十三を通っていたと想像するだけでも楽しくなりますね。
平成7年震災後に正雀工場を訪問したときの様子は、後日アップします。ご期待ください。
2010.07.15 Thu 09:44 | 阪急と阪神の品格
戦前の阪神間の私鉄の魅力が濃縮されたのが正に野上電鉄だったのですね。
今でこそ阪急=高級、阪神=庶民的、と言う図式が勝手に成立していますが、そもそも阪神沿線だって香櫨園や甲子園、平田町のような高級住宅街だってありますし、それにあの「西の帝国ホテル」こと甲子園ホテルを造ったのだって阪神です。阪急と阪神、どちらかが欠けても「阪神間モダニズム」は成り立たないと思います。
・・・すみません、野上の話題ですね。あの明り取りの窓、正面の五枚窓は今見たって充分にオシャレです。何故五枚窓が流行したのが、私はちょっと存じないのですが、もしどなたかお詳しい方が居ましたら教えて頂けませんか?
- #bYLHBN/g
- 淡島八景
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2010.07.15 Thu 13:58 | 玉電は4枚窓では・・・
>なんで五枚窓?
幅が狭いので運転台は中央に、これでまず一枚、前面が丸くなったので曲面ガラスを使うと高くつくので仕切りを入れて両側に二枚ずつってところでしょうか。
では、どうして丸くなったのか?
本家合衆国のインターアーバンの流行からかもしれません。
2010.07.15 Thu 18:22 | こんばんは
正面に運転台をもってくれば、当然全面窓は奇数枚数になりますし、Rのきつい卵型にしようとすると5枚というところに落ち着くでしょうね。曲面ガラスは、当時でもありましたが、とても一般的なものではなかったでしょう。
当時、阪神だけでなく、南海や大鉄もこんな5枚窓の木造車をもってましたね。窓の上にRがついて、これまた典雅なものでした。
また、この車輛の運転士の運転姿勢がバンドのドラマーに似ていたため、「バンドマン」というあだ名があったことも忘れてはなりませぬ。
2010.07.15 Thu 23:30 | なにわさん、ファジーさん、有難うございます
お二方とも有難うございました。
「曲線美」とはよく考えたら艶かしい言葉ですよね!「バンドマン」の呼称もあたかも昭和初期のスイング・ジャズのモダンな世界を髣髴させて素敵です。
- #bYLHBN/g
- 淡島八景
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