昭和61年11月1日福知山線複線電化開業出発式
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年


特急の先頭部分は大変な人出だったが、式典を後ろからながめるこの場所は、さほどでもなく小生のような一般人でも立ち入ることが許されていた。


午前8時ちょうど、1番列車として特急“北近畿1号”が出発した。
・・・福知山線が便利になったが、その反面、鉄道ファンとして面白みを失った朝だった。

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Comment
2010.12.18 Sat 16:26 | まつかぜ→北近畿→こうのとり
こんにちは。淡島八景です。
城崎電化の頃私は幼稚園にすら入園していませんでした。そのニュースを知らないものですから、翌年の夏帰省する際に大阪駅1番線ホームに大好きだった特急「まつかぜ」の影を求めて走ったのに、待っていた特急は聞いた事のない名の「北近畿」、しかも行先は”城崎”ときたのでアレレ?と拍子抜けしてしまいましたね(笑)。
「北近畿」は当時国鉄が大赤字だったため車両が新製出来ず、各地から”老兵”というか”元エリート”というか(それこそファジーさんや私の尊敬するあの作家みたいですね)、聞こえは悪いですが使い古した車両を終結させたものだと聞いています。
90年頃だったか「北近畿」の車体更新の際に側窓の下に加わった、細くて赤いもう一本の帯、アレ大好きなんですよ。”温故知新”と言うか、何だか非常に品のよろしい塗色に見えたんです。
それから二十数年経ていよいよ来年の3月、待望の新型車両287系が導入され、愛称も新たに「こうのとり」に変わることが決まりましたが・・・。
なんだかちょっとさみしいですね。
- #bYLHBN/g
- 淡島八景
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2010.12.18 Sat 17:45 | 国鉄末期の悪夢
電化されたとはいえ通勤電車は黄色に塗り替えただけのボロボロの113系。しかも2両編成が当たり前で多客時には積み残し御免。国鉄末期の悪夢を見た思いでした。電化という名のサービスダウン…。
最近の姿を見て、ようやく電化が生かされてきたなあと思う次第です。
- #-
- サットン
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2010.12.18 Sat 20:20 | *淡島八景さん おへその中から見てましたか?
福知山の電化なんて昨日のように思っていましたが、淡島八景さんのコメントをいただくと国鉄時代の過去と小生の経年を感じずにはおれません。
ましてや“はまかぜ”の世代交代のニュースを耳にすると日本国有鉄道時代の現役車輌はどれほど現存しているのかとしみじみ思ってしまいます。
2010.12.18 Sat 20:26 | *サットンさん こんばんは
>黄色に塗り替えただけのボロボロの113系・・なにやら象徴的な存在でしたね。
仰るとおりなので多くは語りません。12月31日の記事で脇役として登場します。ご期待くだされ。
2010.12.18 Sat 20:38 |
関西では見かけたことのなかった鮮やかな黄色の103系が目を惹きました。サットン様のおっしゃるとおり、東西線が開通して片町線(現 学研都市線)と直通運転を始めて、ようやく電化の真価を発揮した感じですね。
2010.12.19 Sun 06:15 | *のりさん おはようございます。
カナリヤ色の103系もありましたね。目新しいものでしたが、知らないうちに姿を消してしまいました。東西線開通にはまたベラボーな年月がかかりましたが、あれってホントに必要だったのでしょうか?
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