オリエント・エクスプレス '88 (その2)
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- ∇鐵道ほとがら帖/昭和編 - └昭和60年-昭和64年
前回(その1)からのつづき・・・
昭和63年11月23日の日記から・・・
“来日中のオリエント急行が大阪駅での最後の公開展示をなすことを知り、昔取った杵柄よろしくNikonFを携えて、午前9時過ぎに大阪駅へ。係員に聞けば、午前9時46分下り3番ホームに入線との事・・・”
“ホームにて中高生時代を想いださせる少年達に交じってイベント列車を撮る“
“恥ずかしくもありまた嬉しくもあり。”

“ついにそのときがやってきた!”
“13両編成のオリエント急行の姿が見えたと思うと、たちまち滑るが如く入線してきた。そのさまを引き付けて、さらにひきつけて、その瞬間震える手でシャッターレリーズを押し切った。カシャリ!”
“この瞬間が堪らない。緊張感の高まりと一瞬に賭ける意気込み。これだからこの趣味がやめられない。今日はもう二度と来日することはないであろう同列車を隅々まで愉しまん”


3・4番線ホームは、関係者以外立ち入り禁止なのだ。

これは、当日ホームで貰った「日立オリエント・エクスプレス 観覧記念ガイドブック」である。
これから登場する車輌の説明にはこれがあって助かった・・・四半世紀後に役立つとは・・・なんでも取っておくものである♪
昭和63年11月23日の日記から・・・
“来日中のオリエント急行が大阪駅での最後の公開展示をなすことを知り、昔取った杵柄よろしくNikonFを携えて、午前9時過ぎに大阪駅へ。係員に聞けば、午前9時46分下り3番ホームに入線との事・・・”
“ホームにて中高生時代を想いださせる少年達に交じってイベント列車を撮る“
“恥ずかしくもありまた嬉しくもあり。”

“ついにそのときがやってきた!”
“13両編成のオリエント急行の姿が見えたと思うと、たちまち滑るが如く入線してきた。そのさまを引き付けて、さらにひきつけて、その瞬間震える手でシャッターレリーズを押し切った。カシャリ!”
“この瞬間が堪らない。緊張感の高まりと一瞬に賭ける意気込み。これだからこの趣味がやめられない。今日はもう二度と来日することはないであろう同列車を隅々まで愉しまん”


3・4番線ホームは、関係者以外立ち入り禁止なのだ。

これは、当日ホームで貰った「日立オリエント・エクスプレス 観覧記念ガイドブック」である。
これから登場する車輌の説明にはこれがあって助かった・・・四半世紀後に役立つとは・・・なんでも取っておくものである♪
ホマレの牽引車は、EF8167(酒)


連結器の違いは、日本固有の自動式連結器とネジ式連結器を備えた「控え車」を先頭と末尾に挿入することで解決した。これはオニ231(元ナハネフ238)

続いては、屋根のトルベート式ベンチレーターが新鮮な荷物車(1928年英国メトロポリタン・キャメル社製)
台車はすべてTR47Aに取り替えてある。道理で狭軌のJR路線を走行できるはずだわ。

「カシ」と表示されるべき最重量の食堂車(レストランカー・プレジデンシャル号)・・・車輌自体が中途半端な重さではないため、日本における試運転時には、客車製造当初は未搭載であった冷房装置を撤去し重量の軽減を図ったと聞く。
立ち上る煙は、ディーゼル排気のような鼻を覆いたくなるようなものではなく、厨房備え付けの石炭レンジからの漂う煙である。よって、その煙に蒸気機関車と同じ匂いを感じ、何とも懐かしい思いに浸る。
1927年フランスEIC社製


外装としての白と紺のツートンカラーが極めて美しく、そして国内車輌には見ることがなかった赤いスタンドが、何とも魅力的なプルマンカー・・・この後、トワイライト・エキスプレスなどの遠距離寝台列車に採用されることとなる。
1929年フランスEIC社製


プルマンカーの楕円窓をよく見れば、明り取りだけではなく、中央円の下半分は空気抜きとなっている。
(ということは・・・イニシエの九州鉄道が輸入した“或る列車”にも同様の楕円窓がついていたが、それも同様の機能があったのかと勝手に推察してしまう。)


あともう少し枚数があるので、再び“次回につづく”

1日1回 ぽちっとね♪


連結器の違いは、日本固有の自動式連結器とネジ式連結器を備えた「控え車」を先頭と末尾に挿入することで解決した。これはオニ231(元ナハネフ238)

続いては、屋根のトルベート式ベンチレーターが新鮮な荷物車(1928年英国メトロポリタン・キャメル社製)
台車はすべてTR47Aに取り替えてある。道理で狭軌のJR路線を走行できるはずだわ。

「カシ」と表示されるべき最重量の食堂車(レストランカー・プレジデンシャル号)・・・車輌自体が中途半端な重さではないため、日本における試運転時には、客車製造当初は未搭載であった冷房装置を撤去し重量の軽減を図ったと聞く。
立ち上る煙は、ディーゼル排気のような鼻を覆いたくなるようなものではなく、厨房備え付けの石炭レンジからの漂う煙である。よって、その煙に蒸気機関車と同じ匂いを感じ、何とも懐かしい思いに浸る。
1927年フランスEIC社製


外装としての白と紺のツートンカラーが極めて美しく、そして国内車輌には見ることがなかった赤いスタンドが、何とも魅力的なプルマンカー・・・この後、トワイライト・エキスプレスなどの遠距離寝台列車に採用されることとなる。
1929年フランスEIC社製


プルマンカーの楕円窓をよく見れば、明り取りだけではなく、中央円の下半分は空気抜きとなっている。
(ということは・・・イニシエの九州鉄道が輸入した“或る列車”にも同様の楕円窓がついていたが、それも同様の機能があったのかと勝手に推察してしまう。)


あともう少し枚数があるので、再び“次回につづく”


1日1回 ぽちっとね♪
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Comment
2012.07.15 Sun 16:18 |
3・4番線を閉鎖ですか。ホームに余裕があった頃だからできたことですね。今の大阪駅じゃ絶対無理ですわ。
ナハネフ23が意外としっくり馴染んでますね。
梅コマのピンクの壁面が懐かしいです!
- #-
- サットン
- URL
2012.07.16 Mon 16:39 | *サットンさん こんにちは
コメントありがとうございます。
この当時20系の中でも余剰となっていたナハネフ23がこんなところで活用されていると驚いたものでした。
やはりウメコマが気になって仕方ないですね。昭和人だからしょうがないです♪
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