昭和47年11月23日“汽車ポッポ南紀号”・・・補遺1
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和元年-昭和47年
天王寺?和歌山はED60で、和歌山以南は田辺区のC577が12形客車を牽引するというものだった。
3年前に一度ブログで記事にしたが、現在もう一度ネガをチェックすると、まだ掲載していないカットがあるとともに、働く国鉄マンの姿が随所に現れるので、もう一度アップしてみようと思う。
前回はハーフサイズをそのままでアップしていたが、今回はフルサイズで掲載するので、当時の雰囲気もより感じられるのでは・・・と思っている。

キハ81の写真は数多く撮っているが、不思議とカラー写真が少なく、これは、かなり古い時期でのワンショットではないだろうか。
右に見えるのがオースギ漢方ビルだから、天王寺を出発して間なしのところだろう。
またこの高架部分の架線トラス柱は、中央部分が太くなったエンタシス風の柱となっているのが分かる。
これは、阪和電鉄時代の遺構ではないだろうかと疑問が湧いたので調べてみた。

昭和9年に撮影された阪和電鉄・美章園附近の写真には同じものが写っていた!

阪和線の高架駅・美章園駅・・・阪和線は、オレンジバーミリオンの旧型国電の最後の活躍地であった。

有人踏切の寸景・・・係員が大きなハンドルを回転させて踏み切りバーを上下させていた、なんとも昭和を凝縮したような風景である。鶴が丘?長居あたりの踏切ではないだろうか?

和歌山から以南に入ると、内燃天国となる。真新しい風情のDF50の姿があった。

御坊では、御坊臨港鉄道から同年8月に名称を変更したばかりの紀州鉄道のディーゼルカー308(元国鉄キハ41055)に出会う。
しかし、なんともこのカラーリングは特筆すべきだ。舞台メイクを施した俳優の如し。

サボは独特の書体で「御坊⇔日高川」とある。


こういう珍編成にも出会った。

機関区のある駅、紀伊田辺に到着した。
跨線橋の下部にある煤煙よけの金属板が、この当時をつぶさに語っている。
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Comment
2010.07.02 Fri 09:04 | 美章園の架線柱
お早う御座います。淡島八景です。
阪和電鉄オリジナルの架線柱もだんだんと姿を消しつつありますね。現在天王寺~美章園に辛うじて残っていますが、他にあるでしょうか?南田辺以南も高架工事で無くなってしまいましたし・・・。
- #bYLHBN/g
- 淡島八景
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2010.07.02 Fri 10:55 | *淡島八景さん こんにちは
阪和電鉄オリジナルの架線柱はすっかり姿を消したと思っていましたが、天王寺~美章園にはまだ生き残っていましたか!
貴重な情報ありがとうございます。
以前山中渓での撮影の際にも、同架線柱を確認していますが、それとて大昔のことなので、現在はどうなっているのやら・・・。
http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-820.html
2010.07.03 Sat 00:05 |
今はビルの両側を高架線が走ってますね。「空から日本を見てみよう」のトンガリ建物に応募しないでしょうか。
紀州鉄道の気動車、番号まで手描きのやっつけですね。
架線柱、3年前に大和川の鉄橋が、去年美章園でみたのがこのタイプでした。まだ残っているかもしれません。
- #-
- なにわ
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2010.07.03 Sat 07:36 | *なにわさん おはようございます
阪和電鉄の架線柱まだ残っているんですね。
特に鉄橋の上の取替えは大変なのでそのままなのでしょう。
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