昭和58年“サロンカーなにわ” お披露目展示会
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - ├昭和58年-昭和59年
当時の不爾日記によれば「我、数日前より新聞にて識りたれば、かくも珍しき事、屡なるはあるまじき事なれば、職場より写真機を肩に携えていざ参らむと、正午過ぎより彼のステンショへ馳せ参じたり。」とある。
これは、東京鉄道管理局が豪華列車「サロンエクスプレス東京」を作ったことに対する大阪鉄道管理局が仕立てた対抗車輌である。

梅田の大歩道橋の上から進入の様子を撮ろうとカメラを構えた。
(この頃の歩道橋の上空にはまだまだ広い空間があったのだ。)

EF56に牽引されて、入線してきた。

よく見るとバックの大阪鉄道管理局の正面には「サロンカーなにわ誕生」の垂れ幕が掛かっている。


ラグジュアリーな旅のニューフェイス。いよいよデビュー。気分はヨーロピアン・・というが新車ではなく、14系車輌の改造したものである。

編成は、EF561128(宮)+スロフ14703+オロ14706+オロ14707+オロ14708+オロ14709+スロフ14704

両端は、展望車のような形態をしているが、全面ガラス張りというのが少し残念。
大きな行灯式トレインマークを取り付け、往時の優等列車をイメージさせた懐古趣味的なものとなっている。

色彩は、濃緑色と黄褐色の色分けにて古典機関車の如き金モールが描かれていて豪華な仕上げになっているが、模型ファンには極めて過酷な作業となるだろうことは予想に難くない。




また不爾日記においては、「往時の展望車を髣髴させんとする意図がうかがえ、懐古趣味の域を脱すことなき意匠にて、東鉄局の“サロンエクスプレス東京”との対比に於ては、さらなる工夫を致したきところなり。かかる勝負、東に軍配上がりたるやうに思ふ」と、辛口の評を記している。

それでも多くの見学者がホームに溢れ、人々は、豪華な旅を楽しめる時代になったことを喜んでいるようだ。
少し時間があったので、道草を・・・

この大阪駅の古い上屋に何条にも走るパイプの精緻さと造形美には、いつも感心させられるところである。

いつもの福知山線普通列車(大阪止め)
うしろから、スハフ422162+スハ422489+オハ462043+スハフ422272+オハ472218+オハ472075+スハフ422104+DD51839
在りし日の常磐線を思い出させるオールブルーの切妻車輌である。

6番線と7番線との間には、退避車輛のための線路があったのだ。
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Comment
2010.09.13 Mon 01:53 | 国鉄型特別車両への憧憬
こんばんは。淡島八景です。
国鉄の末期だったか、幼稚園入園前に父の知人がサロンカーなにわに乗るというので一緒に大阪駅まで見送りに行ったことがあります。
全ての車両にグリーン車の四葉印が張られていたのには威風堂々たる「特別仕様の車両」の風情があり、特別料金の必要な列車と言えば「まつかぜ」や「はまかぜ」の自由席しか乗ったことの無かった当時としては、「こんな列車で遠くに行きたい」と憧れたものです。その後流行した90年代のジョイフルトレインは”JRの団体列車”ですが、サロンカーなにわはれっきとした”国鉄の特別車両”と言った感じでしょうか。
車内にも一寸入ってみましたが、土足のままステップに上がると、女性の乗務員から「車内はおスリッパで・・・」と言われたことが妙にはっきりと覚えていますね。
デビューから二十数年が経ちましたが、これからも頑張って欲しい列車です。
それにしても、バスターミナルに停まっている旧塗色モノコックタイプの市バス、それから鉄道管理局の姿も懐かしいものです。
懐かしいお写真を有難うございました。
- #bYLHBN/g
- 淡島八景
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2010.09.13 Mon 13:12 |
ラグジュアリーな旅のニューフェイス…キャッチコピーに昭和の香りを感じます!
大鉄局も、相当に東京を意識していたというのが興味深いです。
展望車っぽい感じですが、記号に『テ』は付かなかったのですね。
- #-
- うたに
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2010.09.13 Mon 13:46 | 残念ながら・・・
この展示会は行けませんでした。
なにわ対SETは大鉄局対南局の対決の様相を呈し東西のファンも夫々に応援していたように思います。
なにわは物持ちの良いJR西に引き継がれ今も健在。車両の運命も様々だと感じます。
- #-
- サットン
- URL
2010.09.13 Mon 14:20 | それにしても梅田には空はない
夕方にあった岡山行、かつて宇野線快速を送り込むのに使用していた電車でした。逆もありまして、朝9時過ぎに大阪に戻って来ました。
まあ、一斉に消えていったわけでなく、ある物はJRの誕生と共に、ある物は昭和と共に、ある物は20世紀と共に消えていったのであります。
6番線と7番線の間の線路は留置線でございました。その昔には東京から来た「ひびき」が宮原に入らずトンボ帰りのために入っていたそうです。
なお、現在は9番線として使用されています。
2010.09.14 Tue 06:38 | *淡島八景さん そうですか・・・
サロンカーなにわの車内が土足禁止だったとは存じませんでした。しかし同列車が幼稚園入園前とは、世代格差を感じてしまいます。
駅前のバスが止まっているところは、バス停ではなく、どうやら故障していて、それを調整中のもののようです。
2010.09.14 Tue 06:46 | うたにさん 懐かしき昭和の香り
私もこのキャッチコピーは、バブル前の予兆のようなイメージがします。今考えると何もかもが右肩上がりでよい時代でした。
展望部分がガラス張りだったので、「テ」にはならなかったのでしょうか・・・。
2010.09.14 Tue 06:49 | *サットンさん 東鉄局・・・
西と東が対抗した豪華列車開発ですが、一枚上手だと思っていた「サロンエクスプレス東京」は今は既になく、こちらは、意外にも防弾ガラスが奏功し、お召し列車にも使用されるなどホマレの現存車輌となったのは、人生色々という感じがいたします。
2010.09.14 Tue 06:52 | *なにわさん 待避線は・・・
>6番線と7番線の間の線路は留置線でございました。その昔には東京から来た「ひびき」が宮原に入らずトンボ帰りのために入っていたそうです・・・旧きよき時代、一度見てみたかったですね。
2010.09.14 Tue 22:32 | *のりさん ありがとうこざいます
そう仰っていただくと、掲載した甲斐がありました。珍しく番号も全て控えていたようで、ブログに載せるときには手間がかかりました(笑)
またカナリア色の103形も今となっては懐かしい限りです。
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