昭和60年 旧友と越中・信濃に遊ぶ
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年
昭和60年9月14日大学の友達たちと2泊3日の旅行に出かける。
金沢・富山をめぐり、黒四ルートで長野入りして中央線で帰ってくるというコース。
途中立ち寄る都市で頑張っている同級生を呼び出して、旧友を温めるとともにご当地の案内をしてもらうという作戦である。

これは、出発の朝、大阪駅11番線の西端のホームに電留線があり、そこに留置されていたEF58150

プレートにある「インポート・エキスプレス・大阪」とは、梅田コンテナヤード跡で催されていた、個人輸入推進の展示会のようなものではなかったと記憶しているが、まったく興味がなかったので出向くことはなかった。

金沢駅の風景・・・下り特急“雷鳥13号”
高架を目前にして広い構内のレールが剥がされ、寂しい光景となっていた。奥のほうには43系客車の姿も見える。
金沢・富山をめぐり、黒四ルートで長野入りして中央線で帰ってくるというコース。
途中立ち寄る都市で頑張っている同級生を呼び出して、旧友を温めるとともにご当地の案内をしてもらうという作戦である。

これは、出発の朝、大阪駅11番線の西端のホームに電留線があり、そこに留置されていたEF58150

プレートにある「インポート・エキスプレス・大阪」とは、梅田コンテナヤード跡で催されていた、個人輸入推進の展示会のようなものではなかったと記憶しているが、まったく興味がなかったので出向くことはなかった。

金沢駅の風景・・・下り特急“雷鳥13号”
高架を目前にして広い構内のレールが剥がされ、寂しい光景となっていた。奥のほうには43系客車の姿も見える。
富山市内は、富山地鉄富山市内軌道線であちこち巡る。

桜橋電停前・・・後ろの白い建物は北陸電力の本社ビル

クラシックな富山県庁前で記念写真・・・地元の同級生がいると市内めぐりも楽チンである。
富山の同級生の実家で泊めてもらった翌日は、黒部へ向かう。
立山では、伝手を使って建設省立山砂防軌道に乗せてもらうようにお願いしたが、この日は不可ということで、車両見学だけに止まった。

下流域に災害をもたらす日本有数の急流である常願寺川の防災に役立てるため、昭和4年に開通した軽便トロッコ列車が立山砂防軌道である。沿線に18段連続のスイッチバックが存在する路線として鉄道ファンには有名な鉄道となっている。建設省の所管する国家プロジェクトの専用線である。

車庫横に保存されている加藤製4WD

この後、黒四ルートで長野・大町に出て長野市に向かった。
9月16日帰りの長野駅では、この8月24日に登場したばかりの名古屋鉄道管理局扱いのジョイフルトレイン「ユーロライナー」に出会う。

専用牽引機として塗り替えられた稲沢区のEF6466もピカピカだ!
名古屋局の「ユーロライナー」は、東京南局の「サロンエクスプレス東京」、大阪局の「サロンカーなにわ」に続く国鉄3本目の欧風客車である。


登場当時は展望車側面の展望窓と客室窓の間に、特急形電車と同様のステンレス切抜きのJNRマークを掲出していた。

華やかな「ユーロライナー」に隠れるようにしているが、この当時は飯山線には、まだキハ20が活躍していた。
長野駅上屋に残る剣先の軒飾りも、今となっては懐かしきばかりなり。
1日1回 ぽちっとね♪

桜橋電停前・・・後ろの白い建物は北陸電力の本社ビル

クラシックな富山県庁前で記念写真・・・地元の同級生がいると市内めぐりも楽チンである。
富山の同級生の実家で泊めてもらった翌日は、黒部へ向かう。
立山では、伝手を使って建設省立山砂防軌道に乗せてもらうようにお願いしたが、この日は不可ということで、車両見学だけに止まった。

下流域に災害をもたらす日本有数の急流である常願寺川の防災に役立てるため、昭和4年に開通した軽便トロッコ列車が立山砂防軌道である。沿線に18段連続のスイッチバックが存在する路線として鉄道ファンには有名な鉄道となっている。建設省の所管する国家プロジェクトの専用線である。

車庫横に保存されている加藤製4WD

この後、黒四ルートで長野・大町に出て長野市に向かった。
9月16日帰りの長野駅では、この8月24日に登場したばかりの名古屋鉄道管理局扱いのジョイフルトレイン「ユーロライナー」に出会う。

専用牽引機として塗り替えられた稲沢区のEF6466もピカピカだ!
名古屋局の「ユーロライナー」は、東京南局の「サロンエクスプレス東京」、大阪局の「サロンカーなにわ」に続く国鉄3本目の欧風客車である。


登場当時は展望車側面の展望窓と客室窓の間に、特急形電車と同様のステンレス切抜きのJNRマークを掲出していた。

華やかな「ユーロライナー」に隠れるようにしているが、この当時は飯山線には、まだキハ20が活躍していた。
長野駅上屋に残る剣先の軒飾りも、今となっては懐かしきばかりなり。

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Comment
2010.12.12 Sun 00:37 | 国鉄末期の北陸路
EF58は近寄ってみると先頭部が絞り込まれ2枚窓の正面が引き締まって見えます。子供の頃によく乗った米原経由の北陸線の客車列車では快適な走りで牽引していました。
成田ゆめ牧場に“まきば線”というトロッコ列車を走らせているエリアがあり、立山砂防軌道で活躍していたDLがありました。
- #-
- 京葉帝都
- URL
2010.12.12 Sun 06:00 | *京葉帝都さん おはようございます
早速のコメントありがとうございます。
EF58は、素晴らしいスタイルの電機で、国鉄時代の名機だと思います。敬意を表して今回ちょっとアップしてみました。
立山砂防軌道のDLが千葉で活躍しているということは初耳です。貴重な情報ありがとうございました。
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