昭和57年播但線の旅
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和57年
大学を卒業して懐かしの関西に戻ってきたせいかもしれない。
この9月15日も播但線の客車列車に乗車するとともに宮津線・小浜線を経由する大回りループラインを楽しんでいる。

姫路を8時29分に発つ和田山行き629列車に乗車する。
DD511180が牽引する赤い客車オハ50系・・・オハフ50212+オハ5051+オハフ50214+オハ5062+オハ50154+オハフ50221という編成である。

オハフ50212の車内

特急“はまかぜ”と対向する。 福崎駅

寺前駅の留置線

午前10時30分早くも和田山到着。下り特急“まつかぜ”の到着を待って、ここからは山陰線の721列車出雲市行きに乗車する。
編成は・・・DD5150+スユニ502012+マニ602673+オハフ33382+オハ472005+スハ4253+オハフ33395

721列車の乗車したスハ4253は、窓枠をアルミ改造したもので、少し軽快な印象を与えてくれる。

豊岡駅からは、西舞鶴行きに乗り換える。

この当時でも数少なくなっていた10形車輌・・・ナハ10104

スハ4294・・・サボは“篠山口行”とある。
豊岡駅で宮津線に乗り換え・・・

11時11分上り急行白兎と遭遇するが、この列車の細かなサボが国鉄気質を表しているような・・・

急行・指定席の下部に・・・「倉吉?米子 快速」 と小?さく書かれてあるが、そばに寄らないと決して見えない大きさである。
国鉄にとっては、見える見えないではなく、とにかくその旨が書かれていることが大切なんだろう・・・。
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Comment
2010.08.16 Mon 12:28 |
懐かしい風景ですね。国鉄時代のはまかぜ・まつかぜも風格を感じさせます。
国鉄ファンの方々には誠に申し訳ないのですが、学生時代に国鉄を毎日利用しておりましたので、終末期国鉄の気質を肌で感じておりました。それ故、当時の国鉄嫌いが助長されたのかもしれません。
2010.08.16 Mon 13:17 | *のりさん こんにちは
いわれてみれば、この当時を国鉄末期といってもいい時期ですね。現在の運用状況と比べてみると、なんとも無駄の多い非効率な運用がなされていたか、肌身をもって経験しています。
しかしそれが鉄道ファンとしては何とも言えない魅力だったのでしょう。 “ひとりの国鉄ファン”より
2010.08.16 Mon 13:18 | 車掌さんの制服
車掌さんの白い夏服が格好いいですね。ポンコツの58系まで引き締まって見えるのが不思議です。
のりさんがコメントされているとおり国鉄末期を知る私も国鉄に決して良い感情は持っていませんが、この白い制服には憧れました。赤い腕章もきまってましたねえ。
今のJR西なんて特急の車掌さんでも半袖シャツですもんね。
- #-
- サットン
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2010.08.16 Mon 16:03 | *サットンさん こんにちは
この白い制服は、カレチ(客扱専務車掌)でしょうね。鉄道少年にとっては憧れの存在でした。その後どのような合理化の推移があったのか存じませんが、新幹線以外では見受けなくなりましたね。
2010.08.17 Tue 00:49 | ボロでもいいのよ
初期車は製造後20年たっていましたが、淡青色の乗車券と淡紅色の急行券を持って、真夏に冷房のきいた客室内に入るとほっとしました.。
- #yAA8au1w
- なにわ
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2010.08.17 Tue 11:33 |
ファジーさん、こんにちは。
昭和57年は私が生まれた年です。両親の実家が城崎なので毎年夏になると帰省していたのですが、不思議なことにキハ181「まつかぜ」はハッキリ覚えているのに、旧型客車や福知山線の旧線の記憶は全く無いんですよね・・・。
ところで、「デッキと客室の間に仕切りがある車両=高級感がある」というヘンテコな考えの人間は私ぐらいですかね?特急にせよ鈍行にせよ、車両の新旧や冷房の有無、乗り心地の良し悪しを問わず、未だに何故かそんな思いがあるのです。
もっとも私が都会育ちで、デッキの無い通勤用車両や近郊型車両が当たり前であったからコンナ妄念に取り付かれたと言ってしまえばそれまでなのですが、「ステップを上がって客室に入り、引き戸を開ける」という行為そのものがどことなく「これから始まる旅」の楽しみを増長させるような気がします。
今大阪の近くで普通乗車券だけで乗れるデッキつきの車両、と言えば北陸本線ぐらいでしょうか。そろそろお名残乗車をしておかないと後悔しそうなので、お乗り遅れは禁物ということにしておきましょう。
・・・ああ、今回もコメントが記事の中身とあまり関係ありませんね、スミマセン・・・。
- #bYLHBN/g
- 淡島八景
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2010.08.17 Tue 20:06 | *なにわさん そうでした。
今のような猛暑のとき、クーラーの効いたキハに乗るのは、天国のような気がしたものです。しかしあの当時のクーラーは、体に悪いほどガンガンに効いてましたね。その中でタバコを吸っても誰も文句を言いませんでした。今からすれば考えられない光景です。
2010.08.17 Tue 20:15 | *淡島八景さん 私も同じですよ。
「デッキと客室の間に仕切りがある車両」は優等列車であると私も感じます。というか、扉の開け閉めとともに外気が車内空間に入り込むシーンは、特にこの猛暑の頃や厳寒の頃には、はなはだ宜しくありません。雨などが吹き込んできたときには、慌てて座席を立ちますから・・・。下関や門司ではホームのハトが乗り込んでくる有様・・・如何なものか!
今回の記事に登場する車輌は、すべてデッキを有する“優等”列車であります♪
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